カノジョと過ごした三百六十五日。
たった一度きりの、六月。
その、姿は。
きっと、ずっと。一生忘れない。
「ジューンブライドだってよ」
六月中旬、真っ昼間。
いつもの四人、授業を仲良くサボって歩く街中。夜になると着く街灯の一本一本に吊されてる旗を見て、一歩前を歩く春風が言った。
ジューンブライドっつったら六月の花嫁だっけか。
「あの幸せになれるってヤツ?」
「そうそう。なんつったか、ジュノー? っつー神の月らしいぜ」
「春風詳しいじゃなぁい。なぁにぃ、花嫁に興味あったぁ?」
「意外と女の子だね」
オレの隣を歩くフィノア姉と武煉が茶化すと、春風は勢いよく振り返る。
「ちっげぇよ! 目に付くだけだっての!」
「そう言って、顔赤ぇぞ春風ちゃん」
「あちぃんだよ!」
なんて見え透いた嘘に、三人で笑う。
春風はものすげぇフキゲンな顔で、また前を向いた。
「照れんなよ春風。良いじゃねぇか、カワイくて」
そっぽを向いてしまったカノジョに近づいて、肩に腕を乗せ──ようとした瞬間に視界の先にヌンチャクが見えた。
「っせぇな! 照れてねぇ!」
「っぶねぇな!」
振りかぶったのが見えて、反射的に身を引く。
直後に、ブオンっつー良い音を立てながら春風はヌンチャクを振った。あぶねぇな脳天かち割られるトコだったわ。
やったコトと相反してカワイく頬を染めて、若干半泣きになりながら。カワイくないことに追撃をかまそうとしている春風に、両手をあげて降参。
「ワルかったって。オマエがこーいうの反応すんのが珍しかったんだよ」
「別に恥ずかしがることないじゃなぁい。かわいいわよぉ?」
フィノア姉マジでそろそろヤメテやって。
あーほら春風がまたむくれたじゃねぇか。
「……別に、新鮮なだけだし」
「新鮮?」
武煉が聞くと、頷く。
「うちは結婚っつーと白無垢らしんだよ。世間はウェディングドレスでCMとかやんだろ? 珍しかっただけ」
「まーイマドキ白無垢っつーのも珍しいな。武煉のトコは?」
遠いとは言え春風のトコロと親戚に当たる武煉。系統は一緒かと聞きながら振り返ったら、武煉は顎に手を添えて口を開く。
「一度写真を見たときは確か白無垢だったんじゃないかな。木乃は古くから日本の伝統やしきたりを重んじていたからね」
「ってことはぁ、春風が結婚するときも白無垢?」
「美吹は木乃の分家だし、可能性は高いんじゃないかな」
「あたしんとこに婿養子確定だろうし、こっちのしきたりでやんだろ」
「大事な極道の跡取りになるしね」
おい相棒、ガンバレっつー視線をコッチに向けんな。こちとらまだ交際して二ヶ月弱だわ。気が早ぇ。
歩きながら武煉のトコに下がって脇を小突く。
不満げな視線が返って来たケド知らね。あっおい足踏むな転びそうになっただろうが。
「武煉クン足癖ワリィな」
「そういう陽真もだろ」
互いに踏んでは踏み返して、歩くこと数歩。
次の不満げな声は、一つ隣を歩くセンパイから。
「白無垢もかわいいけどぉ……せっかくならウェディング見たいわぁ」
その声に、相棒との足の踏み合いをやめて。共に右を見る。左目は眼帯で隠れてっからなんもわかんねぇケド、たぶん眉下げてんだろってのは短いつきあいでわかってた。
「あんた和より洋の方が似合いそうだしぃ」
「あーソレはわかっかも。髪がまず日本人離れだし」
「野生児という点では日本特有だけれどね」
「おっし武煉、喧嘩ならいくらでも買うぜ」
振り向いた春風が再びヌンチャクを構えるも、本人は意に介さず。
「どうせなら両方の式を挙げたらどうだい?」
あろうことかコッチ向いてにこやかに笑いやがった。笑ってんのはいいが見えてっか相棒、オマエの親戚ヌンチャク振り回し始めたぞ。
つーか、
「結婚なんてまだ先だろ……」
「あらぁ、案外あっという間かもしれないわよぉ?」
「君が十八になったらすぐ、なんてこともありえるじゃないか」
「うちの親父は気が早ぇぞー」
相手にされない武煉への怒りが収まったらしい春風までもが茶化すように言う。今度はオレか茶化されんの。確かにあの親父さんならスグにっつー話になりそうだけれども。
なんて返すか言いよどんでる間に、話は春風の親父さんの話へ。
「親父っつったら結構うちのガンコだぜ。ドレス許してくれるか?」
「あぁー、あの人難しいかもねぇ。陽真何発か殴られるじゃなぁい?」
ウェディングドレス希望で殴られんのかよオレ。
「話を聞いている限り娘を溺愛しているようだけれど……。案外伝統を重んじるタイプかい?」
「そーゆーのに関してはけっこーうるせぇぞ。箸の持ち方だなんだってな」
「オメーなんでソコで日本の女らしさ学んでこなかったんだよ」
「うっせ」
「っぶねぇな蹴り飛ばしてんじゃねぇ!」
ダッシュでコッチ戻ってきたと思ったらその勢いのまま回し蹴りしてきやがった。日本の女らしさは見事に男前に変わったのか。
心の中で、嘆いていると。
「だったらぁ」
今度は、キゲン良さげな声を上げたセンパイの方に、再び向く。
こっちを見てるフィノア姉は、声と同じくらい楽しげ。
アメを咥えながら、口を開いて。
「今、ちょっとだけでもウェディングドレス気分味わってみなぁい?」
カノジョから出たコトバに、全員が首を傾げた。
♦
そうして、この時間誰もいないオレの家へ行き。
「ウソはダメだろフィノアちゃん」
「嘘じゃないわよぉ」
途中一度家に帰ったフィノア姉が持ってきた「ソレ」に、全員で首をひねった。
オレたちの目の前に広げられているのは。
「ちゃんと言ったじゃなぁい、ウェディングドレス”気分”って」
紫色の花が頭部についた、一枚のベール。
イヤ確かに気分っつったケド。
「フツーはドレス持って来っと思うじゃねぇか」
「サイズもわからないし持ってこれるわけないでしょぉ」
「それならウェディング気分でもよかったじゃないですか」
「ベールだってウェディングドレスの一部じゃなぁい」
そうなんですけれどもね?
「持ってくる」っつったトキに若干期待をした分地味に残念なんだケド。
この思いをどうしようかと、武煉と目を合わせたトコロで。
「まぁせっかく持ってきてくれたし、とりあえず被ってみっか!」
出ました男前。
置いていたベールを持って立ち上がり、ソレを被ろうと──
待とうぜ。
「ちょっと待とうぜ春風ちゃん」
「んだよ」
「なんかこう、そういうのって男がやるもんじゃね?」
「ベール剥ぐのが男だろ」
「剥ぐんじゃなくて捲んだよ」
剥いじゃダメだろうよムード的に。
「つーかオマエは捲らせてもくれなさそうだわ」
「んなことねぇよ」
「ぜってー自分でベールの中からコンニチワすんだろうが」
やっぱコイツ白無垢のが合ってる気がする。性格的に。
「春風、陽真は君にベールをつけてあげたいんだよ」
結婚するトキは白無垢かぁ似合うかなぁなんて地味な現実逃避をしかけたところで、また相棒が余計なことを言う。
「オレ別につけてやりてぇなんて言ってねぇけど?」
「つけて欲しかったぁ?」
「もっと言ってねぇ。ヤメロ春風、つけてこようとすんな」
背伸びをしてコッチに手を伸ばしてきた春風の手を掴んで制止。
力つっえーなこの女っ。
「ていうかさぁ?」
「あ!?」
春風とベールのつけ合いの攻防が始まった中で聞こえたセンパイの声に、ほんの少しだけ後ろを向く。ザンネンながら見えたのは楽しそうな相棒の顔だったケド、ソイツはあとでシメるというコトだけ心の中で確定。
「ウェディングドレスとかってぇ、新郎は準備ができたのを見て感動するものじゃなぁい?」
ちっくしょうマジで春風のヤツ力強ぇなバカ。
フィノア姉のコトバ半分くらいしか聞こえてねぇけど「そーかもね!」と相づちを打って。
「ってことで春風ぁ、ちょっと部屋移動してベールつけましょー」
「おー」
いきなり春風の力が緩んで、思いっきり前に倒れ込んだ。
「ッテェ……」
「春風の準備ができるまでに起きあがってなさいよー」
「フィノア姉がいきなり声かけたからこうなってんだろうが……」
かろうじて顔を打つことは避けたけれど、代わりに痛めた腕をさすりながら身を起こす。同時にドアが閉まる音と、屈んでだのイテェだの、女子の声。
「いいのかい? ベールをつける役」
「だぁから別につけてぇってワケじゃねぇって」
本人がつけんのは違くねって思っただけで。
なんて話ながら、後ろに手を着いて。ドアの方を見つめる。
めんどくさそうな声を出しているワリには、少しだけ。緊張はしていた。
カノジョが、ドレスまでとは行かなくとも、ソレの一部をつける。
似合いそうだ。一生見れないかもしれない、貴重な姿。
いつもの男前な感じで、仁王立ちをするだろうか。
それとも、意外と恋愛ゴトには恥ずかしがる一面もあるので、照れた表情だろうか。
ほんの少しだけ口角も上がっているのがわかる。
そして、武煉がソレに気づいているコトも。
「よかったじゃないか」
「うっせ」
「できたわよー」
隣を小突いた瞬間に、掛かる声。
少しだけ、体に力が入った気がした。
コクリとノドが鳴ったのと、ドアが開いたのは、同時で。
「──、」
目に、映った姿は──。
♦
「なーんてコトもあったなぁ」
海が見える崖。
潮風を感じながらスーツの裾を引っ張ってしゃがむと、首に掛けたネックレスが頷くように揺れる。
「よぉ」
小さく発したコトバの先にいるのは、
何も描いていない、たったひとつの石。
カノジョの遺骨が眠る場所。
「雨が多いからしけってんな」
濡れた地面を見て、いつものように”カノジョ”の前に座り込むのをやめる。
代わりに、今日。思いもよらずもらうことになった花束を、ソコに置いた。
六月。六月と言やぁ梅雨。けれど、高校卒業から七年ほど経てば、ソレだけではなくなる。
「後輩が結婚式だったんだよ」
年齢的に多くなる、その行事。
今回のは正確には披露宴だけれど。式は、ひっそりと四人でやったらしい。
「この年だと結婚ラッシュだよなぁ。しかも六月にやるヤツらが多くて──」
指折り、今月の結婚式を挙げていく。
上旬は神社の息子と道化師、中旬は相棒に双子の妹ちゃん、同じ日にその双子の兄貴と雪の子。
そうして今日は、過保護なヤツとカワイイ妹分。
「知ってるヤツらほぼ全員だぜ。もう少しわけて欲しいわ」
なんて、口元は笑みのまま。薬指まで折った手に目を落として。
「……すごかったぜ、でっけーウエディングケーキ」
ふと、今日の後輩だけが、脳裏によぎった。
「蓮クンのお手製でさ、どうやって切んだよってくらい。そんで、過保護なカレシサマがいつもどおりムードのカケラもなく一人でナイフ入れて」
その隣にいた、水色の子供のような、相変わらず小さな後輩。
「刹那ちゃんは自分もやるっつってむくれててさ。子供かよっつーな」
けれど真っ白なドレスに身を包んだその子は、どこか大人っぽかった。
「ケーキ頬張ってんのもほんとに、かわらねぇまんま」
普段どちらかと言うと女らしさのカケラもなくて。
ふっと笑う姿は子供のソレで、やることだってガキっぽくて。
だからこそ──。
「そのあとは要望もあって、ちょっとドレス姿で歩いてたんだよ」
ベールに包まれた、幸せそうな、一歩だけ大人になったような顔は、
「……キレイだったよ」
ぽつりとこぼしたコトバは、今日の後輩に向けてだろうか。
それとも、今はもう見ることのできない、あの日のオマエにだろうか。
答えは、ペンダントが揺れなくてもわかっていた。
今日の後輩の姿に、あの日の恋人を重ねた。
歩く姿も、ダンナサマを見て笑うその顔も。幸せそうに歪む瞳も。
もしも。
もしもオマエが生きていたのなら。あんな感じだったんだろうか。
部屋のドアを開けたとき、後ろを向いていたグラデ掛かった緑の髪。
センパイの掛け声で向いた、つきあいたてのカノジョ。
ベールを翻しながら振り返って、少し大人びた笑みを見せた春風に、ただただコトバを失った。
キレイで、もしかしたら一生見ることのできない姿を、焼き付けるように見つめていた。
ゆっくり歩いてくる姿は、本当に花嫁のようで。
俺の前に座って、上目遣いで見てくる表情は、見たことないヒトのようで。
早く、とベールを捲ることを促された手は、情けなくふるえてた。
いつか、このまま大人になって。
今日の後輩たちのように、ひっそりと式を挙げるなら、今度は。
このベールを、手をふるわせずに捲ろうと、決意をした。
本当に、一生見ることができなくなるとは、思わなかったけれど。
「──、っ」
叶えたかったと、叶わなかった思いが頭をよぎったと同時に。じわりと、視界が歪む。
喉元が、痛いくらい熱くなる。
ただ、こんな日にカノジョの前で涙を流したくなくて。
歯を食いしばり、アイサツもそこそこに立ち上がる。
地面に数滴落ちた滴は、汗だと言い聞かせて。
「またさ、」
ほんの少しだけ、涙声だけれど。聞かなかったフリをしてコトバを紡ぐ。
「六月中に来るよ」
あの日のベールを持って。
「今度は、三人で」
相棒だけじゃなくて、ちゃんと。
オマエの大好きな、姉貴分も連れて。
ココは風が吹いているから。
きっと、ベールがキレイになびくと思うんだ。
あの日、振り返ったトキのように。
「コレも、せっかくもらったし」
カノジョの墓石の前に置いた、ソレを見て微笑む。
遠く離れていたはずなのに手元にやってきた、花嫁のブーケ。
受け取ったときに揺れたペンダントは、なんとなくだけれど。喜んでいるように思えた。
もしも、傍にいたのなら。
”今度はあたしたちの番だな!”なんて。
男前に、嬉しそうな幸せそうな笑みで言ったんだろう。
「あ”ー……」
想像して、どうしたって、視界が歪む。
あぁ、今日は涙腺が緩んでいるかもしれない。きっと、カワイイ妹分を送り出したから。絶対そうだと、イイワケをするけれど。
目に映っているのは、あの日の緑色の髪。
「春風、」
情けない顔を見せたくなくて、せっかく立ち上がったケド、またしゃがむ。
顔を覆って、あふれてくるモノは見せないようにして。
キレイだった。
オマエの、あんな姿を見たかった。
一緒に、歩いてみたかった。
今度はふるえずに。
思わず出そうになる、過去形のコトバも、叶わなかった思いたちも。なんとか嗚咽と共に、飲み込んで。
きっとオレの前でしゃがんでいるだろう、キミへ。
「──」
小さく呟いた、昔の手と同じくらいふるえていたコトバは、カノジョのような暖かい風に消えていった。
ふっと、目を上げれば、ペンダントが揺れる。
頷くように。
石しかないはずなのに、何故か見えたような気がしたカノジョは。
一生忘れない、あの六月のように。
幸せそうに、笑っている気がした。
『十年越しのプロポーズは、キミだけが聞いている』/陽真
こつり、こつり、ヒールを鳴らしながら街を歩いていく。
澄んだ空の下、広がるのは純白に統一されたデコレーション。季節に沿って彩られるこの街は、何色にも染まれる真っ白で。初夏だというのに、どこか雪の中を思わせました。
「……」
見上げて、周りを見渡して。
きれいなデコレーションやドレスたちを見ながら歩いていく。
窓ガラスに映った自分の顔が少し困ったように笑っているのが見えて、相変わらずね、なんて、理由がわかっているからより困ったように笑った。
意識を、ショーウインドウに映る自分から窓ガラスの中にあるものに移す。そこにあるのは、純白のドレス。
それを見て、また自分が困ったように笑ってしまったのがわかった。
「……あの頃あのまま進んでいたのなら、私はこれを着ていたのかしら」
なんて、”あの頃”にこんなドレスは存在しないとわかっていながら思ってしまう。
同時に、いつものように。
「未練がましいわね」
相変わらず、と。
独り言ちて、またヒールを鳴らしながら歩き始めました。
大好きな人がいた。
今で言う結婚も決めていた、大好きな人。
その人には、自分の身勝手で別れを告げたけれど。
六月がジューンブライドと呼ばれ、街やテレビで取り上げられるようになってから、妙に当時のことを思い出した。
「結婚をしたいと思っているんだ」
お別れを決める、ずっと前。
恋人になって間もなく。オトハは、いつものように本を開きながら、いつも通り穏やかに言った。
あの頃は今よりももっと悲観的だったから、言われた言葉に一度止まって。自分がその相手だなんて思えなくて。
「……だれ、と」
なんて、少し恐怖しながら聞いたのを今でも覚えている。
こちらを見たオトハはきょとんとしていた。何を当然なことを、と。
その顔に、私の被害妄想は加速して。
あぁ私はその結婚する人の前にこうして付き合っているんだと、わけのわからないことに恐怖を覚えて。思わず目をそらしてしまう。
それに、オトハは納得したんでしょう。恐怖している私とは裏腹に、笑って。
「当然、君とだよ」
その言葉に、弾かれたようにオトハを見た。
少し照れたような、けれどどこか慈しむような、そんな顔で。
「少しかっこつけたかったんだけど、失敗したかな」
なんて肩を竦めて笑った。その言葉を理解して、今度は私が照れたようになってしまう。
「え、あの」
「うん?」
待ってそんな甘く手を握ってこないで。
「は、早いのでは」
「僕はもう適齢期だけれどね」
「そうですけれども」
恋人になってまだ数か月。クリスティアとリアスを見ているからか、そんな結婚だなんてまだまだ先だろうと思っていて。
目の前に座るオトハの甘い戯れに、たじろいでしまう。
「カリナの反応は本当にかわいらしいな」
「っ、からかってるんです?」
「いいや? 愛しているよ」
ぐっと、恥ずかしさにオトハを睨んだ。それさえも楽しいのか、オトハは笑うばかり。
少し年上の恋人は、いつだって少し意地悪だ。
一通り楽しそうに笑って、オトハはまた私の手を甘くさする。
「さっきの話」
ほんの少しだけ真剣な声になったから、自然と背筋が伸びた。
優しく動く指を見ながら、耳はオトハへ意識を向ける。
「僕は、カリナと生涯を共にしたいと思っているよ。この先ずっと、一緒にいたいと思ってる」
「……」
「もちろん、カリナがあまり結婚に前向きでないのならそれでもいいよ」
「……ほかのヒト、とかですか?」
「まさか。それなら一生恋人でいるだけさ」
なんて、掬われた手に口づけを落とされた。その目は、どこか逃がさないというような、そんな目で。
「……ずるいと思います」
「何がかな」
「おとなしそうに見えてそういう、獲物は逃がさないというような裏腹な感じが」
「僕だって男だからね。――ただ、まぁ」
手の甲に優しくすりよって、どこか寂し気な瞳になって。
「君が望むなら、別れもきっと受け入れるんだろうね」
小さく落とされた言葉に、その時はそんなことないと言い返した。
けれど現実とは残酷で。
私は治ることのない病気になって、オトハに別れを告げた。
身勝手で、わがままな別れ。
あなたに負担をかけると私が苦しいから、別れて欲しい。
そうしてどうか、幸せになってほしい。
そんなわがままを、あなたは受け入れてくれて。
お互いに、いつかまた巡り逢ったとしても、互いに恋をしないと、誓った。
それでいいと思っていたの。
いつかそれは思い出となって、あんなこともありましたね、なんて笑い話になって。
本当に、いつかあなたとまた出逢ったとき、「はじめまして」と笑えると思っていたわ。
「……」
長い旅だもの。
きっと、そんな最初の頃の恋愛なんて、意識しなくとも忘れると思っていた。
でもね。
「不思議ね」
もういないはずなのに、どこかに必ず”あなた”がいるの。
図書館に行って大昔の本に触れたらあなたを想って。新しい本を読めば、きっとこれはあなたが好きだと感じて。
あのまま私たちのように長生きしていたのなら、こんな服が似合うのかしらとか、こんな食べ物、きっと好きよね、とか。
夢にまでたまに現れて、あなたの姿すら忘れることができなくて。
ときおり口ずさんでいた歌も、忘れられないまま。
ねぇオトハ。
「あなたがここに生きていたのなら、このドレスを着て、あなたと手を取り合っていたのかしら」
ショーウインドウに手を添えて、その中にあるひとつのドレスを見上げる。
真っ白で、純白なウエディングドレス。
ヴァージンロードは兄に手を引かれながら歩くんでしょう。
クリスティアとリアスが嬉しそうに私たちを見て。
歩いた先に、真っ白なタキシードに身を包んだあなたがいて。
カリナ、って。
きっと優しく笑ってくれているのかしら。
あぁ、だめね。
「――いつまで経っても、忘れられないわ」
忘れられないし、ありえない未来の想像までしてしまうの。
ここにあなたがいたのならと、そんな妄想を。
もしもまた巡り逢えたのなら。
私はきっと、「初めまして」なんて言えないわ。
目からあたたかい雫があふれてくるのがわかる。往来だと知っていても、こらえきれずに、腕を目元にあててしゃがみこんだ。
もう逢えない大好きなあなたは、今どこにいるのかしら。
新しい姿で、誰かと幸せな人生を歩んでいる?
それに、どこか寂しいと思ってしまう私はずるいかしら。身勝手に別れを告げて、あなたの幸せを願うという建前で、自分を守ったくせに。
それでも、どうか思い出すことだけは許してほしい。
いつか出逢ったとき、あなたが大好きだった笑顔で、「初めまして」と笑うから。
あなたにまた恋をしたとしても、それを明かすことはしないから。
だから、どうか――。
そっと願って。
誰も見ていないからと、静かに涙を流し続けた。
♦
歌が聞こえた気がした。
懐かしくて、きっと誰も知らない、その歌。
けれどその自分の答えにすぐに、いや、と心の中で首を横に振った。
知っている子は、いる。
その歌が好きだと、かわいらしく笑う女の子。この時代にはもういることはないはずだけれど。
わかっているのに、その歌を聴きたくて見渡した。うっすらとしか見えないこの目を凝らして物にぶつからないようにしながら、音が強い方に歩いていく。
「……」
こつり、こつり。ヒールの音がリズムを刻んで、その歌が紡がれる。
そんなはずないとわかっている。
でも。
その声を、覚えていて。
脳裏に、あの頃がよみがえった。
大切な子。花のように笑う子で、はじめて、ずっと一緒にいたいと願った子。
思わず、手を伸ばしかけた。
けれどすぐに止めた。
頭の中で己を叱咤する。
”あの頃”とは、違う。
姿かたちが、違う。
「~♪、♪」
きっと、「初めまして」だ。
彼女にとっても、僕にとっても。そもそも、確信なんてない。偶然かもしれない。たまたま、なにかで知っただけかもしれない。
わかってる。
わかってるけれど。
「、あの」
「はい」
確かめたくて声をかければ、その子がぱっと振り返った気がした。
うっすらと見えるその顔は、笑っているのだけはわかって。
また手を伸ばしかけて、それを止めて。
精一杯、笑ってみる。
「はじめまして」
「? はじめまして」
笑ってくれたと声でわかる君に、息を吸って。
「……いい歌ですね、その歌」
先ほどのきれいな歌を、褒めてみる。
「……」
一瞬驚いた雰囲気になったけれど、その子はまたふわりと笑った雰囲気になって。
「そうでしょう?」
そうして、
「忘れられない歌なんです」
なんて言うから。抱きしめたい衝動に駆られた。
カリナだよね、と。喉から何度も音が出たがる。
どことなく声だってあの頃のままだ。うっすらとしか見えない風貌も、記憶の中の彼女とそっくりで。
歌を覚えているのは、偶然? それとも、君も僕のように記憶を残して旅を続けてる?
ねぇ、もしも。実はね、と話したら、君はどんな反応をするだろうか。
僕は姿かたちが変わってしまったから、きっと信じてはくれないんだろうか。それとも、私もね、なんて。あの頃みたいに照れたようにかわいらしく笑ってくれるんだろうか。
僕もまだ、少し信じられないところはあるけれど。
妙に確信もあるから、ふと、笑って。
「……そう」
「? あの」
君が好きだった、おだやかな顔で笑って。きっとそこにいるだろうと、まっすぐ前を見た。
そうして、ずるいとわかっているけれど。
告げる。
「――僕も忘れられないよ」
それだけ言って、背を向けて歩き出す。
どこか雰囲気が変わった彼女は、もう背にいるから明確な感情はわからない。
けれどこつり、ヒールが鳴って、迷ったようにこちらに近づいた音がした。
何歩か歩いて、また止まる。
そうして、息を吸った音が聞こえて。
「……また逢う日まで」
合言葉のようなそれに、今度は僕が振り向いた。
けれど近くに彼女はおらず、花が散ってしまったように、なにもなくて。
見えるのは、飾りつけだけ。きっと純白だろうというのは、季節特有だからわかった。
ふと隣を見上げれば、ショーウインドウの中にドレスがうっすらと見える。
この目ははっきり見えないけれど。記憶の中ではしっかりと見えた。
この時代になってから、きっと似合うんだろうと何度も想像してしまったそのドレス。
教会の中で、彼女の双子の兄や親友に囲まれて、きっと君は美しく笑うんだろう。
もう二度と恋はしないと誓ったけれど。
「時効なんて、君は聞いてくれないかな」
またもし巡り逢ってしまったら、きっと今度は、手を伸ばしてしまう。
君との約束を破らないように、二度と逢わないよう、願いながらも。
どこかで、また逢うことも願いながら。
「また逢う日まで、カリナ」
愛する君へ。
そう小さくこぼして、純白らしいその街の中を、一人歩いて行った。
『はじめまして、愛する人。また逢えたら、今度は純白の道を共に歩むことを望んでいいですか』/カリナ&音宮隼人(オトハ)