コツコツと爪先を鳴らしながら靴を履く同級生の背を見る。
何度か靴で地面を叩いたそいつらは、きちんと履けたのか、こちらを振り返った。
『じゃあ炎上クン!』
『おじゃましましたですっ』
「えっと、お邪魔しました」
『嬢ちゃんによろしく頼むぜ』
「あぁ」
昨日退院したティノと共にやってきた閃吏、ユーアにウリオス。そして道化と祈童に頷いて。
「……大したもてなしもできずすまない」
そう言えば、祈童が笑った。
「気にするな炎上。それよりも少し休むといい」
「そうよ! 少し痩せたんじゃないかしら!」
「炎上君、ちゃんと寝てる?」
道化と閃吏の言葉にはただただ苦笑いを返して、腕を組んで壁にもたれる。少々心配そうな空気が漂ったのを察して、なんとか口角を上げた。
「平気だ。食事もしている」
『ならいいけど……氷河サンも大変だけど、ミンナもちゃんと休んでね』
「お前もな。完治したとは言えど病み上がりだろう」
『ボクは平気だよ! しっかり休んだからねっ!』
『病室に行くとだいたい食べてるか寝てるかだったです』
『むしろティノの坊ちゃんの方が太ったんじゃねぇか?』
『それは言わない約束だったじゃん!』
変わらずにいてくれるやりとりにほんの少しだけ肩の力が抜いて笑う。それを見たティノ達はさっきよりかは安心したような顔に変わって、俺の前に立った。
「じゃあ俺たちそろそろおいとまさせてもらうね」
「気をつけて帰れよ」
「炎上たちもくれぐれも気をつけてな」
「あぁ」
じゃあ、と壁から体を離しかけたところで。
視界の端でピンクの頭が思い切り息を吸っているのが見えた。
予想できる行動に咄嗟に耳をふさげば。
「っ刹那ちゃーん!!」
やはり予想通り、耳をふさいでも意味のないくらいでかい声を道化は上げる。全員が顔をしかめたのにも気にせず、道化は続けた。
「また来るからねー!! おいしいお菓子持ってくるわーっ!!」
今レグナが家を開けていてよかったと心底思う。耳の良いあいつだったらこの声量はリビングでもきついだろう。
苦笑いをこぼしている間に道化は満足したのか、よしっとすっきりしたような笑顔で俺に振り返る。
「それじゃあ帰るわ!」
「……あぁ」
「あっ、また新しいマジックのネタ仕入れておくって言うの忘れてた!」
「道化それは炎上が伝えてくれるそうだ」
「とりあえず今日は帰ろう美織ちゃん!」
「あら」
再び息を吸いかけた道化は祈童が止めてくれて、閃吏が家から出すようにその背を押す。
「じゃあ頼むわ炎上くん!」
「わかった」
『また近いうちに見舞いに来んぜ旦那』
「……待っている」
今度は二人で迎えられるようにと心の中で思いながら、家から出て行く同級生を見送って。
「……」
その背が見えなくなってからドアを閉じ、リビングへと歩いて行った。
夕方になって薄暗くなっている家の中、床を軋ませながらゆっくりと部屋へ向かっていく。
「……クリスティア」
奥まで進んでいき、開いたドアに寄りかかって名前を呼ぶ。
俺と恋人以外いない家の中で、自分の声が妙に響いて聞こえた。
けれど、目の前の少女は。
「…」
きっと聞こえているはずなのに、いつものように「なぁに」とこちらを向いてはくれず。ただただ膝に顔を埋めてベッドにちょこんとうずくまっているだけ。
「……道化が、次はまた新しいマジックをしてくれるそうだ」
「…」
「他の奴らも、また近いうちに来ると」
「…」
「……」
「…」
一歩だけ部屋に入って座り、床に置いてある彼女へのプレゼント達に手をかける。
「……この六日間、ろくに食べていないだろう」
「…」
「菓子でも食べないか」
「…」
「ほら」
開けたそれは祈童が持ってきた和菓子。ひとまずいつものように検閲などせず、クリスティアに差し出した。
けれど恋人は、見向きもしない。
前なら飛びついてきて嬉しそうに袋を開けていたのに。そうして俺の膝の上にちょこんと座り、俺に菓子を差し出して、俺が食べたら自分の口にやっと放り込みそれを堪能する。
つい六日前までは当たり前だった日常。
その当たり前だった日常は壊れて、この六日では違う当たり前ができてしまった。
「……」
たったの一メートル先にいる恋人に、触れることのない日常。
この約一週間で多少は落ち着いたのか、触れなければ叫んだりすることはなくなったけれど。不用意に刺激しないようにと、部屋から一歩踏み入れた場所からは基本的に近づかないという暗黙のルールができていた。
同級生達からの贈り物でどんどん場所が狭くなっているそのスペースからできるのは、声を掛けるか、手を伸ばすかだけ。
どちらも反応はないと、わかっていながら。
「……クリスティア」
「…」
名前を呼んで、クリスティアに手を伸ばす。
「……声が聞きたい」
「…」
「……触れたい」
「…」
その手は運命の日と同じように、届くことはない。手の先にいる少女はただただうずくまったまま。
このまま、この人生で六回目を迎える明日の運命の日。消滅まであと二年もあるはずなのに、彼女が消えてしまうんじゃないかと錯覚しそうになる。
「クリスティア」
恐怖に、腰が浮き掛けた。
衝動のまま抱きしめたくなる。
「っ」
けれど床を見れば、そこに描かれてはいないはずなのに境界線が見えた気がして。
これを踏み込めば、また苦しめる気がして。
「……」
結局壁に背を預け、恋人がしているように膝を抱える。
「……クリスティア」
どうしたらお前はまたいつも通りに笑ってくれるのだろうか。
弱い自分では答えなんて出ないまま。
静かな部屋の中で、拳を強く握りしめた。
「……!」
目を開ければ、部屋の中がほんの少し明るくなっていた。自分があのまま眠っていたと気づいたのは、ばっと顔を上げて窓の外を見たとき。
「……朝」
クリスティアの先にある窓の外は、これでもかと言うくらい青空が広がっている。罪なんてないのに今だけはそれを恨めしげに睨んで、視線はベッドの上に移動させた。
恋人は相変わらずベッドの上にちょこんとうずくまっている。
「……おはよう」
返ってこないと知っていながら挨拶だけはして、一度部屋を後にした。
部屋を出れば、リビングの方で人影が見える。ソファに並んでもたれているのはそっくりな黒い髪達。
「……来ていたのか」
「おはよ」
「よく寝ていらっしゃいましたね」
声を掛けると双子はこちらを見て、力なく微笑む。こいつらだってまともに眠れていないのに自分だけ眠りこけていたことを申し訳なく思いながら、コーヒーを入れにキッチンへと向かった。
マグカップを出し、コーヒーの粉を入れているとレグナが声を掛けてくる。
「今日は冴楼出さなくていいの」
「俺の心身も影響するだろうから出しておくのも気が引ける」
いろいろと手伝ってくれるのでありがたくはあるけれど。あいつだって俺の影響でぐったりしているだろう。中では少しくらい気が休まるだろうからその方が良い。
「何か必要だったか」
「んや? そういうわけじゃないけど。ぐったりして間違えて砂糖入れたりするんだったら冴楼に頼んだ方がいいんじゃないかなって」
「は?」
昨日家に帰った自分のことだろうか。いやでもレグナは砂糖入りでもコーヒーは飲めるし、むしろ今は結構入れて飲んでいたはず、と。
考えていった途中で嫌な予感がした。
なにを言っているんだとレグナに向けた視線から、自分の手元へ目を移す。
そこにはしっかりと苦手な砂糖を持ち、コーヒーへと山盛りでつっこんでいる自分が。
「……気づいたなら言ってくれ」
「お前が入れた瞬間に気づいた」
「私が飲みますから置いておいてくださいな」
「……頼む」
悪びれもしない親友は睨み、カリナには礼を言ってから、今一度自分のものを入れるためにマグカップへと手を伸ばす。
「割ったりしないでね」
「言うなそういうこと」
やるから。苦笑いをこぼして慎重にマグカップを取ったところで。
「!」
家のインターホンが鳴った。
三人目を合わせて、首を傾げる。
今日は三月の二十七日。四人の大事な日ということで、元から四人で過ごす以外の予定を入れていない日だった。同級生達にもこの日は遠慮したいと伝えてあるはず。
「忘れ物でもあったかしら」
「宅配便じゃないの」
「頼んだものはなかったはずだが……」
言いながら、三人で玄関へと歩いていく。ドアを開ける前にモニターを見れば。
「……!」
その先にいた人物に、すぐさま扉へ駆けていき急いで開けた。
門の前に立っていたのは、
「よぉ」
まだ入院していたはずの、陽真。
いることが信じられなくて、恐らく双子もだろう。ぽかんとした顔になってしまう。
「お、まえ……病院は」
「今日退院」
「え、その足でここ来たの?」
「そー」
「お付きの方は……」
「さっきまで武煉といたケド、荷物置きに行ってもらってんよ」
とりあえず上がっていい? と笑う陽真に未だぽかんとしながらも、病み上がりの人間をずっと外にいさせるわけにも行かず。急いで家の周りに張ってある結界は解き、門のところまで走っていって開けた。
「んじゃオジャマします」
「ど、うぞ……」
先に歩き出す陽真のあとを付いていって家の中へ入っていく。
「刹那ちゃんちょい落ち着いたんだって?」
双子が先にリビングの方へと入っていき、それを追うように少しゆったりとした足取りで俺達もリビングへと向かった。その間に問われたことには、曖昧に頷く。
「……叫び声とかはなくなったが」
「回復はしてねぇと」
「……」
黙ったことを肯定ととった陽真は「ふうん」とだけ言って、リビングに着いたかと思えば座ることもせず奥へと歩いて行った。
「おい陽真」
「刹那ちゃんコッチ?」
「先輩少し休まれた方が……」
「いーって。怪我自体は大したことねぇし、昨日とか一昨日は頭打ったからって一応様子見で入院してただけだから。暇だのなんの」
笑いながら奥のクリスティアがいる部屋へと歩いていく陽真に、まだ詳しくは知らないだろうと急いで近づいてそいつの前に立ちはだかる。
「ちょっと待て」
「どした」
「あの陽真先輩、みんなにも言ってんだけども」
「うん?」
クリスティアにはなるべく聞こえないようにと、せっかく近づいたのに申し訳はないが、陽真を引っ張って少し部屋から遠ざけて。
きょとんとしている陽真に、三人で気まずい顔はしながらも、告げる。
「その、あんま刺激しないようにってさ」
「おう」
「みなさんに言っておりまして」
「……部屋に踏み入れるのだけは、一歩だけと」
するように、している。
段々と小さくなる声に伴って。
「……」
陽真の顔は、少し驚いたような顔になっていく。
「来てくれているのに申し訳ないんだが……」
いたたまれなくなってくる空気の中で、「頼む」とこぼせば。
「……」
数秒の沈黙の後。
「!」
陽真はおもむろに、また部屋の奥へと歩き出す。その背を見届けていると。
「!? おいっ」
陽真は言ったにも関わらず、すぐさま部屋の中へと踏み入れていった。
急いで追い、部屋の中を見れば。
「うわ、すげぇなコレ。ミンナからのプレゼント?」
陽真はその”一歩”を平気で越えて、下に広がるクリスティアへの贈り物に手を着けている。
「陽真っ」
「言ったじゃんあんまり中入っちゃだめだって!」
けれどそいつはこっちへ来いと手招きしても。
「大丈夫だって」
平気な顔で笑うだけ。いや大丈夫じゃなかったから言っているんだがと思っても、そいつは立ち上がり、何個かの贈り物を持ってまたクリスティアへと近づいていく。
「陽真っ!!」
言いつけた”一歩”は自分達は越えないようにして、陽真をとがめるように叫んだ。
こちらを向いた陽真を睨むが。
またそいつは笑って。ベッドにうずくまるクリスティアの前へと立ち、少女を見下ろす。
「よぉ。元気か刹那ちゃん」
「…」
「すげぇなオマエへの贈り物。置いてあんのほとんど菓子だぜ。龍クン検閲大変じゃね?」
「…」
「一個でも見てみ」
「…」
「んだよホントになんもしゃべんねぇの?」
だからそう言っているだろと心の中で叫ぶ。
聞こえていないそいつは、ただただいつも通りの笑みを携えたまま。今度はクリスティアの前にしゃがんだ。
「なー、龍クンたち心配してんぜ。顔見せてねぇんだろ」
「…」
「つーかオマエちょっと痩せたんじゃねぇの? 飯食ってる?」
「…」
「刹那ぁ」
「陽真先輩、そろそろっ」
下がってと言うカリナに、陽真は再びこちらを向いた。
しかし手招きをしても、動きそうにはない。
「陽真、こっちへ」
「オマエらがコッチ来ればいいんじゃねぇの?」
「は……」
果てにはあまりにもあっけらかんと言いのける陽真。
それに、こちらの苦労も知らないでとわき上がってしまうのは仕方のないことだろうか。
行けるのなら行きたいし、触れたいと思っているのに。
それができないから困っているのに。
「簡単にっ──」
言うなと、言おうとした言葉は。
「壁作ってんのはオマエらじゃね」
言われた言葉に頭をガツンと叩かれたようで、出なかった。
「……な、に」
代わりに出たのは、言葉にも鳴らないような小さな単語。それにまた陽真は笑って、クリスティアを見上げた。
「龍さ、前にオレが言ったの覚えてる?」
「……」
「ちゃんと聞いたコトあったかって」
「……!」
「聞いた?」
優しく問われる声には、首を横に振った。それを見ていたのかはわからないけれど、陽真は続ける。
「そのまま言葉取りすぎなんじゃね。触んないでっつったら触んない。確かに触って欲しくないんだろうケドさ」
もしかしたら、その”触んないで”は。
「コイツなりの必死の”助けて”だったんじゃねぇの」
なぁ? と聞く声には、応えはなかった。
「ま、オレの作った答えかもしんねぇけどな」
けれど反応がないことなど気にせず、いつも通りの声で陽真はただ笑う。そうしてまた、クリスティアへと言葉を掛けていった。
「たまには話しようぜ」
「…」
「久々に喋ったりしたら声出ねぇぞー」
「…」
「なにオマエそんなに抱え込んでんの」
「…」
「誰に助けて欲しいの。龍クン? 今ソコにいんぞ」
「…」
「刹那ぁ」
「陽真、っ」
あまりにも反応がないクリスティアに段々と申し訳なさが募って、声を掛けたときだった。
「なぁ」
最後に、陽真が笑って言葉を投げかける。
「大事なものを捨ててまで守りたかったもの、思い出したか」
その、静かに響いた声に。
「…!」
「!」
今まで誰にも反応しなかったクリスティアが、顔を上げた。
「…」
驚いたような顔で陽真を見つめるクリスティア。ぱちぱちと目を瞬かせた彼女は、数秒。陽真をじっと見つめた後こぼす。
「…にぃ、さま」
それに今度驚いた顔になったのは、陽真と俺達だった。
「ふはっ」
けれどはっとしたクリスティアに止まったままの俺達の中で陽真はすぐに笑い、しゃがんだ膝にもたれて。
「誰と間違えててもいーケド。んじゃ刹那ちゃん」
ペンダントを揺らしながら、紡ぐ。
「兄ちゃんとちょっと話でもすっか」
揺れた錆の入ったペンダントは、光に当たってきらきらと輝いていた。
『たったの一歩を踏み出す勇気がなかったのは、自分だった』/リアス
「兄ちゃんと話でもすっか」
ふわって風みたいにほほえんだそのヒトに、勝手にうなずいていた。
なにうなずいてんだろって思ったときには、目の前にしゃがんでたはるまが立ち上がる。
「二人っきりの方がいい? それとも龍クンたちもいて話す?」
「ぁ、…」
「オレの話は二人の方がしやすいケド」
「…」
「先にオマエ飲み物飲めば」
話したくないって言いたいのに、はるまはどんどんしゃべっていって言うひまがない。
「ぁの、」
「んー? あ、誰か飲み物持ってきてくんねぇ?」
「え、あ、はいな」
「水でいいの。それともなんかあったけぇモノがいい?」
「…」
これ「話したくない」なんて言わせない気なんじゃないかな。
普段そんなにしゃべったっけってくらい、目の前のヒトはしゃべってく。
「…」
「どうすんの」
「…」
「オレ龍クンじゃねぇから言わなきゃわかんねぇよ」
「…」
な、って。
わたしに視線を合わせるようにして聞いてきたはるまをにらむけれど。そのヒトは気にしてないって言うみたいにただ笑うだけ。
それに、ちょっとだけあきらめてため息を吐いた。
「…ぁ、ったかい、の…」
「部屋は」
「…ふたり…ドアは、ちょっと、あけ、たい…」
途切れ途切れに言えば、はるまはまた笑って。
「んじゃちょい外出とこーぜ後輩クンたち」
「っ」
「すぐ戻っから。んで耳良くすんのは今だけはちょっと勘弁してやれな」
言いながら一回はるまは部屋の外に出てって、なにかをリアス様たちに話してく。
なにやってんだろって思いながらひざをまた抱えたら、すぐ足音が近づいてきた。
「華凜ちゃんココア入れてくれたぜ」
「…」
「ドアこんくらいでいいの」
「…」
「おーい」
すごいしゃべりかけてくるはるまに思わずめんどくさい顔をして、ほんのちょっと顔を上げる。
ドアの方にいるはるまはこっちを見てドアを緩く開け閉めしてた。
「どんくらい」
「…」
まだ聞いてくるはるまに、ドアを見て。それが五センチくらいのすきま作ったのを見計らって。
「そこ、らへん」
「はいよ。んじゃココア」
「…あ、り、がと…」
リアス様たちとは全然違ってふつうに近づいて来て飲み物をわたしてくれたはるまにお礼を言って、あったかいココアを受け取る。
久しぶりに甘くてあったかいのをすすれば、自然とほっと息が出た。
「隣座っていーの」
「…ぁ」
聞いてくたくせに返事も待たずにはるまは隣に座る。ちょっとだけ距離が開いてるからか怖いとかはなかったけど、またはるまをにらんだ。
「…」
「オマエ素はそういう感じなの?」
「…そうじゃ、ないけど…」
「普段機嫌悪ぃの見ないから新鮮だな」
「…」
「んじゃ話すっか刹那ちゃん?」
「…」
話。
する気は、ないけれど。
どうしても一個聞かなきゃいけないことがあったから、口を開いた。
「…頭」
「うん?」
「頭、平気、なの…?」
テストの日にぶつけた場所。
見上げながら聞いたら、はるまはすぐにうなずいた。
「モチロン。大したケガじゃねぇって。ま、頭っつーコトでしばらく定期検診はあるケド」
「…」
言われた言葉に、罪悪感がわき上がってくる。
わたしのせいでこうなったから。
あったかいマグカップを握りしめて、つぶやいた。
「…ごめん、なさい…」
小さく出た声には、すぐに返事がきた。
「オレ別に謝って欲しくて来たワケじゃねぇんだけど」
「…」
それでも、心の中には申し訳なさがいっぱい。
そんなわたしを見透かしたのか、はるまの声が落ちてきた。
「申し訳ねぇなって思うならさ」
「…」
「兄ちゃんとちょっと話してみようぜ」
言われてしまったら断れなくて。
応えるように、はるまを見上げる。そのヒトはやさしくほほえんで、ベッドに両手をついてわたしを見下ろしてた。
「…話」
「そう。オマエなにそんなに抱え込んでんの」
「…」
「龍クンたちにも言わねぇの珍しいじゃん」
「…」
「そんなに言えねぇコトだった?」
うなずくのをごまかすように、下を向く。でもはるまは気にせず続けた。
「なぁ、ちょっとくらい話してみようぜ」
「…」
「オレじゃなくても、華凜ちゃんとか蓮クンとか」
「…」
「みおりんとかでも呼ぶ? アイツ話聞くっつーよりマジックしそうだケド」
いつもだったら想像して笑ってたのに。
今だけは表情は動かなかった。
代わりに、心の中に浮かぶのは「どうして」って言葉。
ねぇ。
どうしてそんなに聞こうとするの。
「あとは──」
あなたには。
「関係、ない、のに…」
言ってしまったと思うけれど、マグカップを握りしめて罪悪感を消した。
「はるまに、関係ないのに…なんで、そんなに」
聞いてくるの。
段々声は小さくなって、最後ははるまに届いてるかわかんなかった。
「……」
「…」
部屋の中が、静かになる。
このまま機嫌悪くして帰ってもいい。あぁでも、──。
頭に浮かんだ声には心の中で必死に首を横に振って、なかったことにした。
「……」
「…」
マグカップをまた強く握って、その沈黙がなくなるのを待つ。
「……」
「…」
どのくらい経ったかはわかんないけれど。
「なんでかって聞かれたら」
静かな部屋で、はるまの声が落ちてきた。
「後悔したくないからじゃね」
言葉に、弾かれたみたいにはるまを見る。
自然と、口が動いてた。
「…後悔」
「そう」
「なん、の」
わたしが聞いたことに、はるまは笑った。
結局話しちゃってるって思ったけど、はるまが手を動かしたからすぐに頭を切り替えて体に力を入れる。
「身構えんなって。オマエになんもしねーよ」
「…」
言うとおり、はるまはその手を自分の胸元に持って行く。
そうして手に取ったのは、ペンダント。
それを首から外して。
「…?」
「ん」
わたしにそっと、差し出してきた。
手にとって良いの? って聞くようにはるまを見たら、うなずく。またペンダントに視線を戻して、サイドテーブルにココアを置いてからペンダントを受け取った。
少しさびの入ったペンダント。
「ソレ、なーんだ」
「…はるまが、ずっとつけてる大事なもの…」
「正解」
「…」
「開けてみ」
「…?」
言われるまま、たまご型のペンダントの横にあるボタンを押して、ぱちんって開ける。
中に、あるのは。
きらきらとした緑色の石。
宝石、みたい。でも宝石って自分の答えには、心の中で首を横に振った。
これ、知ってる。
「…魔力、結晶…?」
「……刹那さ」
「…」
名前を呼ばれて、はるまを見る。変わらずにほほえんでるはずなのに、その顔はどこか寂しげだった。
なぁにって首をかしげれば、はるまの口がゆっくり動く。
「心に決めたヤツがいたっていうの、覚えてる?」
「……体育祭」
「そう」
寂しげに笑いながら、はるまはわたしの手の中にあるペンダントを指さす。
「龍クンに教わったコトくらいあんだろ。意識干渉型のコト」
「意識に、干渉するヒトたちで…」
そのヒトたちは、特別で。魂で魔術を使えて。
「…肉体が、なくなっても…」
「魂を魔力結晶化して結晶のまま生き続けるヤツもいる、な」
それ以上は聞かなくてもわかった。
またはるまを見上げれば、正解っていうように。
うなずく。
「中にいんのは、オレの恋人」
「…」
「死んだのは中学のトキ。そんで、オレだけ」
最期の言葉を聞くことはなかったって。
はるまの声が、静かに耳の中に落ちてきた。
「結構物語であんだろ? 死にそうな恋人のトコにすっげぇ走ってって、ギリギリで間に合って。言いたいことも言ってさよなら、ってヤツ」
「…」
「……言いたいことも言えなかったよ」
なんで死ぬんだよとか、生きて欲しいとか。
まだみんなでやりたいこといっぱいあるだろとか。
「最期に好きだったとか、ありがとうとか。何も言えなかった」
「…っ」
「ずっと後悔ばっかり残るんだよ。もっと言っとけばよかったとかさ」
わたしはそのつらさを、よく知ってる。
死ぬ前にたくさんの愛の言葉を言えばよかった。
たくさんの大好きを伝えておけばよかった。
そうしたら。
そうしたら──。
「……オレはカワイイ後輩たちに、そういう後悔をなるべくさせてやりたくないだけ。……オマエにも」
いつの間にか流れてた涙を隠すように、ペンダントを抱きしめる。そっと置かれた頭の上の手に、ずっとあった拒絶はなかった。
「んじゃオレのは話したから次オマエの番な」
「、っ」
「オマエなにそんなに独りで抱え込んでたの」
「っ、…」
「いろいろ思い出したんだろ」
「…」
「なぁ」
──刹那、
「大事な記憶捨ててまでオマエが守りたかったのは、なんだったの」
「っ」
やさしい声に、強く下唇を噛む。
言わないようにぎゅって噛んでも、はるまの声が落ちてきた。
「助けて欲しいんだと思ってるケド」
「…」
「オマエの”触んないで”は」
助けてだったんじゃないの。
「…」
「なぁ、なにがそんなに怖い?」
怖いこと。
「…きら、われること」
さよならになっちゃうこと。
「オマエの”ソレ”はミンナにさよならされるようなもの?」
「わか、んない…」
「言ったコトねぇもんな」
「…」
「刹那」
名前を呼ばれて、反射的に顔を上げた。
やさしい声と同じ。見上げた先のはるまはやさしくほほえんでて。
「ミンナさ、オマエのコト大好きじゃん」
「…」
「言ってみようぜ、大事なコト」
「…」
「もしソレでオマエのコトをさ、キライとかって言うなら武煉と一緒に殴っといてやるよ」
「…物騒…」
「そんくらいオレだってオマエのコト大事なの」
そしてそのくらい、
「後悔して欲しくねぇの」
「…」
「な、行こうぜ」
差し出された手に、目を落とす。
「一歩踏み出せないなら手なら引いてやるしさ。怖いなら一緒にいるから。背中いくらでも押すからさ」
一緒に行こう。
ほほえんで言われる言葉に。
「、…」
手が、自然と伸びてた。
「っ! 刹那」
手を引かれながら出た部屋の外。
ソファにはリアス様たちがいて、わたしが出たのを見てすぐに立ち上がった。
一瞬足が止まりかけたけど。
「ホラ」
手を引っ張られて、止まらずにまた一歩進んでく。
一メートルくらい離れたところについて、はるまが隣にしゃがんだ。
「刹那……」
そっと目を上げれば、リアス様たちが不安そうな顔をしてる。ぎゅっとペンダントとはるまの手を握った。
そんなわたしを見て、はるまが先に口を開く。
「さよならしたくなかったんだとよ」
「は……」
「思い出したコト言って、嫌われるのがイヤだったんだって」
なぁ? って声に、こくり、うなずいた。
なにか言い出したいような雰囲気を、はるまが手をあげて制す。それにぐっとこらえたようなリアス様たちに胸が苦しくなった。
「刹那ぁ」
「!」
その苦しくなったのをなくすように、はるまがつないでた手を背中に持って行った。トン、トンってやさしく叩いて、わたしにほほえむ。
「言ってみっか、大事なコト」
「…」
「後悔しねぇように、な?」
最後に手の中にあるペンダントをトンって叩かれたら、黙っていられなくて。
そっと、口を開いていった。
どんなことも忘れなかった。
楽しいことはもちろん、つらいことも悲しいことも全部。
そのときはつらくても、それも大事な「思い出」だから。ずっとずっと、いろんなことを覚えてた。
その覚えてることがもしかしたら「さよなら」になっちゃうかもしれないって思ったのは、あの王子のとき。
たくさんのものを拒絶した。
助けてくれたヒトも、大好きなリアス様やカリナ、レグナのことも。
誰かに触られそうになるとき、いつもあの王子の「次はお前の番だ」って声が頭に響いて。誰かにさわれるのがイヤになった。
部屋に飛び込んでメイドを助けようとしたときに、「自分から飛び込んできたんだろ」って言われて、誰かに近づくのすらイヤになった。
でも乗り越えれば大丈夫。
きっとがんばれる。いつもみたいにたくさんたくさんがんばって、そのこわさを乗り越えようとした。
ただ、それはいつもよりたくさん時間がかかって。
みんなの雰囲気が、変わっていった。
最初は変わらずに声をかけてくれていたけれど、だんだんと話かけてくれるのはなくなって。
やってきた気配に「なぁに」ってそっちを向けば、目をそらしたり、「なんでもない」ってなったり。
いつからか、一メートルわたしと離れて過ごすのが当たり前になった。
わたしが壊した楽しい日常。
みんなが気を使ってる。当たり前だよね。大丈夫だよって思っても、体は言うことをきかなくて。触れられそうになればすぐにその手を弾いて叫び出す。遠ざかっていって当然。
刺激しないように、ってみんなが気を使ってくれた。
そんな独りぼっちの中で思うのは、いつからか「どうやって乗り越えよう」じゃなくて、「このままじゃさよならになっちゃう」だった。
このこわさを乗り越える前にさよならになって。
みんなとの「これから」がなくなってしまう。
それが、たまらなくこわかった。
わたしは、その「さよなら」がみんなの幸せになると、知っていたのに。
もしかしたら今さよならをすれば、カリナが毎日泣かずにすむかもしれない。無理して笑うこともないかもしれない。
レグナがそれを見てつらそうな顔をすることもなかったかもしれない。
リアス様は。
違うヒトともっと、幸せになれたかもしれない。
わたしが言えない言葉をたくさんもらって、拒絶されることもなくたくさん触れ合うことが、できたのかもしれない。
でも、
「できな、かった…」
今までたくさんのことをがんばってきた。
つらくても乗り越えてきたし、リアス様が与えてくれた「傍にいる」っていう愛情表現で、自分なりにたくさん愛情を伝えてきた。
ただ、「さよなら」っていうみんなの幸せを願うことだけは、どうしてもできなかった。
ずっと一緒にいたくて、これからもたくさん思い出を作っていきたくて、自分に甘くした。
「つらいことを忘れたなら。なかったことのようにふるまったなら。また笑ってくれると思ったの」
笑って、そばにいてくれると思ったの。
わたしのわがままで、みんなをずっと「今」に縛り続けた。
「…わがままにつきあわせて、ごめんなさい」
ペンダントを握りしめながら、頭を下げる。
床と自分の足が見えるだけで、みんなの反応はわからない。ペンダントをぎゅっと握りながら、
「さよなら」を言われるのを、待つ。
「……」
「…」
静かになった部屋で、ぎゅって目をつぶった。
真っ暗の視界の中、強くペンダントを握りしめて、待ってると。
「…!」
床をきしませながら、誰かが歩いてくる。そっと目を開ければ、視界に映ったのは大好きなヒトのきれいな足。
いつもならぱっと顔を上げて抱きつくのに、今は凍り付いたように固まって、動けなかった。
「刹那」
声に、体がびくつく。
無意識に自分の手を強く握った。
顔を上げられないまま、声を待てば。
「…?」
声は落ちてこなくて、代わりに目の前に手が差し出された。
大好きなヒトの、手。
でもなにがなんだかわからなくて、顔を上げる。
そこには、
わたしの前ではずっと泣かずにいたヒトが静かに涙を流してる姿があった。
「刹那」
「…」
ふるえる声で、名前を呼んで。
「……触れても?」
やさしい声で、聞いてきた。
それにためらってたら、背中に置かれた手がトンってわたしの背中を叩く。押されるように、一歩前に出た。
差し出された手を取るのはまだためらった。ずっと体に残ってる恐怖で手がふるえて、重ねようとするけど手が重ならない。
それを見たリアス様は、変わらないやさしい声を紡いでいった。
「さよならなんてしたいと思わない」
今も、昔も。
「手放す気もない」
「っ、…」
「刹那」
「、ぅ」
「昔も言った」
「っ、ぅん」
「何もできなくて良い。愛の言葉も、愛情表現も、お前ができないならしなくて構わない」
つらいなら、
「なにを忘れても、もういい」
忘れてしまうのは、悲しいけれど。
「…」
刹那、
「お前が傍にいてくれるのなら、俺はなにもいらない」
うなずきながら、背中を押されるように手を重ねた。
引っ張られるのが少し怖かったけれど、一歩一歩近づいていく。
そうして、あたたかい温度に久しぶりに包まれて。
「大丈夫だから」
大好きなヒトに強く抱きついた。
「これからも一緒にいる」
約束が苦手なあなたのふるえる声を聞きながら。
「…うん」
さよならが訪れなかった安心と、後悔を胸に積み重ねて。
あたたかく包まれる温度たちに、体を沈めていった。
『わたしは結局、愛するヒトたちに「愛」を伝えられないまま。』/クリスティア
二章へ続く