わたしの世界には、あなただけいればいい

 自分が”一番”にいない世界は、何千年ぶりなんだろう。

「…」

「炎上くん、これ見てくれる?」
「あぁ」
『ねぇサイズこれで合ってるかな?』
「着てみる」

 遠くにいるのに、近くに聞こえる声。

 目の前の看板をやっているはずなのに、どこかぼーっとしながら、筆を動かしてた。

『サイズどうかな?』
「平気だ」
『よかったー! じゃあこれで行くね!』
「あぁ」

 目の前に広がる紅い絵の具が、リアス様みたい。周りにいる黄色とか、紫とかが、きっと他の子。
 この虹みたいに近くに寄ってるのかな。

 七月までは勝手にかんちがいしてたくせに?

 なんて考えちゃうのは、しょうがないって思ってもいいのかな。

『……殿』

 リアス様はふつうに接してるのに、わたしだけ、やきもきしてる。

『……な殿』

 たった二時間。

 帰ったら、いつもどおりわたしのなのに。

 この、二時間が──

『刹那殿』
「、はいっ…!」

 耳元で名前が呼ばれて、ぱっと顔を上げた。
 声の方向を見たら。

「…ごろー…」
『ぼーっとしておられますが、大丈夫でしょうか』
「え、あ、うん…」
『刹那殿でなく』
「え…」

 ごろーの首が下向いて、わたしもそっちを見たら。

 水色の絵の具が、虹に垂れそう。

 待って。

「これは大丈夫じゃない…!」
『急いで動かしてはそのまま垂れてしまわれます。ゆっくり動かしましょう』

 勢いのままずらしそうになったけど、ごろーに言われて。急ぎながら気持ちゆったりめに筆をずらしてく。
 そうしたら、タイミング良くまだ木の茶色い部分に絵の具が垂れた。ちょうど、空を描くところ。

「…」

 ぽたって落ちたそこは、虹から離れた場所。

 …なんか、

「…わたしみたい…」
『……』

 遠くから見てるような、そんな感じ。

 あぁ、今だめだな。

『刹那殿』
「へーき…」

 心配そうなごろーの声にはそれだけ返して。自分を塗りつぶすように空を塗ってく。

 白を落としたもこもこの雲のところは避けながら塗っていって、ていねいにていねいに、はみ出さないように塗っていった。

「…できた」

 ちょっと薄い色の空。虹と文字を目立たせるようにして、きれいにできてる。

 かかげて見ても、やっぱりきれい。

 でもどこか納得行かないのは。わたしの心がみにくいからなのかな。
 天使なのにね、なんて。自分の心に笑って、まだ生乾きだけど立ち上がる。

「…行こ」
『蓮殿に一言を』
「教室の前…」
『お約束でしょう』
「…」

 わりと厳しいごろーにちょっとだけ口をとがらせて、先にレグナの方へ。
 衣装のチェック中だからあんまり邪魔したくないけど。約束。

「蓮…」
「んー?」
「看板…ちょっと付けて確認してくる…」
「はいよ。冴楼よろしくね」
『御意に……』

 衣装に目を落としたまま、笑って送り出してくれたレグナのところから、だいぶ試しの飾りが増えてきた教室の外に出てく。

 すぐに振り返って、見上げた先。

 高い高い場所に、教室のドアのてっぺん。
 どうしてこの学校はこんなにおっきいの。

「…わたしにやさしくない作りだと思うの…」
『天使なのですから対処できるでしょう』
「そうですけれども…」
『どのみち通常の教室でも届きませんでしょう』

 なんてこと言うの。リアス様とかレグナだったらべしって叩く言葉をさらっと言ったごろーはにらんでおく。

「わたしが今看板持ってることに感謝して…」
『常日頃から刹那殿には感謝しておりまする……』
「感謝してたらそんないじわるな言葉は出てこない…」

 ほっぺをふくらませながら天使の羽を出して、地面を蹴る。
 ごろーと一緒に上がっていって、頭はぶつけないように教室のドアのてっぺんへ。

「ここらへん…?」
『良い場所かと……』

 位置を確認して──って、あ、やば。

「ごろー、ガビョウ忘れた…」
『自分が抑えております故……』
「ごろー今ちっちゃいから片方支えたら落ちちゃう…」
『刹那殿もなかなかにぐさっと来る一言をおっしゃいます……なれば主に少し大きくしてもらいましょう……』
「龍…」

 反射的にきょろきょろして、リアス様を探す。そんなタイミング良く外出てくるかな。

「蓮に言った方が早い…?」
『未だ衣装のチェック中かと……』

 それは離れてくれない。

「みおりかゆい…」
『現在図書室にて調べ物中でございます……』
「んぅ…」

 きょろきょろしながら、どうしようか考えてみる。
 とりあえず止める物が欲しい。そしてちょっと離れて見たい。色が合うかなとか、大きさ大丈夫かなとか。

「ごろーが取りに行けばよくない…?」
『刹那殿のお傍から離れるわけには行きませぬ……』
「んー…」

 あ、氷でガビョウっぽく作ればいいかな。そうしたら誰も呼ばずにいけるかも。

 そう、思って。

 魔力を練ったときだった。

「炎上くーん」
「何だ」

 ぱっと、声が聞こえてそっちを向く。

 そこには何人かのクラスメイトの中心にいるリアス様。
 

 とらえた瞬間に、あ、って自然と声が出た。

「龍っ…」
「ん?」

 名前を呼んだら、リアス様がこっちを向く。それに少しだけほっぺがゆるんだのも、

 ほんとに一瞬。

『炎上君これ見てくれる?』
「あ? あぁ」

 隣の鳥のビーストが声をかけたら。

 わたしから、紅い目がそらされていった。

 今までみたいに「どうした」って聞かずに。

 そりゃそうだよね、今リアス様は向こうのクラスで、向こうの子たちと一緒にがんばってるんだから。

 それに帰ったら、いつも通り一番に「どうした」って聞いてくれて、お休みも、何もかも。

 全部、言ってくれる。

「…」

 言ってくれるのに。

『刹那殿……』
「ん…」

 なんとなく、心が重い。

 そう言えば、出逢ってからずっと一番だった気がする。ずっと一番に気にかけてくれて、愛してくれて、なんでもクリスが一番になるようになってて。

 あぁ──

 一番じゃない世界って、初めてなのかもしれない。

 生まれてからずっと、どんな形でも一番にいた。それが、リアス様たちに出逢ってからはもっと一番だった。声をかけたら振り向いてくれて、あんなことがしたいって言ったら叶ってた。

 それが、当たり前だった世界。

 何百年も、何千年も。

 だからかな。

 たった一度。今のこのなにげない仕草が。

「…さみし」
『……』

 文化祭。楽しみなはずなのに。
 リアス様の方もどんな姿になるか楽しみで。クリスの方も、リアス様にとびっきりかわいく見せる服とかが増えてきて楽しみで。

 楽しみだったのに。

 今だけは、楽しみじゃない。

 早く早く、終わってしまえばいいと思ってしまう。

 こんな準備期間も、文化祭も。

 この一年間は、こんなことがまだあったりするのかな。

「…こんな思いになるなら、イベント…やだ…」
『左様でございますか……』
「…わがまま?」
『……いいえ』
「やさし」

 首を振ってくれたごろーにちょっとだけ笑った。
 向こうに連れて行かれるリアス様の背中を横目で見て思うのは。

 行かないで。

 でも、どうしても言っちゃだめっていうのもわかってるから。首は看板の方に向き直って。途中でやめてた魔力を練り直す。

『刹那殿』
「なーにー」

 小さなガビョウを作って、留め具のとこに刺してく。

『主はお呼びしなくても?』

 ちょっとだけ引っ張って落ちないのを確認してから、ドアから離れた。

 ごろーは見ないまま、うなずく。

「…へーき」
『……』
「リアスさま、がんばるから…」

 わたしもがんばんなきゃ。

 せめて、もう少し続くこの二時間だけは。

「…ね?」
『……』

 すり寄ってくるごろーを抱きしめた。

 もふもふしてあったかい。

 それを堪能しながら、看板を見て。

 思いの外きれいにできてるそれに、わたしの嫌な気持ちが乗ってなきゃいいなって、願った。

『あなたの世界がわたしだけになったら、あなたは笑ってくれますか』/クリスティア


 不安。

 もやもやとした、自分でもはっきりとはわからないものだが確かに負の念と言えるそれで眠れなくなることは多い。

 けれどそれは俺の場合で。

「……」
「…」

 恋人が、布団に入っても眠らないというのは大変珍しい。

 文化祭まで残り数日。
 クラスによっては外観もだいぶ出来始めている頃で、生徒達の雰囲気もどこかそわそわした様子だった。放課後、これはどうだとかあれはどう思うだとか妙に女が近くにいるなとは思いつつ、必要なことなので返しながら歩いていた廊下はどこも華やかで。
 クリスティアとレグナの教室内も移動のときにちらりと見れば、道化や祈童という見知った顔を始めとした奴らが楽しそうに話していた。クリスティアも珍しく表情にわかるくらい微笑みながら話していたのを見て、ほんの少し寂しさを覚えたのは心の内にしまっておいて。

 問題は今。

「……眠らないのか」
「…」

 文化祭。その日が近づくに連れて生物のテンションは上がるはず。

 なのに。

「…もうちょっと…」

 目の前の恋人のテンションは、徐々に下がっていっている気がするのは気のせいだろうか。

 クラス内ではなかなか楽しそうに話していたよな? 話していたよな。カリナだって「クリスティア楽しそうですね、少し寂しいですわ」なんて言っていたよな。ならば何故目の前の少女は俺に抱きついて口を少しむっと下に下げているのか。

 実は、今に始まったことではない。

 妙に見え始めたのは今週に入ってからだろうか。
 家に帰ればすぐさま俺に抱きつき、風呂でもどこでもべったり。なんだ甘えたかと内心嬉しくもありつつも、ご機嫌というよりは不機嫌寄りでそうされるのだから素直に喜べない。

「クリスティア」
「んぅ…」

 名前を呼んで背を叩き眠気を促してやる。が、珍しく俺に嫌だというように首を横に振ってすり寄ってきた。眠いだろうに。

「もう寝ろ」
「あと五分…」

 まさか起床時によく聞く言葉をここで言われるとは思わなかった。苦笑いをこぼし頭をなでてやれば、うりうりとさらにすり寄ってきた。
 とても可愛らしい。可愛らしいんだがやはり心配にもなる。

「……クラスで何かあったか」
「なぁい…」

 何回か聞いた言葉には、やはりNOが返ってきてしまう。クリスティアは俺に嘘は基本的に吐かない。普段ならばカリナとレグナに乗って嘘を吐くことはあるけれども。真剣なとき。彼女は絶対に嘘は吐かない。

 だから俺が真剣に聞けば、その口からは真実だけがこぼれるわけで。

 けれど思い当たる節にはすべてNO。
 さすがにお手上げになってしまう。

「……クリスティア」
「もうちょっと」

 だぁめ? なんて。

 横たわっている彼女に見上げられてしまえば可愛さと、どこか必死な様子が見えたことに負けてしまって。

「……朝眠くても知らないからな」

 溜息を吐いて許してしまうのだった。

 結局彼女が寝たのはその一時間も後で。

「珍しいんですのねあの子が」
「本当にな……」
「そしてあなたも」
「……」

 彼女が心配で眠れなくなった俺は、放課後になった今でもあくびをこぼしている。

 今週はいくつかの班に分かれて店作りということで当然のように一緒になったカリナの言葉に、ただただ彼女を睨む。しかし意に介さず、その女は手元のテーブルクロスに針を通す。

「浅い眠りくらいしておかないと危ないのではなくて?」
「……仕方ないだろう……」

 小さく返した後、再びあくびがこぼれた。最近は浅く眠っていたからいっさい眠らないというのはなかなかきつい。

「炎上君、あれだったら保健室で寝てきたら?」
『眠たそうですっ』
「いや……」

 カリナと同じく班が一緒になった閃吏とユーアに首を振るも、やはりすぐにあくびが出てしまった。

「えっと、ほんとに眠そうだね……」
「実際眠いしな……」

 ほんの少しかすむ視界を瞬きではっきりとさせ、カリナとは違うテーブルクロスに針を刺した。

『炎上刺してしまわぬですかっ』
「大丈夫だろ──、痛っ」

 言った瞬間に手に針を刺した俺はバカか。恐る恐る目の前を見たら。

『──!!』

 ユーアが口を大きく開けて「やってしまわれた」と言うような顔をしている。すまんこれは本当にすまん。

『寝た方が良いです炎上っ!』
「そうだよ、愛原さんが縫うの早いから結構余裕あるし。寝てきたらどうかな?」

 針を刺した部分は即座に魔力で直して、壁にもたれた。
 そうして、二人には首を横に振る。

「自分の管理不足の問題だ。それに余裕があると言ってもぴったり間に合うくらいだろう」
「そうだけど……」

 心配そうな二人に、若干心が痛む。あまりやりたくないが魔術で無理矢理起こすか。反動が少々面倒だが文化祭までは持つだろう。

 そう、心で決めて。

 魔力を練ったとき。

「眠れるときにはちゃんと寝ときなさいよぉ」

 突然横から聞こえた声に驚いて、魔力の流れが止まった。
 珍しく肩をびくつかせてから、その声の方向を見やる。

 俺の隣にある教室の入り口からひょこりと顔を出した、短い紫髪の女。片目を眼帯で隠したそいつに、見覚えはない。
 円を描くようにして座っていた四人で顔を見合わせたが、その顔に誰一人心当たりはない様子。再び、そいつを見たら。

「こんにちはぁ、いつもバカな弟たちがお世話になってまぁす」

 咥えていた棒付きの飴を取り出し、にこりと笑われた。

 バカな弟たち。

 たち?
 首を傾げていると、カリナが「あっ」と声を出す。

「電話の声の方……」
『電話ですかっ』
「武煉先輩とこの前逢ったときに電話から聞こえたお方です」
「あらぁ」

 カリナの言葉に、紫の奴は俺達の傍までやってきてしゃがみ。

「そのバカな弟の一人、どこにいんのぉ?」

 しゃがんだ膝に肘をつき、眠たげな声で首を傾げられた。
 けれどどことなく圧があるその問いに、カリナが珍しく言葉をとぎらせながら答える。

「え、っと……図書室でしたけれど……?」
「そぉ」

 小さく「んなとこにいたのあいつ」と聞こえたのは聞き流すべきだよな。

「あの、武煉先輩は人に見つかりたくなさそうでしたけれども……」
「いいのよぉ、あたしから逃げてるだけだからぁ」

 一瞬のドスの利いた声はなかったことに、カリナにそう優しく言って立ち上がる。飴を咥え直し、腰に手を当てて。未だ半分呆けている俺達へ。

「あいさつが遅れちゃったけどぉ」

 にっこりと、笑う。

「エシュト三年、夢使いの夢ヶ崎フィノアでぇす。うちのバカな弟分たちがいつもお世話になってまぁす」

 三年。三年?

「えっと、木乃先輩たちの……一つ上?」
「そぉ。中学からの付き合いでねぇ、って昔話してるとこじゃなくてぇ」

 話しかけた言葉を止めて、彼女──夢ヶ崎は主に俺とカリナを見る。

「ちょぉっと急いでてねぇ、陽真と武煉、ここら辺に来てなぁい?」

 首を傾げられて、一度カリナを見る。
 記憶を思い返しても、今どころかここ最近は別行動で特に俺は全く姿を見ていない。

 夢ヶ崎へ向き直り首を横に振る。

「ここ最近は全く見ていないが」
「私もこの間だけでそれ以外は見ていませんわ」
「あらそぉ」

 俺達の返答にぷくり、飴で膨らんでいない方の頬を膨らませ。

「じゃあいいわぁ」

 言いながら、ごそごそと自分の背中に手を入れた。そうして、数秒。

 すぽんと効果音が付きそうな勢いで背中から手を出す。その手にあるのは、彼女の髪よろしく薄い紫の液体が入った小さな小瓶。

「はいこれ」
「……?」

 それを放り投げられ反射的に受け取った。
 カリナと目を合わせ、共に小瓶に鼻を近づけようとしたところで。

「嗅いじゃだめよぉ。秒で寝るわよ」

 言われた言葉にびしりと体を固まらせる。即座に体を離し、再び夢ヶ崎を見た。

『眠っちゃうですか』
「そぉなの。まぁその小瓶越しならすぐ起きるでしょうけどぉ。吹きかけられたらワンプッシュでも数時間寝る睡眠香よぉ」
「えぇと……なんで炎上君に……?」
「陽真と武煉見つけたらそれで眠らせてあたしのとこ連れてきて欲しいのよぉ」

 なんて物騒なことを笑顔で言うんだこの女。

「……何故」
「深くはちょぉっと内緒♡ とりあえずこの時期はあのバカたちが不眠気味ってだけで納得してくれるぅ?」
「……」

 まぁ元々深く踏み込む予定もないのでそれには頷いた。

「あ、なんならその香あんたが使ってもいいわよぉ」

 そっちの方には首を横に全力で振っておく。

「……完全な寝落ちは困る」
「あら、でも浅い眠りも健康に悪いから困るのよぉ」

 夢ヶ崎はしゃがみ、俺をのぞきこんできて。

「判断能力鈍っちゃうし、体調悪かったりすると悪い夢見やすくなっちゃうしねぇ」

 思い当たる後半にぴくりと指が動いたのは気づかないフリ。けれどそいつは気づいたのか、にっこりと笑った。そうしてすぐに立ち上がり、仁王立ちで胸を張る。

「ま、悪い夢がイヤならこのフィノアちゃんのとこにいつでも来なさぁい? 良い夢に変えてあげる♡」
「……良い夢」
「そぉ。そこの武煉のお気に入りちゃんもね」
「おきっにいり……!?」

 こいつ今の今まで知らなかったのか。兄貴同様鈍感な奴だと心の中で息を吐いて。

「とりあえず、陽真と武煉に逢ったらやればいいんだな?」
「そういうこと。よろしくねぇ」
「あぁ」

 無理矢理話を戻し、彼女に頷けば。満足したように足を踏み出す。

「あ、そうだぁ」

 その途中で振り返り。

「何だ」
「今度陽真たちと遊ぶならあたしも混ぜてねぇ。あたしはちょぉっと特殊だけど、武煉同様武術には自信あるからぁ」

 楽しませてあげる、なんて。

 ハートマークが付きそうな装いで言われ。

 彼女がどういう存在なのか認識した上で、緩く頷いた。

「タイミングが合うといいな」

 癖で確定なことは言わなかったが、本人には伝わったようで。

 にこりと笑ってその場を後にしていった。

 それを見送ってから、隣の女へ。

「いつまで”お気に入り”に衝撃を受けているつもりだ」
「受けるでしょうよそりゃあ。体育祭で言った言葉が本当だったなんて」

 お前それレグナに聞かれたらまずいやつだからな。
 いないよな。周りを見回していないことは確認し、ほっと息を吐く。

「な、なんか嵐みたいな人だったね……えっと、もしかして意識干渉型のヒト、かな?」
「なんだ、知っているのか」
「ちょっと調べた程度だけど」
『あの特殊なお方たちですかっ』
「確か、天使の次に神様に近い存在……だよね?」

 閃吏に頷き、テーブルクロスに目を落とした。

 意識干渉型。
 意識──魂や意識など、”一般的に見えざるもの”に干渉するタイプの特殊な個体。

「天使が”見えるもの”を導く存在ならば、意識干渉型は”見えざるもの”を導く種族。一般的に肉体の状態では”乖離魔術”以外の魔術は使えず、ヒューマンのように武器を携帯している。今では種族が増えた関係上、基本のハーフのように魔術も使えるタイプもいるが」
「あの夢ヶ崎先輩は典型的な意識干渉型ですわね」
「そ、そうなの?」
「この学園内でハーフが背中に手を突っ込んで武器を探すと思うか」

 魔力で出した方が早いのに。ましてや”探す”など。

「そ、っか……」
「まぁ一概に言えないのも確かだが」

 言ったところで、嵐のような女の登場で忘れていた眠気を思い出し。小さくあくびをこぼした。

『炎上はその香水は使わぬのですかっ』
「自分には一生使う気はないな」
「でもあの、話戻るけど寝た方がいいんじゃないかな?」

 結局戻ってしまった。
 助けを求めるようにカリナを見ると、視線に気づいた女はこちらを見てにっこり笑い。

「お兄さまが出動する前にご自身で対処をお願いしますね」
「……」

 伸ばしかけた手を振り払うように言葉で防御されてしまった。
 言いはしたが確かに今回はカリナの専門外だとも知っているけれども。

「……刹那が安心して眠ってさえくれれば俺も安眠できるんだが」
「それでは私に刹那とのお時間をくださいませ」

 それもできないのでどうにも手詰まりである。

 どうしたものかとテーブルクロスに目を落とせば。

『そういえば、炎上っ』

 声が聞こえてユーアを見る。

「何だ」
『氷河とは毎日お電話しておられるのですかっ』

 その言葉に、カリナと二人止まった。

「あ、そういえばそうだね。過保護な炎上君は毎日寝るまで電話してるの?」

 閃吏の追撃に、カリナと二人、どうするかと目を合わせる。
 別にバレても構わないが、いかんせん純粋そうな二人にこれはいいものか。考え、目配せし、目だけで頷く。

 するべきことは。

「……そう、だな」
「この男はずっとお電話しておられるので私と刹那がお話しできないんですよ」

 波風立てず、話を合わせること。ぎこちない笑みで頷けば、閃吏とユーアはそっかとただただ純粋に笑った。

「電話控えたら案外早く寝てくれたりするんじゃないかな?」
『氷河もきっと炎上のお声をずっと聞いていたいと思うのですっ。だから夜更かしするのではっ』

 それにほっと息を吐き。

「……気をつける」

 できれば話すときは来ないようにと、曖昧に頷いた。

 その日の夜。

「……」
「…」

 変わらず、帰れば俺にすぐさま抱きつくクリスティア。風呂に入った後も、こうしてベッドに入っている間も。
 心配はありつつも、どうしても傍にいることへの安心が勝り、昨日眠れなかったこともあってだんだん眠くもなってくる。

「……クリスティア、眠いんだが」
「ん…」
「お前も眠いだろう」
「んぅ…」

 緩く首を振りつつも、その目はまどろんでいる。昨日睡眠があまりとれなかったのは彼女も同じ。

「今日は早めに眠らないか」
「もう、ちょっと…」

 ぎゅっと、弱々しい力で抱きしめてくるのだからふりほどくこともできない。

 けれど自分も彼女も眠れないのはさすがに文化祭にも響く。

 彼女の思い出が増やせそうなのに。それは嫌で。

 無理矢理眠らせる。しかしクリスティアは元々寝落ちが早いから睡眠魔術は俺は持っていない。持っているのはレグナ。だがあいつのは任意で起こすタイプなので自然には起きない。眠らせるのはいいんだがこの夜に呼びつけるのもいささかはばかられる。
 そもそもふと本日嵐のようにやってきた女が渡してきた物の中身が不安なのでレグナに解析を頼んだこともあってなお呼ぶのは気が引ける。

 できることは、ただただ背を緩く叩いて眠気を促すだけ。

「…」

 しかしクリスティアも負けじと眉間にしわを寄せて起きようとしている。

「お前は何をそんなに頑張っているんだ……」
「一緒にいたい…」
「今いるだろう」
「もっと…」
「寝ている間も起きたときも毎回一緒じゃないか」

 ふつうなら嫌になるくらい。

 それでも彼女は小さく首を振った。

「…」
「クリスティア」
「…」

 少しだけ冷たい体温は、さらに体を密着させるように抱きついてきた。

 埒があかないなこれは。

 目を見るように体を離して──って待て待て待てお前いきなり力強くなってどうした。緩く、緩く離したいんだクリスティア。お前の目を見たいんだ、服引っ張るな伸びる。

「クリスティア、目を見て話さないか」
「ぎゅって…」
「してやるから」

 今でなく。けれども彼女は俺の首にすり寄ってきてしまう。可愛いと負けてしまいそうになるのは恋人の弱みか。

 どうしたものかと再び背を緩く叩いていくと。

「…──ん」
「ん?」

 小さく声が聞こえた。耳を澄ましても聞こえるかわからない程度のそれに、思わず聞き返してしまう。

「クリスティア悪い、もう一回」
「…」

 努めて優しく言えば、ぎゅっともう一段強く抱きついて。

「いまは、くりすがいちばん…」

 眠たさも混じった甘い声で、小さく小さく呟かれた。

 反して、俺の目は自分でもわかるくらい大きく開いていく。
 若干ぐすっと鼻をすする音も聞こえるが、聞かなかったフリをしようか。自分の口角が上がってしまうことを抑える方が先決かもしれない。

 真意が完全にはわからないが、要は寂しかったと。

 基本的に離れても大丈夫というような雰囲気でいるクリスティアが。
 たったの二時間が、寂しいと。

 自覚した瞬間に、嬉しさに口元がおかしい。見られまいと彼女を自分からも強く抱きしめて。

「俺はいつだってお前だけが一番だ」

 そう、言ってやれば。

「ん…」

 こくり、小さく頷いたので。

 事情がわかって、それならばとことん付き合ってやろうと。

 少しだけ温度が上がっている恋人を、さらに強く抱きしめた。

『魔術が無くても、今日はきっと良い夢が見れるはず』/リアス


 文化祭も明日に迫って、ばたばたと忙しない学園内。

「道化苦しくない?」
「大丈夫よ!」

 うちのクラスでももちろん、大詰めということでクラス内がばたばたしています。

 とりあえず内装・外観班が頑張ってくれて、放課後に許された昨日丸々と今日の前半という短い時間で飾り付けは終了。あとは本当に最終チェックってところ。
 主に俺がいる衣装班が衣装が大丈夫かの確認中。

 俺の担当は紫をメインに使った魔法使い風の衣装を着る道化で最後。腰回りをちょっと失礼して、ゴムが緩くないか確認。本人苦しくないのはいいんだけど、ちょっと緩いかこれ?

「道化激しく動く予定ある?」
「そのときの状況によるわ!」

 ごもっとも。思わず笑いをこぼして、腰回りをもうちょっと点検。ここエシュトでよかった。性別種族に偏見はない子が多いので気兼ねなくチェックができる。

「少しゴムきつくしたら苦しいかなー。一回軽く締めていい?」
「お手柔らかにお願いするわ」
「刹那じゃないから大丈夫だよ」

 あいつは問答無用で締めてくるから。今現在、教室の隅で祈童と明日の確認中であろう親友に聞かれてないことを祈って。

 最終チェックのためにと少しだけ開けておいた腰の穴から、軽くゴムを引っ張る。

「このぐらい」
「うーん……若干きついかしら」
「んじゃこんくらいは?」

 元のとさっききつくしたのと中間くらい。腰部分に入れさせてもらった手で軽くスカートを引っ張ると、衣装的にはちょうど良い。きれいにしまってラインも出るし。

 道化の表情も確認しながら聞けば、当の本人は口だけは笑いつつも悩んでる様子。

「深く深呼吸してきつくなければ大丈夫だと思うんだけど」
「深呼吸ね」

 笑って、鼻から息を吸う音。それと同時に少しだけ体が動く。膨らんだお腹がへこんでいって。

「どう?」
「うん、大丈夫そうよ!」
「おっけ、んじゃこれで行こっか」

 オッケーももらったということでその状態で一旦待ち針で止めて、道化のチェックは終了。

「他に気になるとこはない?」
「大丈夫よ! かわいい衣装にしてくれてありがと!」
「いいえ」

 衣装チェック用にズボンを履いてた道化から脱いだスカートを受け取って、待ち針で止めたところを縫っていく。あとは見えないように穴を縫い込んでいって……と。

「よし完成」
『波風くんも完成ー?』
「うん、なんか手伝うことある?」
「大丈夫ー! こっちもほぼほぼ終わったよー!」

 同じ衣装班の子にお疲れーと言い合って、道化の衣装をハンガーへ。とりあえずこれで俺の衣装チェックは終了かな。

「それにしても器用なのね」
「んー?」

 しわにならないようにスカートを掛けている間に、道化から聞こえた声に目は衣装のまま返事をする。

「被服で波風くんとか炎上くんの手際がすごいって聞いたことはあるけれど。実際に見ると本当にすごいのね」
「それはどーも」

 上着部分も丁寧にハンガーに掛けて……あ、帽子どうすっかな。棚に置いとくか。衣装置きのとこに作った簡易的な棚に道化の帽子を置いて、その近くに衣装を掛けておく。

「道化のセットここね」
「あら、ありがとう! 当日素敵に着るわ!」
「そうしてくれると作った甲斐があるよ」

 道化に微笑んで、隣に掛けてあるクリスティアの衣装が目に入る。ちょっとしたサプライズも込めて二着。明日明後日で親友は笑ってくれるかね。良い思い出になればいいと願いながら。

 衣装に触れると。

「波風、ヘルプを頼みたい」
「ん?」

 簡易衣装部屋に、祈童が困った顔で入ってきた。
 最終チェックを済ませたクリスティアたちの衣装からは手を離して、こっちにと手招きする祈童の方へ道化と向かう。

「どしたの」
「氷河がだな」

 苦笑いで指をさした方向を追えば。

 床にぺたりと座って、紙を見ているクリスティア。そしてその隣には祈童と同じく眉を下げて困っているような雰囲気の冴楼。

 紙に書いてるのは、

「当日の流れ?」
「こんなの配られたかしら」
「さっき杜縁先生からもらったんだ。当日、僕らがその場にいれなくなったときに誰でも対応できるように置いておくのも兼ねて」

 それで、と。
 頬をかきながら。

「氷河と今チェックをしているんだが……」

 気まずそうに言葉を濁しながら言う祈童に、それ以上言わずともよくわかった。

「覚えられないって?」
「何回確認してもちょっとな……」
「刹那ちゃん、何が覚えられないの?」
「?」

 道化がしゃがんでクリスティアに視線を合わせて聞くけれど。クリスティアはそんな道化に首を傾げてしまう。

「僕にもこれだ。言ってはみるものの復唱のところで詰まり、何がわからないか聞いてみても首を傾げてしまう」
「あはは、まじごめん」

 こればっかりは本当に。
 できればリアスがいてくれると一番ありがたいんだけど、今回は頑張ってもらおうか。

「刹那ちゃん、一緒に読んでみましょう?」
「んー…」
「いいよ道化、大丈夫」
「どうにかできるか波風」
「うん」

 紙とにらめっこを始めたクリスティアに、道化同様視線を合わせるようにしゃがんでから手を伸ばす。

 眉間にしわを寄せてる彼女の目の前に指を持って行って。

「刹那」

 パチンッと、指を鳴らした。

「…!」

 瞬間に、俺の声に反応してクリスティアはこっちを向く。
 ぽけっとした顔に、微笑んで。

「一緒に読もっか」
「ん…」
「龍にかっこいい姿見せられるかな」
「…!」

 その”鍵”を含めて言えば、クリスティアの顔はぱっと明るくなる。そうしてこくこく頷いて、俺に「読んで」と言うように紙を突きつけてきた。
 答えるように抱き上げて、幼い子供みたいな親友は膝の上へ。視線は一瞬集まるけれど気にしない。

「よ、読み聞かせてあげるの?」

 道化や祈童の不思議そうな顔も、気にならない。若干動揺の声を出す道化に、頷く。

「そう。今からね」
「どうにかしてほしいとは言ったがさすがにそんな子供みたいなことまでさせるつもりは……」
「別に子供扱いしてこうやってるわけじゃないよ」

 ねぇ刹那? 笑って頭をなでてあげれば、不思議そうに首を傾げてから紙を持ち上げられた。
 それを受け取って、一行目から指をさす。

 そうして、未だ動揺の目を感じる二人へ向けて。

「忘れちゃ困るんだろ。こういうのは」

 見上げて、笑う。
 驚きで目を大きく開けている二人は、曖昧に頷いた。

「俺だとあんまり効力長くないかもしんないけど。文化祭までは持つでしょ」

 何かを聞きたげな二人を遮ったのは、クリスティア。先に目だけで読んでいたらしい彼女は俺の裾を引っ張って困ったように俺を見る。

「蓮ここ読めない…」
「お前そろそろ先生の漢字は読めるように教えてもらいな」

 持っていたペンで”杜縁”の文字にふりがなを振って。

「はい最初から」
「はぁい…」

 二人の、周りの視線なんて気にせずに、クリスティアに一行目から文章を読んでいってやった。

 ざーっと読んでやって、しばらく。

「おっけー?」
「おっけー…」

 たった一度ずつ、俺が読んでいってやれば。

「じゃあ変なヒト来たらどうするんだー」
「先生呼ぶ…」
「誰先生?」
「もりぶちせんせー」
「正解」

 困っていた祈童の言っていたことが嘘のように、問いにすべて答えていくクリスティア。読み聞かせ中、ずっとそこにいた二人に、目を向けて。

「これで大丈夫だと思うよ」
「あ、あぁ」
「すごいのね、覚え方にこつがあったのかしら」
「そんな感じ」

 まぁこれは本当に特殊すぎるので詳しいことはまだ割愛しておいて。
 

 クリスティアの頭をなでながら。

「文化祭、楽しみだね」

 そう、言えば。

「♪」

 膝の上の少女は、自分に疑問すら感じず、にこにことした雰囲気で頷いた。

『この思い出が、彼女の中に残りますように』/レグナ