未来へ続く物語の記憶 March-V

 土日が過ぎて、一日自習期間を挟んでやってきた三月二十日火曜日。俺たち幼なじみたちのテストの日。

 笑守人は三学期のテストは一学期もしくは二学期で選んだもののどちらかを受けるシステムになっているので、護衛というリアスが不安になるものは当然却下し。二学期に選んだのは体育球技のテスト。
 外部客を呼んでの練習試合ということでヒトは来るけど、観客は二階の観覧席にのみ入場可、今俺らがいる一階のコートには入れないのでリアスも気持ち的に安心して終われそうだねということで。

「俺サッカーの方がよかったなぁ」

 大歓声の中、今現在体育館のコートでボールをドリブルして駆け回っているその親友と妹を見ながら。俺の足の間に座って親友のイケメン具合をガン見しているクリスティアにこぼす。ガン見状態でも声はしっかり聞こえてるらしく、こっちに向くことはないけどクリスは応じてくれた。

「結界張っても流れ弾が危ないからってバスケになったじゃん…」
「刹那くらいの威力だと結界割るからだろ」
「今龍が試合中ってことに感謝して…」

 いつもだったらこっちを向いて手を振り上げているクリスティアは振り向くこともしないので、言うとおりリアスが試合中なのを感謝して。まだ試合直後で少しだけ汗ばんでる小さな少女の、今日はポニーテールにして見えている首裏の汗をタオルで拭ってやった。

 俺らが取った体育球技のテストは、四チームに分かれての練習試合。くじで自分のチームと対戦チームを決めて、一試合四十分をそれぞれのチームが一試合ずつ、合計二試合分を観客に見せるテスト。
 幸いなことに俺とクリスが同じチームで試合はさっき終わり。入れ替わりで入ったリアスとカリナも同じチーム。あそこは「なんで毎回この男と!」って妹の方が嘆いてたけれども。対戦で当たんなかったからクリスの写真撮れるじゃんってことで落ち着きまして。

 そのリアスたちの試合はさっき始まったとこ。バスケは一試合四十分を十分ずつに区切ってやっていくので、残り三十分弱。

 それまでは体育館内にはいなきゃいけないので。

「刹那水分」
「んー」

 目の前の暑さに弱い少女がちょっと心配。運動直後っていうのもあるけど、観客も入った体育館の熱気は春先でも熱く感じる。クリスティアの汗を拭いてやりながら、あらかじめ作っておいたスポーツドリンクを差し出した。

「龍心配するから」
「んー」
「刹那さんやー、イケメンの彼氏様を見たいのはわかってるけども水分補給をしておくれー」
「はぁい」

 はぁいっつって動こうとしないのは何事か。これはいけないと今だけは親友のイケメン具合を恨みながら、クリスティアを引き寄せてからスポーツドリンクを開ける。

「刹那」
「ん」

 もうちょっとと言いたげに体を離そうとするクリスティアに有無を言わせずさらに引き寄せて、その手に水筒をセット。

「ほら早く飲まないと龍ボール持ったぞ」
「!」
「ダンクシュートでもしれくれるかなー」

 なんて耳の良いリアスにも聞こえるようにほんの少し大きめに言えば、クリスティアは目を輝かせながら水筒を傾け、コートの中にいるリアスから恨みがましい視線。そっちにはぺろっと舌を出しておいて、こくこく喉を鳴らしながら水分を取っているクリスへ。

「ほら」

 視界に入るようにコートを指さしてやる。それに反応したクリスティアは水筒から口を離し、ぱっとコート内を見た。
 カリナからパスを受け取ったリアスはドリブルをしながらゴールまで走っていき。

 地面を蹴って、ガコンッと音を立てながら華麗にダンクシュートを決めた。

 同時にクリスティアのテンションは上がり。

「炎上くーん!」
『かっこいー!!』

 イケメンがダンクシュートを決めたことで観客(主に女子)の歓声も大きくなる。そんな中で汗ばんだリアスが服の襟で汗を拭えばさらにテンション急上昇。

「腹筋最高…」
「さいですか」

 興奮に鼻を抑える親友が最近妹と同じ道に行ってそうな気がするのは気のせいだと心に言い聞かせておこうかな。興奮したクリスが水筒を落とすと困るので、もう一口だけ飲ませてから回収し、背中を壁に預ける。
 食い気味にコートを見つめるクリスティアに微笑んでやりながら。

「蓮ー」
「はいよ」
「華凜もダンクできる?」

 それは無理じゃねぇかなと言葉が詰まってしまった。

 いややったところ見たことないだけだけど。あ、聞こえてたっぽいリアスがカリナに聞いてるわ。今カリナ背中向けてるからこっちからだと表情わかんないけど。

 すぐさま手が振られたのがわかった。

「無理っぽいよ」
「そっかー」

 かといって特別残念でもないらしく、クリスティアはまた試合に集中。動画撮っておけば喜ぶかね。水筒の近くに置いておいたスマホを取り、カメラを起動。動画にして──おっとクリスさんの頭で隠れるな。

「刹那ちょっと失礼ー」
「蓮あっつーい」
「俺は冷えて気持ちいいわ」

 クリスティアに後ろから抱きしめるように体重を掛けてカメラを構える。なんとなく周りの子らの視線が向いた気がするけど気にしないことにして、クリスの邪魔にならないように撮影開始。
 あ、カリナがボール持ったな。先にカリナのとこ撮っとこ。

「蓮、華凜撮ってー」
「撮ってる撮ってる」

 カリナがパスを出さないことに相手チームは驚いて、その隙にカリナはゴール前に走っていく。

 そうして構え──

「華凜ちゃーんダンクー!」

 ようとした瞬間にすっげぇ聞き覚えある声がそう言った。この声道化だわ。

 動画がぶれないように手を固定しながら、声の方向を見れば。

『ファイトです愛原ー!』
『旦那みてぇにダンクですぜ姐さんー!』

 ちょうど俺たちの上のところにいる、同級生と上級生たち。来るとは言ってたけどほんとに来たのか。あれ、でも。

「祈童だけいないね」
「ゆいは午前にテスト…」
「あー外部に行くんだったっけ」
「うん…でも朝早くで終わるから来れるかもって…向かってるんじゃない…」

 画面に目を戻すついでに時計を見れば今は十一時過ぎ。

「龍たちの試合、少しは見れるかもね」
「うん…。あ」
「ん?」

 クリスが何かに気づいたので、画面越しにコートを見る。映ってるのは変わらずカリナで──

 なんと妹、構えようとしていたところからゴール近くまで走っていっていらっしゃる。

「え、あいつダンクやんの?」
「わーい」

 お前顔すっげぇ不安そうだけど大丈夫? 負けず嫌いなの知ってるけどいいんだよ無理しなくても。ある意味周りの感じで引き下がれなくなってるのもわかるけども。

 その念は届いているのかいないのかはわかんないけれど、妹はなんとも言えない笑みをたたえながらなおも走っていき。

「お」
「わぁ」

 ぐっと踏み込んで、リアスさながらに飛び上がる。

 舞踊とかもたしなんでるからかそのモーションは魅入るくらいきれいで。

 しなやかに体をそらせながら飛び上がった妹は。

「っ!」

 これまた華麗に、ガコンッと音を立てながらダンクシュートを決めた。

 瞬間に、体育館内に今までと比べものにならないくらいの歓声が上がる。中には道化たちの声も聞こえた。

「華凜すごーい…」
「さすが負けず嫌い……」
「蓮ー…」
「んー?」

 魅入ってたからあとで動画撮れてたかちゃんと確認しようと決めつつ、カメラをリアスに照準を合わせ直す。珍しくこっちを振り向いたクリスティアに、

「華凜のファン、増えちゃうかもねー…」

 思わず手に力が入ったのは、また気づかないフリをした。

 ♦

 休憩を挟んで、リアスとカリナの試合も後半へとさしかかったお昼前。

「祈童来ないね」
「ねー」

 飽きずにリアスをガン見しているクリスティアと動画を撮りながら話していれば。

「波風くんっ」
「はい?」

 同じ体育球技のテストの子で、今は上で巡回してたはずの子が少し焦ったような顔でやってきた。

「どしたの」
「告白ですか…」
「刹那今は黙ろうか」

 スマホを一旦クリスティアに渡しつつ彼女を黙らせておいて、視線は声を掛けてきたその子へ。

「なんかあった?」
「あのっ、波風くん医療取ってたよね授業」
「? うん」
「上で気分悪くなっちゃったヒトがいて……保健の先生も他のとこで出突っ張りですぐ来れそうにもなくて……様子だけでも見れないかなって」

 穏やかに終わるかと思ったらそう来たかというのは心の中に潜めておくけれど、苦笑いは潜められなかった。

「今か……」
「ご、ごめんね……! 他に看れるヒトいないか探そうとも思ったんだけど、その体調悪いヒトも結構きつそうで……!」

 胸の前で手を合わせながら、その子は申し訳なさそうにクリスティアを見た。

 体育球技だけじゃないけど、一年間俺たち四人と授業を一緒にやってきたヒトは、だいたいリアスの過保護具合は知ってる。
 絶対に俺たち幼なじみが誰かしらクリスティアの傍にいるようなチームにしていたり一人で行動させないようにしてるし、リアスが過保護発言をしばしばするので知らないヒトがほとんどいない。

 それはこの子も同じで、今俺がここを離れづらいというのもわかってる。現にものすっごい申し訳なさそうだし。

 けれどこの子がわかってるのと同じで、俺もこの子が今この状況で俺以外にあてがあまりないのもわかっていた。

 体調不良が出たときに出動を要請されるのはやっぱり医療の授業を取ってるヒトたち。けれどそのヒトたちは、

 今日、外部でテストがある。

 つまり医療をメインにしてる人たちは今この学園にいない。いるのは俺みたいにその授業をサブとして取ってるやつだけ。それをわかってるから、「行けない」と突き放すことはいつも以上にできなかった。
 先生も出突っ張りってことはほぼ来ないって踏んだ方がいいんだと思う。

「……」

 若干泣きそうになってるその子から、クリスティアを見た。

「…」

 ずっとコートを見ていた親友はこっちを見て、困ってるの、という顔。

 これは悩んでる間に下手したら飛び出すパターンだというのは長年のつきあいで知ってる。それだけはいただけない。

 一旦深呼吸をして、頭を切り替えて今の状況を整理した。

 今日はエシュトの生徒とよほどの関係者以外、外部の人間が下に降りることはない。つまり下にいれば基本的にクリスは安全。

 リアスとカリナのテストが終わるまではあと十五分くらい。今回はメンバーぴったりなので基本的に交代ができないのが痛いけど、幸いにも俺がいない間は──。目星をつけているやつに声を掛けるのは一瞬あとにして。

 恐らくこの話を聞いていたであろう、リアスを見た。

「……」

 こっちをちらっと見たリアスは微妙な顔はしているけれど。

 状況をわかってる親友は小さく、頷く。

 それに頷き返して。

「わかった、行く」
「本当! ありがとう!!」

 泣きそうだったその子がほっとしたのに微笑み返して、まずはクリスティアへ。立ち上がる前にクリスティアとしっかり目線を合わせて、彼女に言い聞かせ。

「刹那」
「はぁい」
「俺行ってくるから。いい子でここで待ってること。いい?」
「うん…」
「動かない」
「ない…」
「龍たちもすぐ来てくれるから」

 いいね。

 頭を撫でてやりながら、言えば。

「わかったー…」

 のほほんと微笑んで、こくりと頷く。これで基本的には大丈夫だろ。

「スマホちょうだい刹那」
「はぁい」
「これ龍の。ロック解除してあるからなんかあったら掛けてな」
「うん」

 俺のと取り替えるようにリアスのスマホを渡して、立ち上がり。

 保険として、幸いにも俺がいない間に頼めそうな、俺らの上にいた同級生メンバーの一人へ。

「ユーア」

 名前を呼べば、耳がいい友人はすぐに柵から顔出して俺たちを見た。この歓声の中じゃ普通なら聞こえないであろう、いつも通りの声量で。

「俺一回離れるから、悪いんだけど刹那のとこ来れる?」

 聞けば、唯一聞こえていたユーアは頷いて柵から顔を引っ込めた。
 これでオッケーってことで、視線はようやっと声を掛けてくれた子に。

「お待たせ。行こっか」
「はい! こっちです!」

 本当ならユーアたちが来るのを待っていたいけれど。こっちも猶予がないので。

「行ってくるね」
「いってらっしゃーい…」

 最後にクリスに声を掛けて、その場をあとにした。

 連れてこられたのは同級生たちがいたところとは反対方面。ちょうどクリスが正面に見えるところ。ユーアと陽真先輩、ティノとクリスが大好きなメンバーナンバー3が小さい親友のところに座ったのを確認しながら、俺たちは客席の端で気分悪そうにしてる女のヒトの元へ。

「お待たせしてすみません……! 医療に携わってるヒトを連れてきたのでもう大丈夫ですよ」

 その子が声を掛けている間に俺も女のヒトに近づいてざっと見ていく。

 顔色は悪い。若干汗かいてるな。息も荒い。

「脈失礼しても?」

 言葉はないけど緩く頷いたのが見えたので左手を拝借。手首に指を当てて確認すれば、ちょっと弱い。

 手も冷え切ってる。

「吐きそうとかあります? 他に持病とか」
「持病は……とくに……見てたらだんだん気分が……」

 熱気に当てられて気分が悪くなったってのが有力かな。それなら外に出て冷たいものでも飲めばたぶん楽になるはず。

「一旦外の空気吸いに行きましょうか。きついかもしれないけど少し動きますよ」
「はい……」

 力なく頷いたのを確認して、魔力を練った。歩くと時間がかかってよろしくないので、

天使の羽エール

 翼を出して、ちょっと失礼してそのヒトを横抱きに。

「っ!?」
「先下行ってるから」
「わ、わかりました!」

 腕の中で驚いているヒトには笑っておいて、緩く翼をはばたかせて近くの窓から外へ。女のヒトの喉がひきつった感じがしたけどちょっと我慢をしてもらう。

 歩くとたぶん何十分もかかったであろう道はほんの数秒で、すぐに体育館の外に出た。

「お」

 そして俺の隣に声を掛けてきた女の子も着地。窓から来ちゃったかと思ったその背中には鳥の翼。こっちもハーフだったか。待ってる時間が削減できたので心の中で感謝をして、女のヒトを人工芝へとおろす。

「俺テレポートあるから飲み物買って来るよ」
「お願いします!」

 連絡先は、と言おうとしたけれどすぐ帰ってこれるしいいかと自分の中で納得して。

 魔術を練って、覚えのある自販機へとぱっとテレポートして行った。

「水と……スポドリあればいいかな」

 授業棟にある自販機まで飛んでいって、今は財布はないのでスマホに入ってる電子マネーで会計をして一本目の水を買う。ガコンッと下に飲み物が出たのを聞きながら、次はスポドリへ。

 先に会計をして、スポドリのボタンへと手を伸ばしたときだった。

「……!」

 スマホが震えて、画面が代わる。

 あれ俺さっき連絡先交換してなかったよねと思いながら、変わった画面を見れば。

 電話の相手は、こっちに向かってる説が出てた祈童。

 自販機のボタンを押しつつスマホの画面もタップして、

「はい──」
《波風っ!》

 出た瞬間にすごい勢いで名前を呼ばれて、思わず肩がびくついた。

「どしたの祈童」
《今どこだっ!!》
「今? は、体調悪いヒトが出て自販機に……」
《氷河は!》
「刹那?」

 焦ってるようで、息も切れてるような祈童の声に嫌な予感がして。自販機の下から飲み物を取るのは忘れずに、足を体育館の方に向けていく。

「ユーアたちと、体育館の中にいる、けど……」

 早足で廊下を歩きながら、

《すぐ戻れっ!》

 その声に、心臓の音も早くなった気がした。

「刹那のとこになんかいんの」

 通信が切れないようにテレポートはせず、足を早めて体育館へと向かっていく。
 嫌に大きく聞こえる心臓の音に惑わされないように冷静な声で、聞いた。

 これでなんかこう、クリスとユーアのかわいい姿が見れるとかそんな気の抜けるものだったならいい。祈童の焦った声からはそんなのはどうしても想像はできないけれど、強く願った。

 けれどその願いは。

《江馬先生からだ》

 儚く散る。

《捕まった愛原を見ていたあの男。今日になって証言したらしい》

 ドッと、心臓が大きく鳴った。

 止まってはいけないはずなのに、無意識に足がゆっくりとしていって。

「……な、んて……」

 冷静さを保つことができず、聞けば。

《証言直後にすぐに先生達総出で調べたところ》

 耳を済まさなくても、

 

《奴は捕まったその日だけしか、エシュトに来ていない》

 その声は、大きく聞こえて。

「……!」

 ちょうど立ち止まったところから見えた裏庭から。

 俺たちが育てた真っ白なアネモネが、

 真実を聞かされた俺をあざ笑うかのように、揺れていた。

『平和とは、儚いものである。絶望を背負った天使がいつだって、平和すら飲み込む絶望を引き連れてくるから』/レグナ


 運命は、いつだっていじわるだ。

 たったひとつ。たったひとつのきっかけだけで。

 歯車が、狂っちゃう。

「動画オレが撮っといてやろうか」
「うんっ」

 レグナが困ってるヒトのとこに行ってすぐ。はるまとユーア、ティノが降りてきてくれて、わたしの周りに座った。手を出してきたはるまにリアス様のだけどスマホ渡して、わたしはリアス様とカリナの試合に目を戻す。

『炎上たちが優勢ですかっ』
『十点くらい差開いてるね~』

 得点板に出てるタイマーを見れば、あと五分くらい。

「このまま勝てそう…」
「いやー勝つならもーちょい点差離してぇな。スリーポイント打たれてたらすぐ追いつかれんじゃね」
『取り返せばいいですっ』
「龍と華凜がきっと三点いっぱい決めてくれる…」

 あ、リアス様の顔苦笑いになった。絶対「そんなポンポン入んねぇよ」って思ってるでしょ。大丈夫だよ入るよ。

「最悪魔術でコントロールして入れればいい…」
『氷河サンそれ反則じゃないかなー』
「エシュトならではということで…」
「違うパフォーマンスだったら盛り上がるんだケドな」
『反則だと盛り下がるですっ』
「イケメンなら良くない?」

 ちょっと誰かうなずいてよ。

 なんの反応もないことにほっぺふくらませて、ひざを抱えた。

 ときだった。

「…?」

 リアス様が違うヒトにパス出したのと同時。わたしたちの後ろの方で、ガシャンって音。

「なんだ?」
『何か落ちた音ですっ』

 通路がすぐ近くってことでみんなで暗い廊下をのぞく。

『? こっちじゃないのかな』

 ぱっと見はなにも見えない廊下の奥。ティノの言うとおり、こっちじゃないのかなって目を戻そうとしたけど。

「あ…」

 視線をずらしたとき、見えた。

 ヒトが倒れてる。女のヒトかな。

 そう思ったら。

『氷河っ』

 足が勝手に動き出した。

 頭の中では相反して、「だめだよ」って声が聞こえる。

 リアス様が心配しちゃうよ。止まらなきゃだめだよ。

「おい刹那ちゃん待った」
『氷河サンっ』
「うん」

 みんなの声も聞こえてるはずなのに、足はそこに向かって駆けていく。止まってって願っても体が言うことを聞かなくて。

「大丈夫…?」

 気づいたときには、倒れてるそのヒトの前に来てしまってた。あぁまたやっちゃったって思いながら、そのヒトの前にしゃがむ。

「…」
「……」

 そのヒトは倒れたまま。
 長い髪で顔を隠して、横たわってる。

 これ意識ないとかそういう感じ? 脈とか触った方がいいのかな。レグナの方がそういうのわかるんだけど。
 ていうかこのヒト近くで見ると結構体おっきいな? 腕も太いし。

 なんか男のヒト、みたいな──。

「刹那ぁ」
「!」

 そっと手を伸ばしかけたとき、はるまがいつもとは違う感じで呼ぶからそっちに意識が行った。
 振り向けば、こっちに向かってきてるはるまと、わたしのすぐそばにユーアが来てた。

「龍クンに怒られっから」
「龍…」
『帰るですっ、あとは紫電先輩に頼むですっ』

 ユーアのかわいい手にそでを引っ張られてしまってはそれはもう応えるしかないでしょ。くいって引っ張るユーアにときめきながら、

「わかった…ごめんなさい…」

 腰を、上げようとした瞬間。

「っ!?」

 ガシって、違う方向から腕を掴まれた。
 ──なに。

 その方向を見たら。

「、ぇ…」

 さっきまでぴくりとも動かなかったそのヒトが、少しだけ体を起こしてわたしの腕を掴んでる。

『っ!? なにするですかっ』
「……た……」
「っ?」

 腕から逃げようと引っ張ってみてもぜんぜん離れない。

 なにこれ。

 なに、このヒト。女のヒトじゃない。

 男のヒト。

『離すですっ!』
「……えた……」

 ユーアがその腕を叩いてくれるけどやっぱりびくともしない。

「おい何してんだよ」
「っ……」

 後ろから来てくれたはるまもそのヒトの腕を掴んで引っ張ってくれた。ぎゅって握ったからかほんの少し、掴まれた腕の力が弱まって。引っ張ったらやっとその腕から逃げられた。

『氷河サン今のうちにこっちっ』
「うんっ…」

 ティノに声をかけられて、リアス様たちがいるコートの方に足を向ける。

 あ、でもだめだ。

「っ…」

 動かそうとした足が、動かない。

 嘘でしょう?

 どうして今ここで、足がすくむの。

『氷河っ』
「あし…うごかな…」
『引っ張るからこっち!』

 走って来てくれたティノの手を掴もうとするけれど。

 後ろから、ぞっと何かが膨れ上がってく感じがした。

 これ知ってる。

「っ」

 後ろを見れば。

 はるまの手から逃げようとしてるそのヒトから、魔力の感覚。魔術、打とうとしてる。

 矛先は、ユーア。

「ユーアっ」
『っ!?』

 すぐにユーアを抱きしめて、守るように背中を向けた。絶対あとでリアス様に怒られる。カリナとレグナにも。冷静なのかわからない頭で思いながら、ぎゅっとユーアを抱きしめて。

 自分でも魔力を練ったとき。

「わ、っ」
「っ」

 後ろからあったかいのが来て、守られるように抱きしめられた。

 リアス様?

 顔を上げた瞬間に、その体温と抱きしめたユーアも一緒に思いっきり吹き飛ばされていく。

「っ…」
『氷河サンっ! 先輩!』

 ガンッて嫌な音が響く中で、ティノの声も聞こえる。その言葉に。

 今抱きしめられてるのが、リアス様じゃないってわかった。

 ゆるまった腕から抜けるようにして、起きあがれば。

「はる、ま」

 壁に背中を向けて横たわってる、はるま。

 さっきの嫌な音って、もしかして。

「はるま、ねぇ」

 心臓の音が大きくなっていくのを感じながら、はるまをゆすった。何回かゆすってたら、

「っ……」

 ぼんやりした目が、開いてく。それにほっと息をつきそうになるけれど、なんとか抑えて。はるまが動かした手に目を向けた。

 その手は、わたしが抱きしめてるユーアの頭に行く。

「ユー、ア」
『はいですっ』
「ぶれん、と、フィノア姉呼んでっから……迎え行ってくんね……オマエなら行けんだろ……」
『、待ってるですっ』

 ユーアはわたしの腕から抜けていって、そのヒトが捕まえられないくらいの速さで廊下を駆け抜けていった。

 その背中を見届けてから目がいくのは。

 守ってくれているように立っているティノの先にいる、そのヒト。

 いつの間にか立ち上がって、わたしたちの方を見下ろしてた。

 長い髪で隠れて顔の全部は見えないけれど。

 口元は、笑ってる。

 ──こわい。

 でも、守らなきゃ。

 わたしのせいでこうなってる。

 せめてリアス様が来るまで、守らなきゃ。

氷盾リオート・シルト

 魔力を練って、ティノの前に氷の盾を展開する。すくんでる足に爪を立てて、なんとか立ち上がった。

 足、ふるえてる。

氷刃リオートリェーズヴィエ

 氷刃を持った手も、かたかた震えてた。それに気づかないフリをしながら、ティノの隣に立ったとき。

「、ぇ…」

 パキン、って。

 目の前の氷が割れた。

 うそ。

『氷河サンっ!』

 いろんなものがスローモーションに見える。

 そのヒトは笑ってて、隣のティノがわたしを守ろうと前に来ようとしたら、そのヒトに吹き飛ばされて。

 いつの間にか、わたしの前にそのヒトはいて。

 腕が、また掴まれてた。

 今度はふりほどく力なんてなくて、ただただそのヒトを見上げるしかできない。

 口をゆがませてるそのヒトは、わたしを見て。

 さらに口角を上げて、口を開いた。

「捕まえた」

 ゆっくり、近づいてくる。

 一歩引いても、また一歩。

「…な、に」
「やっと捕まえた」

 ”逢いたかったよ”。

 その一言に、体がぞっとする。

 逢いたかったって、なに。

「わたし、あなたなんて知らない」

 こぼせば。

「知らない?」

 そのヒトの声に、圧がこもる。

 違う。

 ヒトは知らないのは、本当。

 でもこの感覚は、知ってる。

 いつの日か見た、夢の中の感じ。

 知らないって言えば、このヒトは怖い声で言うんだ。

「どうして忘れたの」

 って。

 腕の力も強くなって、怖い声がもっと怖くなる。

「僕はずっと探していたのに」
「さがし、て…」
「そう、探していたんだ、君のことをずっと」

 ずっと。

「文化祭で見つけたときに嬉しかったよ……。そこからどうやって君に近づくか考えていたんだ」

 毎日毎日。

 声を聞く度にだんだん気持ち悪くなって来る。

「人助けが好きだと知って、御曹司を手駒にして……ようやっとここまで来れた」

 自分の息が、荒い。

「本当は覚えているんだろう?」

 必死に頭を横に振る。

 思い出せないんじゃない。

 思い出したくないって、言うように。

 それをわかってるのかいないのかは、わからないけれど。

 そのヒトは、言った。

「この言葉、君は覚えてるはずだよ」

 なに、って、反射的に顔を上げてしまう。

 夢と同じ。
 いつの間にか見える部分が変わってて。

 そのヒトと、目が合う。

 ぞっとするような、なめまわすような、気持ち悪い目と。

 頭の中でなにかがこぼれ落ちていくのを感じながら、思う。

 わたし、これを知ってる。

 どうしようもなくて”封じ込めた”それ。

 気持ち悪い光景。嫌がってるのに女のヒトをベッドに押さえつけるそのヒト。

 それを見ていたわたし。

 ねぇ、言わないで。

 思い出させないで。

 でも願いは届かなくて。

 そっと、そのヒトはわたしのほほに手を添えた。そうして、

 紡ぐ。

「次はお前の番だ」

 それと同時に、全部がよみがえってきて。

 自分じゃないみたいな高い声が、廊下に響く。

 でも気にしてられなくて、さっき動けなかったのがうそみたいに体が動いた。
 その手を弾いて、逃げようと後ろに下がる。

「何故逃げる」
「、だ、やだっ!!」
「こっちへおいで」
「やだっ!!!」

 それなのに遠ざからなくて、そのヒトはどんどん近づいてきた。

 気持ち悪い。記憶も相まってすべてが気持ち悪い。
 ぞわぞわした感覚が体に残ってる。

 気持ち悪い。

 自分を抱きしめながら後ろに下がっていく。誰か、って小さな声で助けを呼んだ。

 その声に答えたかのように、いろんな足音が聞こえてきた。

「刹那っ!!」

 いろんなヒトがわたしを呼ぶ。
 けれど助けを呼んだくせに、わたしの頭の中では違う声が聞こえた。

 これから起こるこの先のことを、わたしは知っているから。

「刹那っ」

 だめ、来ないで。

 守るためであっても、今だけは手を伸ばしてこないで。

 お願いだから。

 わたしに、

「わたしに触らないでっ!!!!」

 

 後ろから伸びてきた手を、反射的に弾いた。

 ──弾いた?

 誰の手を。

 頭で聞いていくのと同時に、からだが冷えていく。

 ねぇ、わたし今、なにをしたの。

 そんなの聞かなくたってわかる。

 目の前には、気持ち悪いそのヒト。でもそのヒトはわたしに触れてなんていない。

 全部”あのとき”と同じ。

 そっと、振り向けば。

「、せつな」

 驚いたような、でもどこかで「やってしまった」って言うような顔の。

 大好きなヒト。

 認めた瞬間に頭が切り変わって、また呼吸が荒くなって。頭の中で何かが舞う。

 拒絶したね。

 大好きなヒトを拒絶した。

 また拒絶した。

「、ちがう」

 間違いであっても許されない。

「ちがうっ」

 あんなに愛してくれているのに。

「ちがうっ!」

 あなたは愛を返せないのに。

「っ」

 ねぇ。

 さよならされちゃうね。

 クスクス笑いながら舞うそれに、一生懸命頭を横に振りながら。

 わたしは。

「…──」

 小さく小さく、誰にも聞こえないくらいの小さな言葉をこぼして。

 ふわりと香る甘いにおいの中で、意識を手放した。

『あなたがいない世界なら、わたしはいらない』/クリスティア