「……別れたい……?」
目を見開いて反復する言葉に、頷いた。
四人で新たな村に来て二年近く。
その間、たくさんのことが変わった。嫌なことを言う人たちもいなくなったし、クリスティア以外に友達もできたし。
恋人も、できた。
オトハ=クルーシュト。
穏やかで、勉強が大好きで、いろんな知識を得ては、よく私に話をしてくれた。
初めて愛されて、愛して。このまま、きっとこの人と歩いていくんだろうなと思っていたけれど。
私は今、その愛しい人に別れを告げている。
いつも通り家へ来て、なんの前触れもなく「さよなら」を言われた赤紫の瞳は、少しだけ視線を下に向けて。
また、私を見た。
いつもの、穏やかな優しい笑みを浮かべて。
「理由を聞いても?」
「……」
「嫌になったかな、僕のこと」
「ちがっ──」
即座に出た否定に、オトハは別れを告げられているのに「よかった」と笑う。
そうして、家の入り口に突っ立ったままだった彼は、ゆっくりとこちらにやってきた。
ほんの少ししんどい体には気づかない振りをして。床に座ったオトハと対面するように、正座をする。
緊張している私とは相反して、彼は優しい声で尋ねてきた。
「理由は言えない?」
「……」
問いには、沈黙を返してしまう。
「言いたくないのであればあまり追求もしないけれど」
「……っ」
言いたくないわけでは、なかった。
けれどとうしても怖くて、口が開いてはまた閉じて。最終的には、俯く。
言いたくないわけじゃない。それは本当。でも、簡単にも言えない。
だってこんなの、我が儘だもの。
別れを告げているくせに、嫌われたくないと自分勝手な思いが頭でせめぎ合う。
「言えるなら、ゆっくりでいいよ」
そんな私を見透かしているのか、オトハの手が背に回った。ゆっくり、安心させるように撫でられて。
「……」
少しだけ、ほっとする。
顔を上げたら、変わらない優しい笑みと合った。
「……」
包み込むような瞳は、いつだって私を安心させる。段々と緊張もほぐれて、今度は自然と、口が開いた。
「……わがままなんです」
「カリナが?」
こくり、頷く。
「どうしてかな」
「……自分勝手な理由で、あなたに別れを告げている」
「その理由が我が儘かどうか、判断するのは僕だよ」
促すように、背を優しく叩かれた。
とん、とんと、心地よい振動に、まだ躊躇いがあったけれど。
「……ゎ、たし」
俯いて、小さな声で、紡ぐ。
「病気、だと、言われました」
背を叩く手が、止まった。
「この前、家で、倒れて……レグナが、話してくれたんです」
原因もわからない病だということ。
そして、
「も、う……ながく、ないかも、って……」
段々と小さくなる声。
喉が、熱くなってきた気がした。
オトハまだ、喋らない。沈黙が怖くて、さっきまでが嘘みたいに口が動く。
「今も、ちょっと辛いんです。くらくらしたり、外には、出れなくて。もう、長くないから……たぶんこれから、もっと悪くなって……、動けなくなるかもしれないの。それで、あなたの──」
負担になるかもしれない。
その言葉は、出なかった。
オトハが、指で私の口を塞いだから。驚いて顔を上げると、やっぱりいつも通りの優しい笑み。
その弧を描いた口が開くのが見えて、言葉の恐怖に、体に力が入る。
生まなきゃ良かったと泣いたあの人みたいに、言うんだろうか。
恋仲にならなければよかったと。
飛躍しすぎた考えにそんなことないと思いつつも、昔のトラウマがよみがえって。ぎゅっと手を握る。
けれど、彼から出たのは予想したどんな言葉とも違った。
「……まず、話してくれてありがとう」
「……」
拍子抜けてしまって、すぐに体の力が抜けてしまう。
「そしてカリナ」
「……はい」
「君が言うほど、それは我が儘ではないよ」
「……我が身かわいさに、あなたに別れを告げているのに?」
薬師として兄の手伝いをしてきて、病気によって周りに面倒を見てもらうことになるというのはよく知っている。
人によっては日常生活すべてを委ねることになる人だっている。
「ただでさえ、愛しい兄や親友たちにそんな負担を掛け始めていることで辛いんです……あなたにまで負担を掛けるとなったら、私は罪悪感で死んでしまうわ」
自分を楽にしたくて、愛する人に別れを告げている。
その思いの、どこが我が儘でないと言うの。
けれど目の前の人は、笑った。
「僕はそれを我が儘とは思わないよ。君がとても優しい人だと思ってしまう」
目を見開いて驚いたら、「愛は盲目だね」なんて肩をすくめられた。
思わず綻んだ私に、ふっと笑って。
「……本当は、」
その人は、さっきまでとは違って、寂しげに私を見た。
「……最期まで、君を支えたいと……別れを拒みたいんだけれどね」
「……」
「残り短い、大事な人たちとの大切な時間も割きたくない」
「……あなただって、大切よ」
あぁ、今それを言うのはずるかったかしら。
ぐっと、オトハが歯を食いしばった。でも、すぐになかったかのように笑う。
「……君の思いを、……尊重したい」
そう言ったオトハの声は、少しだけ震えている気がした。目も、心なしか潤んでいるように見える。
──一年半くらいかしら。
出逢って、たくさんの知識と愛を私にくれた日々は。
「……それじゃあ、さよならね」
濃密な毎日が、たったの一言で終わろうとしている。
目頭が熱くなってきて、まばたきしたら今にも滴がこぼれ落ちそうだった。
それを、目の前の人が。
首を振って、阻止する。
「さよならではないよ」
と。
ずっと目が合っているはずなのに、またその人を見たら。きっと私もそうなのでしょう。目に涙を溜めて、微笑んでいる。
「……最後に、君にいつか話そうと思っていた話をしても?」
穏やかな声に、頷いた。
ありがとうと笑って、そのきれいな口が言葉を紡いでいく。
「輪廻転生というのがあってね。人は、死してもまた転生していく、というような話」
この世界に生まれ落ちて。魂は肉体を借り、様々な勉強をして天へと還る。そうして、また再び降りてきて肉体を借り、役目を終えれば天へ。
そんな繰り返しがあるというもの。
「人によって解釈がいろいろと異なっているんだけれどね。生まれ変わりの回数には限りがあるだとか、人は人にしか生まれ変われないだとか」
興味深い話だろう? そう言う顔は、出逢ったあの頃、惹かれていった無邪気なあなただった。
学ぶことが楽しくて、大好きで。
話を聞いているのに、見ているのは昔のあなた。
不思議な感覚が続きながら、「それでね」と続ける声に耳を傾ける。
「これも興味深い話で、ソウルメイトと言って、魂が惹かれあうというような話があるんだ」
「惹かれ、あう……?」
「そう。今世ではこうして恋人だけれど。前世では……そうだな、たとえば兄妹だったとか。来世では親友だったり」
「不思議な話ね」
「そうだろう? 姿形は変わっても、何度も出逢う……そんな話があると、君に伝えたかったんだ」
”いつかどちらかが、この人生を終えるときに。”
弾かれたように、あなたを見た。
「……ずっと、傍にいたいと思っていたよ」
そこにいるのは、あの頃の無邪気なオトハじゃなくて。
目に涙を溜めて、それでも微笑むあなただった。
「僕の方が少し年上だから……きっと僕が先にと思っていたけれどね」
ずいぶん早い別れになってしまったね、なんて。
言われた言葉に、ぽつり。滴がこぼれた気がした。
私からこぼれたそれを、あたたかい指ですくう。
「……そしてその、いつか来た別れのときに……単に”さよなら”だけじゃなくて、言おうとしていた言葉があるんだ」
「さよならじゃ、なく……?」
頷いたときにこぼれた涙は、気にならなかった。
「”また逢う日まで”」
目の前の人が、とてもとても、きれいに笑うから。
「……また、……」
「そう、また逢う日まで。僕らは何度も生まれ変わって、またどこかで逢うかもしれないだろう?」
だから、”また逢う日まで、さようなら”と。
その人は、優しく言った。
「……逢う……」
こんな、自分勝手な別れを告げているのに。
あなたは──。
また私と出逢ってくれるの──。
そんな言葉は、喉が熱くて言えなくて。
落ちてくる声に、頷いていくしかできなかった。
「……カリナ」
「……」
「次、いつか生まれ変わって出逢ったとき……また恋をしようとは言わないよ」
「……」
私も、きっと言わないわ。
「……どうか、幸せでいてほしい。僕が願うのは、それだけ」
「……うん」
私だって、あなたの幸せを願ってる。
どうか今度は、こんな私じゃなくて、もっと幸せになれる人と一緒になって。
「けれど一つだけ、我が儘を言うのなら──」
なぁに? 聞こうとした口は、あなたの口でふさがれて。
驚いて見開いた目に映ったのは、あなたの頬を伝う涙だった。
「、カリナ」
「……うん」
「いつか、出逢ったとき……もしも、僕を覚えていたのなら」
──大好きな君の満開の笑顔を、また見せて。
声は、震えていた。
強く抱きしめてきた腕は、まるで離したくないというようで。
どうしたって、涙が止まらなくなる。
ねぇオトハ、
「……っ、……」
私だってずっと、一緒にいたいと思ったよ。
大好きなあなたに愛されて、愛して、このまま、ずっと。
それこそ、死が二人を分かつまで。親友や大好きな兄たちとも笑いながら、平凡で、幸せな日々を。
歩いていきたかった。
終わってしまうね。
あなたがその手を離したら、すべて。
このまま時が止まればいいのに、なんて思うのは、やっぱりずるいかしら。
別れを告げたはずなのに、離れたくないと。手を伸ばして、抱きしめたくなってしまう。
「……オトハ」
名前を呼べば、また抱きしめる力が強くなった。
喉が痛くて、目の前は見えなくて。こんな、何も見えない状態なら、あなたを抱きしめてもいい?
そう、思うけれど。
伸ばし掛けた手は、抱きしめることはせず。
ごめんねと、伝えるように背を叩く。
そうして、あなたに、答えた。
「……忘れないわ、ずっと」
あなたのことも、あなたと過ごした日々も。
「ずっと、覚えてる。どんなに姿形が変わっても、忘れないから」
きっとお互い、探すことはしないでしょう。
けれど本当に、ふと、どこかで出逢ったら。
「いつかまた逢ったときには、」
笑顔で、あなたと挨拶をしよう。
震えた声は、届いたかしら。
大丈夫よね。
緩まった腕が、きっと大丈夫だと、そう言っている。
ゆっくりゆっくり、終わっていく。
あなたとの愛しい日々。
思い返せないほどの時間が、離れていくぬくもりと一緒にあふれてくる。
最後に滲んだ視界で映ったのは、思い出の中と同じ。いつもの穏やかな笑みだった。
けれどいつも通りでないのは、纏う空気の悲しさ。
震えた口が、ゆっくりと動く。
「……カリナ」
「うん」
「今まで、ありがとう」
「こちらこそ、たくさん、ありがとう」
──最後だよ。
さぁ、笑いましょう?
「「また逢う日まで」」
♦
賑やかな街を、歩く。
誰に向けるでもない笑みを携えて、たった一人。
コツリ、コツリ。ヒールをならしながら、ゆったりと露天や店が並ぶ街を歩いていた。
いつも笑顔だね、なんて。
お店のよく見知ったおばさまに言われる。そうですかねって笑って、その店を後にした。
速度をゆるめた店の店主には、また「今日も笑顔が素敵だね」と言われる。
もう癖なんですよと困ったように言った。
昔、大嫌いな男に言われてから癖になった笑み。
どんなに悲しいことがあっても、なるべく崩さないようにしていれば、もうそれが普通のように。私の口角はいつだって上がっていた。
どうしてそんなにいつも笑っていられるの。
聞いてきたのは誰だったかしら。
人を思い出せはしないけれど、理由を挙げるならば、やっぱりみんなが笑うから。
それと、もう一つ。
「あの、」
トンッと、肩を叩かれた。
知らない声。誰でしょうか。変な人だったら嫌だけれど。
振り向く前に、また笑みを作る。
だって、
「なんでしょう?」
振り向いた先に、もしかしたら。
──大好きだった、あなたがいるかもしれないから。
『また逢う日まで、さようなら。今度はきっと、”初めまして”ね』/カリナ
カリナに病気が発覚して、きっともう長くないということを知って。
言い方を悪くすれば。
最初に”切り捨てる”ことを決めたのは、大切な彼女だった。
「お話ってなにー?」
部屋に明るい声が響く。
それが聞こえた瞬間に、体が少しびくついた。けれどなかったことにして、薬の調合を中断して振り向いた。
視線の先には、透明に近い白の髪を揺らして、翠の目であどけなく俺を見てくるハウラがいる。
きっと何事もなかったら、このままずっとそばにいて、いつか夫婦の契りを交わすんだろうなって思う、いわゆる大事な恋人。
俺は今日、その恋人に。
別れを告げる。
「……ごめん、呼び出して」
「ううん、なんか昨日ちょっと様子変だったけど……大丈夫?」
近寄って来て、俺の隣に立って。
ハウラは可愛らしく首を傾げた。それに、心揺らぎながら。それでもと自分を叱咤して、心の中で首を横に振って。
いつものように、笑う。
「話、あってさ」
「うん」
「その、……」
ハウラから目をそらして、薬草をいじる。
言うって決めたくせに、いざとなったらどう言っていいかわからなくて。
「……」
「……」
家の中には、沈黙が走った。
「……」
「……」
見なくても、ハウラの視線を感じる。
そろそろ言わなきゃだろって思って口を開いて。
「……」
けれどいざというとき勇気のない自分は、また口を閉じた。
その繰り返し。
「……」
それでもハウラはずっと、俺が話すのを待ってくれてる。
言わなきゃ。自分から。
自分で決めたことだから。
君がこれからも笑顔でいてくれるように。
ぐっと薬草を握りしめて、意を決して。
顔を上げる。
ぱっと振り向いた先には。
「――!」
”何か”をわかっているような、そんな顔のハウラがいた。
その目には若干の涙がたまってる気がする。
――あぁ。
君はもう、俺の言葉がわかってくれてるんだ。
それを見たら、自然と。さっき言えなかったのが嘘のように、言葉がぽつぽつとこぼれてった。
「……お別れを、したいと思った」
「……うん」
「ただ、その。ハウラが、嫌いになったわけじゃない」
誓って。
自然と彼女の手に自分の手を添えて、優しく包み込む。
「……カリナが、さ」
「カリナちゃん」
「……カリナ、が」
もう、長くない。
小さくこぼしたはずなのに、その言葉は部屋に響いて聞こえた。
そうして、その言葉が届いたハウラの顔は。
「……? ……」
だんだんと、
「……!」
泣きそうな顔に変わっていく。
「ながく、ない……?」
「この前、倒れて。そこから……結構体調崩しっぱなしで。目は覚めたんだけど、たぶん」
長くないと思う。
二度目の言葉には、ハウラは床にぺたんと腰を抜かしてしまった。
「ハウ」
「、うそ」
「……」
「うそだよ、だって。この前まで、いっしょに……いっしょに、クリスティアちゃんと、三人で、あそんで……」
「うん」
「またあそぼうねって」
「うん」
「元気に、笑ってたのに」
嘘でしょう?
涙ながらに見上げてきたハウラには、頷くことなんてせずに。
酷なことだってわかっていながらも、首を横に振って。
嘘じゃないと、伝えた。
それを見て、ハウラは。
「、ぅ」
大粒の涙を流して、泣き出した。
ほんの少しだけ年上の恋人――ハウラ=ヴェント=セルカは、カリナとクリスティアをすごくかわいがってくれてた。
出逢ったときからカリナとクリスティア一直線で、とくにカリナにアタックしてるのをよく見ていた。
なんで妹にそんなアタックしてんのって聞いたら、ただただ「かわいいから!」なんてはじけるような笑顔で言ってくれて。そのときは、あの家庭環境があったからいいところでつけこんで、なんて疑ってもいたけれど。思えば、きっかけはどうあれきっとそこで恋に落ちてたんだと思う。
妹になにかしでかさないかと見張るように一緒の空間にいて、気づいたのは彼女の優しさ。
普段はぐいぐい楽しいところに引っ張ってくれて、困ったときは優しく背中を押してくれて。ときには包み込んでくれて。
まるで風みたいな、優しい人で。
いつの間にか自分はその人に惹かれていて、気づいたら目で追っていて。
妹という接点をある意味口実に、距離を自分なりに縮めていった。
もともと妹しか眼中になかった人なのでそれはもう自分に振り向いてもらうのは苦労した。あのときのリアスの楽しそうな顔は今でも覚えてる。
それを悔しく思いながら、必死に振り向いてもらうよう努力して。
向こうも、俺に応えてくれて。
いつからかもらい続けていたその優しさを、愛を。返していけるようにと、自分なりに愛していたのだけど。
まるで恩を仇で返すかのように。
「、っう、っ」
俺は今日、この人に別れを告げている。
「……ごめん」
「~~っ」
「妹を理由にしたいわけじゃ、ないんだけど。カリナの治療に、専念したくて」
泣いてるハウラの背をさすりながら、こぼす。
「……たぶん、ハウラと一緒の時間はもう、作れそうにないから」
別れたい、と。
未だ泣きじゃくるハウラに言う。
しゃくりあげているハウラは何も言ってはこない。
でも、声が届いているのはたしかで。
別れたい、その言葉にあとに。
小さいけれど頷いた気がした。
――どう、思うんだろうか、なんて。
こんな場面で、そんなことを思った。
口では妹を理由にしたいわけじゃないと言った。もちろん本心だけれど。
でも結果的に、妹を理由に、俺は今別れを告げていて。
最低なヤツと、思ってくれるんだろうか。
そうしたら。
そうしたら――。
すっぱり忘れて、いつかまた、笑ってくれたりするんだろうか。
無邪気な笑顔で。
他の誰かの隣で。
別れを告げているのは自分なのに、それに悔しさを覚えながら。
ハウラが言葉を発するのを待つ。
「……」
「……」
背中をさすってると、ハウラの呼吸も落ち着いて来て。
それを確認して、体をゆっくり離していった。
鼻をすすって、目元を赤くしながら。それでも俺をまっすぐ見る翠の目と合う。
何を言われるのか予想がつかなくて、若干緊張でハウラの肩を強めに握ってしまった。
けれど彼女自身はそれを気にせず。
「……?」
あろうことか、ハウラは。悲しそうだけど、それでも笑った。
「……な、に」
「……」
「なんで、笑うの」
きっと涙を我慢してるんだろう。一度口が開いては閉じて、また開きかけて閉じてを何回か繰り返す。ときおりぐっと何かをこらえるようにしながら、深呼吸をして。
そうして。
「よかった」
どこまでも優しい彼女は、ぽつりぽつりと言葉をこぼしていった。
「カリナちゃんがそんな状態で、それなのに、もしも。私との時間の方を大事にしたいなんて言われたら、私は怒っちゃってたなぁ」
「……」
「もっと幼なじみの……家族の時間を大事にしてあげてって。私から別れ告げちゃってたかもしれない」
「……」
「レグナ」
そっと、ハウラの手が伸びてくる。
まっしろで、透明に近い白のきれいな手。
その手が俺の頬を包み込んだ。
「大丈夫よ」
「……」
「安心して、あなたはカリナちゃんの治療に専念してね」
「、っ怒んないの」
「なんで怒るの」
「自分勝手で、妹を理由にして……別れたいって言ってんだよ。あんなに自分から好きだなんだって言ってたくせに……それなのに、妹に病気が発覚した途端、治療に専念したいからって切り捨てるみたいにこんな、別れ告げて」
最低なやつだと思わないの。
喉が熱くなるのを感じながら、ハウラの手から逃げるようにしてうつむけば。
「思わないよ」
凛とした声が、聞こえて。思わずぱっと顔を上げた。
泣きそうだけれど、強い目が俺をしっかりと見る。唇を震わせながら、彼女はもう一度「思わない」と強く言った。
「レグナ」
「……」
「私はカリナちゃんも、リアス君も、クリスティアちゃんも、みんなみんな大切で、大好きよ」
「……」
「そしてあなたも」
「……うん」
「あなたの優しいところ、気遣い屋さんなところ、たくさんのいいところも、そしてたまに出ちゃう悪い部分も、全部含めて大好き」
「、うん」
なにこれって笑いそうになったとき。
「そしてなによりも」
強い声が聞こえて、またしっかりハウラを見た。
しっかりと俺を見つめる強い目からは涙が流れてる。けれどさっきみたいに泣きじゃくったりもせず、涙声で。
「私は、カリナちゃんやリアス君、クリスティアちゃんを何よりも大切にするあなたが、一番好きよ」
強く、つよく。そう言った。
「どんなことがあっても揺るがず、あの三人を大切にして、優しく見守ってあげてるあなたが大好きなの」
「っ、うん」
「きっと他のヒトから見たら……そして、客観的に自分を見れるあなたからしたら、自分の選択は間違いだと思うかもしれない」
妹を優先してとか、もっと、これから一緒になる恋人を大事にすればいいだろとか、いろいろと。
「でもね」
「っ、ぅ」
「私はあなたの判断を、決して間違いだと思わないわ」
「っ」
「レグナ」
強く強く抱きしめられる。優しい温度を、俺も強く抱きしめて。
「私の大好きなままのあなたでいてくれて、ありがとう」
その言葉に、ただただ涙が止まらなくて。
言葉も、止まらなかった。
「っ、ごめん」
「謝ることじゃないよ」
「ハウラ」
「うん」
「愛してた」
「うん、私も愛してる」
「叶うなら、ずっと一緒にいたいと思ってた」
もちろんカリナも。カリナが愛したオトハさんも、そうして、リアスもクリスティアも、みんな一緒に。
もしかしたら、今からでもできたのかもしれない。
けれど。
「その勇気がなくて、ごめん」
君を笑顔にし続ける勇気がなくて、ごめん。
すべてを守れるような力がなくてごめん。
口から出るのはただただ、謝罪の言葉。
それを、ハウラは抱きしめて、許すように背中をさすってくれる。
「……勇気はあるよ」
「っ、、ぅ」
「レグナは勇気がちゃんとある。勇気をもって、私にちゃんと話してくれた。嘘つくことだってできたのに」
「~っ」
「あなたは誰よりも勇気がある、みんなのヒーローだよ」
どこがって言いたかったのに。優しく頭を撫でてくれるハウラの手に、言葉は出なくて。
「……ごめん」
「それは聞き飽きたなぁ」
「……ありがとう」
「……うん」
ようやっと、感謝の言葉も伝えて。
自然と、体が離れる。
そうしてこつり、額を合わせて。
最後の触れ合いを、心に焼き付ける。
そっと目を閉じて、額からハウラの体温を感じた。
きっと沈黙が流れるんだろうなと思った空間には、ハウラの声が響いた。
「……レグナ」
「……なに」
ときおり頭を撫でてくれながら、ハウラは優しい声で言う。
「前にオトハさんが教えてくれた」
「……」
「ここでのさよならは、終わりじゃないよって」
「……うん」
「魂はめぐって、また出逢うんだって」
「……また」
「そう」
――ねぇ、レグナ。
また涙交じりになってきた声に、目を開けた。
そこには涙を流しながら、それでも優しく微笑んでいる大好きなヒト。
その涙を拭って、彼女の言葉を待つ。
「たくさん、生まれ変わるかもしれない。これから先」
「うん」
「生まれ変わったら、姿かたちはたくさん変わってくと思うの」
「……そーね」
「でもね」
私ね。
「何度生まれ変わっても、どんなに姿かたちが変わっても。あなたを愛してる」
「……」
「またあなたたち兄妹に、あなたたち幼なじみ四人に、逢いに行くの」
そして。
「またあなたに恋をすると思う」
何度も、何度も。
俺が、俺のままでいる限り。
「……俺だって姿かたちは変わるでしょ」
「うん、でもきっと、根本は変わらないんじゃないかなぁ」
大切な誰かを何よりも大事にするあなたは。
「ずっとずっと、変わらないと思うよ」
「……じゃあ」
「うん?」
「ハウラも変わらないかもね」
「優しいところ?」
「俺に最初眼中がないところ」
ひどいって笑うハウラに俺も笑って。
すりっ、と。
互いに額にすり寄る。
「……レグナ」
「うん」
「好きでいてもいいよね」
「……いいんじゃない」
俺もきっと、ずっと君を好きでいるだろうから。
優しくて、風のような君をずっと、ずっと。
きっとその思いは伝わったんだろうか。ハウラは嬉しそうに笑った。
「……教えてもらった言葉があるの」
「オトハさんに?」
「そう」
「俺の周りあの人からの知識の受け売りすげぇな」
カリナも、毎日のように話してたなぁって。じわっと涙が浮かぶ。それに気づかなかったふりをして。
「……なに、教えてもらったもの」
「……また逢う日までって、言葉」
「また逢う日まで、さようなら?」
「うん。きっとここで、終わりじゃないから」
「……うん」
きっと何度もこの先、違う姿で巡り逢うんだろう。
だから、最後じゃなくて。
「また逢う日まで、ね」
「……また逢ってくれる?」
「……もちろん」
そのときは、また。
運命なんて気にしないくらい強くなって、君と。
その誓いは心に立てて。
互いに最後に、もう一度すりよって、翠の目を見る。
そうして、ときどき呼んでいた愛称で君の名を呼んだ。
「……ハウ」
「うん」
「今まで、ありがとう」
「私こそありがとう。今までも、そしてこれからも大好きだよ」
「うん、俺も」
愛してるよ。
これから先も、ずっと。
互いにそう、涙を流しながら。
君が好きだった、妹とそっくりな笑みで笑って。
同時に、口を開いて。
「「また逢う日まで」」
数年間。愛した君に、別れを告げた。
♦
いけないとわかっていつつも、列車の上にあがって、それを感じる。
「……」
横には意思のない魔術の蛇。
けれどないはずなのに、どことなく嬉しそうに感じるのはただ自分の念が入ってるだけだろうか。
「きもちーね」
声をかけても、当然言葉は返ってこない。それでもかけてしまう声。
「お前もこの風好き?」
【……】
「俺も好きだよ」
心地よく感じるこの風が。
優しく流れていく風はまるでいつか手放した彼女を思い出す。なんて。
「……未練は相変わらずだね」
【……】
その未練を断ち切れずにいるのは、この蛇に彼女を思うからか。
透明に近い白いきれいな蛇。
自分で作ったのだから、きっと彼女への想いはとくに反映されてると思う。
「……ねぇ」
【……】
そんな”彼女”に、言葉が返ってこないとわかっていつつもまた話しかけて。
首元を優しく撫でてやる。心地よさそうにしているように見えるそれに、微笑んで。
「今世は、逢えるかね」
なんて小さくこぼせば。
【……】
意思のないはずのその子は。
どことなく、昔見た笑顔で、笑ってくれてる気がして。
「レグナー?」
「はいよ」
俺もそれに笑い返してから。
「ヴェント・セルペンテ」
【……】
「またね」
もういない”彼女”を撫でるように、指の裏で彼女を撫でて。
真っ暗闇の中。日本へと向かう列車から、姿を消した。
『また逢う日まで、さようなら。いつか出逢ったそのときは、また君と恋をしよう』/レグナ