試練を乗り越えたなら

 熱を出す理由は生物様々である。

 風邪やインフルエンザとかのウイルスが入って出るタイプ、患部に熱を持ってしまって出るタイプ。あとは疲れやストレスで出るタイプ。たくさんあるんだけれど。

 親友は、体を魔術でコントロールしているので風邪を引くことは基本的にない。けれど常に不安を持っているあいつはときおり糸が切れたように熱を出すときもある。

 普段はいいんだよもちろん。天使はヒューマンにまぎれて過ごすようにとなるべく生物に近い体ということで知識も含めて不自然に思われないよう風邪とかも引くし、体調を崩すときだってちゃんとある。

 でもね親友。

《リアス様熱出ちゃった》

 今日このタイミングだけはだめだろ絶対に。

 朝早くもう一人の親友から送られてきた画面を見て、思わず「は?」と声が出てしまった。

 どういうことなんて考えもせずに、体が動く。トーク画面の上にある通話ボタンを瞬時に押して、準備もあるのでスピーカーに変更してベッドにスマホを放った。無機質な電子音はすぐにぷつりと切れる。

《なーにー…》
「おはようクリス、傍にバカな親友いる?」
《今おかゆ作ってる…》
「おかしいだろ絶対」

 お前が熱出してんだろうよリアスさんよ。
 若干いらっとした声は隠しもせずに、制服のボタンを閉めながらクリスティアへ。

「代わってくんない」
《わかったー》

 直後、ぱたぱたという音と「リアス様ー」なんてのほほんとした声が聞こえて、いらだったのが少し和む。リアスに代わってもらってる間に襟元をただして、鏡を見たら。

《……オハヨウゴザイマス》

 いろんな意味で死にそうな声がスピーカーから聞こえてきた。それに見えていないとわかっていつつも鏡の前でにっこり笑って。

「おはよう親友、お前は俺ら双子を殺す気か??」
《本気で今回ばかりはすまないと思っている。本当に》

 苦笑いで返ってくる声にため息を吐いて、支度が整ったのを確認してからベッドに歩いていく。ぽすんと勢いをつけて座れば、電話越しなのに申し訳ないという気持ちが伝わってくるスマホが跳ねた。

 何故今回こんなにも怒るか。理由は簡単。

 昨日のハロウィンパーティーである。

 パーティー自体はよかったんだよ。楽しかったし、リアスとクリスティアも幸せそうだったからあぁ衣装作って良かったなとも思ったよ。問題は次。

 ぱぱっとカップル宅に帰って、おまけで作っておいたおそろいのハロウィンパジャマをあげてさて帰ろうかってところですよ。

 声が聞こえて振り向いたら見知った顔がいるじゃないですか。
 武煉先輩が余計なこというからリアスとクリスティアが一緒に住んでる説が向こうに濃厚になっちゃったじゃないですか。
 特段「どうしても隠さなきゃいけない」ってことでもないのでばれてもいいっちゃいいんだよ。

 でもね??

 お年頃の子たちにばれるって結構面倒じゃない?

 しかも。

「お前が来ないとなると明らかに俺ら双子に聞いてくるじゃん」

 とくに道化あたりが。カリナの方はまだいいよ、閃吏とユーアでそんなにがつがつ聞いてくる子たちじゃなさそうだし。テスト準備のときの道化を見る限りでは俺の方がやばそう。あぁ想像するだけでとてもしんどい。

「俺も学校休みたい」
《四人で週明けまで休むか?》
「もうそれでもいいんじゃね……」
《でも四人で休んだら、またみんなでつきあってる説…?》
「うわそれもめんどくさい」

 どっちにどう転んでもめんどくさいわ。

 ならもうどっちを取るかは決まってる。

「とりあえずもうリアスとつきあってる疑惑はごめんなので行くわ」
《わたし的にはそれでもいいんだよ…?》
「ぜってーやだ」

 クリスティアの冗談には笑って。時計を見て「とりあえず」と。

「誤魔化せそうなら誤魔化しとくよ。ちょっともう手遅れっぽいけど」
《悪い》
「とりあえずカリナのお怒りだけは覚悟しとけよ」
《お前のお怒りの方が怖いから大丈夫だ》

 そんな俺のお怒りを出す直前まで行ったけどな今回。それは黙っておいて。

「んじゃお大事に。あとで行くから。必要なものあったらメサージュしといて」
《わかった》
《いってらっしゃーい…》

 体質をわかっているので「寝ろよ」なんてのは言わず。クリスティアに行ってきますとだけ返して電話を切り。

「……頑張りますか」

 ため息を吐いてから、荷物を持って部屋を後にした。

 ひとまず先にカリナと合流して、「あの男本当に最悪ですね」と笑顔で辛辣なお言葉を妹からいただきまして。

 陽真先輩と武煉先輩との待ち合わせまでで二人で考えた誤魔化しは。

「龍クンが一人暮らしで、体調悪くなったから泊まって看病ねぇ……」

 表札に「炎上」とのみ描かれているからこそできるネタ。

 エシュト学園に行く途中で当然ながら聞かれた昨日のことに、双子そろってにっこり笑って言えば、二人は納得したような雰囲気で言葉を繰り返す。

「ちなみに龍の体調は大丈夫なのかい?」
「えぇ、元気にお粥を作っているそうです」
「アイツが体調ワルいんじゃねぇのかよ」
「そこは龍らしいということにしといて」
「まぁわかるケド」

 ペンダントを揺らしながら歩く陽真先輩は「ふぅん」と何か考えるようにこぼす。大丈夫だよねこれ。いけるよね。内心不安になりながら学園前の交差点まで行くと。

 武煉先輩から、声が聞こえた。

「ひとつ聞いても?」

 瞬間、双子そろって緊張が走る。一瞬だけ目を合わせてすぐさま視線は武煉先輩へ。問いに応じたのはカリナ。

「なんでしょう」
「その体調不良、刹那ではなく、かい?」
「えぇ、龍が体調を崩しましたけれど」
「昨日刹那は龍に抱きかかえられてぐっすり眠っていたようだけど」

 しまった。なんて思ったのはカリナも一緒。誤魔化すことに必死で昨日の状況すっぽ抜けてた。確かに看病に行ってるのにその看病する本人が病人にだっこされてるのはおかしい。

「えーーーーーと」
「昨日の時点で体調がワルかった、っつーのはいらなかったな、双子ちゃん?」

 言葉に詰まってたら、交差点が青に変わったらしく。陽真先輩が「残念」なんて言うように肩を叩いて歩き出した。カリナと二人してやってしまったと頭を抱えて、その後をついて行く。

 頑張って誤魔化すはずが初っぱなでばれたよごめんリアス。いやもしかしたらまだ弁解の余地はあるかもしれない。歩きながら頭をひねっていると。

「その同居は秘密のことかい?」
「「はいっ!?」」

 武煉先輩に聞かれて、同じく考え中だったカリナと二人してすっとんきょうな声が出てしまった。今日は双子らしさが出てるかもしれないと的外れなことを考えつつ、言われた言葉を反復して。

 妹と同時に、首を傾げた。

「めちゃくちゃ秘密ってわけでは……」
「ない、ですわね……?」
「ちょっとこう、ねぇ?」
「えぇ、騒がれすぎてしまうのが困ると言った感じで……」
「ふふっ、今日は息があっているね二人とも」

 渡りきったところで、先輩たちは笑ってこっちを向く。二人の癖なのか、五月のときみたいに陽真先輩が武煉先輩の肩に体重を預けて。

「安心してください、広めたりということはもちろん、騒いだりというのはしませんよ」
「元々オマエらと遊んでるときに武煉が疑惑あったみてぇだし?」
「龍たちにも言いましたが、いろんな種族がいていろいろ事情があるでしょう。そこは俺たちは深く追求したりしません」
「ま、ただ心配っつーのもあるし。良けりゃあ見舞いでも行かせてくれや」

 双子以上にぴったりな息で交互にそう話す。いつも以上にすんなり引いてくれるなと思ったのもつかの間。

 すっと、武煉先輩が前に出た。

 そうしてあろうことか妹に近づいて。

「君に貸しもあるしね。前回のはこれでチャラということでどうでしょう」

 なんて、とんでもなく思わせぶりなことを言ってきた。目の前の妹は一瞬驚いた顔を見せた後笑う。

「かまいませんわ」

 構わなくなくない??

「華凜」
「お兄さま、大丈夫です。ちょっと武煉先輩が体調を崩したところを助けただけですわ」
「おや、秘密にしていたのにな」
「陽真先輩これ信じていいの??」

 このヒトいつも笑ってるからどこまで本気かわかんない。視線を片割れに移動させて、自分でもわかるくらい圧のこもった声で聞けば。

「ま、今回ばかりは大丈夫だろ」

 若干心に引っかかる言葉をいただきました。

「今回”ばかりは”ってなに!!」
「ダーイジョウブだって。シスコンなお兄ちゃんがいるんだから変なことはしねぇだろうよ」

 兄がいなければ手を出していたと???
 いろいろ聞き捨てならない。

「この同盟に異議を申し立てたい」
「その異議は武闘会で当たってオレらのどっちかに勝ってからなー」
「良い交渉だね陽真。そうしようか」

 待って正直二人と戦いたくないんだけれども。俺死ぬじゃん。

 けれど、と。

 歩き出す二人の片方に目を移す。

 正直本格的に聞きたいこともできたし。

 当たったなら当たったでそれでもいいかと。

 とりあえず、すぐに控えてる次の面倒事を解決する方が先ということで、カリナと二人、先輩達のあとを追った。

『尋問は、ゆっくりと時間をかけるもの』/レグナ


 女子というものはとても怖い。

 サシで勝負する男子と違って何かと集団で行動するし、呼び出しなんかはとくにそう。あなた関係ありましたっけ??と言いたくなるくらい関係のないヒトが傍にいたり。

 過去お兄さまを助けたりなんなりでいろいろとあったので正直そういうお呼びだしが私は大変苦手なんですけれども。

 クリスティアとリアスがお休みしている本日の昼休み。

「華凜ちゃん、ちょっといいかしら?」

 そんな苦手なお呼びだしがやってきてしまいました。

 本日はお兄さまと二人、裏庭でご飯を食べていたら廊下の窓から聞き慣れた声。上を見れば仲良くなってきた同級生がまぁ勢ぞろいしているではないですか。これは昨日の件ですよねとから笑いしたのもつかの間。

 何故か私だけお呼びだし。

 ご丁寧にも同級生は男女分かれて立っている。明らかにこれはよくある呼び出しだと過去の経験から思いました。思わずぎこちなく笑ってしまうのは仕方のないことのはず。

「……えぇと、私だけにご用、です?」
「えぇ、ちょっとお話したいことがあるの!」

 この四人で! そう手を広げた先は後ろに控えていた雫来さん、エルアノさん。これはもう呼び出し確定ですわ。どうしよう正直とても怖い。でももし私が行かないことでクリスティアに何か行ったらと思うとそれも嫌。若干考えが飛躍していっている気がしますがこれも仕方のないことと自分に言い聞かせて、とりあえず立ち上がる。

「女性だけでのお話です?」
「えぇ!」

 この笑顔は良い意味なのかそれとも悪い笑みなのか。見慣れてきたものに少しの恐怖を抱いてしまう。

「……大丈夫?」

 そんな私に気づいたレグナが小さくそう言いました。その言葉には、うなずいて返して。

「ちょっと行ってきますわね」

 心配そうな雰囲気を出す兄の方は見ず、きょとんとしている他の男性陣を置いて。

「じゃあ行きましょうか!」

 先陣を切って歩き出す道化さんに続きました。

 つれて来られたのは裏庭のいつもお弁当を食べている大きな木の下から数本先の少し小振りの木の下。

「ここなら大丈夫かしら?」

 そう言う道化さんに、おそらく兄は聞こえますというのは今回黙っておいて。

 何を言われても動じまいと心に決めて、私の前に立つ道化さんと雫来さん、そして雫来さんの肩にとまるエルアノさんを笑って見据えた。

「何のご用でしょう? 男性陣から離れて」

 向こうでは話せないお話です? と聞けば。

 三人は一瞬目を合わせる。何その視線合わせ怖い。無意識に手をぎゅっとしてしまった。どんなに思い返してみても今回私が何か言われるようなことなんて何も思い至らないけれど。

 こういう女性から言われる場面で思い出すのは、どうしたって過去のこと。

 ひどいことでも言われるのかしら。生まなきゃ良かったと同じくらいつらい、何かが──。

 道化さんの口が開いたことに、反射的に身構えたら。

「女の子特有のお話って大丈夫なのかしら!」

 どんな予想にもかすらない、そんな言葉がやってきました。

 思わずきょとんとしてしまう。とりあえず一回反復してみましょう。

 ”女の子特有のお話って大丈夫なのかしら”?

 だめですわどう考えても「どういうことです?」としか言葉が出てこない。え、聞き返していいです? いいですよね? 思った以上に道化さんたちの雰囲気も柔らかい感じがするので大丈夫ですよね? 信じますよ心の声。

 少しだけ緊張の抜けた体で息を吸って。

「……どういう、こと、かしら?」

 出た言葉は自分でもびっくりするくらいたどたどしい言葉。今度は道化さんがきょとんとして。

 いつも通り、笑う。

「刹那ちゃんのお話よ!」

 どうしましょう話が部分的でどうしても理解まで行かない。
 今度は言葉ではなく視線で、雫来さんとエルアノさんに「どういうことですか」と尋ねてみました。二人は一度目を合わせてから私を見る。先に口を開いたのはエルアノさん。

『氷河さんと炎上さんのお二人は、ご同居なさっているんだとか』

 おっと「そうじゃないんですよ」と返せないくらい優雅に言われてしまった。思わずうなずけば、今度は雫来さんが。

「その、み、道化さんが……同居を詳しく聞くのは、ぉ、置いといて……氷河さん女の子だけど、その、女の子特有の悩みとか大丈夫なのかなって言ってまして……」
「炎上くん、しっかりしてるとは言えどまだ高校生でしょう? 一緒に住んでるなら親御さんはその家にいないと思って……そしたら刹那ちゃん、女の子が悩む特有のことって大丈夫なのかしらと思って! 華凜ちゃんに話せているならばいいのだけれど」
『本当ならば氷河さんに聞くべきことなのですが……少し失礼な言い方ですけれども、察しの良さそうな愛原さんもいらっしゃるときにと』
「刹那ちゃんはお休みだったけどね!」

 そう口々に話しているのを聞いて、ようやっと理解する。

 クリスティアを心配していたと。

 そして話の内容的に男性陣に聞かれるのもアレだからと、私一人を呼び出す形になったと。

 あぁ、なんだ。

「……私に、何か言いたいことがあったとかでは、なかったの……」

 ほっとして思わずこぼれてしまった言葉にハッと口を塞ぐ。しまったやってしまった。恐る恐る彼女らを見れば。

 きょとんとした顔。

 これは聞こえなかったということで大丈夫です?

「言いたいことならいつもあるわ!」

 違った普通に聞こえていらっしゃった。

 ていうか、え?

 言いたいことならいつもある??

 なんでしょう。やばいですねまた体が緊張してきました。道化さん待ってにこにこしないで、逆に怖い。

 けれど「言わないで」なんていうのも言えず。なんでしょうと返しながら、開いた彼女の口に再び体を緊張させた。

「もっと仲良くなりたいの!」

 そうしてまた、聞こえた声に私がきょとんとして。

 頭の中で反復し、体の力が抜ける。

「なかよく……?」
「そう! もちろん刹那ちゃんも入れて! それこそ女の子同士でしか話せない話とかいっぱいあると思うわ!」
『悩みはもちろん、何気ないこともお話ししたいですわね。愛原さんは知識も深いようですし、お話が楽しそうですわ』
「わ、私も……!」

 頭が追いつかない中で、手が取られる。びっくりして手と道化さんを交互に見た。

 彼女の顔は、変わらないかわいらしい笑顔。

「どうかしら!」

 きっとそれが私のように癖であっても、彼女の目は嘘は言っていなくて。

 思わず、うなずいていた。

「それ、は……もちろんですわ」
「本当!」

 屈託のない笑顔が、とてもまぶしい。顔が勝手にほころんでいく。最初は怖かったけれど、ずっと仲良くしてくださっていた方々に失礼でしたわね。

 謝罪とお礼を込めて、「では」と口を開いて。

「刹那とも、たくさん仲良くしてくださいな──美織さん、雪巴さん、エルアノさん」

 そう、言えば。

 一瞬びっくりした顔の三人はすぐに笑って。

 もちろんと、快くうなずいてくれました。

 自由になった手で、こちらをずっと見ていたであろう兄には背中でOKサインを作っておくことも忘れずに。

 お昼休みが終わるまでの少しの間。久しぶりにクリスティア以外の女性たちと話を楽しみ、笑顔で授業へと向かいました。

『”怖い”を乗り越えた先には、あたたかな世界もあるのかもしれない』/カリナ


 インターホンが鳴り、だるい体を持ち上げた。
 先にクリスティアが「なーにー」とモニターに声をかけているのを聞いてあぁ双子だろうと判断し玄関へ。

 ほんの少しふらつくのをなんとか耐えながら、結界を開けて目の前のドアを開けた。

 その瞬間に目に入るのは、

「……」
「お元気です?」
「とりあえずいろいろ買ってきたよ」

 少々予想外な人数。

 がさりと音を立てながら買い物してきてくれたものを渡してきたレグナに礼を言いつつ。

 彼らの奥に誰一人いないことに、いつもより小さな声で言葉が出た。

「……二人だけか?」
「うん」
「道化や陽真あたりが来るかと思ったが」
「雫来さんの熱望によりお見舞いはなしになりました」
「来るのではなく??」

 熱望により見舞いが無しになるとはどういうことなのか。しかし熱に浮かされている頭ではどうせ明確な答えも出ないだろうし、仮に理由を話されたとしても今は理解できそうにもない。今度聞くとして、頷いたカリナには「そうか」とだけ返した。

「上がっては」
「行く予定はないかな。困ってることがあれば別だけど」

 困ってること。考えてみるも、やはり熱に浮いた頭ではとくに思い浮かばない。

「クリス、大丈夫そうです?」
「へーき…任せて…」

 俺からはまともな答えが返ってこないとわかったカリナの問いにはクリスティアが親指を立てて答え、そうですかとカリナが笑う。
 そうして双子そろってクリスティアに向けていた視線を俺に向けて。

「では我々はこれにて失礼いたしますわ」
「もしなんかあったら連絡して」
「わかった。悪かったなわざわざ」
「いいえ。エシュトに入学してからあなた大変でしたし」
「ゆっくり休みなよ」
「そうさせてもらう」

 ドアにもたれながら頷けば、二人は「それじゃあ」と歩き出した。それを見送って、二人が視界から消えたところで俺達も家の中へと入っていく。スリッパのようにして履いていた靴を脱ぎ、俺の手を引きながら先を歩くクリスティアにつられてリビングへ。
 もらったものを一度ローテーブルに置いてから、ソファに腰を沈めた。重く感じていた体がほんの少し楽になる。

「飲み物飲む…?」
「あぁ」

 くらくらする頭を押さえてクリスティアに頷いて、背もたれに体を預けた。ぱたぱたと歩き回るのを聞きながら、彼女が来るまでほんの少しだけ目を閉じる。

「……」

 暗い視界の中で頭に流れてくるのは、ただただ叱責。

 こんなことで情けない。彼女や周りに迷惑をかけて。
 まだまだ弱い。

 せめてこんなときくらい静かにしてくれと思っても、こんなときだからこそなのか頭の声は止まらない。

 こんなに弱いのだから守れないのだと。いつもいつも彼女の手を取ることなく目の前で失い、無様に死んでいくのだと。

 わかっていると返しながら歯を強く噛みしめた。

 うるさい。

 うるさい。

「っ」
「りーあーすっ」
「!」

 思わず声が出そうになったところで、太ももにぽすんと何かが乗った。たとえ見なくてもわかる。けれど確認したくて、そっと目を開ければ。

「……クリスティア」

 愛しい恋人がふわふわと微笑みながら俺の膝にまたがっていた。彼女の手には飲み物の入ったコップ。ずいぶん器用に膝に飛び乗ってきたものだと、先ほどうるさくていらついていたのが嘘のように顔がほころんだ。

「飲み物…」
「あぁ」

 頷いたくせに手は彼女の背中に回る。抵抗も疑問もない彼女はすぐにうりうりと俺の首元に頬をこすりつけてきた。

「……」

 彼女の冷えた体が、上がった熱に心地よい。安心する匂いに、体温に。ほっと息を吐いた。

「すいぶーん…」
「もう少し……」
「ひとくち」

 ね? と甘えるように言われてしまえば断るのも気が引ける。名残惜しくも体を離して、クリスティアが大事に手で持っている飲み物を受け取った。

 少し甘いスポーツドリンクを数度喉に流して、さっぱりしたことにまた息を吐く。

「もういい?」
「あぁ」

 頷けばクリスティアは俺の手からコップを取って、一度ローテーブルに置きに行き。すぐさま俺の元へ戻ってまた膝にまたがって。

「んっ」

 よし来いと言わんばかりに、腕を広げてきた。可愛らしいそれに笑いながら、言葉に甘えて再び彼女の背に腕を回す。後ろに回ってきたクリスティアの腕も冷たくて、すべてが心地良い。

 安心して、まぶたが自然と落ちていく。優しく髪を撫でられてしまえばなおさら眠気は促された。

「……眠たくなる」
「寝る…?」

 聞かれた問いには、嫌だと言うように彼女に抱きついて首を横に振った。
 けれど彼女の手がどうしてもまぶたを落としていく。

 できれば眠りたくない。クリスティアが寝ていないときというのはもちろん、こんな不安定な状態でなんて。また嫌な夢を見るかもしれない。

 それは嫌で、まともに回らないとわかっていつつ思考を回して。

 ぽろっと、出た言葉は。

「……風呂に入りたい」

 瞬間、クリスティアから「は?」という雰囲気が感じられたのはなかったことにしようか。自分の言葉に何故か「そうだ風呂に入りたい」という気持ちが強くなり、続ける。

「汗もかいたしさっぱりしたい」
「寝てもないんだからほとんどかいてなくない…?」
「それでも普段より汗が出ている」

 シャツの中は気持ち悪いし。

「……眠るよりも風呂に入る」
「お風呂は、熱出てるときはだめ…」
「体拭くだけでも変わるだろう。とりあえず着替えたい。一回風呂場に行ってくる」

 そうしようと今日に限って確固たる意志を持ちクリスティアの背を叩いて降りてくれと促せば、クリスティアは俺から降り。

「じゃあ体拭いたげる…ついでにクリスもお風呂はいる…」
「あぁ」

 こういったときいつもそうしてくれる彼女に頷いて、風呂場へと共に向かった。

 そして頷いたことを後悔した。

「……」
「♪、♪」

 浴室には、いつも通り二人きり。いつもと違うのは浴槽にお湯を張っていないこと。

 そして俺が上裸で。

 恋人が、バスタオル姿だということ。

 提案まではよかったんだ。
 寒くならないように先に軽く洗ってお風呂の中温めようねという言葉だけ聞けば気遣いに心の方が先に温かくなった。どうせ着替えるからと服のまま空の浴槽に腰を掛け、彼女が髪を洗っているのをぼんやり眺めること数分。ついでときれいな髪にトリートメントを付け、中も温まったしさあ拭こうかと言われたので湿った上シャツを脱いだ。

 その一瞬で彼女の姿が全裸からバスタオルに変わっていた。

 なんのイリュージョンかと回っていない頭でバカなことを考え、ほんの少し呆けてしまう。クリスティアに「どうしたの」と聞かれたところでやっと我に返り、まぁさすがに全裸で拭かれるのも目に毒だろうと納得して。なんでもないと首を振って洗い場のイスの方に腰掛けた。

 そこからだ、これは何の地獄かと思ったのは。

 普段なかなか見ないバスタオル姿に、色っぽく上げた髪。シャワーで温まって顔はほんのり赤く、湿った髪が体のところどころに張り付いているのもどこかいやらしい。
 そんな姿の恋人がちょこちょこと俺の周りで動き回り、俺の体に触れてくる。

 今までならばよかったものの、少しずつ進展し始めているここ最近。

 大変体に毒である。

 なんとか目をそらそうと思っても、そこは男故か、どうしても目で追ってしまう。そのたびにきれいな鎖骨部分から胸の辺りが目に入って体が妙に熱くなった気がした。

 腕を拭き、反対に回り。今度は背中へ。
 ほんの少し気楽かと思えば。

「つらく、ない?」

 耳元でそう甘ったるく言われてしまえば頭を抱えてしまった。
 本人はおそらく普通に言ったんだろうけれども。

 熱とは本当にろくなことではないなと。

 心配そうにこちらに回ってきたクリスティアを見て、思う。

 眉を下げているのもただただ可愛らしくしか目には映らなくて。

 思わず、手を伸ばしたくなる。

「……」
「リアスさまー?」

 けれど五月の二の舞だけはしまいとなんとか奥歯を噛みしめて耐え、クリスティアには首を横に振った。

「平気だ……」
「そう…?」
「あぁ」
「じゃあ前…」

 しかしこの小悪魔はどこまでも容赦ない。せっかく耐えたのにまた拷問か。心の壁を叩き、先ほどより強く歯を噛みしめる。
 ただこんなときくらいでしかそんな姿も拝めないだろうと、正常なのかそうでないのかわからない頭で自分に言い聞かせ、そっと目を落とした。

「……」
「♪」

 俺の前でしゃがんだ恋人は、楽しそうに俺の腹辺りを温かいタオルで拭いている。それだけでもうなんだかいけないことをしているような気分になった。

 そんな俺のことなんてつゆ知らず、恋人の手は胸の方へと上がってくる。膝立ちになって鎖骨辺りを拭き、一度タオルをお湯に戻してから。

 彼女は俺の膝へまたがってくる。

 どうしてこうも無防備なのかと頭を抱えたくなるが、おかげでいいものも見れているので咎めることはせず。されるがまま、首筋を拭いてもらった。
 その間目がいくのは、妙に誘われている気がする鎖骨と胸のあたり。

「……」

 それに少々悪戯心が芽生えてしまうのは熱に浮かされているからか、それとも最近進めてきたことに浮ついているからか。

「クリス」
「んー」

 拭き残しがないかと首を左右に倒しながら確認しているクリスティアの背に手を回し、抱きしめた。

「?」

 鼻に入ってくるのは、トリートメントの甘い匂い。いつも以上に心地よく感じて、すり寄って深く息を吸った。

「ぬれちゃう…」
「ん……」
「? リアス様、体あつい…」
「いつもだろ」

 あぁでも少し頭がふわっとしているかもしれない。けれどそれも、ぺしぺしと背中を叩く彼女の手も意に介さず、首筋に置いていた口を肩へと移動した。

「? なぁに…」
「悪戯」
「バカなこと言ってないで服着て…」

 クリスティアには曖昧に返して、触れるか触れないかあたりで唇を肩にかすめた。

「っ!?」

 瞬間、クリスティアの体が跳ねる。それに気分が良くなって、腰から抱き上げるように抱きしめて、ちょうど目の前に来た胸に顔を埋めた。

 とくとくと耳に伝わる心音が心地よい。ふっと上を見上げれば、恥ずかしがっているクリスティア。

 ──あぁ、このままいっそここで手が出せたならいいのに。この、少し緩くなっている理性のまま。

 そんな思いが駆けめぐるけれど。

 衝動と相反して、頭が冷えていく。

 物理的にも冷やすかのように、再びクリスティアの胸に顔を埋めた。さっきよりも少しゆっくり聞こえる心音が、落ち着けと言っているようで苦笑いをこぼす。

「…リアス様ー?」
「……調子に乗った」
「?」

 上ではきっと首を傾げているんだろう。
 けれど気づかなかったフリをして、今回何とか押しとどまった自分を内心で褒める。

 この先は行動療法がもっとちゃんと進んでから。
 本能で動かない。それは”あいつ”と同じになってしまうから。

 ──まぁ。

 そのこともその存在も。目の前の彼女は覚えていないのだけれど。

 たった一つ残された忌々しい反射行動をどうにか上書きしていくまで。

「……しばらく熱は出したくはないな」

 小さくこぼしたら、クリスティアは一度緩く体を離し。

「とりあえずじゃあ熱悪化させる前に早く出て着替えて…」

 ごもっともなことを言ってきたので、今回ばかりは過保護を置いて素直に従い、浴室を出た。

 その後俺とずっとくっついていたクリスティアに俺の体温が移って熱を出し。

 熱に浮かされたクリスティアに耐えるというさらなる拷問をすることになるということはこのときの俺はまだ知らない。

『いつになったら、このもどかしさはお前に伝わるんだろうか』/リアス