待ちに待った夏休み。今年はみんなでいっぱい遊んで、できたらリアス様とももうちょっとスキンシップをがんばりたい、そんな夏。
ただその夏の前に。
「着替えは大丈夫…」
「タオル系は向こうのを使うだろ」
「当日の服はレグナたちが持ってくれてて…」
「他に当日必要なものも向こうで揃える」
夏休み一発目はリアス様の今回のお義姉さん、エイリィの結婚式がありまして。
結婚式は七月の二十五日。フランスに行くのには二日とちょっと、ということで。
夏休みの一日目から、リアス様といっしょに荷物の最終チェック。
夜にもう出ちゃうから、荷物をつめたキャリーバッグを開けることはしないで、あらかじめ作っておいたチェックリストを見ながら確認中。
「お花とかも向こうだよね…」
「枯れたら困るしな……。カリナとそこは見に行くとして」
「エイリィたちに贈るプレゼントもいれたでしょー…」
「日本の土産は駅で買っていく」
チェックリストにもっかいチェックをしていきながら、二人で上から一個ずつ確認。――うん。
「とりあえずだいじょうぶそう…?」
「……恐らくは。まぁ何かあれば向こうで調達できるし」
「カリナとレグナがいろいろ想定して持ってくるだろうから平気かな…」
絶対今回も荷物多いでしょ。約四日間の滞在とは思えないほどの量持ってきそう。
ね、ってリアス様と笑いあって。
最後に、これだけはって出しておいたエイリィの招待状を手に取る。
エイリィらしいかわいいメッセージカードに書かれた日程と、メッセージ。少しずつなつかしく感じるフランス語。
”七月二十五日。セフィル=グリィナ、エイリィ=クロウの結婚式を行います。
大好きな弟と大好きな未来の妹へ――”
「”きみたちにもたくさん祝ってもらえますように”」
そして、大好きなきみたちと、
「”逢っていっぱいお話できますように”」
「……正直逢って話せるかは謎だがな」
「忙しいもんね新郎新婦…」
準備とかもいっぱいあるだろうし。
「でもたのしみ…」
「……」
メッセージカードをぎゅって抱きしめて、二十五日のことを思い浮かべる。
「エイリィやセフィルとお話するのもたのしみだし…あとは、エイリィのドレス姿も…」
向こうは新郎さんにも当日まで秘密のウエディングドレス。どんな素敵な恰好なんだろう。セフィルはどんな顔するのかな。
想像するだけでちょっとほっぺがゆるんでしまった。
「かわいくて、きっと素敵…」
「……あぁ」
女の子ならあこがれることが多い結婚式。初めてっていう一生の思い出になる素敵な日。
そんな日にお祝いさせてもらえるなんて、なんて幸せなことなんだろう。
たくさんお祝いできるかな。
プレゼント、喜んでくれるかな。
きっとエイリィは、素敵な恰好でわたしとリアス様の前に来て、言うんだろう。
来てくれてありがとう、大好きな君たちが来てくれてうれしい。
次は――。
そこまで考えて、それができないことにはちょっと心が痛かったけれど。
大好きだって思う人。大好きって言ってくれる人。
その人の幸せな姿を見れることは、とてもうれしい。
その、うれしいって思う反面で。
「…」
ふっと浮かぶのは、わたしの大好きな親友。
幸せな姿を見せることができなくて、今もずっと、見せることができてない大好きな子。
カリナは、
「…カリナは、どう思うのかな…」
「うん?」
あの子は、ずっとわたしたちのそういう光景が見たいって思ってて。
「わたしたちは、ずっとその光景を見せてあげることができなくて」
「……」
「カリナは、」
カリナはこの結婚式で、どんなことを思うんだろう。
うらやましい? それとも、悲しい?
「…悲しくなっちゃったり、するのかな…」
「……」
もしそうなっちゃうなら、わたしも悲しい。その「悲しい」思いをずっとさせているのは、わたしだけど。
ほんの少しだけ心が重くなっちゃって、リアス様にすりよった。そうしたら、温かい手がわたしをなでてくれる。
「……お前はどうしたい」
「…」
わたし。
「…わたしは、結婚式がどういうものか、知らない」
「……」
自分たちがすることもなかったし、お祝いすることも今までなかったし。お話でしか見たことがなくて、どこか他人事だった。
だからこそ、
「だからこそ、エイリィの結婚式を見て…お祝いもしたいし、どんなものなのかも、知りたい」
どんなに幸せなものなんだろう。見送る人は、どんな幸せをもらうんだろう。
それを、しっかり自分の目で見て。
「どんなものかを知って、もっと、自分のことも、がんばりたい」
いつかはあの子にも、エイリィみたいに幸せをあげられるように。
「いつか、結婚式、みたいのができるようになったら…カリナにはね、ウエディングドレスは当日まで内緒にするの」
「……あぁ」
「びっくりさせて、カリナの手を引きながら、レグナもいっしょに」
あなたのもとへ歩いていくの。
ううん、わたしたちだったら走って行っちゃうのかな。
なんて、きっとありもしない未来を思い浮かべて、笑ってしまう。どんな笑い方だったんだろう。リアス様が、わたしのことを強く抱きしめた。
「……クリスティア」
「…うん」
あったかい温度を強く抱きしめ返して、あなたの声を聴く。
「……もう少し、頑張ろうな」
お互いに。
わたしなら、恋愛のスキンシップを。リアス様なら、過保護なことを。
そうしてがんばって、いつか。
あの日夢見た未来を、あの子たちに見せられるように。
たったの一言に、そんな思いがたくさんつめられているのはわかっていて。
まだエイリィの結婚式も見てないのに、どこか泣きそうになりながら。
「…うん」
わたしは、あったかい温度の中でちいさくうなずいた。
『フランス移動日①』/クリスティア
リアスのお義姉さんの結婚式があるからと、休む間もないまま夜からフランスに行くことになった夏休み初日。
互いに被らないよう、分担して荷造りをしたカリナを愛原家で拾って、リアスとクリスと待ち合わせてるターミナルへ行けば。
「あらあら」
合流して早々、クリスティアがなんか切なそうにカリナに抱き着いたじゃないですか。リアスもなんかちょっと表情微妙だし。
いや何事??
「どしたのあれ」
「マリッジブルー的な」
「結婚すんのお前らじゃなくね??」
なんで身内がマリッジブルー起こしてんだ。
「クリスー、抱き着いてくれるのは嬉しいんですけれども」
「…」
「あの、もうちょっと力緩められます?」
「んぅ…」
「そんなかわいいお声出されてもですねー」
「んー」
「ちょっとあの、ほんとに、私のあばらや腰のお骨がっ、折れそうでしてっ!」
おっと妹の体からみしみし音が聞こえてきたぞ。
「……とりあえず、カリナ関連で不安になっちゃったみたいな感じで大丈夫?」
「お前のこういうところの察しのよさはいいと思う」
逆にどういうところの察しの良さがだめだというんだろうかこの親友は。
せっかく、と口から出かけたのはあとのお楽しみにするために止めておいて。
「クリスー、骨折っちゃうとカリナのきれいな恰好見れなくなっちゃうよー」
「!!」
ひとまず妹の骨がそろそろ限界だからと、そう助け船を出して。
夏休み初日ということでちょっとヒトが多いターミナルの中、フランス行きの寝台列車の方へと四人、歩いて行った。
ちょっとした移動とか、隣町の移動とかだと車で済むのだけど。遠い距離とか、それこそ国の移動となると寝台列車を使うことになる。できれば本当はテレポートでぱっと行けちゃえば楽なんだけど、ヒトの全くいない場所、なおかつ密入国にならない場所にテレポートというのは正直違う意味で骨が折れるもので。仕方なく寝台列車を使うことになるので。
「用意したんだよVIPルーム」
「バカじゃないのか」
親友のためにと用意した寝台列車のVIPルームを紹介したらひどい言葉もらったんだけど。ひどくない??
「過保護な親友が少しでもフランスまでの旅路で安心できるようにって配慮したのに」
「いやVIPルームを”取ったんだ”ならわかるが”用意したんだ”はおかしいだろ」
「ないものって作らない?」
ねぇなんでお前「本当にそういうところ妹とそっくりだな」みたいな顔してんの? 当たり前だろ似てんのは。双子だぞ。
「せっかく誰も入らないようにしたり、クリスと一緒に寝れるようにベッドも広くしたのに」
「愛原家も恐ろしいが波風家も恐ろしいよな」
「私の方はまだかわいいものですわ。愛原ではこんなことしませんもの」
「いや予定があったとは言えプールに急ピッチで子供用のアトラクション作らせる妹よりはましじゃない?」
「どっちもどっち…」
「えぇ……」
納得いかないと思いつつ、案内したVIPルームにリアスから入っていったのを見て、俺たちも中に入ってく。実はしっかり見るの初めてなんだよねなんてカリナと話しながら、一歩踏み出せば。
その瞬間に。足がふわっと軽くなるような錯覚が起きた。
「うわすげぇふかふか」
「ここだけ別空間ですわね」
電車とは思えないくらいのふかふかな絨毯。スマホを放ったベッドはホテルですかっていうくらい弾む。他にも見渡すと揺れても開かないようなタンスみたいのがあったり、テーブルにもきれいなクロスがかかってたり。
おかしくね?
「過保護が安心してフランスに帰れる設備を頼んどいたんだけど」
「過保護が快適にフランスまで行ける設備になってる…」
「むしろ過保護がここから出なくなるくらい整いすぎてはいないか」
ですよね。
「ただ単に人が通らないようにしてくれればいいってだけだったんだけど……」
「あなたが言ったら”簡単に”でもこのぐらいするでしょうよ」
「義理とは言え大企業の息子だしな」
「普段自分でやるからここまでとは思わなかった……」
あ、これなら。
「これなら、今度あそぶときも…リアス様安心の場所、できる…?」
同じこと考えてたクリスティアと頷きあって。暇つぶしようにと持ってきたノートを取り出し。
「クリスどんな設備がいい?」
「もふもふ…! このじゅうたんがいい…!」
「んじゃそれ入れて」
「せっかく過保護から抜け出そうとしているのに引き戻すな」
「って」
書き始めた瞬間にリアスから頭をはたかれたので、半分冗談として。俺と違って額を小突かれたクリスティアを笑いあって、二日間とちょっと世話になるVIPルームに、過保護が不安にならないようにと荷物を丁寧に置いた。
そうして荷物を整理している間に出発の時間になって。
ほんの少しの揺れの中、寝台列車はフランスへと向かいだした。
「……」
出発も九時だったから、ご飯食べたり風呂入ったりってしたらもう時計は日付が変わる頃。クリスティアは相変わらずどんな場所でもすぐに熟睡。寝息が二つ聞こえてるからカリナも多分もう寝てる。親友はいつもほとんど寝てないのでカウントしないとして。
「……」
列車の走る音と寝息だけで、室内は静か。あぁVIPルームにしてもらってやっぱり正解だったかもしれない。二日間の生活的にはリアスが安心だし、寝るときは俺が静かで安心。
ただちょっと、今日の寝つきは悪そう。
リアスたちがいる向かい側のベッドに背を向けるように寝返りを打って、カーテンで隠れてる窓をぼんやり見る。
眠気はなし。
目を閉じてみても、特別眠気がやってくることもなさそうで。
別に明日も明後日もこの列車にいるから早く寝ようってことはないんだけども。
「……」
どうせ二日間いるならクリスが遊ぼうと言うので、体力は必要だろうということで。
眠れない時は気分転換。さっさと寝るために、一度ぱっと起き上がった。
そうして、魔力を練る。隣の奴は気づくだろうけど、ほかのヒトは気づかないでしょ。
寝台列車での長期旅、寝れないときにやるちょっとした癖となった”それ”をするべく。
練った魔力を発動して、テレポートでその場を後にした。
地に足がついた感覚がして、目を開ける。
真っ暗だった視界がまだ少し暗いのは変わらないけれど、景色はしっかり違ってた。
「やっぱ気持ちー」
寝台列車の上。
風の魔術で落ちたりしないようにサポートしながら、屋根の上にそっとあぐらをかいた。
長期移動のときにやりたくなるちょっとした「ワルイコト」。
別にばれるかばれないかのひやひやが好きとか、そういうMっぽい理由ではなく。
ただ単に、静かなこの場所で風を感じるのが好きだった。
それに。
「またやっているのかお前は」
ばれるばれないという話だったら、親友にすでにばれてるし。
見上げれば、呆れた声の割にはいつもの無表情のリアス。隣に立って俺を見下ろしてた。
「クリスティア置いてこっちに来るとは思わなかったわ」
「探すだろうからすぐ戻るが。たまにはな」
俺を見てた目はまっすぐ前に向く。それにならって俺も前を向いた。ときおり、線路を照らす光がとおりすぎるくらいの真っ暗な夜。
風が心地よくて、優しく揺られて。それだけで眠くなれそうだった。
「寝れそう?」
「俺が寝るとでも? 浅くは眠るだろうが」
「誰も来ない場所なんだし、一回くらい寝とけば。体力使うでしょ結婚式」
結婚式は出たことはないけれど。
その披露宴に近いっちゃ近いパーティーの数々を思い出して思わずから笑いになる。今は忘れようと頭を振って、また前を向けば。
「……お前はよかったのか」
ぽつり。風にかき消されそうなくらい小さな声が落ちてきた。
「何が」
「結婚式の参列。複雑ではないのかと思って」
「それが聞きたくてこっち来たんだ?」
見上げて聞けば、紅い目は俺を見てからまたまっすぐ前を向く。肯定と取って、リアスの言葉を考えた。
”複雑じゃないのか”。
一から十まで説明する奴じゃないけれど、長い付き合いだし、このことに関してはリアスはずっと話題を遠ざけてたので全部言わなくてもわかった。
「一番最初に見るのがお前らじゃなくてよかったの、ってこと」
答えは返ってこないけれど。無言は肯定。
まぁどこまでも優しい奴と、顔がほころんでしまった。その笑みのまま、考える。
複雑か、って言われたら、ちょっとその言葉が当てはまるかはわからなかった。
一番にリアスとクリスティアの晴れ姿は見たいなとは思う。あの日からずっと、願ってたことだから。
けれど、それが叶わなかったこと。そして叶わないことは、よく知ってる。
望んだその未来は見たい。ただ、”見ないこと”が――。
「……俺は別にいいけど」
「……」
「複雑っていうのもないし。今時結婚式なんてドラマとかでよく見るものじゃん? それがたまたま、今世で親友の身内が挙げることになって、見ることになっただけ」
「……」
「俺は、別にヒトの幸せを祝うことが、辛いわけじゃないよ」
「似た言葉を恋人から聞いたな」
「なんだかんだあの子とは似てるんで。けんかっ早いところとかね」
なんて言えばリアスの笑う声が聞こえた。
ただ似てるけれど、このことに関しては誰もが同じことを思うんだろう。
本当は今、俺が言ってもいいんだけど。
俺はリアスが”本当に答えを聞きたい人”じゃないから。
前を向いて、あとは任せようかと、口からは違う言葉を出す。
「ま、祝うのはいいんだけど」
「うん?」
「ハイゼルさんって有名な人じゃん」
「……まぁそうだな」
「有名ってことは人も集まるわけで? 当然俺らの財閥の知り合いとかもいまして」
「……」
俺としては、
「妹に変な虫が増えないかが心配で、エイリィさんの結婚を喜びたいけど気が気じゃないってところかな」
そう、言えば。
「……相変わらずだな」
噴き出したような声で言うので、俺からは大丈夫だろうと。
珍しく「そうでしょ?」と。
寝台列車の上。風の音だけが聞こえる静かな場所で、親友と笑いあった。
『フランス移動日②』/レグナ
長く揺られていた列車が少しずつ停車していく。荷物を準備しながら窓の外を見れば。
「♪」
小さな水色頭の先に、少し懐かしく感じるフランスの景色。あぁ帰ってきてしまったかと、恋人の反応とは裏腹に少し憂鬱になる。
頭の中に浮かぶのは憂鬱の原因となる”男”。
思わず溜息を吐き。
《ご乗車の皆様、大変お待たせ致しました。この列車はフランスに到着し――》
「いこー…」
アナウンスと同時に列車が止まったのを確認した恋人に手を引かれ。
「……あぁ」
あまり来たくはない今世の故郷・フランスの地へと、降り立った。
「じゃあ明日また迎えに来るよ」
「悪いな」
「いいって。とりあえずなんかあったら連絡して」
「わかった」
「じゃねクリス、また明日」
「あしたー」
気分が悪くなる前にとターミナルを早足で抜け、カリナとは早々に分かれ。レグナが事前に連絡しておいてくれたグレン家の車に揺られることしばらく。日本とはガラリと違った景色の中に足をつける。
そうして、憂鬱な気持ちのまま、そこを見上げる。
「……」
「…」
白を基調にした洋風な、どちらかというと屋敷に近い家。
今世で世話になっているクロウ家。
見上げるたびにどうしても気分は落ちていく。
「…へーき?」
「……あぁ。あんまり離れるなよ」
「うん…」
できればクリスティアは置いていきたかったが。
ゼアハード家はエイリィの結婚式に出るためにこの数日はスケジュールを詰めていると言うし、レグナとカリナはあのお家柄、帰宅するとさぞ慌ただしいだろう。その中でクリスティアを任せるというのもどうしても憚られる。かと言って、いくらなじみはあるとは言えど久しぶりの場所に一人でいさせる度胸もない。
というわけで連れてはきたが。
「……」
どうしても憂鬱で、足は進まない。
「…」
「……」
小さな恋人が俺を見上げてくるのがわかる。
暑い夏。暑さに弱い恋人をここにいさせるのもよろしくない。わかってはいるが若干足が進みづらいのも事実。
けれど逃げ場がないのもわかっていて。
「……行くか」
「ん」
ひやりと冷たい小さな恋人の手を引いて、屋敷の中へと一歩、踏み出した。
でかいわりには人ひとりいない広い庭を歩いていく。
「バラー」
「あぁ。とりあえず後でな」
相変わらずきれいに咲いている庭園に寄り道しそうなクリスティアを止めて、また屋敷の方へと歩いていく。一歩一歩近づくたびに心の憂鬱さは増していった。
「……」
扉へと着いた頃にはもう帰りたい衝動で心がいっぱいである。
しかし恋人の前で弱音を吐きたくはない。散々態度で情けない姿をさらしてはいるがそこは置いておこうか。
そう、とりあえず。とりあえず荷物を置きに来たんだ俺は。それにあの男はだいたい中にこもっている。こちらから行かない限り基本的に逢うこともない。没頭していれば話すこともない。
そう、だからここまで憂鬱になることもない。
まずはクリスティアを涼しい場所にやるのが先決。
―よし。
「行く?」
「行く」
暑い中何も言わずに傍にいてくれた恋人に頷いて。
いつの間にか強く握りしめていたドアノブを、引いた。
「……帰ったか」
瞬間に一回閉めかけてしまった。危ねぇな失礼なことするところだったわ。反射的に動きそうになった体は何とか制し。
まさかの一発目でエンカウントしてしまったその男――今世の義父であるハイゼルへと目を向けた。
「……ただいま、戻りました」
「……」
血は繋がっていないはずなのに、同じような紅い目と見つめあう。こちらに興味もないと言ったような無機質さは相変わらず。その目から自分の目を逸らすことができないまま、頭はどこか冷静で。クリスティアの背を押し、涼しい室内へと招き入れる。
「……」
「……」
重苦しい沈黙の中。
「おじゃまします…」
小さな恋人だけは変わらず、のほほんとした声でハイゼルへとあいさつ。一瞬気が抜けそうになってしまったのを違う意味で律して。
彼女のその声で、ようやっと一歩、足を踏み出せた。
「よく来た、クリスティア」
「うん…」
「ゆっくりしていくといい」
「はぁい」
誰に対しても変わらない態度で接するクリスティアに心の中でまた惚れ直しつつ。荷物を引いて、日本とは違って土足のまま家へと入りドアを閉めた。
「リアス」
「……!」
名前を呼ばれ、反射的にそちらへと目を向ける。無機質な目に見据えられて、固まっていれば。
その男は口を開く。
「……後で、変わったことがないか報告に来なさい」
それだけ言って。こちらが頷く間もないまま、ハイゼルは少し長めの灰色の髪を翻し家の奥へと入っていった。
その背が完全に見えなくなるまで立ち尽くして。
「……はぁ」
ようやっと緊張が抜けて、息を吐く。まいったような顔をしていたんだろうか。クリスティアがぎゅっと俺の腕に抱き着いてきた。
「平気だ」
「ん…」
「あとで少しだけ行ってくる」
「…」
心配そうに見上げてくるクリスティアの頭を撫でてやって。
ひとまず部屋に荷物をと、彼女を腕に抱き着かせたまま歩き出した。
二階に上がり、フランスにいたとき自室だった奥の部屋へと荷物を運び。休む間もないまま、キャリーバッグを横たわらせ蓋を開ける。
「クリスも行くー…」
「……」
中から”それ”を取り出している間にそう言ってきたクリスティアを見た。心配そうな顔でこちらを見る愛しい恋人。それに苦笑いをこぼして、一度手に持ったものをキャリーバッグに戻し、クリスティアを手招いた。
ぱっと嬉しそうな顔をした恋人は床に座る俺のもとへとやってきて、ちょこんと膝の上へと座る。
「♪」
ご機嫌な恋人を強く抱きしめ、一度目を閉じた。
冷たい温度に不安や心配が少しずつ溶かされていくのがわかる。
だいぶ冷静になってきた頭で、考える。
研究熱心なハイゼル。その情熱は尊敬を通り越して恐れを抱くほどすさまじい。なんとか条件をつけてクリスティアや幼なじみにその情熱は向けないことを承諾させたものの、あまり、とくにクリスティアとは接触させたくないのが本音である。
別にいいんだ、種族のためにと研究熱心なのは。そのおかげで異種族の翻訳イヤホンもできているし、そしてそれがあったからこそ今の笑守人の出逢いにも繋がるし。
ただ。
スイッチが入ると圧がすごいんだあの男。
その通りにせねば結構な勢いで怒られるし、割と長生きして多少の忍耐力はあるがそれでもだいぶ心も折れ、ついでに言えば少々トラウマにもなったほど。正直な話研究に付き合ってもらいたいのならもう少し人との付き合い方を覚えてほしい。今はその願望は置いておいて。
その圧はものすごいし、情熱もあるので下手をしたらクリスティアにはトラウマが掘り返されるようなことにもなりかねないだろう。もしくは新たなトラウマか。全部の記憶を思い出したことがどちらに転ぶかわからないが、これだけはどう考えてもいい方向に転ぶとは思えない。
こういうとき。
普段ならエイリィが助けてくれていた。俺が義父に呼ばれたときはエイリィがうまいこと言って話自体をなかったことにするか、エイリィがクリスティアの相手をしてくれて義父と接触しないようにしてくれていた。
しかし今エイリィは忙しくてこの場にはいない。次いで面倒を見てくれていた義母・シェイリスも。エイリィと準備があると言っていたし、出迎えがなかった時点でまだ帰っていないと取っていいだろう。
それで残る選択肢は連れていくのみ。下手に置いていくのもやはり不安。まぁどのみち不安なんだが。連れて行こうが連れていくまいが。
「……」
「?」
けれど連れていくしかないか、と。意外とすんなり決められるようになったのは行動療法のおかげだろうか。いやほとんど俺の方はできていないけれども。
不安に支配されての行動ではなく、多少冷静に考えられるようになったのは、これまでの日々のおかげではあるんだろう。
自分はいい方向に転んでいるんだろうかと、未だ答えはわからないがそうであるだろうと納得して。
「……行ってみるか」
「!」
接触が手短にもなるようにと用意した”それ”を再び手に取り。
驚きつつも嬉しそうなクリスティアと、ハイゼルのもとへ向かうため部屋を出た。
「まぁ」
「!」
長い廊下を二人で手を繋ぎ歩いていき、階段を下りて一階へ行けば。少し懐かしく感じる声が聞こえた。目を向けると、玄関先に荷物を持った義母・シェイリスの姿が。
「戻っていたの」
「……先ほど」
「まぁまぁまぁ……クリスティアもいらっしゃいな。少し大きくなったんでしょうかね」
成長期の子供かとツッコみそうになったのは抑えて、おいでと言うようにしゃがむシェイリスの方へと二人で歩いていく。
「久しぶりですねクリスティア」
「うんっ…」
「一年と少しですねぇ……リアスもどこか凛々しく見えますわね」
「……気のせいでは?」
いや本当に。この一年と少しを振り返っても凛々しくなる要素が一切思い返せない。
「これからハイゼルさんのところですか」
「そー…」
「それでしたらお茶菓子持って行ってくれないかしら。ちょうど切れていたお紅茶も買ってきましてね。いいかしら?」
優しく、それこそ母のように笑われるとどうしても断れない。どうせ渡すものもあるからと自分に言い聞かせて。
「……わかりました」
ほんの少し溜息を吐きながら頷き、クリスティアの手を離してシェイリスが持っていた荷物を持つ。
「あらあらあら……いいんですよリアス。ゆっくりしていなさいな」
「落ち着かないんで」
「クリスも持つー」
「クリスはこっち」
手を伸ばしてきたクリスティアには袋の中にあった菓子を渡してやり、広めの廊下を三人で進んでいった。先導するシェイリスの背を追いつつ。ふと気になったことをこぼす。
「エイ――義姉さんは」
「はぁい?」
「一緒では? 結婚式の準備であなたといないと聞きましたが」
「先ほど終わりましてねぇ。エイリィは少しやることがあるからと一旦別れましたの」
「……」
「後ほど来るみたいですよ」
「……まだ準備があるのでは」
「ふふっ、それよりもあなた方に逢いたいんでしょうねぇ。ここ最近はずぅっとそわそわしていましたよ」
内心でセフィルに同情してしまった。もう少し楽しみにしてやれよ結婚式。あの人はあの人で特殊だから動じないんだろうが。
自分だったら少し心が折れているだろうなと、来るはずもないその事態に勝手にから笑いをして。
廊下を抜けた先にある、広めのキッチンへとたどり着き。
「ここで?」
「はぁい、ありがとうね。クリスティアも。あとはゆっくりしていてくださいな」
冷蔵庫の方に荷物を置いて、言葉に甘えてクリスティアと共にリビングの方へ。
ソファに座り、ちょこんと俺のひざの上に座ったクリスティアの髪を撫でながら一息。段々と心地よさそうに目を閉じていくクリスティアの目元を撫でてやれば、くすぐったそうに身をよじった。
「お前は本当にマイペースだな」
「リアス様も結構マイペース……」
「否定はしないが」
そのマイペースに救われていると、頭を撫でて伝える。言葉にしなくとも伝わった彼女は、嬉しそうに俺に抱き着いてきた。
「相変わらず仲良しさんねぇ」
冷たい温度を堪能しつつ、やってきた声の方へ目を向ける。その手にはトレーと、もう片手にはかわいらしくラッピングされている袋が。
「お茶の用意、もう少し待っていてくださいね。このトレーのものを渡してあげてください」
それと、と。
そのラッピングされている袋を俺によこしてきた。がさりという音を聞いて、クリスティアも俺から緩く身を離し、そちらを向く。
「お手伝いのお礼に。クリスティア、クッキー好きでしょう?」
「?」
「あなたがこちらにいるとき好きでよく食べていたクッキーですよ」
「!」
瞬間、見なくても恋人の目が輝いたのがわかった。一気にテンションが上がり足をぱたぱたと揺らすかわいらしい恋人に思わず笑みをこぼしながら、シェイリスから袋を受け取った。
「……どうも」
「まだありますから。なくなったら声をかけてくださいね」
「ありがとー…」
礼を言うクリスティアに微笑んで、シェイリスは紅茶の準備のため再び去っていく。その背を見届けてから、クリスティアへと目を移した。
少女のような恋人は嬉しそうに袋をいろんな方向から見ている。その頭を撫でてやれば、幸せそうな表情は俺に向き、笑ってまた袋へと意識が戻っていった。
「……」
ぱたぱたと足を揺らすクリスティア。
この小さなヒーローは本当に誰からも愛されるなと、誇らしさ半分。
それによって自分もこうして、家族のような。そういう空間に溶け込むことのむずがゆさ半分。
悪い意味ではない、ほんの少しの居心地の悪さに。未だどうしていいかわからず、紅茶を待つ間ひたすらにクリスティアの髪をいじり続けた。
そうしてクリスティアの髪を結って遊ぶことしばらく。
シェイリスから紅茶ももらい、その紅茶とクッキーを載せたトレーを持って。
「……」
二人で地下にある研究室の扉の前へと来ていた。
先ほどのい意味での居心地の悪さが本当の意味での居心地悪さに変わり、再度溜息を吐く。
とりあえず今日は、怒鳴られることは避けたい。
帰って来てまでそれはさすがに少々辛い。
不安もありながら、心に「大丈夫だ」と言い聞かせて何度か深呼吸をして。
「行く?」
「あぁ」
クリスティアに頷いて、重い扉を開ければ。
「……」
広いテーブルに向かっている背中が、一番に目に入った。
没頭中か。クリスティアはドアのところで待機させてハイゼルへと近づいていく。
「……」
「……義母から」
「……」
返事がないのはわかっているがそれだけ言って、空いているところにトレーを置いた。
そして自分が今回持ってきたものも。
「……日本にいる間の、自分の状態をまとめたので」
「……」
「とくに変わりはありませんでした」
ぎこちなく言いながら、同じように空いているところへ。”研究記録”と表紙に書いてある冊子を置く。
「……」
それを見ているのかいないのかはわからないハイゼルは、何も言わぬまま机に広げた資料を見つつノートにペンを走らせるだけ。
「……必要なことは書いてあるので」
「……」
「……」
「……」
どうしようもなく気まずい。せめて頷くかなにかだけしてほしい。
いたたまれない空気の重さに、足を少しずつ引きながら口を開こうとすれば。
「なーにー」
「!」
後ろで恋人の声が聞こえて、ばっと振り返った。
小さな恋人はしゃがんでさらに小さくなって、目の前の何かに首を傾げている。
どことなくそのフォルムに見覚えがあるような。
心の中で思い返しながら、反射的にクリスティアの方へかけていった。
「どうした」
「近づいてきたー」
初めてのものは触らない、という言いつけを守って、クリスティアは目の前にやって来ている、どことなくシェイリスの髪に近いピンク色の丸い何かを指さす。
ひとまずケガしないようにと抱き上げつつ。
「見覚えがあるだろう」
「!」
思い出したのと同時に、今まで声を発しなかったハイゼルが声をかけてきた。こちらを向くことはしないが、ハイゼルは続ける。
「近くで見たかはわからないが。今年お前たちの学園の体育祭に貸し出したものの試作機だ」
あぁやはり、と。そのときよりはかなり小さくなっているそいつを見やった。
ほんの少し丸みを帯びたフォルムにローラー。それはカリナや祈童達と共になった捕縛走に出たやつにそっくりだった。
「……俺が一発目で当たりました」
「そうか。どうだった」
いやどうだったと聞かれても大変めんどくさかったとしか感想が出ない。しかしそれはいけないだろうとよくわかっているので。
「……AI搭載だったので、手こずりました」
「そうか。あれはのちのちいろいろな場面で使おうと思っている。また意見を頼もう」
あれを?
人を感知したら逃げるあれをか? 体育祭みたいなああいう催し物以外に使える場所ないだろと心の中でツッコみながら。
「……わかり、ました」
「クリスティアも。その機械を見かけて気づいたことがあれば言うように」
「はぁい…」
「君たちの意見がこの世界のためにもなる」
ずしっと来る言葉に動じず返事をしたのはクリスティアだけ。見えないことをいいことに苦笑いをして。
「リアス」
「はい」
呼ばれた声に、無意識に背筋を伸ばした。
「この記録は受け取っておく。定期的にこのような形で送るように」
「……」
一瞬”考えておきます”と出かけたがこの男にそれはいけないとぐっと飲みこんで。
「……冬、頃にまた……送ります」
なんとか苦手な約束を口から出し。
短いはずなのに長く感じた時間から逃げるように、研究室を後にした。
「へーき?」
「……なんとか」
ひとまず研究室から抜け出して一階まで早足で行き、クリスティアを強く抱きしめる。
空気がくそ重かった。死ぬかと思った。あの男のあの圧力どうにかならないのか本当に。
クリスティアには心なしか優しく接してくれていたのが救いだった。
「…」
若干圧にやられて震えかけている手をなんとか制すが、気づいているクリスティアは俺を慰めるように頭を撫でてくる。
「一緒に来るとこういう情けない姿までさらすことになるな……」
「かっこよかったよ…」
今回ばかりは「どこがだ」と言いたい。
しかしそれを言うと延々と語り続けそうなので口をつぐんでおいて。
「あそぼー…」
「……」
相変わらず切り替えるタイミングが絶妙にうまい恋人に、また惚れ直しながら。
「……とりあえず、お前の家に荷物置きに行くか」
今日もともと泊まる予定にしていたクリスティアの家に行くため、再び彼女を抱き上げて二階へと上がっていった。
『クロウ夫婦登場!』/リアス
賑わう街の中、こつりこつり。ヒールを鳴らしながらゆっくりと歩いて行く。
隣には少し珍しい、金髪のヒト。そのヒトも私に歩幅を合わせるように、ゆっくりと街中を歩いていきます。
途中、美しい花々が咲くお花屋さんが見えました。
あの花きれいですね、なんて言えばそのヒトは「そうだな」と返して来る。
ざっと見た感じピンとくるものはなかったので素通りさせていただき、歩みを進め。
とある雑貨屋さんを指さして「ああいうのもいいですね」と言えばまた「そうだな」を返って来る。その先で見つけたお菓子屋さんでも、同じような会話を続けて。
二人、歩みを止めぬまま街中を歩いていきます。
様々な商品にピンと来るものがないから足を止めないのも理由の一つ。
けれどなるべく足を止めぬようにしているのは。
「あっ、そこのカップルさん、こっちでイベントやってるんですけどどうですか~?」
うかつに止めれば、この男とこうしてカップルだと間違われてしまうから。
「どーしてあなたとこうも恋人と間違われるのかしらっ!」
「こっちだって不服だわ……」
歩いているところで声をかけてきたお姉さまには二人息ぴったりで「恋人ではないです」と返し、気圧されてしまった彼女に同情してしまいイベントのチラシだけもらってからリアスと二人、またゆったりと歩いていく。
並んで歩いていますが距離は人ひとり分空いていて。
顔もどことなく互いに不服そうなのに。
「……街の方々は我々をケンカップルとでも思ってるんです??」
間違われることのただただ信じられないとしか出ない。
「おかしいですよねこんなに間違われるの」
「はた迷惑な」
こっちのセリフですよ。
「どうせならクリスティアと恋人に間違われたいです……」
「お前そろそろクリスティアガチ恋説本気で濃厚になってきたからな」
「どうせなら、ですよ。別に本気で恋人になりたいとかそういうんじゃないんで」
「間違われたら喜ぶくせに」
「あなたという恋人がいますなんて言わずに”そうなんです私の恋人素敵ですよね!”って悪ノリする自信は十分ありますわ」
ほんとに悪ノリか? みたいに見ないでくださいよ。ほんとですよ。
「もう……止まったらアウトだと思っていたから必要なところでしか止まらず歩いていたのに……」
「意味がなかったな。これで何件目だ」
「足を止めたところで五件、足を止めずに八件ですね」
「そんなに俺達は恋人に見えるのか??」
気持ちわかりますよリアス、意味わかりませんよね。
「こんなにも幼なじみなのに……」
「いや腐れ縁だろう」
「否定はしませんけども」
クリスティアとレグナがいなければ友達にもなりませんよこの男。
言わずともわかっていると思うので、一度溜息を吐いて。
本日の目的がリストアップされている紙に、目を落としました。
リアスのお義姉様が結婚式を挙げることになった七月。せっかくなら幼なじみ全員で来てね! とご招待いただいたので、過保護なリアスの補助もかねてレグナと参列することに。
そうして明後日に式を控えた本日は、追加のお祝いの品や当日渡す予定の花束を買いに行くことにしまして。
夏休みということで街は当然賑わいます。娯楽施設もある西地区ならばなおさら。
本当ならクリスティアもつれて一緒にエイリィさんのお祝いの品を選ぶのが一番いいのはわかっていつつ、さすがにまだリアスにハードが高いのもわかっていて。
レグナにクリスティアを任せて、こうしてこの男と二人街を歩いているんですけども。
「そこのカップルさん、向こうでカップル割のスイーツが――」
「「カップルじゃないんで」」
道行く宣伝の方々に毎回カップルに間違えられて大変困っております。
いらだちを隠さないまま颯爽と二人で宣伝の方の隣を抜けていき、一番の目的である花屋を探すためあたりを見回します。
けれど。
「なかなかピンクのバラがないですね……」
「あったかと思うと合わせたい違う花がないしな」
お花屋さんは数多くあるのにどうしても目的のものが見つからないっ。
「見つかるまでにどのくらい声かけられますかね、カップルですか? って」
「この商店街抜けることにはトータルで三十行くとみた」
「このペースなら五十行きそうですよ」
なんて、楽しくもない賭けをしつつさっきよりも早足で商店街を歩いていきます。道行く花屋には赤いバラ、黄色のバラ……、ピンクがないですね。あっピンクあった。あぁでもカスミソウとかがない。心なしかバラも少々元気がなさげ。
「スルーでいいのか」
「次に参りましょう」
声かけが来る前にまた歩いていき、周りを見渡す。
果物屋さんに雑貨屋さん、クリスティアが好きそうな小さなお菓子屋さんとバーッと見ていく中で。
ひとつ、目に留まりました。
急いでリアスの腕を掴みぐいっと引っ張る。
「ちょっと」
「ってぇな骨抜けるわ」
「あの子ほど力ないんで大丈夫です」
「いやあらぬ方向に曲がりそうなんだよ」
「抜けたら戻してあげますわ。それよりほらこっち」
恨めしそうな顔にはちょっと見ないフリさせていただきまして、リアスを引っ張りその場所へ。
たどり着いたのは、さっき見たところよりも小さな雑貨屋さん。その中で、ひとつのものを指さす。
「これ」
「? ……花が詰まった箱……生花か?」
「いえ、プリザーブドフラワーかと」
ピンクのバラがメインになって詰められている箱を取り、もう少し近くで見てみました。
特有の花の匂いもない、きれいに敷き詰められたバラの箱。
「こういうの良くないです? 枯れないお花なんですって」
「へぇ……」
隣にやってきたリアスはまた違う色の箱を手に取り、じっくりと吟味。クリスティアよろしくいろいろな方向から見て。
「エイリィが好きそうではある。枯れないのもいいな」
「もし残るものがよいのであれば花束でなくこういうのも良いかと」
「あぁ」
ではこういうのも視野に入れて、と。箱を置こうとしたとき。
店員さんが我々の前にやってきました。
これはいけない。
「あ――」
二人して、恋人ではないんですと言おうとしたら。
「プレゼント用ですか?」
にこやかな店員さんは穏やかにそう聞いてきました。
思わぬ言葉にリアスと二人、一度顔を合わせて瞬きしてしまう。そうして頭で理解して、店員さんに向きなおり。
「えぇ、この方の身内の結婚式に贈りたくて」
「あぁ、それでしたら奥の方にもこういうのがありまして。六月からの結婚式シーズンになると人気のものがあちらに」
手を差された方向を見れば、店頭に出されている花たちと同じようなものが数多く棚に並んでいました。
「よかったら見ていってくださいね」
その棚からまた店員さんへと目を戻すと、彼女はにこりと笑って店内へと戻っていく。その背を見送って。
「リアス」
「あぁ」
二人、再び顔を合わせて頷きました。
きっと思いは同じ。
この店員さんが素敵なお店で買おうと。
言葉を交わさずとも通じ合った我々は前を向き。
素敵な店員さんがいる小さな雑貨屋さんへと、足を踏み入れました。
♦
「素敵なものが買えましたね」
「あぁ」
小さな雑貨屋さんからの帰り道。気持ちゆったりと歩きながら、先ほど買ったものを思い浮かべてリアスに笑いました。彼も納得いったのか、どことなく表情は柔らかい。それに微笑んで、前を向いた。
あの雑貨屋さんでエイリィさんたちへのプレゼントを選ぶことしばらく。どれも素敵なものばかりで悩んでいたら、店員さんがちょっとしたオーダーメイドもあると教えてくれまして。
中のお花たちの種類や色を変えたりということができるそうな。
それならば、と。
悩んでいたのが嘘のようにさっと決まったのが、ハートの時計を囲うように水色と赤のバラたちを詰めてもらったプリザーブドフラワーのギフトボックス。
最初は結婚式でよく贈られるというピンクのバラを探していましたが。こうして選べるならと、リアスとクリスティアのことが大好きなエイリィさんに彼らのイメージカラーのバラを贈ることに。
「枯れることもありませんし、ずっと飾っていそうですね」
「セフィルそっちのけでな」
あぁ、ありえそう。少々セフィルさんに同情をしながら、あと買うものはと歩きながらまた紙に目を落とす。
あとはあれですね、リアスが頼まれたパーティー用の備品少しと、一応ギフトが多かったのでとそれをまとめるような可愛らしい袋があれば。こちらはまぁ最悪なくてもそれぞれ手渡しでも大丈夫でしょう。ほかには、クリスティアが式以外では基本お外に出れないので彼女の好きなお菓子だったり、旅行ではないので別にいいかなと思いますが、同級生や先輩たちのお土産も今日のうちに買いたいところ。八月に逢うのでお菓子ならば日持ちするものがいいですよね、と。
考えながらゆったりと歩いていれば。
「……なぁ」
「はぁい」
同じく隣をゆっくりと歩く男が、声をかけてきました。それには紙に目を落としたまま応じ。
「……お前はよかったのか」
「何がです?」
「結婚式」
「はぁ」
「……」
「……」
あまりにも言葉足らずな男に意味がわからず今度こそ顔をあげました。その男は少々気まずそうなお顔。
何事です??
「よかったのか、とは……?」
「……結婚式」
「その先を教えてくださらないと私はわかりませんが」
「クリスティアが言ったらわかるだろう……」
「あなたは私の愛するクリスティアじゃないでしょうよ」
仮にクリスティアでもこの情報量じゃわかりませんよ。ほんとですよ??
心の自分に言い聞かせるのもほどほどに。今は目の前の男に応じなければいけません。未だ気まずいお顔をしている男に首を傾げました。
「結婚式がなんでしょうか」
「……気まずくないのか」
「あなたの方がなんか気まずそうですけれど。お義父様と何かありまして?」
「真剣な話だが」
「いやこちらも真剣ですよ」
真剣に応じたいんですが情報量が足りないんですって。
せかすように彼を見れば。
気まずさはそのままに少々目をうろうろさせて。
意を決したのか。ゆっくりと口を開いた。
「複雑じゃ、ないのかと」
「複雑」
「……見たかったろ」
結婚式、と。小さくこぼされた言葉に。
ようやっと、腑に落ちました。
つまり、
「……一番に見るのが自分たちの結婚式でなく複雑ではないのかと?」
「……」
無言は肯定ととって、紙に目を戻して少しだけ思考の時間をいただきましょう。
複雑ではないのか。
複雑と言われるとピンとは来ませんね。確かに、ずっと願っていたのは。
クリスティアとリアスの、結婚式だった。
あのときからずっと、それは変わらない。
「……もしも四人でこの先を歩いて行けたのなら」
「……」
「私はたしかに、あなたたちの結婚式が見たいと思います」
一番にそれを見ることが叶わなかったという点を取るのならば、彼の言う通りきっと”複雑”ではあるのでしょう。
けれど。
「私嬉しいんですよ」
「……何が」
「いろいろと」
きっと挙げたらきりがないかもしれない。そのきりがない中で、挙げていくとしたら。
「お義父様とはあれでしょうけども、あなたが”家族”になじめていることも、そうしてなじんだ結果、あなたが遠ざけていたこういう式に参列することも」
そして。
「あなたたちが、ちゃんと自分たちの意思で、参列すると決めたことも」
断ることもできたはずなのに。とくにエイリィさんはリアスとお義父様の仲も知っているし、リアスのひどい過保護も知っている。最初から逃げ道は用意していたはずなのに。
「あの子のことでしょうから。きっとエイリィさんをお祝いしたいという思いと、どういうものかしっかり見て、私にちゃんと見せたいといったところでしょう?」
「お前のそのクリスティアの読解力はそろそろ恐怖を感じるな」
「今はありがたいと思ってください」
黙ったので感謝しているだろうと取って。
前をしっかりと向いた。
「その気持ちだけで嬉しいんです」
その気持ちがあるから、
「私はあの日と変わらずに、十八歳の三月二十七日まで生きていける」
体が動かなくなっていく辛さも、早く死んでしまいたくなる悔しさも、何もかも押しのけて。
「それに私もね」
「……」
「エイリィさんの結婚式を見て、もっと生きたいって思うかもしれません」
特別結婚の願望があるわけじゃないけれど。
初めて見る結婚式。どんな幸せな時間なんでしょう。
「……いつか私も歩くのかしらとか、クリスティアが歩くときは、どんなに幸せなのかしら、とか」
人の結婚式でそんなこと思うのは少々無粋ではあるかなと思うけれど。
「女の子ならではですわ。私はなにもかも楽しみですし、こういった貴重なことに参列できるのが嬉しいです」
あなたが大切な誰かを見送る機会があることも、もちろん。そこはちょっと言いませんけれど。
だから、と。
きっと不安だった優しいあなたへ。
「大丈夫ですよ」
笑ってあげれば、ようやっと。気まずさが抜けたような顔になりました。それに私もほんの少し安堵して。
「それにリアス」
「……なんだ」
再び紙に目を落としながら。
「幸せって続くじゃないですか」
「? そうだな……?」
来るかもわからない未来を思い浮かべ、顔をほころばせて。
「エイリィさんの次は、あなたたちかもしれないですよ」
そういたずらっぽく笑えば。
「……こういうときはお前達は本当に同じことを言うな……」
少し照れたように目を逸らされたので、また笑って。
「それまでに私に盗られないように気を付けなさいな」
冗談を言いながら、少しだけ丸まっていた背を叩いて。
私たちは再び恋人に間違われながら、商店街を抜けていった。
『カリナとリアスのお買い物』/カリナ
未来へ続く物語の記憶 July-IV
