未来なんて、誰にもわからない

「ではこれでこの件はよろしいでしょうか?」
『すまねぇな嬢ちゃん!』
「助かります、ありがとうございます……!」

 お礼と共に去っていくウサギのビーストと女性を見送り、息を吐く。

 さて一段落しましたし私も帰りましょうかと、南地区へと続く通路を歩き出しました。

 八月旅行開けの月曜日。本来は交流武術会期間初日ですが、さすがに次の日は疲れも溜まるし、実際に武術会に何をするかはわからいので明日行くことにし。私は午前ゆったりしたことですし写真の現像へ行っていました。
 歩きながら、思い返すように先ほど西地区で現像をお願いした写真を見る。

 七月は四人で主に家にいましたけれど。八月は思い出がたくさん増えましたわ。
 先輩たちとのアミューズメントパークに旅行が大きな行事。リアスも不安がることもなく、クリスティアが楽しめる夏休みとなったのはとてもよいこと。
 できれば夏休み最後まで思い切り予定を入れたかったというのも本音ですが、それはまた来年、再来年に期待と言うことで。

「さて」

 写真は大切にバッグにしまい、帰路を歩いていく。

 蝉のビーストによる求愛の合唱の中で聞こえるのは、がやがやとしたしゃべり声、時折混ざる喧騒。まだ人通りの多い道路を見回せば、少し言い合いをしているビーストとヒューマンらしき人。そこに、近くにいたハーフであろう人が止めに入っています。

 夏休み。室内遊びや移動もテレポートなどで済ましていましたからこうして外に出る機会はなかなかありませんでしたけれど。
 こうして歩いてみると、意外と夏休みは争いが多いのだなと知る。心なしかビーストも普段より多い。まぁ長期休みは帰省だなんだとありますものね。とりあえず見渡した限りでは助けはいらないものばかりなので大丈夫でしょう。

 このまま帰って、クリスティアたちに連絡して。予定が合えばみんなで写真をアルバムに入れて。

 考えただけで口角がさらに上がりますわね。足も軽くなる。

 なんなら人目がつかない場所に行ってテレポートでも──。

 そう、思いながら家へと続く静かな道へ入っていったときでした。

 スパァンッと、良い音が鳴り響く。

 あぁこの音はなかなか痛いですわ。反射的に、その方向を見やった。

「……え」

 そうして、その先の人物に目を見張ってしまう。

 視界にうつるのは、これはこれはとてもきれいな金髪の女性。後ろ姿でもなかなかグラマラスだとわかる彼女は、手を振りきっている。恐らく叩いた側でしょう。

 その、目の前の人。叩かれた勢いで横を向いているのは、

 エシュトに入って見慣れた茶髪のポニーテールをしている。

 武煉先輩では????

 え、武煉先輩??
 あらまぁ叩かれた右頬がきれいにもみじになっているじゃないですか。

 武煉先輩????

 どうしよう今この光景がとても信じがたい。
 いろいろ思うことありますよね。あなた彼女いたんですねだとか、なにしたんですかとか。え、そもそも陽真先輩は?? あ、違う今たぶんそれは考えなくていいやつ。だめですちょっと予想外過ぎて軽いパニック起こしてますわ。絶対クリスティアがいたらいつも通りだよとか言いそうですけれどプチパニックです。
 そんなプチパニックの中、私がいるとは知らない女性が叫ぶ。

「嘘つき!!」

 その声はとても泣きそうな声。
 なにしたんですか武煉先輩。

 そんな私の心の声が聞こえたのか、そもそも視認されているかはわかりませんが武煉先輩はゆっくりと女性に向き直り、笑った。

「俺は嘘はついてませんよ?」

 しかし女性は憤った様子でまた叫ぶ。

「あんなに女がいるなんて聞いてないわよ!!」

 と。

 ──あんなに女がいるなんて?

 待って。

 ワンモア心で繰り返して良いですか。

 あんなに女がいるなんて???

 ちょっと私も聞いてない初耳ですよ。え? 彼女どころか複数女性がいる??

 じゃあ陽真先輩はどこの立ち位置??

 違うそうではない。
 けれどわけがわからなくなっているのは確かで、そのまま立ち止まったまま会話に聞き入ってしまう。

「俺はきちんと言っていますよ」
「予想より多すぎるのよっ!! 一体何人いんのよ!!」

 言われて、武煉先輩は指折り数えていく。あ、折るだけじゃ足りないんですね、指開くまで行くんですね??

 見ただけでも十──数えるのはやめましょう。
 そこは見なかったことにして。

 ひとしきり数え終わった武煉先輩は、またにっこりと笑う。

「まぁ、あなたの予想を超えていたとしても合意の上ですよね」

 なかなか最低なお言葉いただきました。

「合意、だけど!! もう我慢できないのよ!!」

 どうしようもできず立ち止まっている私などお構いなしに、二人、といっても主に女性の方がヒートアップしていく。

「あたしといるときふっつーに違う女との電話取るし!」

 それは急を要するとなると仕方なさもありますけれども。

「あまつさえそのまま”来ますか?” とか言い出すし!!」

 うーんそれはいただけない。

「最終的に名前だって呼び間違えるし!!」

 あーよくありますよね。浮気ばれるやつで──

「いっつも名前出てくるハルマって誰よ!!!」

 私の知り合いです。

 武煉先輩勇者すぎでは????

 まとめてみましょう。

 武煉先輩にはたくさん女性がいる。ひとまず現在は女遊びということにしておきましょう。そんな彼は女性、ここではAにしましょう。Aさんと一緒にいる間でも他の女性(仮)と連絡を取る。しかも名前も呼び間違える。ここでの呼び間違えってあれですよね。

 いわゆるほら、あの、ね? いたいけな男女が交わす夜の、ね? ああいうことですよね?

 つまり。

 陽真先輩と武煉先輩はつきあっていた????

 これはいけないこのままクリスティアとリアスの家に直行しなければいけない案件。けれど彼女たちの家に行くには目の前で繰り広げられているいわゆる修羅場の横を通らなければならない。
 後ろは人通りの多い道路。テレポートもできはしない。

 どうしましょう横を通ればバレる、後ろは種族的によろしくない。でもすぐさまこの興奮をクリスティアに届けたい。

 あ、一旦道路へ出て違う道に行けばいいのでは?
 そうしましょうそうすればきっとバレることなくテレポートもできますしなんならレグナに連絡してクリスティア宅へ直行できる。そうしましょう行きましょう。

「言ったでしょう、誰よりも優先する方がいますよと」

 あっでもこの会話もうちょっと聞きたいかもしれない。
 そうだけど、と若干涙ぐんでる女性にあぁこれはもしかしたら少し本気になってしまったんですねなんて心の中で同情しつつ。

 その一瞬の好奇心が生んだ間が、いけませんでした。

「!」

 こつり、自分のサンダルの音が鳴る。思いの外響いてしまったそれに、しまったと思ってももう遅い。

 反射的に目の前を見れば。

 驚いたようにこちらを見ている、武煉先輩。

 やってしまった。

 女性の方が泣き出してしまって気づいていないのが幸いですわ。このまま会釈だけして帰りましょう。さぁにっこり笑って。

「華凜じゃないですか」

 違うんですこんにちわの笑みじゃないんです。お邪魔してごめんなさいの笑みだったんです。名前呼んで欲しかったんじゃないんです。
 あなたが呼ぶから女性も気づいちゃったじゃないですか。すごい剣幕で振り返りましたよ。名前的に女の子ですもんね私。いや女の子なんですけれども。

 逃げ場がなくなってしまったので、一歩引いていた足はそのままそろえる。そんな私をしっかり捉えた女性は、武煉先輩へと向き直って。

「ちょっと!! あの子何!?」
「俺の後輩ですね」
「あの子も遊び相手なの!?」
「いいえ、違いますよ」

 含むような笑みで、私に笑いかける。ねぇ? と言いたげなそれに、頷けば。武煉先輩は一度女性に目を戻し。

 さらっと告げる。

「色々言いたいことはあるみたいだけれど、俺のことに納得できないならもう終わりということで。今までお世話になりました。楽しかったですよ」
「え、ちょ、ちょっと!!」

 そうして、女性の声を聞くことなくこちらへとやってくる武煉先輩。あら何故こちらにやってくるんでしょうかね。
 まぁ私のおててを掬ってどうするおつもりです? にっこり笑いかければ、武煉先輩も楽しげに笑って。

「では行きましょうか華凜」

 そこのお嬢さん、今が刺し時です。

「失礼を承知で申し上げてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
「バカなんですか?」
「中学時代は陽真と並んで中の下だったよ」
「本来の学力を聞いているのではなくてですね……」

 呆れた視線を送った目の前の人は、変わらず笑うだけ。そうして、立ち上がって。

「ひとまずこちらへ」

 私の手を引いた。

「は……? え!?」
「待ちなさいよ武煉!!!」
「またご縁がありましたらよろしくお願いします」

 驚いている私も、怒りながら叫んでいる女性も気にせず、言いたいことだけさっさと言って、私が来た西地区へ走り出す。
 振り返った先には、涙をぼろぼろ流す女性。すごい心が痛い。

 けれど、今ならテレポートもできるはずなのに。

 その手に引かれるまま、私も走っていった。

「ここまで来れば大丈夫かな」

 それからしばらく走り続けて、西地区の人通りの路地。やっと止まった頃には、さすがの私も息が上がっていました。

「っ、は、はぁ……」
「大丈夫ですか華凜」
「大丈夫じゃ、ありませんよっ」

 まぁこの方足の速いこと。そして体力のあること。体育祭でわかってはいましたが、決められたゴールもない状態でつきあうととんでもなくきっつい。うつむき、膝に手をついて何度も深呼吸を繰り返す。夏だから汗もすごい。これ下手したら熱中症になるのでは。
 ぽたぽた地面に落ちていく汗を見ながらそんなことを思っていると、ガコンと音が鳴りました。

「はー……っ」
「華凜」
「、っはい?」

 声を掛けられて返事をするも、顔を上げる余裕はない。すっごいきつかったんですよほんとに。若干立ってるのがやっとですわ。

 ほんの少し息が整ったところで、目の前に何かが差し出される。

「……」

 青色の缶。あ、スポーツドリンク。

「無理をさせてしまったね。ひとまず水分を」
「、ありがたく、いただきますわ……」

 少し薄暗い日陰の中で、ありがたくそれを頂き蓋を開ける。今回ばかりは普段の上品さを装うこともなく、体が欲するままに喉に流し込んだ。

「はっ、はー……」

 半分くらいまで一気飲みして、やっと缶から口を離す。さっぱりした。体も心なしか冷えた気がしますわ。

「大丈夫かい?」
「えぇ……」

 お礼を言って。
 ようやっと、目の前の人を見ました。

 私と違って軽く汗ばんでいる程度の武煉先輩。

「……息一つ乱れていませんのね」
「このくらいならね」

 四百メートル全力疾走並のこれを”このくらい”?

 ヒューマンながらもリアスやレグナと対等に戦える武煉先輩。やはり侮れませんね。なんてクリアになってきた脳で思いながら、ふともらった飲み物に口をつけ。

 あ、お金。

 思い至って、バッグから財布を引っ張り出す。

「武煉先輩、お金を」
「あぁ、構わないよ。俺の勝手で振り回してしまったからね」

 言われて、後半疲労ですっぽ抜けていたことを思い出しました。

 そうですよ。

「とんでもない現場でした」
「素直な感想ありがとう。それのお詫びとして飲み物は受け取ってください」

 口には出さないけれど正直対価が足りない気がする。
 ひとまず飲み物をいただけたことはありがたいので、再度お礼を言って壁によりかかりました。

「……」
「……」

 武煉先輩も隣に寄りかかり、人の往来へ目を向ける。すらっとした背格好、切れ長な深い青の瞳。腕を組んで立つその姿は、言ってしまえば格好良いのに。

「……嫌なギャップですね……」
「何を考えているかはわからないけれど、その一言だけはこぼしてはいけなかったよ華凜」
「思わずこぼしたくもなりますわ……」

 仲良く、しかも結構懇意にしてくださっている先輩が実は女遊びが激しいお方。どこの乙女ゲーですか。全然うれしくない。

 それでもヒロインは攻略していくのねなんてばかげたことを思いながら、少し背の高い先輩を見上げた。

 往来を見ている先輩は、

「……」

 どことなく、気まずそうな顔。

「……何故そんな気まずそうな顔をしているのでしょうか」
「いや、まぁ少しね」

 珍しく苦笑いをして武煉先輩は腕を組む。
 小さく小さく、「誤算だったな」と聞こえたのは気のせいでしょうか。

「あの」
「華凜」

 それを問いかける前に、武煉先輩から声が掛かる。思わずはいと返事をすれば、武煉先輩はさぐるように私を見て問う。

「蓮は、こういった女遊びには寛容な方かい?」

 さてここで「何故今レグナ?」と疑問が浮かび上がってしまうのは当然ですよね。
 しかし目の前の武煉先輩には質問を返せるような雰囲気ではなく。珍しく若干切羽詰まったような顔に、ひとまず考えるのはあとにして答えを出すことに。

 女遊びにレグナは寛容か。

 人なつっこく見せる割には意外とあっさりした面を持つ我が兄。恐らく相手のしていることなど興味も持たないでしょう。私が関わらないのであれば。

 とりあえずイエスかノーかで答えを出すのであれば、

「……まぁ寛容な方なのではないでしょうか」

 その言葉に、ほっと息を吐いたような武煉先輩。何故かしら。疑問がどんどん溢れてしまう。けれどその疑問を口にする間もなく、また武煉先輩が私の名を呼んだ。

 はいと返事をすれば。

 にこりと、頑張って張り付けたような笑みで笑いました。

「ひとまず交渉をしましょう」

 と。
 肩で壁に寄りかかり、先輩は私の答えを待つ。いろいろと考えたいところだけれど、珍しい武煉先輩に口が先に動きました。

「……交渉、ですか」
「念には念をということで。一旦、今日のことはひとまず君の胸にとどめておいて欲しいんです」
「秘密に、と?」
「そういうこと。いずれバレるのであれば、の話だけれど、そのときは俺から機会を伺って言おうと思っているので」
「蓮に」
「はい」

 まっすぐ私を見る瞳は、いつものように読めない瞳ではない。探るように、私がどんな言葉を発するか伺うように見てきています。ということは恐らくこの言葉に嘘はないんでしょう。瞳に焦りも感じますし、ここで嘘をついていても仕方ないでしょうし。

 問題は何故レグナには秘密に、ということ。
 私にはバレてよくて、レグナにはだめ。もう少し情報が欲しいので聞いてみましょうか。

「あの」
「なんだい?」
「ちなみに秘密にしたい理由と……あとは刹那と龍にはばれても大丈夫なんです?」
「……」

 武煉先輩は一度悩むように黙ってから。

「……秘密にしたい理由は、蓮に言うときと一緒にでも?」

 あらこれは言いたくないご様子。ではそれには頷いておいて、次。

「うちのカップルには」
「そこは、まぁ大丈夫、かな」

 歯切れ悪くもOKいただきました。

 では少々考える時間をいただきまして、まとめましょうか。

 レグナにはバレたくない女遊び。クリスティアとリアスにはバレてもいい。

 そしてバレた私には秘密にだけしてくれればいい。

 レグナに秘密にしたい理由は、まだ言えない。

 この情報を元に導き出される結果は。

 武煉先輩は実はレグナに若干気がある???

 クリスティアがいたらまた腐の話に走ってなんて言われそうですがこれそんな案件ですよね??
 だってレグナにだけバレたくないんだもの。理由も、妹にすら言えないほどのもの。さすがに気があるまではちょっと都合よすぎかもしれませんが、兄に一番興味があるのは確かですよね。

 体育祭のとき、このお方は我々四人と仲良くなりたいと言っていたけれど。

 そもそも走り出す前に「私が狙い」と嘘を吐いていた時点で信憑性は低い。

 となれば実はレグナが狙いという線もあるわけで。

 陽真先輩がリアスに行っているからというのもあるかもしれませんが、よく見るのは武煉先輩とレグナのペア。

 なんだやっぱり一番最初に言ったレグナにというのも間違いじゃなかったじゃありませんか。

 もしかして結構仲良くなりたいけれど、女遊びということで友情や先輩後輩の仲にひびが入るのが嫌だったり? あらまぁかわいらしいところもあるんですねと、思わず口角が上がってしまったのは仕方ない。

「華凜?」

 いきなり口角が上がった私に、当然ながら武煉先輩は首を傾げる。それには失礼しましたと言ってから。

「交渉、受けますわ」

 にこりと笑って言った言葉に、武煉先輩はまた安心したように笑いました。

 やっぱりこれどんな意味であってもレグナに一番興味あるってことでいいんですよね。さすがにいろんな愛がオープンになってきたとは言えど気があるというのは軽い冗談にして。

「条件なんですけれども」

 一番重要な交渉条件のお話へ。
 先ほどまで少し焦ったような表情だった武煉先輩は、交渉を受けるという私の言葉でいつもの笑みへと戻り、頷く。

「何をご要望だい?」
「一番重要なことですわ」

 女性遊びをしているとわかった時点で、元から聞こうと思っていたこと。

「刹那への、”そういった”干渉はおやめくださいませ」

 恐らく予想外だったのでしょう。きょとんとして。

 しっかり私の言葉を飲み込んでから、笑う。

「そこは大丈夫ですよ。俺は刹那に”そういった”意味で興味はありませんから」

 いつもならイラッとしてしまう言葉だけれど、今だけはほっと息を吐く。ただ、

「一応、念には念をということで」

 向こうが念押ししたことを、こちらも。

 やっと進みそうな二人の邪魔は、あの子にトラウマを引き起こさせることは、させられないから。

「刹那に”そういった”干渉はしないこと、話題として話す分には大丈夫ですが。下心がある目を向けないでくださいな」
「目はなかなか難しいところがあるだろうけれど……気をつけるよ」
「あと」

 もう一つ。
 立てた人差し指を、口元に添えて。

「もし刹那が、下心を持った輩に目を付けられたというのを見かけたら……そっと助けてくださる?」

 ──できれば、あの子には秘密で。

 驚いたような顔をした後、武煉先輩は笑う。

「内緒で片づけておいて欲しいということかな?」
「そういうことになりますわ。陽真先輩にもお話を通しておいていただけると助かります」

 ね? と。

 妖しく微笑んで言えば。

「じゃあ、交渉成立かな」

 武煉先輩がそう言ったので、ぱっといつもの笑みに変えました。

「では、私はあなたが言うタイミングを作るまで蓮に女性のお遊びは秘密に」
「俺はその間、刹那に変な目を向けないこと、そして周りにそういった輩がいたら対処すること」

 確認し合うように互いの条件を口にして。

 笑いあう。

「よろしくお願いしますわ」
「こちらこそ」

 そう、どちらともなく手を伸ばし、握手を交わして。

 汗も引いたということで、何事もなかったかのように、二人でその場を後にしました。

『すべてが勘違いと知るのはもっとずっと先』/カリナ

 


 みんなでいっぱいあそんだ八月。思い返すだけで、顔がほころぶような思い出いっぱいの日々。たぶん話題が出たら、「楽しかったね」ってみんなも笑顔になるんだろうけれど。

「……」

 絶賛恋人様はそんなこと思い返す余裕もなく死にそうな顔です。

 交流武術会。夏休みの中で、一年生が期間中絶対一回は出なきゃいけないエシュトの行事ってことで、みんなで演習場にやってきた。
 上級生が一年生に戦うときのフォームとか、心得とか、いろいろ教えてくれるんだって。授業でもそういうの取ってる人たちはそこで学んだりするけれど、実際動かしながらっていういつもとは違った感じみたい。

 周りを見たら、手取り足取りって感じで並んでフォームを確認したり、後ろから一年生っぽい子の腕とか動かしてる人たち、いろんなのがいっぱい。
 そしてそこから、壁にもたれ掛かってるリアス様に目を向けたら。

「……」

 やっぱり死にそうな顔。カリナもレグナも苦笑い。

 それも見ないように、気まずそうに目をそらしてる。

「…」
「え、えっと……」

 そのリアス様の前には、同じく苦笑いのせんりとユーア。

「え、炎上君、なんか、ごめん……。俺が一時間は帰れないよって言ったばっかりに……」
「……お前のせいではないだろう……」

 リアス様、声めっちゃ死にそうだよ。

 頭をそっとなでてあげながら、もっかい周りを見回して。

「…」

 ふいってそらされる視線たちに、どうしようってため息をついた。

 武術会に行くまではよかったの。夏休みだからヒトは多いけれど、あれだったら一瞬出て帰って来ちゃえばいいねって。

 で、いざ来てみたら。

 受付があるじゃないですか。たまたまヒトいなかったけど名前書くとこがあるから書くじゃないですか。

 そしたらわたしたちを見つけたせんりがやってきて。

 一年生は、上級生に一時間ほど教わってスタンプを押してもらうまで帰れないんだってってテーブルに置いてあったスタンプカード渡してきて言うじゃないですか。

 その瞬間にリアス様のスタンプカードだけめっちゃシワ入ったよね。

「スタンプカードは帰りに確認されてしまうんですよね」
「うん、ズルして帰ったとかがないようにって」
「今だけはそのきっちりした制度を恨みたいな……」

 あはは、って苦笑いするせんりの声を聞きながら、あきらめずに周りを見回す。

 でも、どうしてもふいって目がそらされちゃう。

 交流武術会。
 ただ単に、スタンプカード渡されるまでならよかった。

 一番の問題は、周り。

 はるまとぶれんのおかげで平和になってたのがここであだになるなんて思わないよね。

 一緒にいたら、わたしに近づいてくる人たちいなくなるからって受けた条件。七月に教室の外からわたしのこと見に来たりとかはあったけれど、かといって声をかけられたりとかはまったくなくて。あぁやっぱりあの二人の力ってすごいんだなって思ってたのはこの武術会に来る前まで。

 めっちゃ視線そらされるしなんなら若干距離置かれてるから教えてもらうにも教えてもらえないよね。

 でもまぁ最悪ほかの上級生はいっかなとも思う。
 はるまとぶれんっていう頼りになる上級生がいるから。

 その二人見つけちゃえば、ちょっと教えてもらうフリしてスタンプ押してもらえばいい。

 そう思って、探してるんだけど。

「…」

 広い広い演習場の中。たくさんのヒト。

 目的のヒトたちは、いない。

 どうしよう。
 レグナに探してもらうのも考えたけど、さすがにこの大勢の中聴力解放したら耳いかれちゃう。

 でも隣は、顔色ちょっと悪いリアス様。予想はしてたとは言えど、このままずっと帰れないってなるときつくなってくる。
 カリナだったらなんかいい案出るかな。ひとつ隣のカリナに目を向けるけど。

 困ったような顔で、今回はカリナも厳しそう。

 どうしよう。
 なにかないかな。

 きょろきょろ、周りを探してたら。

『氷河は誰か尋ね人がいらっしゃるのですかっ』

 リアス様の方じゃない、隣から、声。

 そっと視線を下げたら、もふもふのユーア。

「…はるまたち…いたらいいな、って…探してる…」
『プール掃除のですなっ』
「うん…でも、探せなくて…」

 そう言うと、おっきな耳をぴこぴこさせて立ち上がる。

 そうして、ふわっふわな毛に包まれた肉球をぽふって胸に当てて。

『ユーアに任せるですっ』

 自信満々に、言った。

「さがせる…?」
『お声とにおいは覚えているですっ。探せるかとっ』
「ほんとう…!」

 うなずいて、ユーアは一歩前に出る。

 小さいのにおっきく見える背中をわたしに向けて、ユーアはまたぴこぴこ耳を揺らした。

「…」
『……』
「…」
『……』

 ぴこぴこさせながら、数十秒。

 もふもふな体がこっちを向く。

 でもその顔は、ちょっと悲しげ。

「…ユーア」
『いないようです……』

 つられるようにわたしもまゆが下がって、目の前にしょんぼり座るユーアに首を振る。

「いいの…ありがと…」
『お役に立てなかったです……』
「探してくれただけ、うれし…」

 見上げてきたユーアにせいいっぱいほほえんだら笑ってくれて、ほっと一安心。

 状況は安心できないけれども。

「…でも、どうしよ…はるまたちいたら、帰れるんだけど…」

 こぼしたら、今度はユーアの隣にいたせんりが。

「えっと、連絡先とか知らないの?」
「連絡先…」
「うん。もし予定が合うなら少しだけでも来てもらったらどうかな。上級生は名簿なかったし、他の入り口からも入ってきてるみたいだから細かくチェックされてないかも」
「閃吏そこまで見てたの?」
「上級生捜すときにたまたま見えただけだよ」

 レグナに笑ってから、わたしに目を戻して。

「どうかな。連絡先、わかる?」

 小さい子に聞くように聞かれて、うなずく。

「わたしじゃ、ないけど…」

 つぶやきながら、手を隣のヒトのポッケへ。

 そこからスマホを引っこ抜いて、いつもより少し冷たくなってるリアス様の親指をお借りして、ロック解除。

「て、手慣れてるね氷河さん……」
「わたしも使うから…」

 メサージュ開いて、目的のヒトを確認。

 タップしようとしたところで。

 目の前に、手。

 そっと視線をあげたら。

 まだ顔色悪いリアス様。

「……俺のせいでこうなっているんだ。俺がかける」

 そう言うリアス様の手に、もっかい視線を落とす。

 さっきの一瞬じゃわかんないけど、よく見たら小刻みに震えてる手。たぶん、ずっとずっとつらいのがまんしてる。

「…」

 その手には、わたしの右手を重ねた。

「刹那」
「だいじょーぶ」

 安心してって言うみたいにぎゅってして。あまった左手で、画面をタップ。通話ボタンを押して、スマホを耳に当てた。

「私たちも武煉先輩の方に掛けますか。お休みなので一緒にいるとも限りません」

 カリナたちの声を聞きながら、耳に入ってくるぷるるって音が変わるのを待つ。出るかな。出てくれるかな。

 回数が増えるごとにだんだん不安になってくのをなんとか大丈夫って言い聞かせた。

「…」

 五回目。

 ぎゅって、スマホを握ったら。

 ぷつって、変わる音。

 その直後に、

《はい?》

 聞き慣れた声。ほっとした声で、名前を呼んだ。

「はるま」
《あ? 刹那ちゃん?》
「そう…」
《ハッ、マジでオマエも出んのかよ。どしたよ急に》

 笑いながら聞いてくる声に、すぐにしまったって思い至る。

 この状況ってどうやって説明すればいいの。龍がやばくてはるまたちに来て欲しい? なんかそれはそれでリアス様が自分を責めちゃいそう。情けないって。それはよくない。
 なんか、なんかこう、言い方。

 考えてはみるけれど、わたしの脳では当然良い案なんて浮かばず。ちらっとカリナたち見たら、あっちは出なかったのかスマホだけ持ってこっち見てる。

 幼なじみ三人がこっち見てるのが、ふとあの日みたいに思えて。

 ぽろっと、言葉が出た。

「ぁ、あーそーぼ…?」

 違うあそんでどうする。

 けれど言った言葉はなかったことにできず。スマホ先のヒトも、せんりたち含む目の前のヒトたちも止まる。わたしは今逃げたい。自分の言葉の出なさが恥ずかしくて。

 一瞬だったと思うけれど、とっても長く感じた数秒。

 スマホ先のヒトから、笑い声。

《ふは、龍クンのお許しあんのかよ》
「えっと、ちが…あの…今、武術会で…」
《武術会?》

 はるまの声に、ちょっと遠くで「そういえば今だったね」って聞き慣れた声が聞こえた。ぶれんも一緒だったの。

「武術会…ちょっと、上級生…困ってて…」

 しまったやっぱりリアス様に頼めば良かった。なんて説明していいかもわかんなくて、たどたどしくしか言葉が出てこない。大丈夫って言ったくせに自分が情けなくて顔が熱くなってくる。

 見かねたリアス様が、つないだ手とは逆の手を差しのばそうとしたときだった。

《あー、スタンプ押してもらえねぇって?》

 一番言いたかったことがいきなり耳に聞こえて、びっくりした。

「えと…」

 あたふたしてたら、はるまはわたしが言いたかったことをさらに続けてく。

《交流武術会の制度すっかり忘れてたわ。ワリーワリー。龍クン人混みきついだろ。今武煉と近ぇ場所いっから向かうわ》

 ねぇはるまテレパシーかなんか持ってるの? それだよそれってことがすらすら聞こえておどろきが隠せないんだけど。
 そんな驚きなんてもちろん見えてなくて、はるまはんじゃあとでって電話を切っちゃう。

 あ、お礼も言えてなかった。
 切れたことに反射的にスマホを耳から離したら、せんりが聞いてくる。

「氷河さん? 大丈夫だった?」
「来て…くれるって…ぶれんもいっしょ」
「あは、よかったね。炎上君これで帰れるよ」

 せんりの視線を追うようにリアス様を見る。まだ顔色悪いけど、ほっとしてた。

 それに、わたしもほっとして。

 また目の前へ。

「せんり、ユーア…」
「ん?」
「ありがと…」

 先に二人にお礼を言ったら、きょとんとして。

 すぐに笑う。

「ううん、解決できて良かった」
『一安心です!』
「……助かった。今度礼はする」
「あはは、いいっていいって。困ったときはお互い様だし」
『ユーアたちもついでにスタンプ押してもらえるですっ!』

 ぐいって目の前に出されたユーアのスタンプカードは、まだ真っ白。せんりも真っ白いスタンプカードを出して、苦笑いで言った。

「えぇと、俺は元々武器も決めたいから長居する予定ではいたんだけど……結構ヒト埋まってたりでなかなか声掛けられんなくて……」
「武器…」
「うん、この先武闘会もあるし、見回りとかこの前の任務とか。必要になること多いだろうしそろそろ決めちゃおうって」

 そっか、って返しながら、視線は少し先の見慣れたヒトたちへ。

「いい心がけじゃねーの、シオンクン?」
「わっ、びっくりした!」
『先輩たちですっ』

 少しだけ小走りでやってきた二人に、みんなで立ち上がる。

「ほんとにそんな近くにいたんだ」
「徒歩じゃちょい距離あるケド。バイク持ってっから」

 レグナに笑って、はるまは鍵を揺らした。

「華凜すみません、陽真の電話が終わってから気づいてね」
「いえ、こちらこそ突然申し訳ありませんでしたわ。ありがとうございます」
「君が呼んでくれるならいつでも行くよ」

 若干向こう側の空気がぴりっとしたのは気づかなかったフリして、目の前のもう一人のヒトに目を向けた。

「んじゃ後輩クンたち、ひとまず」
「……あぁ」

 差し出された手に、スタンプカードを渡す。

「シオンくんたちも押しちゃっていいんだろ?」
「あ、はい! お願いします」
『お願いするですっ』

 返ってきたカードには、”紫電陽真”って文字が入ったハンコ。これ二年生になったらわたしたちももらうのかな。とりあえずそれは一回後にして。

 はるまの前に、立つ。

「はるま」
「おうよ」

 ユーアにスタンプ押すためにかがんでたはるまは、立ち上がって不思議そうにわたしを見た。それに、ほほえんで。

「ありがと」

 言ったら、はるまも笑う。

 いじわるそうに。

「お安いご用だって」

 視線は、リアス様へ。

「借りもできるからな?」
「……」

 もしかして頼むヒト間違えたのでは。でも今はそれを悔やんでる場合じゃなくて。とりあえず、はるまが言うであろう言葉を、「今は待って」って言おうとした。

 そしたら、はるまはリアス様の肩にぐーの手をとんっと置く。

「十月。蓮クンに借りる体育館にちらっと顔出して勝負な」

 その言葉に、リアス様と一緒にびっくりしたけれど。言葉を理解して、すぐにほっと息をついた。たぶん「ありがと」って言ったら「何が」って返ってきそうだから、心の中でお礼言って。

「んじゃシオンクンとユーアクンは武器決めもかねてちっとばかし交流すっか?」
「お、お願いします!」
『お願いするですっ!』

「…」

 声を聞きながら、リアス様を見上げる。
 紅い目には、リアス様が自分が情けないって思ってるのかそらされた。

 リアス様の反応は、しかたないことなのに。

 だから大丈夫だよって言うように、手を伸ばした。そうして、いつものように。

「あそぼ…?」

 見上げながら、首をかしげたら。

 ちらっとわたしを見て、そらして、また、わたしを見て。

 そっと、手が重なる。温度はさっきより高くなってた。

 それに、口角をせいいっぱい上げて。

「華凜も蓮も、あーそーぼ」
「えぇ」
「おや、君たちも帰ってしまうのかい?」
「用があるなら俺が残るけど?」
「ふふ、冗談だよ」

 いつもどおり穏やかなカリナと、笑うぶれんにケンカ売りそうなレグナを引っ張って、少し離れたところで演習場からテレポートして帰って行った。

『約束の体育館で後悔することになるなんて、今はまだ知らない』/クリスティア