始まりの日 -New place-

「告白しないの?」

 なんて言われたら、口に含んだ水を吹き出すわけで。

 一通りむせてから、それを言い放った奴へと目を向ける。
 そいつはにやにやと笑いながらこちらを見ていた。

「…なんだいきなり」
「いやぁ、そろそろ行動仕掛けてもいいんじゃないかなぁと思ってさ」
「誰に何を」
「んなの言わなくてもわかるでしょ? あ、言った方がいい?」
「結構だ」

 吹き出したせいで口周りについた水を拭ってから、座る。
 
 こいつとの付き合いは今年で十三年目だが、突然あの妹のように突拍子もないことを言い出すのには未だに慣れない。数年前から変わった日々のおかげで、こうして軽口をも増えたのは好ましいことだが。

「好きなんでしょ?」
「まぁそうだが」
「水女さまなんだから早めに心掴んどかないと」
「お前は俺のなんなんだ……」

 ここ最近、クリスティアとくっつけようとしてくる行動には少し呆れている。目の前に座る親友に、溜息を吐いた。
 クリスティアは好きだ。愛おしいと思う。
 あれだけかっこよく守られればそりゃ惚れるわけで。そしてその女が好みの容姿ならばなお心は惹かれていくわけで。
 そんな彼女はこの世界が嫌で死にたいと思っていたわけだが、なんとか生きて欲しくて「俺のために生きないか」というわけのわからないことを口走ってしまったのは出逢って半年弱の頃。正直何言ってんだ俺はと思わなくもなかったが、約束したとおり色々与えることで今もなお生かすことには成功した。
 が、そっちが手一杯でそれ以上には進んでいない。今の関係が心地よくて壊したくないのも、進んでいない理由の一つだが。

「今からこう、関係深めていって十六くらいで契り結んでもいいんじゃないの」
「お前は将来の計画まで立てているのか……」

 しかしそんなことは親友には重要ではないようで。日々熱心にどうするんだと聞いてくる。
 いやくっつけてくれようとしているのは嬉しいんだがそもそもだ。

「あいつが俺を好きだという確信がないだろう」
「そこをあの手この手で落としてくんでしょ?」
「お前案外えげつないな」

 そう言った割に、「そりゃ欲しいもののためならね」と笑う親友に心の中で共感できた俺は同類だと思う。

「もたもたしてると盗られちゃうだろ」
「お前にか?」
「あ、俺はクリスは対象外なんで」

 安堵のような本人に失礼なような。

「俺は妹のように思ってるけどさ。クリスは引く手数多じゃん」
「可愛いもんな」
「突然の惚気ありがとう。そうじゃなくてね?」

 首を傾げると、仕方なさそうに笑う。

「水女さまじゃん」
「そうだな」

 実際はなんの力もないが。

「そして村は崇めてるわけだ」
「あぁ」

 もったいぶって言うレグナにさっさと話せと視線で促す。レグナは「まだわかんない?」と呆れた目線をくれた。まったくわからないので頷くと。

「そりゃ求婚もされるよね?」
「……ん?」

 言われた意味がわからず止まった俺に、レグナは構わず続けた。

「村に恵みをもたらす水女さまなんですけど」

 今度は妹よろしくにっこりと笑って。
「縁談の話が出ております」
 そう、言い放った。
 それを聞いた俺は。
「………………は?」
 ただただ、目を見開くことしかできなかった。
 
 

『そんな話聞いていない』/リアス
 
 

「……どうすんの?」
「んー…」

 枯れ葉が舞い落ちる、ある日のこと。
 今日はカリナが薬草摘みに行ってて、リアスはまだ。一人で森に来たらクリスティアがいたから、聞いてみる。彼女は心底嫌そうだけれど、どうしたものかわからずうなるだけだった。
 
 今年で十五になるね、って話してたのが、もうだいぶ前に感じる。十五ともなれば年齢的にも良い歳で。身を固める人だって出るわけで。
 そして水女として生まれたクリスティアには、縁談という話がそりゃあもうたくさん舞い込んでくるわけでして。
 縁談の話を聞いたのは、一昨年の春頃だったと思う。カリナに相談していたらしく、妹は妹で抱えきれなくなったんだろう。カリナ伝手に、クリスティアに縁談の話が上がっていることを聞いた。

 そしてリアスに聞いてみればまぁ知らないわけで。お前どのくらい片思いしてんだよ気付いとけよと思ったけれど、よくよく考えれば俺たちは村の嫌われ者で。村に居場所も無く朝と夜以外はずっとこの森で過ごしていて。そりゃ村の事情なんて知らないよなと納得してしまい、教えてやったのが去年の秋頃。
 そして実は、クリスがリアスのこと好きなんだ、って俺たち双子に言い出したのもそこら辺付近。なんとなく昔からリアスのこと好きなんだろうなって雰囲気あったけど、本人はずっと気付いていない様子だった。もどかしかったよものすごく。正直何度ちょっかい出そうかと妹と二人やきもきしていたけれど、なんとか我慢して。じっと見守ること恐らく四年弱。ここに来てやっとクリスも自覚したらしい。告げられたときはそれはもう妹と心の中で大はしゃぎした。
 出逢って間もない頃、自分の心の方も救ってくれたヒーローが、自分の大事にしている親友を好ましく思ってくれるのはとても嬉しい。その日は夜通しカリナと彼らの幸せな未来を想像していた。

 そんな両片思いが発覚して、見守ろうか、ちょっとくらいちょっかい出してみようかと思ってた最中。すっかり忘れていた縁談の話を思い出しまして。

 ちょっかいを出す間もなくどうすんだよと頭を抱える毎日です。

「断るんでしょ?」
「そりゃあ、まぁ…」

 ですよね。村は”水女”としてしか自分を見ない。それが嫌でここに来てリアスと出逢って恋に落ちたのに。縁談を受けるとは初めから思っちゃいない。けれど彼女は今持ち上がっている縁談を保留にしていた。

 何故か。

 理由は二つ。
 まず一つは、今の縁談を断ったとしても次がすぐやってくるから。縁談があと一回で済むならとりあえず断っておいでと言えるけれど、彼女は水女さま。縁談の話は止まることなんてない。だからとりあえず今は保留という形で、次の話が舞い込むのをストップしている。

 そして二つ目。
 こういった縁談の場合、極論「好きな人がいるんです」と言ってしまえば割と収まって行くもので。クリスティアだってリアスが好きだし、それを言えば一番よかった。

 そう、それが言えれば。
 ここで忘れちゃいけないのがリアスとクリスティアのこと。
 リアスは”悪魔の子”として嫌われ、クリスティアは”恵みの子”として崇められている。そんな二人が恋に落ちました、なんて物語よろしく言ったらどうなるだろうか。
 大批判でしょうね。
 そしてその矛先はもちろんリアス。

「やっぱり、リアスがもっと嫌われちゃうのは、いや…」
「だよねぇ」

 あいつからしたら元から嫌われてるからどうってことないのかもしれないけれど。やっぱりクリスも、俺たちも良い気はしない。

「どうしたら、いいんだろ…」
「うーん…」

 二人で悩む。こんなときカリナなら良い案浮かぶんだろうなぁと思うけれど当の本人は薬草摘み。
 最近はこんなんばっかりだ。
 クリスとカリナが話しているときには俺が仕事、逆もしかり。
 そしてクリスも話し合いだなんだと話があるからとここに来る頻度も減った。そして来るときに限ってリアスがいないこともある。

「……とりあえず、リアスに伝えてみれば?」
「好きって…?」
「そう。そんで二人で考えてみるとかさ」
「そもそもリアスがわたしを好きかわかんない…」

 いやもう大好きだよ。すっげぇ愛おしいと思ってるよ。なんだこの二人。揃って鈍感か。

「言ってみたら案外”俺も”って答えもらえるんじゃない?」
「リアスはわたしを妹みたいだと思ってるから…」

 なんでそこの自信はついちゃったかな。

「それに言ったところで、そのあとどうするの、ってなっちゃうし…」
「そこは俺たちも一緒に考えるからさ?」
「んー…」

 最近この繰り返し。どうしようもなくて、木に凭れた。

 仮に想いを告げた、その先。
 結ばれました、すぐにハッピーエンドですってわけには行かないのがこの二人。
 いつかは村を出る俺たち三人。もちろんクリスだっていて欲しいけど、そう簡単には行かない。彼女は崇められてる水女さまだから。
 俺たちが村を出て行くのはもう万々歳なわけだけど、彼女は違う。恵みの象徴をそう簡単には手放さないだろうし、もし出て行くことに許可が下りたとしても、それがリアスと一緒になるためだと知ったらすぐに却下。
 仮に村を出るのならそれ相応の準備と理由がなくちゃだめだよなぁ。あとは死ぬ覚悟。
 ただその理由を作る前に二人がくっつかなきゃなんだけどね? 二人共自分が恋愛対象として見られてないって思ってるときたもんだ。

 お互い大好きなんだからくっつけよもう。

「レグナ大丈夫…?」
「うーん色んな意味で大丈夫じゃない」

 思わず頭を抱え込んだらクリスティアに心配されてしまった。

 自分の膝に頭を乗せて、クリスティアを見た。

「……クリスはさ、リアスのこと好きなんでしょ?」
「ん…」
「でも、言えない?」
「…”今”がなくなっちゃうのは、こわい…」

 お互いの心地良い関係。そりゃなくなるのは怖いけども。

「じゃあさ、このまま縁談をずっと受け続けて、無理矢理他の人と夫婦の契り、交わす?」

 聞いたら、心底嫌そうに首を振った。

「でもどっちかでしょ」
「んぅ…」

 決断を急かすようにしたらうつむいてしまった。

 俺だってクリスとリアスがくっついて欲しいし、クリスが他の人とくっつくのは嫌だ。
 かといって、人の大事な想いを教えて無理矢理くっつけてしまうのも嫌だ。

 リアスとクリスティアが、お互いが大切だからこそ心の内にしまっている気持ち。
 それを、いくら付き合いが長いとは言えど互いに教えて、さぁあなたたち両思いなんだからくっついてください、って言うのは違うってわかってる。
 近いところまでは来てるかもしれないけれどそこはまぁちょっと大目に見てもらって。
 さてどうするかと、澄み渡った空を見上げた。

 鳥のビーストが、自由に羽ばたいている。
 これからどこ行くの、なんて聞いても気の向くままに、って答えが出るんじゃないかってくらい、自由に。
 いいなぁ。俺たちもあのくらい自由に動けたらな。
 そう思いながら見ていると、鳥のビーストの口に何かあるのが見える。目を凝らして見えたのは、生き物だ。
 さすがに遠いのではっきりは見えないけれど、それでも他の種族であるのは確かだと思う。
 誘拐ですか。こっちは悩んでるっていうのに。まぁ鳥なら捕まらないだろうし別に──ん?

 あ、そうか。
「クリス」
「ん…?」

 ぱっと閃いた。そうだよ、なんで気がつかなかったんだろ。
 きょとんとしているクリスティアに。
「いいこと思いついちゃった」

 そう、笑って告げた。
 
 
『ものは使いよう』/レグナ
 
 

 雨の日は、親友と呼べるようになった彼女が忙しい日だ。

「水女様」
「水女様、この雨をありがとうございます」
 クリスティアの家にたくさんの人が集まり、雨を降らせてくれたことに感謝する。
 当の彼女は、それを魂のこもっていない目でぼんやりと眺めていた。
 
 
 
「で、あなたは変わらずにいるのね」
「……何の用だ」
 降りしきる雨の中。吐く息は白く、気温も低い。身震いする体を抱きしめながら雨具を被って森へと行けば、親友の想い人であるその男はいた。
 雨具も何も用意せず、木にもたれながら、雨をしのいでいる。
「することがなくなったから来たのよ」

 もう一つ予備で持っていた雨具をリアスに渡した。心底嫌そうではあるけれど、受け取って、被る。
 雨の日は、親友は忙しい。村の人間全員が彼女の家に押し掛け、感謝を述べる。一応うちも汚れを祓えと行ってきました。ものすごく適当なお祓いを笑いそうになりながら受けた後、川の近くにある薬草を見てから行くと言うレグナと別れ、森へ来た。

 そして来てみれば、十五年来の幼なじみは今日もいる。

「雨具も持たないなんて相変わらずバカなの?」
「そもそもそんな物を用意しようとすれば汚れだ何だと村が騒ぐ」

 だから持ってこなかったと、どんよりとした空を見上げて答えた。
 こっそり持って行けばいいのにと思いながら、彼がもたれている木の裏側へ腰掛ける。

「帰らないのか」
「帰ったってすることがないのは知っているでしょう?」

 そうだったなと、彼はとぼけたように笑った。

「で?」
「はい?」
「何か用があるんだろう」

 言われて、お見通しかと肩をすくめた。

 こうして木を間に挟んで背中合わせのように座るとき。それは、大事な話や聞いて欲しいことがあるとき。
 決めたわけじゃない。ただ、どうしてもクリスティアやレグナには話せないこと、だけど聞いて欲しいことがあるときは、互いしかいないから。なけなしのプライドで、泣いた顔や情けない顔を見せたくなくて背中合わせに座った。それが始まり。
 今日は別に悲しいわけではないけれど。癖って抜けないなと自嘲して、雨粒を眺めながら口を開いた。

「……クリス、縁談来てるわよ」
「知っている」
「今日もあの子目当ての男がたくさんいたわ」
「そうか」

 そうかじゃないでしょうよ。
 ただ、長い付き合いで、彼が現状をよく思っていないことも知っている。
 クリスティアを好きで。本当は自分の物にしたくて。誰かの縁談と言う話を聞くだけでも、彼の目がいらついているのを何度も見た。言ってしまえれば楽なのに。
 けれど話は簡単じゃなく。仮に動けば、自分だけでなくクリスティアに何か害が及ぶかもしれない。クリスも同じことを考えていて。
 クリスティアもリアスも、とてもとても優しいから。

 互いに傷つかないように、どうにもできずにいる。

「……あなたはどうしたいの」
「どうしたいとは」
「クリスティアのこと。誰かと幸せになって欲しいの? それとも、自分の物にしたいの」

 わかりきった質問をした。
 最終確認をするために。
 沈黙が走る。聞こえるのは、雨音だけ。まるで背中合わせに座っているような彼は、じっくりと時間をかけて、答えを出した。

「……自分の物にしたいとは思う」
「……そう」
 ただ二人とも、繋がった後をどうすればいいのかわからない状態。
 でも大丈夫。もう、どうすればいいか、答えは出たから。
「リアス」
「なんだ」
 兄が出してくれた、たった一つの答え。
「さらっちゃえば?」
 努めて明るく言ってみた。
 彼女をさらってしまえばいい。批判はあるでしょう。どんなに考えても、それだけはどうしても避けられなかった。そして、小さな村では隠れて逃げることもできないということもわかっている。

「さらうためのシナリオは考えてあげる」

 堂々と逃げられるようにしてあげるから。だから二人で逃げてしまえば。

 そうして悪魔だとか水女だとか言われない、静かな場所で、ゆっくり二人で幸せに暮らせばいい。
 いなくなってしまうのは、寂しいけれど。

「……そうだな」

 親友が幸せになれるのなら、こんな小さな、地獄のような場所から彼女を出してあげられるなら。それが一番良い選択。
「近い内に想いを告げて、さっさと村から出たらいかが?」
「その案は思いつかなかった」
「レグナがずっと考えていたの。感謝なさい」
「あぁ」

 立ち上がる音が聞こえる。
 もう帰るのと振り向いたら、こちらを見下ろしながら木にもたれる男と目が合った。あら珍しい。こっちを向いて話すのね。

「明日にでも告げてくる」
「それはまぁ随分早いのね」
「お前が早い内にと言ったんだろう」

 まさか明日だなんて思いませんよ。

「そのまま、早い内に村を出る」
「そう」

 彼女も別に断りはしないでしょうね。あぁ寂しくなるな、という思いは、次の言葉で打ち砕かれた。

「いつでも村を出れるように準備しておけ」
 雨音が、聞こえなくなった気がした。
 この男なんて言いました?
「え? ん? なんて?」
「間違えたことを言ったか?」
「いえその判別もできなくて。え? なんて?」

 今目の前の男がしているのと同じくらい驚いた顔をしながら問えば、さも当然と言うように彼は口を開いた。

「クリスティアと共になったら早い内に村を出るから、お前達双子もすぐ出れるように準備をしておけと言った」

 この男はバカなのかもしれない。

「ちょ、ちょっといいですか」
「どうぞ」

 手を挙げて抗議の意を示せば了承されたので、そのまま。

「私たちも行くの?」
「そう言っている」

 何故その結論にいたったかをとても聞きたい。

「嫌だったか?」
「いえ嫌ではなく」

 むしろものすごく嬉しいんですけども。

「何故我々も共に行くことが前提なのかしら。あなた方二人が幸せに暮らせばいいじゃないですか」

 親友と一緒にいられるのは嬉しいけども。二人がお互いと共にいたい。そういう想いが見えたから、では二人で幸せになってくださいねということで提案したのに。

 何故当然のごとく私たちも入る。

 聞きたいことやら言いたいことがしっちゃかめっちゃかで何も言い出せずにいると、彼は私の言いたいことがわかったのか、そのまま、また木にもたれるようにして座った。

「約束しただろう」
「はい?」
「大人になったらみんなで村を出ようと」

 だから、ついでに連れてってやる。
 
 あの頃の泣き虫リアスとは思えない、自信たっぷりな顔で、そう言った。
 しっかりと彼の言葉飲み込んで、何度か反復する。

 たっぷりと時間をかけたところで。

 嬉しさと呆れで笑いが出てしまった。

「バカじゃないの?」

 なんて言えば、彼も笑う。

「……俺はこちらが言わずとも着いてくると思ったが?」
「気を遣ってあげたのよ」
「気を遣うということができたんだな」
「今日の内にクリスティアと村を抜け出すので探さないでください」
「待て待て待て」
「冗談よ」

 笑って、冗談には聞こえないと言いたげなリアスに、「ひとまず」と続けた。
「シナリオを早速考えなきゃね」
「普通に連れ去ればいいんじゃないのか?」
「あら、ここまでこけにされて生きてきたのよ」

 せめて最後くらい、有無を言わせず格好良くさらいましょう?
 そう、彼のように自信たっぷりで笑うと、リアスも楽しげに笑った。

「仕上がりに期待している」
「任せなさい。できあがったら練習しますよ」
「あぁ」

 まぁその前に。

「明日、頑張りなさいな」

 さらうよりももっと重大な任務が、彼には明日控えている。珍しく、目を見て言った。

「お前が応援とは雪が降るんじゃないのか」
「あら、余計なことを言うのはどの口かしら」

 口の減らない幼なじみに笑って、でも、と空を見上げる。

 吐く息は白い。気温も低い。

「そろそろ本当に降りそうね、雪」
「そうだな」
「まぁ降る前に村を出て、積もったりする前に新しい村が決まればいいんじゃない?」
「あぁ」

 だから、と。同じく空を見上げていた男に向けてもう一度。

「いざとなったときにへたれないように。頑張りなさいな」
「わかっている。お前はさっさとそのシナリオ考えたらどうだ」
「振られて無駄にしないでね」
「ほんっとうに余計なことばかり言うなお前は」

 にらんでくるリアスにはもう聞こえてませんよと言わんばかりに目を閉じた。
 盛大な舌打ちが聞こえたのでそっと隣をうかがってみると、少し眉間にしわを寄せて目を閉じていた。なにを言っても無駄だとわかっているんでしょう。いいことだと、また目を閉じて、思考に落ちる。

 どうやって有無を言わせずにさらわせようかしら。
 せっかくなら村の人間が集まる日がいいかもしれない。

 その中で堂々とさらって、そうしたら村を出て、四人で。
 ──四人で。

 思わず口角が上がる。
 四人で、新しい村に行って。今までの分、たくさん笑って、バカなことして。
 幸せに、暮らすんだ。
 そう、これから来るであろう日々に、胸を躍らせて。
 大嫌いな彼が最高に格好良くなるように、頭を働かせた。
 
 

『早く、雨よ降れ』/カリナ
 
 

 
「お前を、愛おしいと思っている」

 枯れ葉が舞う中。
「……お前と、共にありたい」
 きれいな紅い目のその人は、白い息を吐きながら、そう、告げた。

 答えなんて決まってる。
「…はい」

 まっすぐ、大好きな紅い目を見て、うなずいた。

 
 
 
 小さな頃に、愛してくれると言った人。
 その人は、優しくて、あったかくて。
 愛というのはちゃんとわかるわけではないけれど、ずっと傍にいて、愛してくれたと思う。

 そんな人に惹かれていくのは、当然なことで。
 容姿も好みなら、なおさら。

 幸せな日々を過ごしていく内に、いつの間にか、大好きになっていた。
 そんな、リアスに。
 ”愛おしいと思う”。

 言われた言葉と、その後続けられた言葉を頭の中で何度も繰り返す。
 そのたびに、頬が熱くなる気がした。口角も自然と上がる。
「…ふふ」
 一人きりの部屋の中。
 思わず、声を出して笑ってしまった。
 
 
 リアスから、想いを告げられた。

 雨が降った次の日。やっと参拝みたいなのから解放されて、一目散に森へ行くと、いるのはリアスだけ。カリナたちはお仕事かな、なんていつも通りリアスのそばに座った。
 そこで持ち出されたのが、今とても参っている縁談のお話。なんで知ってるの、って聞く間もなく、リアスは「縁談受けるのか」って聞いてきた。

 そりゃ受けるなんてありえないわけで。
 わたしが好きなのはあなたでして。
 けれど目の前にすると想いを告げられないわけでして。

 そのやり場のない怒りをぶつけたかったけど、リアスのものすごい真剣な目に怒りは収まり、とりあえず、縁談についてのことは無我夢中で首を横に振った。
 ありえないと意思表示をするように。

 そしたら、ほんの少し安心したような目をした後。
 告げられた。
 一瞬耳を疑ったけれど。大好きな目と同じくらい耳を紅くして、けれどまっすぐ見つめられて。
 掴まれた腕が、ほんの少し痛くて。

 あぁ、夢じゃないんだってわかった。
「…幸せ…」

 いつからか心の中を占めるようになった大好きな人から、想いを告げられて。そして、
「村を、出よう…」
 言われた言葉を、こぼした。

 想いを告げられたあと、言われた言葉。
 ”四人で、村を出よう”。
 もう自分たちなんて誰も知らない土地へ行って、四人で、幸せに暮らそう。

 願ってもない幸せな提案だった。昔聞いた、あの三人の約束に。自分も入れてもらえた。
 嬉しくて、それにももちろん、首を縦に振った。もう全力で。

 リアスは笑って、近い内に迎えに行くから用意して待ってろ、って言っていた。
 そうして、二日程が過ぎて、今日。
 まだかまだかとわたしは迎えを待っている。
 天気はどんより。もう少ししたら雨が降るらしい。そうしたら、また村の人たちがわたしに拝みに来る。

 面倒だけど、それも近い内に終わるんだ。だったらもう少しだけがんばろう。にやけそうな顔を引き締めるように軽くたたく。
 そう言えば迎えに来る、って言ってたけどどうするんだろう。
 レグナはいいこと思いついたって言っただけで具体的にどうするかなんてわたしは聞いてないし。リアスは迎えに行くって言ってたけど合図なんて知らないし。あ、カリナが来たときにでもがーっと好きな人と結ばれますさようならなんて言いながら去っていくんだろうか。
 それか夜中に誰かが迎えに来るのかな。
 なんて考えて。
 ぽつぽつと聞こえ始めた雨音に、反射的にため息をこぼした。
 
 
 
「水女様、感謝いたします」
「この村の繁栄をなにとぞ……」
 ぼんやりと、人が拝んでくるのを見ていた。

 あの後はどしゃぶりで、そんな中にも関わらず人がいっぱい来た。雨を降らせてくれてありがとうと。
 神様が降らせているので実際わたしはなにもしていないのに。この容姿で何故か崇められてもうすぐ十六年。
 これももう終わるんだ。だめだ口角が上がりそう。こらえて、周りを見回す。
「水女様」
「恵みの子、ありがとうございます」
 見知った顔は、いない。
 おかしいな、いつもならカリナくらいは来るのに。レグナはお仕事かもしれないけれど。どしゃぶりだからお仕事手伝ってるのかな。
「して、水女様」
「!」

 なんてぼんやり人を見ながら思ってたら、近くの女の人の声で引き戻された。あ、この人縁談の話持ち込んでる人だ。
 断ってるけれどずっと言ってくる人。隣には、向こうが推してくる男性もいる。

「うちの子、やはり水女様のお眼鏡には合いませぬか」
「はぁ…」
「きっと水女様のお力になると……」
「いえうちの子の方が……」
 一人が話し始めたら、ほかの家の人たちも声を上げ始める。めんどくさい。最近はこんなのばっかり。断ってんだからもう下がってよ。

 あなたたちははじめから眼中にないし、結ばれることなんてないの。
 わたしには、好きな人がいるんだから。

 そして、その人と結ばれたんだから。

「あの…」

 前はどうしたらいいかわかんなかったから言わなかったけど、もういっか。どうせすぐ村を出るから。ただ、名前だけは絶対出さずに。
 わたしが声を発したら、全員が黙った。こういうときだけ水女、って言われるのには感謝した。

「わ、たし…想いを寄せてる人が、いるので…」

 そして言った瞬間に、一気に騒がしくなる家の中。
 雨の音が聞こえなくなるくらい、「うちの子ですか」だとか「どこのお方なんですか」とか詰め寄ってくる。わぁ近い。

「水女様、そんなお話初耳ですが」

 今わたしも初めて言いましたお母さま。

「どのようなお方なのですか!?」
「水女様!」

 どうしよう思わずめんどくさくなって口から出てしまったけれどこの先いっさい考えてなかった。どのようなお方ってどういう風に言えばいいの。村の子って言ったらダメだよね。

「きっと水女様のお相手なのだからきっと明るくて笑顔が耐えない人だわ」

 あ、たぶん真逆です。

「今日この場にはいらっしゃるんですか水女様」

 今日どころかこの催しに一度も出たことがありません。

「我々の知っているお方ですか?」

 知っているもなにもあなた方が大嫌いだと村から追いやってる人です。

 さてどうしよう。好き勝手に騒ぎ始めてる人たちを見ながら考えてみるけれど、正直頭がいい方ではないのでまったくなにも浮かばないわけで。
 ざわざわしているの人たちから目をそらして。どんよりとした空を見上げて、ため息を吐いたときだった。

 家の中の人たちが、息が詰まったような雰囲気になった。
「…?」
 なんだろ、って目を戻してみるけれど、残念なことに目の前には人が立ちはだかっているのでなにも見えず。けれど。
「何だお前は!」
「何しに来やがった!」
 誰かが言った言葉で、なんとなく察した。
 人の隙間を縫うようにして、みんなが向けている先をやっとの思いで見る。
「……」
 そこには、異色の金髪と紅い瞳の、大好きな人がいた。
 いやどうして?
 ときめきよりも驚き。
 びっくりしている間にも、村の人の声は収まらない。
「悪魔の子がこの神聖な場所に何の用だ!」
「出ていけ!」

 みんなが揃って出ていけと言う。
 その声が聞こえてないように、リアスはこっちに歩いてきた。

「水女様、お下がりください!」
「おい悪魔の子! 何近づいているんだ!」
「離れろ!」

 親には引っ張られて、周りからは心ない声が飛び交って。

「っ…」

 ”やめて”、って声を出そうとしたときだった。
「、ふっ」
 リアスが、おかしそうに、笑った。

 けど、いつもみたいな、わたしといるときみたいな感じじゃなくて。悪魔の子って嫌がってる人たちも、わたしも。止まった。
「クリスティア」
「! はい」

 突然名前を呼ばれて、思わず返事をする。

「まだ言っていなかったのか?」
「へ…」

 なに言ってるんだろう。
 きょとんとしながら、歩いてくるリアスを見る。
 当のリアスは楽しげにわたしの前で目線を合わせるようにしゃがんだ。
 笑みは絶やさぬまま、告げる。
「俺との契りの話、まだ村の奴らにしていなかったのか?」

 …………あなたなに言ってるんですか??
 え、なんて?
 わたし言ってなかったっけ、言ってなかったか。リアスがこれ以上嫌なこと言われるの嫌だからどうにか穏便に、って。あれ言ったのはレグナとカリナだけ? いやリアスならわかってくれてると思ってたんだけども。そもそもリアスに縁談の話いってたから穏便にねって話も伝わってるものかと。ん?

「り、あす…?」
「こっちは待ちくたびれたんだが」

 そう首を傾げながら言うリアス。

 あ、見えてしまった。
 耳が、紅い。

 そういうことですか。
 バカじゃないの??
「おい! 契りってどういうことだ!」
「水女と契りを交わすと言うことか!? ふざけるな!」
 思わず頭を抱えそうになったとき、村の人たちの怒号が聞こえる。それにリアスはまたおかしそうに笑って。

「なぁ、お前達が、俺が小さな頃から言い続けているその”悪魔の子”という言葉」

 立ち上がって、話し始めた。

「本当に悪魔だったらどうする?」

 その言葉に、一気に村の人がざわついた。リアスの耳がさらに紅くなっております。

「悪魔は災厄をもたらすもの。俺もその内、こんな小さな村だけじゃない、もっと大きな規模に災厄をもたらすかもしれない」

 だめだー笑いそう。

「今までは水女が浄化していたが、最近抑えが効かなくてな」

 初耳です。

「それを止めてやるには、心を共にした女が必要だそうだ」

 誰なのこんなシナリオ考えたのは。
 笑いそうになってるわたしとは反対に、村の人たちはまさかと顔を見合わせ始める。

「というわけで、この水女をもらいに来た」

 髪の毛を掬って、愛おしそうにすり寄る。
 ねぇほっぺちょっと紅いよ、手、見えるくらい汗かいてるよ。

「ふざけるな!」
「水女様がお前なんかと心を共にするわけないだろ!」
「悪魔なんだから心を奪うなんて造作もないだろう?」

 わぁ、ついには首まで真っ赤だ。たぶん私の視線は気付いてるだろうけど、リアスは気にせず続けた。

「さてどうする? この水女一人捧げてくれれば村は安寧、幸せを築いていけるんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、騒いでた村の人たちはそろって黙った。

 近くの人と目を合わせて、どうすると言っているよう。
 悩むまでもないのに。
 どうしよう、なにか言えばいいのかな。わたしは大丈夫ですみたいな?

 まぁとりあえずご決断を的なことを言おうとしたときだった。
「…!」
 口に、手を当てられる。びっくりしてリアスを見たら、首を横に振られた。
 なにも言うな、って言ってる。
「さっさと出るぞ」
 周りには聞こえない、小さな声でそれだけ言って、うなずいたわたしに微笑んでから、リアスは村の人に向き直った。
「沈黙は肯定と受け取っていいんだな?」
 そう、高らかに告げる。
 誰も、なにも言わない。家族だって。でも当然のこと。
 だって一人の命を捧げれば、自分たちは助かるんだから。
 ずっと村の、自分たちの幸せばかりを願って生きてきた人たち。水女という、自分たちが崇めてきた存在を捧げれば、村は、自分たちは、ずっと幸せに生きていける。そして忌み嫌っていた悪魔は災厄を及ぼさない。リアスから教わった言葉。利害の一致。
 なにも言わない村人たちに、リアスは笑って。

「決まりだな」
「わっ…」
 わたしを、持ち上げた。いつもは見上げる紅い目を、見下ろす。
「代わりに村には何もしないでおいてやる。良かったな、これで村は一生幸せだ」
 吐き捨てるように言いながら、歩き出した。
 口々に「ごめんなさい」だとか「申し訳ありません」だとか言う村人を冷めた目で見下ろして。

「…さよなら」
 これからの幸せを考えて、思わず微笑んで、別れを告げた。
 
 
「なにしてるの…」
「一芝居うとうかと」
「耳真っ赤だったけど…」
「うるさい」
 家を出て、リアスに降ろしてもらって、村の出口へと歩く。
 まだ真っ赤。手も熱いよ。ただそれ以上言うと拗ねそうなので、話題はシナリオに。

「誰が考えたの…?」
「カリナ」

 あぁ、なんか納得できる。

「夜通し考えたそうだ。どうやっても俺への批判は避けられないから、せめて格好良くしようと」
「かっこよくてかわいかったよ…」
「可愛いは余計だ」

 いや真っ赤になってたらかわいいでしょ。たぶん練習とかしたときも相当恥ずかしかったんだろうなぁ。
 手を引いてくれる、がんばってくれた愛する人を見た。

「ありがと…」

 そう言うと、紅い目は一回こっちを見てからまた前を向く。

「礼を言われることでもない」
「だってがんばったじゃん…恥ずかしがりながら…」
「……本番は、そういう風には見せなかった」
「…そだね」

 たぶん嫌われ効果でそこまで見てなかっただけだよ、って言うのは黙っておいた。

「でも迎え来てくれたし、かっこよかったし、だからお礼は言う…」

 ありがと、ってもっかい言うと、リアスは少し黙ってから口を開いた。

「約束したろ」

 だから礼はいらない、と静かに言った。

 それに、笑ってしまう。
 小さな頃の約束。愛してって言ったわたしに、リアスはうなずいた。

「ずっと、覚えててくれたの…?」
「当たり前だ」

 笑って、リアスは続けた。

「朝起きて、敬語なんか使わずに、「おはよう」って言われたい。何かできたら、「すごいね」って言われたい」

 あの日、わたしが言ったこと。
 村の出口に近づきながら、それを聞く。

「がんばったら、「がんばったね」って、褒めて欲しい。悲しいときは、「辛かったね」って、抱きしめて。嬉しいときは、「よかったね」って、微笑んで」
 出口には、手を振ってる双子が見えた。

「これも言ったな」

 ふっと手を離して、リアスは双子の元へ行く。振り返って、微笑んだ。

「手を繋いで、色んなところを見てみたい」

 手を、差し伸べられた。
 あの日私がしたように。そして願った通りに、口にした。

「今まで辛かったな」

 手を取ると、優しく握られる。

「よく頑張った」

 その手を、握り返した。

「手を引いてやるから。みんなで行こう」

 ──新しい場所へ。
 声の優しさも、ぬくもりも。あの日、抱きしめてくれたときと変わらないまま。
 変わったのは、涙が出ないこと。わたしの顔が、笑顔なこと。

 みんなの顔も、笑顔なこと。
 これからは、朝起きて、みんなでおはようって言って。
 なにかできたら、「すごいね」って言いあって。
 がんばったら、「がんばったね」って、ほめあって。
 手を繋いで、色んなところを見て。
 悲しいときは、「つらかったね」って、抱きしめあって。
 嬉しいときは、「よかったね」って、みんなで喜ぶ。

 そんな日々が、始まるんだよね。

「うん…」

 重ねられたみんなの手。

 いつだって助けてくれた手。
 笑顔にしてくれた手。
 ずっと、愛してくれた手。

 そんなみんなの手が、わたしの手を引く。
 引かれるままに一歩村から踏み出してみると、どしゃぶりの雨なのに、きらきらと輝いて見えた。

 あぁ、今。
 幸せだって胸を張って言える。

 けれど、だからって死のうとは思わなかった。

 これからもずっと、もっと。幸せな日々を歩みたい。
 この人たちと。

 その思いの方が強い。それと、もう一つ。
 あの日、死ななくて良かった。
 桜が舞うように降りしきる雨の中で。
 そう、強く強く思った。
 
 
『こんな世界が見れたのは、あなたのおかげ』/クリスティア