ソファに寝転がりながら本を読む。
あぁ中々興味深いなこれはと、ページをめくろうとしたところで、いつものごとく横に気配を感じた。
「トリック バットー…」
ひとまず怪我のないよう、読みかけの本だけは頭の横に移動させて、
「トリートっ!」
飛び込んできた彼女を、受け止めた。
「随分ご機嫌じゃないか」
「はろうぃーん…」
「そうだな」
起き上がり、クリスティアを膝に乗せ直して、頭を撫でてやる。上機嫌そうに擦りよって来た彼女に、微笑んだ。
十月三十一日、世間で言うハロウィン。甘い菓子が大好きな恋人が乗ってこないなんてないわけで。
毎年、自分のできる範囲になるが彼女に菓子を用意している。
のだが。
「まずは菓子の前にお前の言葉の意味を聞こうか」
今年は断じて聞き逃してはならない言葉をこいつは言った気がする。
「…とりっくばっと、とりーと」
「何故菓子をやってもいたずらをされなければならん」
現代では「or」の部分を変えるのが流行っているらしいというのは聞いたが。
誰に教わったのか(どうせカリナあたりだろうが)、今年は「菓子をくれてもいたずらする」と言ってきやがった。
「かわいい彼女にいたずらされるのよくない…?」
「お前のいたずらは質が悪い」
恋人のスキンシップができない癖に指を噛んできたり首筋舐めてみたりと煽るようなことばかりするからだいぶ困る。
「言い直したら菓子をくれてやる」
「いたずらもしたい恋人の心をくんでくれてもいいんだよ…?」
「かわいいいたずらなら許してやらんこともないが?」
「かわいいじゃん…」
まぁ確かにかわいいんだがそうじゃない。
どうせ向こうも引く気はないだろうと、手早くクッションの後ろに隠しておいた菓子を取り出し、クリスティアの目の前に見せるように持って行った。
瞬間。
「!」
目の色が、変わる。
それも当然。
今年用意したのは、彼女が大層気に入っている店の、大好きなクッキー。
店は街の大通り、しかも人気の名店とあって常に混む。俺が行かない条件を全て満たしているそこは、クリスティアにとって褒美などの特別なときにだけ寄ってくれる貴重な場所で。
加えて本人が一番好きなクッキーの詰め合わせとなれば反応するのも当然だろう。
毎年いたずらを行使しようとする恋人への対策である。
「これ、好きだったよな」
「…」
「ハロウィン限定で取り寄せができたんだ。お前が食べるだろうと思って頼んでみたんだが」
伸ばして来た手をかわすように、菓子を持ち上げる。
「いたずらをしようとする悪い子にはあげられないな?」
「…いじわる…」
一種の正当防衛だろこれは。お前がそのままキスなりなんなりできるなら菓子もくれてやるしいたずらもさせてやるわ。さすがにそれを言うと気負ってしまうので、言葉はぐっと飲み込み、頭を撫でる。
「今言い直すならくれてやる」
「…」
「そのまま続けるのであればカリナかレグナにやるが?」
膝の上の少女は、見なくても眉間にしわが寄っているだろうと想像できる。
「でもっ…」
数秒後に振り返ったその眉間には、やはりしわを寄せていて。恨めしそうに睨んできた。
「わたしが言ったのは、トリックバットトリート…だからお菓子ももらっていたずらもする…」
「本来二つに一つの選択肢のはずなのに、両方とは都合が良すぎじゃないか」
「っ…」
「菓子がないからいたずらを許す、菓子があるからいたずらは免除。そういう条件だろ」
「…」
言い返しができなくなって口を噤む彼女に、微笑んで。
「二度は言わない」
目の前に菓子を持っていき、揺らす。
ぐっと少しだけ泣きそうな顔をして、菓子を見つめるクリスティア。
そんなにいたずらしたいのかお前は。
「クリス」
しかしこちらとしても譲るわけにはいかない。
促すように、顎の下を指で軽く叩いた。早く言え、というときの合図。
反射的に口を開いた彼女は、そのままもうしばらく葛藤を続けた後。
「…とりっく、おあ、とりーと…」
見事に折れてくれた。
「いい子だ」
「…!」
頭を撫でてやって、菓子を彼女の胸元に持って行く。
器の形にした両手に置いてやると、ぱぁっと雰囲気が明るくなった。
「…♪」
好きな菓子が手に入ったということでさっきのいたずらしたいという思いやできない悔しさはすっぽ抜けたんだろう、俺の元に飛び込んできたときと同じくらい上機嫌そうにがさがさと包みを解き、お目当てのクッキーを取り出して口に含む。
みるみる表情が満足そうになって、こちらも口角が上がった。
「うまいか」
「んっ」
よかったな、と口の端についたクッキーを取ってやる。
次々と嬉しそうに頬張って行く姿は幼い子供のようで、大変可愛らしい。一悶着はあったがチョイスは正解だったな。
「♪」
「……」
それを、髪を撫でながら見つめるときに。
なんとなく、あぁそういえばと思い至った。
「──なぁ」
「ん」
呼びかけて、こちらを向いた彼女の頬を撫でる。
「trick yet treat」
一度止まって。
俺の言葉に、彼女は租借を再開して首を傾げた。こっちの意味は知らないか。まぁお前が絶対的に選ばない言葉だろうしな。
毎年恒例のハロウィン。いらずらを阻止するという一悶着はあれど、菓子をやると彼女はいつも以上に喜んだ。
それが嬉しくて満足し、終わっていたが。
俺はハロウィンに言葉を掛けたことはなかったなと思い出したのである。
まぁ甘いものが苦手なので、渡されても困るし必然的に何もせずにいた。
けれど別に菓子なんて甘いものが全てじゃないし、彼女が変えたように、言葉を変えることも可能となった。
そう思い至って、あの言葉。
意味は──。
「菓子はいらないからいたずらさせろ、だそうだな」
ぱちぱちと瞬きをする少女に続ける。
「元々菓子自体そこまで口にしないからな。菓子の選択肢は自分から捨てるから、もう一つの方を叶えてくれないか?」
髪を掬って、首を傾げて問うてみた。
彼女は口の中のものを嚥下してから、口を開く。
「お菓子を求めない時点でハロウィンの参加資格はない…」
「そうきたか……」
さすがにその返答は予想外だ。
参加資格自体を奪われてしまっては何もできないので、結局。
「なら、trick or treatで」
「参加するの…?」
「たまにはな」
催促をするように、彼女に手を差し出した。
しばらく悩んで。
その手に持っていたクッキーを、俺の手に置く。
ちょっと待て。
「それは今俺がお前にやった奴だろ」
「手に持ってるのはこれしかなかった…」
「進んで食えない上にくれたものを返すのはルール違反だ」
「ルールとかあるの…」
お前参加権自体奪おうとしただろ。
「それ以外で何か」
クッキーは彼女の手に戻し再び手を差し出すと、クリスティアは袋を抱きしめ首を傾げて悩み始めた。
恐らく菓子で、尚且つ俺が口にできるものを考えているんだろう。
だがしかし、俺は知っている。
そんなものはうちにはないと。
クリスティアが好むのは甘い菓子である。
飴やクッキー、チョコレートなどなど。そっちに関しては冷蔵庫や菓子入れに常備しているが、煎餅などの米菓やスナック系はあまり好まないので、めったにうちには置かない。仮にうちにあるとしたら、レグナやカリナが持ってきたものが余った場合のみ(大半処理係は俺)。ただ、俺が菓子類をほとんど口にしないと知っているから余ることもほとんどなく、双子も個包装で食いきれるものを持ってくる。
というわけで、今現在家には俺が食せるような菓子は一切ないのである。
「…」
「クリスティア」
「んー…」
彼女も記憶探りが終わり気づいたのか、こちらを気の進まないと言ったような顔で見た。
「菓子はないと判断しても?」
「なくはないけど…」
どのみちその菓子が自分に回ることはわかったようで。
それを俺が無効だと判断すれば、結局のところいたずら一択になるのも予想ができたらしい。
「なら、いたずらだな?」
「なにするのー…」
諦めた彼女は、クッキーをテーブルに置いて、再び俺に向き直る。
問われてから、言ってみたものの内容は決めていなかったなと気づき、思考に落ちた。
彼女にできるいたずら。
まぁやろうと思えばなんでもできはするはず。いたずらに乗じて迫ってみてもいい。ハロウィンという”戯れ”と言い聞かせれば、多少は許されるだろう。
けれど女にとって大事である(らしい)キスなどを戯れに乗っかってやるのは少々頂けない。今日までにスキンシップができていたのであればそれなりのこともしていただろうが、互いにまだ未経験である。少しずつ恐怖心は抜けてきたとは言えど、まだ直接”そういうこと”をするのは難しい。いきなりがっついてスタート地点に戻されるのはごめんである。
となると個人的にそこは除外。
それで”いたずら”と言えるようなもので残るのは──、
「──」
「っ!」
触れた瞬間、彼女の体が跳ねた。
中々新鮮な反応に、自然と口角が上がる。
「なに…」
「いたずらには最適だろう?」
そう、言って。その方向を見やる。
ワンピースからさらけ出された膝。
現在、彼女の膝頭を撫でている。
くすぐるような、けれどほんの少しだけ、戯れだけじゃない意味を含めた、触り方で。
「っ、ふふっ…」
「くすぐったいか」
「、ったいけど、…っ」
「けど?」
「!」
耳元で囁いてやれば、更に体は跳ねた。
悪戯心が大きくなっていくのを感じる。指先だけを、膝裏を掠めるように撫でた。
「ねっ、待って」
「どうした」
「や、らしいっ!」
「くすぐってるだけだろ」
「そうだけ、どっ、っ」
俺の服の裾を強く掴んで見上げてきた目には、涙が溜まっていた。
ただそれは恐怖ではなく、羞恥であることがよくわかる。
頬をほんのり紅く染めて、困ったように眉根を下げて。膝を撫でたことに反応して体を跳ねさせて。
扇状的な姿に、自分の欲も沸き上がってくる。
彼女のいたずらが質が悪いと言っていた癖に、自分からきつい状況に持って行く俺は愚かだろうか。
けれど、
トラウマで普段なかなか触れることができない彼女に、それを思い出させることもなくここまで追い込んでいることに、言い得もしない充足感と、背筋にぞくぞくとした感覚が走る。
無意識に、舌なめずりをした。
「り、あす、さまっ」
「っ……」
もし、先へ進めたなら。
お前はこんな風になるんだろうか。今よりももっと、愛らしい姿を見せるのだろうか。
進みたい、すべてが欲しい。
まだ許されていない部分まで、全部──。
「っ…あ…」
ただ今はこれ以上は、と。
衝動が抑えきれなくなる前にそっと、膝から手を離した。直後、くったりと俺に身を預けてくるクリスティア。
それすら愛おしくて堪らない。
思いをぶつけるように抱きしめて、擦りよった。
背中に回された手に、強く叩かれる。
「っ…いじわる…!」
「言ったろ、いたずらだ」
「やらしかった!」
「普通にくすぐっただけだろう?」
それとも、と。
身を離して、未だ少し涙目の少女にいたずらっぽく笑う。
「そういう方向に勘違いでもしたか?」
「~~っ!」
ぶわっと顔を真っ赤にした彼女の新鮮な表情に、喉を鳴らした。
反応全てが愛おしい。再び抱きしめて、頭を撫でてやる。
「冗談だ。少しやりすぎたな。悪かった」
「…」
腕の中でむくれているんだろう。また後で違う菓子でもやるかと、なだめながら考えていたとき。
「悪い子…」
「ん? ──おっと」
ばっと体を離されて、思わず目を見開く。思った通りむくれてはいたが、先ほどの羞恥はもう見えず、拗ねたように俺を睨んでいた。
あぁしまったと思った頃には、もう遅い。
「いたずらする悪い子は…」
「クリス」
「今日一緒に寝てあげない!」
「待ってくれそれは俺が困る!」
「知らないっ!」
するりと腕の中から逃げていった彼女を引き留めようとした手は空を掴み。
書斎の方へと行ってしまったクリスティアの背を見届けて、
「……やりすぎた……」
行き場のなくなった手で、自分の顔を覆った。
『やりすぎは禁物である/2018ハロウィン・リアス』
ハロウィンは、今のあたしにとってはなんの代り映えもないただの日常だ。
お菓子をくれなきゃいたずらするっていうかわいらしいキャッチフレーズ。
悪魔のいたずらを鎮めるためのそれは、いつしか交流の言葉に変わって。生界の生物たちにとっては、ハロウィンに使う一種の特別な言葉でもあったりする。
昔なら、それに乗っ取って同じように使ってたんだろう。お菓子を用意して、言われたらお菓子をあげて。向こうが持ってなかったらちょっとかわいいいたずらをする。
けれど、今のあたしには。
「うぉびびった」
”いたずら”っていうのは正直、日常である。
陽真の後ろについて、ぼーっと歩いてる彼氏さまが電柱にぶつからないように。目の前でいきなり音を鳴らしてやった。
そしたら当然陽真はびっくりして足を一瞬止める。そうして、目の前に気づいたら。
「お、サンキュ」
あたしに気づいて、そう言う。
それにはほんの少しだけ優しく風を吹かせて、「どういたしまして」と応じた。
いたずらっていう、意思疎通。
あたしたちにとっての、会話。
肉体を無くして、自分なりの意思疎通を覚えて。それを受け入れてもらってから続く、いたずらな日々。
いらっとしたり危険を教えるときはポルターガイストを起こして、嬉しいときや相槌を打つときは風を吹かせる。
彼氏さまがほかの女の人と仲良くなってしまうと、陽真への念が変に影響してしまうのか、ちょっと女の子の方に害が行ってしまうのは申し訳ない。
そんな、毎日がいたずらな日々だから。
「ハロウィンか」
街がかぼちゃで彩られていくこの季節に、特別感は正直ない。
「菓子渡しても春風ちゃんはイタズラばっかりだもんな」
それは陽真も同じようで。そんなことを言うから、くすくす笑うようにペンダントを風で揺らした。
とりあえずあたしは今年もお前の仮装が楽しみだよ、と。言葉は伝えられないけど、そう心で伝えて。そっと陽真の隣へと降りてみる。
歩幅を合わせるように足を動かして。
周りからしたら独り言になる言葉を聞きながら。
陽真のメッシュ色に染まっていく街を、二人で歩いて行った。
♦
「今年の仮装はどうするんだい?」
「なんも決まってねぇわ」
「また恐竜でも着るぅ?」
「ロマンだケドな」
ハロウィンが近づいてきたある日。今年も後輩や先輩たちとの集まりがあるのに、陽真の仮装は決まってない。
一昨年の恐竜は正直かわいい枠だったよなあれ。陽真はロマンとか言うけど、恐竜の目がかわいいからもうあれはかわいい枠だ。
去年のゾンビ執事は結構メイクで顔の印象違ってたし、せっかくなら今年は顔をいじらないかっこいい枠が見たい。フィノア姉にジェスチャーでお願いしてみようかな。
なんて、武煉とフィノア姉、陽真の三人の会話を聞きながらどう伝えるか迷っていると。
「あれ、陽真先輩たちだ」
笑守人学園の廊下を歩いてた後輩たち四人が声をかけてきた。
見えないとわかっていつつも手を振れば、一番ちっこい水色の後輩は陽真のペンダントにあいさつをする。あたしにあいさつしてくれてるとわかってるので、優しく風を吹かせた。
「よぉ」
「先輩方は次の授業お休みです?」
「そぉ、今ハロウィンの衣装会議ぃ」
「明後日じゃん、間に合うの?」
「俺たちはもともと決まってますけど、陽真がね」
「今年も恐竜でいいんじゃないのか」
「お、龍クン恐竜のロマンわかってる感じ?」
「いや刹那が気に入っていたから」
「オマエはほんとぶれねぇわ……」
なんて笑ってたら、後輩たちはまた歩き出す。
「我々はこのあと授業なので、参りますわ」
「おー」
「また放課後に迎えに行きますよ」
「武煉先輩は俺が出迎えてあげるね」
「華凜に出迎えて欲しいんだけれどね?」
「なら逆に俺が迎えに行ってあげるよ」
「必死すぎる兄は妹を困らせるんじゃないかな」
「龍、俺授業遅れてくわ」
「好きにしろ」
おっと千本出し始める蓮を置いて歩き出してんぞ。
相変わらずバトってんなとちょっと苦笑いをしながら。
「んじゃまたあとでな」
「はぁい」
ちっこい後輩に声をかけている陽真に、目を向ける。彼氏さまは妹に話しかけるように、視線を合わせて笑ってた。
「帰りにでも仮装のヒント教えてくんねぇ?」
「刹那死神!」
「ウワなにその物騒な仮装」
「というか今言うのかお前は……」
龍に言われて、刹那はご機嫌に頷く。相変わらずかわいい後輩に癒されつつ、耳は龍たちの会話へ。
「また珍しい恰好すんのねぇ」
「ハロウィンの言い伝えだ」
「言い伝え?」
「えぇ。ハロウィンだけでなく季節のイベントは国ごとにいろんな風習や言い伝えがありますが……ハロウィンはとくにそういうのが多いんですよ」
「代表的なのは、この世のものではない仮装をすると」
――死者と交流できるらしい。
「あとはジャック・オー・ランタンのランタンに火を灯すと死者が逢いに来る、とかな」
「ジャックは敵…」
「オマエのカノジョの目に殺意宿ってんぞ」
「こいつは昔ジャックとひと悶着あっただけだ」
なにそのひと悶着めっちゃ気になる。
けれどそれはあたしは聞けないので、いつか陽真伝手で聞けるとして。
時間だからと、未だ殺意マックスの蓮も連れて去っていく後輩たちの背を見届けてから。
「この世のものではない、ね」
小さくこぼした陽真に視線を移したら、何かを決めた目をしていた。
そうして迎えたハロウィン当日。
陽真は、この世にはいないミイラ男の恰好をして、毎年恒例になりつつあるパーティーを楽しんだ。
あたしと交流を図ろうと、同じくこの世のものじゃない死神姿の後輩には、愛でるようにたくさん優しい風を吹かせてやって。
このメンバーになってから笑顔ばかりだと、幸せに浸って。
パーティーが終わって後輩を送ってってから、武煉たちとも別れて。陽真と二人、帰路につく。
ゆっくり陽真の歩幅に合わせて足を動かしながら、楽しかったな、って伝えるようにペンダントを揺らした。
「春風も楽しんでくれたの」
もちろん。それを伝えるため、強めにペンダントを揺らす。
まぁ、ひとつ心残りみたいなのがあるとすれば。
せっかく交流のためにミイラ男の恰好をしてくれたのに。結局あたしは、いたずらしかできなかったことかな。
陽真が仮装を決めてからたくさん考えてみたけれど。やっぱり意思疎通はポルターガイストだったり、風を起こしたり。いつも通りのいたずらしかできなくて。
それが、ちょっとした心残り。それは陽真には伝えられないけれど。
「春風」
どうしたもんかなと足を動かしてたら、名前を呼ばれた。
まるでほんとに生きてるみたいに言うから、あたしもあの頃みたいに、呼ばれた方に振り返る。
そこには、視えてんのってくらいまっすぐあたしを見る陽真。
思わず「なに」なんて言ってしまった。聞こえないはずなのに、会話が続く。
「覚えてる?」
――何を。
「ハロウィンの言い伝えのもう一個」
――もう一個?
「ジャックの話」
あぁ。
ランタンに火を灯すと、逢えるっていうやつ。
けれど、きっと。
陽真が言ってるのはその、龍が言った方じゃない。
仮装とかについて調べてたときに出てきた、もう一つのジャックの言い伝え。
「……やってみねぇ?」
言いながら、陽真はパーティーのおみやげにもらっていたかぼちゃのお菓子ボックスを掲げる。
たしかに名前はジャック・オー・ランタンだけど、ほんとのランタンじゃなくていいの、なんて。聞こえるはずもないけれど。
そっと、近づいて行った。
「……」
陽真は目を閉じる。
あたしは、少し地面を蹴った。
その、ランタンへと少しずつ陽真が近づいていく中で。
「!!」
少しだけ大きめに風を起こす。
陽真がそれにキスをしないようにして、ランタンを取り上げた。
「……ハッ」
ふわふわと浮くランタンに陽真は笑う。
きっと意味がわかったんだろう。
――それはだめだ、って。
もうひとつの言い伝え。どこかの遠い遠い国で伝わる話。
ランタンにキスをしたら死者に逢えるという、ちょっとしたおとぎ話。
物語の中なら素敵だけれど、実際はランタンにキスをしたらジャックに魂を奪われて、結果的に自分も死者になるから逢える、っていう話だ。
きっと前だったなら、許してたかもしれないけれど。
今は、もうだめだよ。
「やっぱダメ?」
頷くように、取り上げたランタンを揺らす。
まだやることいっぱいあるんだろ。
守っていきたいものがあんだろ。
ちゃんと知ってるからな。
「……お見通し、ってヤツ?」
歩き出す陽真の後ろを、ランタンと一緒についていく。
お見通しだよ。
ずっと見てるんだから。
だからさみしいときもあるけど。
まだ、逢ってはやらない。
代わりに。
「お」
やっといたずら以外の伝え方をひとつ、今もらえたから。
それを死者との交流ってことで、いきなり死のうとするなんていうちょっと心臓に悪いいたずらはやめてもらえるかな。
そう、伝わるように願いを込めながら。
飴を持ち上げて、陽真の目の前へ浮かす。
「……」
それを、受け取って。
陽真は笑う。
「……菓子もらったからには、イタズラはなし、な」
ちゃんと伝わったそれに、相槌を打つように風を吹かせば。
「わかったよ。ただ、そのときになったらお迎えはオマエが来てよ」
――待ってるから。
できればそれはずっと先だといいね。
そう、再び願いを込めて。
頷くように、風で陽真がつけるペンダントを揺らしてから地に足をつける。
そうしてまた、ゆっくりと足を動かしながら。
陽真の独り言に聞こえる言葉に、相槌を打っていった。
『いつかその日が来て再びまた逢えるまで、毎日のいたずらで愛をささげよう。君が前を向いて歩けるように』/春風
恋人はハロウィンというイベントが好きだ。
大好きな菓子が普段より多くもらえるし、レグナが作ってくれる衣装で俺達が普段着ない服を着るから、毎年とても楽しみにしている。
けれどその大好きなハロウィンにひとつだけ。
恋人は苦手意識を持っている。
「!」
街がハロウィンに彩られ始めた十月頭。
少しだけいじわるかと思ったが、どうしても店じゃないとない商品があったのでクリスティアと共に街へ出る。
その歩いている中で、クリスティアは何かを見つけたらしく雰囲気が変わった。
そっと視線を恋人へ向けて、クリスティアを伺う。背の小さな恋人は、上からでもわかるくらい何かを睨みつけていた。
これを見るとあぁ本格的にハロウィンかと実感する。その俺の実感など気にならないくらい、恋人はだんだんと殺意を発し始めていた。それに笑いそうになりながら、クリスティアの視線の先を追うと。
水色の瞳の先に映っているのは、かぼちゃ。
もちろんただのかぼちゃではなく、ハロウィンということで顔が掘られたかぼちゃ。
そう、ジャック・オー・ランタンである。
そいつを捉えるとクリスティアは俺の腕に抱き着き、奴から離すように引っ張ってくる。
相変わらずこいつに対してはこの拒絶反応が出るのかと笑いをこらえて、クリスティアに抵抗せずそいつから離れて。
この時期になると必ず思い出す、とある出来事へと思考を飛ばした。
♦
人生を繰り返し続けてしばらく。
世の中には、悪魔のいたずらを鎮めるべくハロウィンというものができた。
元々は、悪魔の好きなものを捧げることでいたずらを控えてもらうための行事。それが時代と共に変化していって交流行事へとなり、今では菓子を渡すことが主流となっている。
そしてその時代とともに起きていった変化は、捧げものだけでなく。言い伝えまでもができていった。
とある国では、ジャック・オー・ランタンのランタンに火を灯せば死者に逢えるというもの。
またとある国では、ランタンにキスをしてしまったらジャックに魂を奪われ、この世のものではなくなってしまうこと。
多く聞くのは、この世のものではない恰好をすれば死者と交流できるというもの。
探していけば本当に数多くある。
その中で、俺達はとある言い伝えのある国へ行った。
ハロウィンまでいい子にしていなければ、ジャックがいたずらをしにくるというもの。
比較的子供が多かったところだったから、菓子が欲しいならばちゃんといい子にしていろという、一種のクリスマス的な要素も入っているんだろう。
そして見た目が子供と大差ない恋人も、街に出ればそれをよく言われた。
「お嬢ちゃん、ハロウィンまではこの街にいるのかい?」
「うん」
「そうしたら、お菓子がもらえるかもね。お嬢ちゃんがいい子にしてれば、素敵なプレゼントがあるよ」
「わぁい…」
ただし、と。
「悪さをしてしまったらジャックがいたずらに来てしまうからね。気をつけるんだよ」
ハロウィンについて語る生物は、必ず最後にそう言っていた。
そして。
「この映画よくやってんね」
「これはもう洗脳レベルじゃないです?」
ハロウィンになると、必ずジャック関連のテレビ放送が行われているらしく。
いい子にしていなかった子供たちがジャックによっていたずら――という名の神隠しにあう映画が放送されたり、その恐ろしさについて語る番組がやっていた。
これは正直ジャックがかわいそうなのではないか。
子供達が菓子欲しさに暴走しないためだとは思うが。
「……こうも悪者にされると若干不憫だな」
「ですねぇ」
「ジャックだけ、仲間外れ…?」
「みたいな感じだよね。クリスが直接逢ったらすぐ友達になれそうだけどね」
「あのネックウォーマーとかもふもふしてて好きそうですもんね」
「勇者はそうやってこの国のジャックへの偏見も変えそうだな」
「さすがに根付いたものはむずかしい…」
なんて、ハロウィンの番組を見るたび。レグナとカリナ、そしてクリスティアとそう笑いあっていた。
けれど、生物の言葉というのは何度も聞いていけば自分の知らない間に脳に影響を及ぼしていくらしく。
それは、ハロウィンが近づいてきたとある夜に起きた。
「んぅ…」
「……?」
月明りもない真っ暗な夜。
少しだけ苦しそうなうめき声に目を開けた。一瞬探したが、すぐに暗闇に目が慣れて。小さな恋人の少し苦し気な顔が視界に入る。
「クリスティア」
「っ、う」
「どうした」
ゆすりながら、夢から覚ますように声をかける。その声に、レグナとカリナも起きたらしい。
「どしたの」
「悪い、起こしたか」
「お気になさらず。クリスティアです?」
「嫌な夢でも見てるんだろう。うなされている」
その間にもクリスティアはいやいやと首を横に振って、しまいには目に涙を浮かべていた。
これは相当な悪夢だな。
「クリスティア」
「っ、やだ」
「クリスー、こっちおいで、起きといで」
「うぅ」
「リアスは目を開けたらちゃんといますよー」
たいていこういうときの悪夢は俺がいないか俺が盗られるかみたいな話が多いので、レグナ達がそう促していく。
俺もクリスティアを抱き上げて、少し強めにゆすった。
「クリスティア、俺はここだ」
「ぃ、かない、で」
「どこにも行かない」
だから起きろ、と背を叩こうとした瞬間。
「ジャック…」
そんな名前が聞こえるじゃないか。
なんだって?
思わず三人止まってしまう。
けれどクリスティアは止まらない。
「やだ、ジャック、やだ…」
いやいやと首を振って、涙を流す。
状況的に本人はとても苦しいんだろうがこちらはどうにも理解が追い付かない。
「えーと、これはジャックがなんかこう、リアスとすり替わってジャックが盗られちゃうからいやだっていう話?」
「それともジャックが迫ってきていて嫌がってる感じです?」
「どれもなくはないが……。まぁ濃厚なのはレグナの案か……」
それならば「行かないで」も辻褄が合う。
ただそれならばさすがに夢でも俺も黙ってはいられまい。
「クリスティア」
夢に嫉妬するのも馬鹿げてはいるが、俺とすり替わっているのはさすがにいただけない。ということで、先ほどよりも強めにゆすってやる。
本人も苦しい夢から起きられるし俺もその不快な状態から醒ましてやれるし一石二鳥だろうと、背を叩いたときだった。
「!!」
クリスティアがハッと目を覚ます。
そうして数度、きょろきょろと見回して。
「りあす…?」
「あぁ」
「大丈夫ですかクリスティア」
「怖い夢でも見てたんでしょ。もう大丈夫だよ」
そう双子が声をかけていけば、夢から醒めたと自覚し始めたのか、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
これはカリナの案もあながち間違えではないな?
「どうした」
まぁレグナの案だろうがカリナの案だろうがどのみち不快なことには変わりないか。ひとまず起こせたことに安堵して、今度は優しく撫でてやりながら夢の内容を促した。
「…」
「どんな夢見たんだ」
「…」
「話した方が楽になるだろ」
悪夢は話せばいいと言うし。おそらくそれは獏限定なんだろうがまぁいいだろうと今は許して。暗闇の中でもわかるくらい悲しい顔をしているクリスティアの頬を撫でれば。
「ジャック…」
「あぁ」
一瞬出た嫉妬は押し込めて、促すように頬を撫で続ける。
「ジャックがね」
「うん?」
クリスティアが抱き着いてきたのを受け入れながら。
「ジャックがリアスと一緒にどっか行っちゃった」
なんていうことを言うじゃないか。
なんだって?
「ん?」
「リアスはもうジャックがいいって」
「待て」
「ジャックがあの、想い、伝えたら、リアスも、俺もって」
待て待て待て泣き始めるな、割と重要な情報をその涙声で埋もれさせてはいけないだろう。
おい双子、肩震えてるのわかってるからな。
「そのまま、ぐすっ、リアス、ジャックといっしょに、さよならって」
そのまま大泣きし始めるかと思いきや。
「ジャックは敵だった…」
なんて言うから俺も笑いがこみあげてくるじゃないか。いきなり真顔になるのやめろ腹筋が死ぬ。
けれど本人は相当まじめなようで、テレビは間違っていなかっただとか次逢ったら斬るかもしれないとかぼやき始める。
その小さい誓いに、今日が新月でよかったと本当に思いつつ。
とりあえず、と。クリスティアを抱きしめた。
「……安心しろ、俺はどこにも行かない」
「んぅ…」
頭を撫でて、このあとどう言うかを考える。
ジャックの擁護をしてやるか。けれどそれはすぐに頭の中でノーが出た。
状況は若干不憫ではあるかもしれないが苦しめたしな、と。今回くらいはいいだろう。
そう判断して。
「俺はお前だけだ」
「…ん」
ジャックの擁護はやめて、それだけ伝えて。
双子の笑いが収まった頃あたりに、クリスティアが楽しく眠れるようゲームをして。
以降、こいつの反応が正直面白くてその誤解を解かぬまま、数千年が経った。
「…」
そのせいで今では恋人は殺意を覚えてしまった状態である。正直ジャックには申し訳ない。
「……相変わらずだな」
「あれは許せぬ…」
思考の旅から戻り、どこぞの武士のような口調になっている恋人にまた笑いそうになりながら。
「……」
「むぅ…」
ジャックから離そうと引っ張ってくるクリスティアに、そっと口角は上げる。
正直ジャックには申し訳ないことをした自覚はある。
あるが。
「……」
普段あまり愛情表現をしない恋人が、ここまで嫉妬を丸見えにしてくることは、とても気分がいい。
だから、今年も誤解は解かず。
ハロウィンのイベントには多めに貢献するかと、少しだけ上機嫌に足を進めていった。
『君へ贈る甘い菓子に、歪んだ愛情を込めて』/リアス