もう届かないかな
「・・・・ねぇ」
この距離じゃ、あなたには
「・・・・・あたしね、あなたのこと」
それでもね、伝えたいんだ
「ずっとずっと、大好きだったよ」
―この声が、消える前に
♦
「んー・・・」
人がにぎわう街の中で、少女は唸っていた。
「直るかい?」
彼女の隣で、困ったように老婆が尋ねる。
その声に少女はまた「んー」と唸りながら、手の中のものをよく見てみる。
少女の手の中には、古びた時計があった。針はさび、文字盤は掠れ、すでにその役目を終えた時計は到底治せるようなものではない。
―それが、普通の人間では。
「うんっ」
しかし少女はしばらくその時計を見つめた後、途端にパッと笑顔になって老婆を振り替える。
「大丈夫!直せるよ!」
そう言って立ち上がった少女の足元に、魔法陣が浮かんだ。
この世界には、2つの人種が存在する。
1つは、この世の中では当たり前の存在である人間。
そしてもう1つは、人間の姿をしながらその体内に魔力を宿す―
魔法使い、と呼ばれる者たち。
今まさに魔法を使おうをしているこの少女―桐谷ノアも、その魔法使いの1人である。
ノアは発動した時間回帰魔法を手元の時計に集中させる。
戻す場所は、この時計が持ち主に渡ったところまで―。
そう決め、ノアはその瞳を閉じて、さらに集中を高める。その直後、手元が強い光に包まれた。
「・・・・・・」
自分の中で魔法が正常に発動し終えたのを感じ、ノアはそっと目を開けた。
手の中には、老婆から預かった時計がある。それは受け取った時のものが嘘のように、新品同様となって再び時を刻んでいた。
「はいっ、直ったよ!」
きちんと不備がないかを確認して、ノアは時計を老婆に渡した。
「あらぁ・・・本当に直ったのかい」
受け取った老婆は、驚きを隠せない様子でその時計をまじまじと見つめる。
「ありがとうねぇ、ノアちゃん。これは爺さんから貰った大切なものだったんだよ」
ひとしきり見てやっと直ったと実感がわいてきたのか、今度はとても嬉しそうな表情で老婆はノアに言った。
「いーえ、直って良かったね、おばあちゃん」
「ノアちゃんのお陰だよ、本当にありがとうねぇ。今度何かお礼するよ」
「お礼なんかいいよ、困った時はお互い様なんだから!それじゃ、あたし学校行くね!」
「ああ、いってらっしゃい」
「いってきまーす!」
ノアは老婆に別れを告げ、学校方面へと足を進めた。
「・・・・・」
商店街から少し離れたところでノアはおもむろに足を止め、左手首に着けているブレスレットの画面を見る。
そこに表示されている情報を見て、ノアの瞳は悲しげに揺れた。
あと、どれくらい―
そこまで考えたところで、ノアはそれを打ち消すように頭を振り、いつものかわいらしい笑顔を作って、再び歩き出した。
魔法使いが存在する、この時代。
昔よりは数は減ったが、その血は今でもなお続いており、その多くの魔法使いが人々の力となるべく、魔法を使っている。
しかし、魔法使いの力は、確実に衰えていた。
“カタギリノア
ノコリ 538”
―魔法を使える回数が、分ってしまう程に。
志貴零
ノアが通う聖煉高校は、商店街を抜けて10分ほど歩いたところにある。
寄り道をしていた為、もう少しで予鈴が鳴る時間になってしまっていた。ノアは小走りで学校に向かい、その門をくぐる。すると―
「あ、ノアだー。おはよー」
「ノアちゃんオハヨ~」
途端に、沢山の挨拶に迎えられた。
「おはようございます、ノア先輩っ」
「桐谷おはよー」
「あはは、おはようございまーす・・・」
年齢性別問わず浴びせられる挨拶に、ノアはいつも通り若干の苦笑いで挨拶を返しながら、玄関へと向かう。
「あ」
なるべく一人一人に挨拶を返しながら自分のクラスの下駄箱につくと、ノアは1人の男子生徒を見つけた。その姿に、思わず声を上げる。
「ん?」
反射的に口を塞いだが、その声は本人の耳に届いており、男子生徒はこちらを向いた。そして、ノアを見つけると途端に柔らかい笑みを浮かべた。
「ノア。おはよう」
「おはよ、翼」
つられて柔らかい笑みを浮かべたノアは翼に挨拶を返し、自分の靴が入っている場所―彼の下の段へと手を伸ばす。
「今日も人気者だね」
「翼のせいでしょー」
「えー、おかげって言ってよ」
「半々だね」
そう笑いあいながら靴をはき替え、ノアは翼と共に教室へと歩き出した。
入学当初、ノアは今のように学校になじめていなかった。逆に話しかけられるというのは夢の夢というくらいでもあった。
その原因が、七色に輝く瞳の色。
魔法使いはまともに魔法を扱えるようになる頃、始祖である魔法使いと魔法を使う契約をする。その際、契約の証 兼 魔法使いの証明として、瞳の色が七色に輝くのだった。
しかし、これは思春期の彼らにとっては不都合だった。
瞳の色が変わったと同時に、周りの態度も変わってしまったのである。
今まで普通に接してくれた友の目は好奇や恐怖の目に変わり、魔法使いは‘特別’という孤独の中に堕ちた。
それはノアも例外ではなく。
高校から魔法を使うようになったノアもまた孤独だった。友人など一人も出来ず、先生からも一線を引かれた。当然こんな状態では部活に入ることもできず、ノアは入ろうと思っていた軽音部を諦め、過ごしにくい時間を立ち入り禁止の屋上で大好きな歌を歌いながら過ごしていた。
‘特別’であるノアだけが入ることを許された屋上。鍵を閉めてしまえば、当然他の人間が入ることはない。ノアにとっては、唯一落ち着ける場所だった。
そこに入り込んできたのが彼―隣のクラスの片桐翼だった。
ノア達が入学して初めての文化祭を迎えようとしていた頃。
いつも通りノアが屋上にいると、突然その扉が開いた。
普段決して開くことのない扉が開いたことに驚き、そちらを見ると、ギターを持った翼がほほ笑んでこちらを見ていた。
ノアはその時、「ああ、またか」と思った。
魔法は不思議な存在である。
それゆえに、人間は興味か恐怖を抱く。恐怖なら遠ざかってくれる分ましだが、興味は若干厄介だ。
‘魔法が見たい’、‘使って欲しい’。ノアが魔法使いになってから、何度も聞いた言葉だ。
断って引いてくれるならいい。しかし、大抵の者は引き下がらない。
何度も食い下がり挙句の果てには自分のものを壊したり何か問題を起こしたりしてまで魔法を見ようとする。
それを何度も見て来たノアにとって、翼が持っているギターはまた犠牲になってしまった子に見えたのだった。
魔法使いにしか直せないものならば直さなければいけない。それが決まりだ。ノアは心の中でほんの少し、溜め息をつきながら決心した。
しかし、楽しそうにこちらへ歩み寄ってきた翼が言った言葉は、ノアが予想もしない言葉だった。
「ね、練習付き合って?」
「・・・・は?」
予想の遥か上をいった言葉に、ノアは固まってしまう。それをいいことに、翼は楽譜をノアの目の前に出して続けた。
「この曲。知ってる?有名な曲なんだけど」
「え・・・」
言われるがままに見ると、それは昔から有名なバンドの、ノアが大好きな曲だった。
辛いことも悲しいことも、その時だけ忘れられる。そんな風に思わせてくれる曲。
けれど今は‘この曲好き!’なんて言える心境ではなくて。
彼は魔法使いである自分に魔法を使って欲しいのではないのだろうか、なんで屋上に入って来れたんだとか、ギターを準備しているこの男に言いたいことは山ほどあるが、予想外すぎる展開にノアは何も言いだせずにいた。
すると、それをいい事に、翼は言った。
「俺さ、君の声すげー好きなんだよね」
「だからさ、一緒に歌おう?」
きっと独りより、2人の方が楽しいから。
翼はそう言うと、ノアの了承も得ずにギターを弾き始めた。
大好きな曲が、ギターの音で奏でられていく。
その音に、浮かんだ疑問も、言おうとしていたことも、全てノアから消しとんだ。
優しくて、心が温かくなるような、そんな音。
引き込まれるようなその音に、ノアは自然と、歌いだした―。
それからの日常は、嘘でも退屈とは言えなかった。
どういうわけか翼は毎日屋上に顔を出しては練習に付き合ってと言うようになり、たまたま行けない日は教室までやって来て何かしら会話をする。
ノアとしては翼が変な目で見られる前に引き離したかったので避けようとしたが、それも通用せず結局会えば必ず会話をするようになってしまった。
そんな日々に最初こそ困惑したが、不思議と嫌ではなかった。
今まで誰ひとりとしてノアと話そうとしなかったのに、翼は話しかけてくれる。
魔法使いとしてじゃなくて、自分をちゃんと見てくれる。
そんな翼に、ノアは少しずつ心を開いて言ったのだった。
そこまでで終われば良い話で片付いたのだが。
「まさかこんな風になるとは・・・」
ノアは道行く生徒たちに挨拶を返しながら呟く。
それに翼は小さく笑った。
翼と共にいるようになってから、ノアへの恐怖心が抜けたのか、クラスの生徒たちからも話しかけられるようになった。もちろん、魔法使いとしてではなく、普通の人として。
そうして話していくうちに、‘ノアは普通の人と同じだ’というのが学校中に回って言ったのだろう。
隣のクラスから始まり、冬休みを迎える頃には学校中の生徒との壁がなくなり、先輩たちとも話すようになっていた。
そして挙句には、学年が上がると顔も知らない後輩からも話しかけられるようになったのである。
「入学した時とは違う意味で目立ってるんだけど」
「1年生なんて入学初日で‘ノア先輩ですよね!’だったもんね」
「ほんとびっくりだよ」
当初は困惑したが、今となっては笑える話を2人でしながら、教室へと向かう。
入ったのは、2人共同じ教室だった。
学年が上がると、クラス替えがある。
元々2人は違うクラスだったが、何の縁か、2年次では同じクラスとなった。しかも‘片桐’、‘桐谷’と名前も同じ行で、席は前後。おかげで今までより翼と話す量は増え、なおさら1年生たちにも親しまれる事となったのだった。
「壁がないのはいいことじゃん」
「うん、まあそうなんだけどね?」
良いことなのは確かだが、やはり最初がああだったからか、ノアは未だに今の状況にはなじめていない。
これでもまともになった方である。始めの頃は何か裏があるのかと思ってビクビクしていたのだから。
それも翼のおかげか、少しずつだがまともな反応を返せるようになった。
(いつかお礼しなきゃなぁ)
自分を同じ人として見てくれたこと、たくさんの人と話せるようになっこと、翼には返すものがたくさんある。けれど、どうやって返せばいいのだろう。
「ノア?どうかした?」
「なんでもなーい」
考えていたらぼーっとしていたのか、翼がのぞき込むようにしてノアに尋ねてきた。
それにノアは何でもないようにそう言って明るく笑った。
「えー」
「ほら先生来たよ」
その返答に翼は少々不満そうだったが、教師が来たことによりその話は強制的に中断された。
*
「ノア、今日部活は?」
1日の授業も終わり、生徒たちが部活に励む時間となった頃、帰り仕度をしていたノアは同じく帰り仕度中の翼に言われた。
それに、ノアは今日の予定を頭の中で確認する。時計を見ると、午後3時45分。夕方から予定はあるが、恐らく1時間程度なら部活に行けるだろう。
「んー、ちょっとだけ出るー」
「そか、じゃあいこ」
「うん」
そう答えて、ノアは翼と共に教室を出た。
ノアは2年に上がってから、入学当初入ろうと思っていた軽音部に入部した。入ろうと決めたのは、人間との壁もなくなりつつあった頃、翼にふと溢したのがきっかけだ。聖煉高校は、部活の途中入部はけがや病気等で入部が遅れる場合のみ許される為、事実上2年から入部となっているが、あくまでそれは形式上のものなので、ノアは入部する前からよく部活に参加させてもらっていた。
そんなノア達が所属する軽音部の部室は、校舎の1階、隅の方にある。部員数は各学年2バンド組めるか組めないか程度と少ないが、その演奏の実力はかなりのものであり、文化祭等の演奏会では毎年期待されるほどである。
「ノア~」
翼と共に部室に辿り着き、扉を開けると、間延びした呼び声に迎えられた。
同時に、女子生徒がノアに抱き付いて来る。
「えみちゃん」
普通なら驚きものだが、もう慣れてしまったノアはその人物の名を嬉しそうに呼ぶ。するとその女子生徒もノアから体を離すと嬉しそうに微笑んだ。
彼女は赤澤愛深人。ノアはえみちゃんと呼んでいる。
クラスは違うがノアたちの同級生で、部活ではキーボードを担当している。おっとりとしているが意外としっかりもので、面倒見のいい姉的存在である。部活に初めて遊びに行った日、初対面のノアに翼と同じように人として接してくれて、何かと気にかけてくれた。ノアもそんな愛深人に心を開き、部活を主に、ともに行動している。
「練習してた?」
「んーん、準備だけ~」
部室に入り先輩方にあいさつをしながら愛深人に訪ねると、そう返ってきた。そして部室の奥をみると、一台キーボードがセットされている。
「今年はノアと赤澤が二人でやるやつもあるんだっけ」
「そだよ!」
同じく奥を見た翼が訪ねてきたので、ノアは嬉しそうに答えた。
聖煉高校の文化祭は10月にある。
まだまだ先ではあるが、早いバンドはすでに曲決めをして練習を始めていた。
今回ノアは翼と組んだ自分のバンドと、愛深人のピアノで歌う曲がある。翼の方はまだ曲決め中だが、愛深人との方は決まっており、すでに練習を始めているのである。
「ノア、俺とも2人でやってよー」
「バンドでやる曲決めて翼に余裕があったらね」
「ちぇっ」
ノアの返答に、翼は拗ねたに舌打ちをした。
ノアの声が好きだという翼にとって、ノアと2人で曲をやるというのはとても魅力的らしいが、翼はギターの実力があり、いくつかバンドを掛け持ちしている。そこにノアとの曲も増えたら何かしらが疎かになるだろう。
それもわかっているからか、翼はそれ以上だだをこねることはしなかった。
「ノアー、やろ~」
「んー」
そんな翼をほんの少し可愛く思いながら、ノアは呼ばれた愛深人の所へ行き、彼女の伴奏で歌を歌い始めた。
*
そうして各々が練習を初めて数十分が経った頃。
突然、ガラッと部室のドアが開いた。その音に演奏が止まり、全員の視線がドアの方へと集まる。そこには、スーツを着た男性が立っていた。
「っ!!」
同じようにドアの方へ視線を向けたノアは、その人物を見た途端に顔をひきつらせる。
「見つけたぞノア・・・」
ドアを開けた男性―朝霧千尋は、たれた目の割に悪い目つきを更に鋭くして、発見したノアへとずんずん迫っていく。
「チッ!!帰るっ!!」
「待てコラァっ!!」
ノアは大きく舌打ちをするとすぐさま荷物をまとめ、窓から飛び出す。それを見た千尋も逃がすまいと加速し、同じように窓から飛び出した。
「ノア、また勝手な事したのね~」
「千尋くんも大変だね」
必死な本人たちは対照的に、翼たち軽音部員はその光景を微笑ましい様子で見送ると、各々の練習を再開した。
*
「止まれノアァァァアァ!!」
「いーーーやーーーだーーー!!」
軽音部がノアを見放した頃、ノアと千尋は校庭で壮絶な鬼ごっこを繰り広げていた。
「てめぇまた勝手に魔法使いやがっただろ!!」
「緊急事態だったのー!!」
「お前の周りは1日何回緊急事態が起きてんだっ!!」
そう叫び合いながら、2人して校庭を駆けまわる。
本来この時間は部活中の為校庭には野球部やサッカー部がいるのだが、ノアと千尋の叫び声が聞こえると、生徒も教師もみな道を開け、「またか」とでも言うように笑いながら二人の攻防を見届けている。つまりは日常茶飯事なのだ、彼らのこの攻防は。
「つーか今日検査だっつってただろう・・・がぁっ!!」
「きゃあっ!?」
が、やはり高校生女子では成人男性の脚力に敵うはずもなく。裏庭でノアは千尋に首根っこを掴まれ、鬼ごっこは早々に終了した。これでも今日は中々逃げ切った方である。
「女の子の首根っこ掴むとかどういう神経してんの!?」
「掴まれるような事してっからだろ!!おら、車待たせてんだからさっさと行くぞ!」
「いーやー!ヒロ兄のばかぁ!」
「バカで結構!」
こうして今日も抵抗むなしく、ノアは強制的に車に連れていかれるのだった。
『この声が消える前に』