運命の日は、それが終わりの年じゃなくても。ときどき不思議なことが起きた。
「、ぅ」
「熱、下がりませんね」
「んー、解熱剤も効かないね」
私たちの誰かが、体調を崩したり、下手したら死んでいたんじゃないかというようなけがをしたり。結局はそのまま治るから、それが何度か続けば、またこれを越えたらいつも通り過ごせますね、と言えるのだけれど。
「……」
心配は、心配で。
今回それはクリスティアで。下がらない熱に、三人でベッドの周りで様子を見る。
隣のリアスはずっとクリスティアの手を握っていました。
「……ぬるいな」
「いつもは冷たいのに」
小さくこぼせば、こくり、頷く。
クリスティアも心配だけれど、それを見ているリアスも精神状態は良くないでしょう。いつもなら決してしないけれど、自然と手は彼の背に行って。ゆっくりと、落ち着くように撫でた。
「槍でも降るのか?」
「それだけ冗談が言えれば大丈夫ですね」
それがただ、気丈にふるまっているだけと知っていながらも、茶化して。
「とりあえず運命の日まで、誰かしらずっと見てるようにしよっか」
「そうですわね」
兄の提案に頷いて、リアスを見た。彼はほんの少し不服そう。
「俺が見ているが」
「基本はそうだけど。お前だって睡眠とらないと下手したら倒れるでしょ。だから寝るの交代で」
「……」
「クリスが起きたときに万全な状態で迎えましょうよ」
ね、と言えば。
珍しく聞き分けよく、リアスは頷きました。それに、内心ほっとして。
「ひとまずカリナからね」
「ではお言葉に甘えて。お先に失礼しますわ」
こういうときに一番にしてくれる兄にお礼を言って、夜も完全に更けてしまった時間。最初に眠らせてもらおうと、今は使われていないクリスティアの部屋へと向かった。
♦
「そんでねー」
「はいな」
気が付いたら、そこは真っ白な空間でした。
けれど違和感が不思議となくて。
あぁ、ここは――。
セイレン様の間ですかと。自然と納得できた。
彼が用意する部屋はいつだって真っ白で。基本は一人になるけれど、たまにほかのところにあそびに行かせてもらうこともあったから。
そうか、と。
今回は、もう死んでいて。今は天界で、生まれ変わるのを待っているのかと。そう、腑に落ちた。
だから。
「リアスがね」
「ふふっ、またあの男があなたを怒らせたんですか?」
「だっていじわる言うっ」
目の前の、熱に浮かされていたクリスティアとこうして普通に話しているのも、違和感がなかった。
そういえば、とふと思い出すだけ。
「話の腰を折るようですけれども」
「なーにー」
「夢をね、見ていたんです」
そう、自然にこぼしていた。
「ここで夢って見るんだね」
「長年繰り返していて初めてですわ」
笑って。
「さっきね」
「うん」
「クリスティアが熱に浮かされていた夢を見ていたの」
言えば、彼女はぱちぱちと目をまたたかせて。
「めずらしいね」
「ですねぇ」
熱出すのなんてリアスの方が多いですもんねと、また笑って。
目の前に広げられていたパズルを、また手に取る。
いつの日かプレゼントしたさくらのパズル。
あれ、けれど。
そのパズルって、ここにあったかしら。
「……?」
「カリナ…?」
「いいえ」
疑問に思ったけれど。これはセイレンに頼んで出してもらったものですよね、と。納得して、パズルの端にあたるピースを嵌めていく。
「……」
「…」
私がパズルを再開したら、クリスティアも自然とパズルを手に取って。今度は二人、静かにピースをはめていく。
ぱち、ぱちと。
静かで真っ白な空間では、それがよく響いていた。
「…」
「……」
そうしてしばらく。
「…」
「……これで最後かしら」
「かしらー」
二人で静かにあそんでいたら、パズルに終わりがやってきて。クリスティアに最後のピースをかざして、笑った。
「…はめちゃう?」
「えぇ」
頷いて、ぱちんと最後のピースを嵌めて。
自然と、こぼした。
「もう行かなくちゃ」
体が、自然と立ち上がる。
目の前に広がったのは、ずっとそうしてきたんでしょう。この子とたくさんあそんだ形跡だった。
今のパズルに、ボール、絵本に、なわとびなんていうのもある。お化粧品に、鏡に。スケッチブック、クレヨン。
それを見て。
「最後よ、クリスティア」
「…」
そう告げれば、クリスティアは意を決したように頷いた。
頭の中で、それに疑問なんて感じなかった。
私は、これから。
この子に何度目かわからない別れを告げるのだと。信じて疑わなかった。
それを助長するように、記憶があふれてくる。
私はもう、この人生を終えることを決めていて。
クリスティアが、もう少しだけあそぼうと、泣いてしまったから。
何度も、何度も。引き止められるまま、この子とあそぶ。この天界で。それを、ずっと繰り返してきた。
ひとつあそびを終えれば、「これで最後ね」。そう言って、立ち上がって。
振り向いた先に現れた列車へと歩いていく。今回も同じ。
そう、これで最後。
何度も言い聞かせて、歩き出して。
一度振り向く。
その先には、泣きそうなクリスティアがいた。
いつも着ている黄色いワンピースの裾をぎゅっと握って、何かを言いだしそうにしながら、こらえていて。
それを見るたびに、私も喉がいたくなって、ぐっとこみあげてくるものをこらえる。今までのことがぶわっと頭を駆け巡って、嫌でも胸が苦しくなった。
長い、長い人生だった。
何度も繰り返して、悲しみを味わって。その中にもたくさんの幸せを感じて。
四人で、たくさん歩いたねと。腑に落ちて。
決めた。
この人生を、これで終わりにしようと。
けれど決めた割には、どこかやっぱり寂しくて。
別れを嫌がるクリスティアに、甘えて。
あそぼうと言われたら、「じゃあ次で最後ね」と困ったように笑った。
思い返しながら、一歩、一歩。列車へと歩いていく。
自然と、目からは涙があふれていた。お別れってこんなに悲しいのね。知っていたはずなのに、いざお別れになるとわかると、こんなにも泣いてしまう。
けれど、もうこの四人での人生は、終わりにしようと決めたから。
また一歩、歩いていく。
さらに一歩、踏み出して。
後ろから。一歩、音が聞こえた気がした。
だめよ、と言い聞かせても。何度も見たその顔がぶわっと頭の中をめぐって。立ち止まってしまう。
立ち止まったらだめよ。そう思い込んでも、結局待ってしまう。
ぱたぱた、我慢できなくなってしまった子がやってくるのを。
そうして、少しして、呼ぶの。
「カリナーーっ」
普段は決して出さないくらい、大きな声で私を呼んで。
「行かないでっ…」
しゃがみこんでしまった私に、叫ぶ。
「もう一回、あそぼっ…」
ついには追い付かれてしまったその子に、抱き着かれながら。
「次で、最後にするからっ」
「っ、う」
「もうちょっとだけ、あそぼう?」
ぎゅっとしがみつかれてしまったら、私はあなたをふりほどけないわ。
「クリス」
「あと一回…」
「もうだめよ」
「おねがい」
カリナ、って。泣きながら呼ばないで。
もう何度決心しても、揺らいでしまうから。
「さよなら、するんでしょう?」
「っ、うん」
「何度も何度も、最後って言ったよ」
「うん」
でもね、と。泣きながらクリスティアは私に抱き着く力を強くする。
「あと、一回だけ」
本当に、それで最後にするから。
きっと、またあそび終わったら同じことを言うと思うけれど。
心のどこかでこれを待ってしまっていた私もいるから。
「……仕方ない子ね」
「!」
少し体を離して、見上げる形になった親友に笑う。
「次で最後よ、クリスティア」
そう、言えば。
泣いた目で、彼女は笑って。
私はまた、クリスティアに手を引かれながらあそび場に戻って行った。
♦
「……」
「カリナ」
次に名前を呼んだのは、低い音だった。
「大丈夫? ……交代の時間だけど」
「……交代……」
「寝る時間」
それが兄の声だとわかってきて、彼から紡がれる言葉に、段々と意識がはっきりとする。
「……」
「カリナ? ほんとに大丈夫?」
「……えぇ」
それに、ようやっと”今”が現実だとわかって、ベッドに寝転がりながら腕を額に当てた。
「夢でしたわ」
「なんか見た」
「……人生を、終える夢でした」
「……」
寝返りを打って、しゃがんでいたらしい兄と目が合った。
「四人で、人生を終えると決めたんです」
「うん」
「それでね、クリスティアが、もうちょっとあそぼうって」
「ふはっ、クリスらしい」
でしょう? それに笑って。
「不思議と、夢な感じがしなかったんです。もう、この人生を終えることは当然だと思っていて。ずっと、クリスティアに付き合って、人生を終えるのを先延ばしにしていました」
「……」
「一度あそんだら、これで終わりねって立ち上がって」
そうして泣きながら名前を呼ばれて。
「もうちょっとあそぼう、って、何度も繰り返すの」
それがどこか嬉しくて、けれどそのクリスティアが、どこか切なくて。自然と涙があふれていた。
「私はそれに甘えて、次で最後ねって言いながら何度も付き合うの」
「……うん」
「妙に現実味を帯びていた夢だったわ」
決してそんなことしないのにね。
涙をぬぐってくれる兄に笑って言えば。
兄は優しく笑って。
「そうだね」
兄も、この人生を終える気はないと知り、ほっと息をつく。
「もう少し寝とく?」
その言葉には、首を横に振った。
「今は、あの子の顔が見たいです」
起き上がって、言えば。
「いっておいで」
手を引かれて、ベッドから立ち上がり。
入れ替わるようにしてベッドへと寝転がった兄に振り向いて。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
ずっと働きづめの兄に、そう言ってから。私は部屋を出た。
『もう一度あそぼう。次はあなたが起きてから』/カリナ
「……」
「…」
カリナから話を聞いていたから、今置かれている状況は夢なんだとわかった。
「……」
「…」
真っ白い空間。まるでセイレンの間みたいな場所で、目の前には今熱を出しているはずの女の子。
この場では普通にしているその子と向き合って、思うこと。
これ俺も見るの??
この夢俺も見るんだ? カリナのこう、心配で夢に見ちゃったとかじゃないんだ??
「……」
「あそぼー」
「……おー」
まるでそうだよ、って言うように、目の前の子は俺に近づいてきて手を取る。
それにされるがままなのはいつのもこと。周りを見渡して、夢の中の俺もカリナ同様あそんできたんだろう、たくさんのおもちゃを見た。
そうして、自然と。
「今度はなにしてあそぶ?」
そんな言葉が出ていた。
まるで、今この瞬間まで”俺”があそんできたかのように。
それに違和感を覚えたのは、数秒後で。
「……」
「レグナ?」
「んや?」
ちょっとこれ質の悪い夢かもなって、苦笑いをこぼす。
クリスティアが「次はね」って言っている中で、辺りをもっかい見渡した。
真っ白な部屋。
クリスティアが広げたおもちゃ以外はなにもない、声が少し響く、そんな空間。
ここには、覚えがある。
運命の日が来て死んだら、俺たちが帰ってくる場所。普段はひとりひとりだけど、たまに他のとこにあそびに行くから、クリスティアがいることに違和感なんてない。
「……」
「レグナー」
「んー」
「次これ」
「パズル?」
「うん」
桜の、いつかの人生でカリナが贈ったもの。あぁ、あれ気に入ってたからセイレンに頼んでここにも置いたんだっけ、なんて。
自然とそんな風に考えた。
そして、またこれも当然のように、思う。
――これが終わったら、行かなきゃ、なんて。
「……」
「これ、や?」
「んや、そういうんじゃないよ」
当たり前に思ったことに、突然我に返ることを繰り返す。
どっちが本当なんだっけって、境界線があいまいになっていくのを感じながらパズルのピースを手に取った。
「……」
「これこっち」
「さすがクリス、よくわかるね」
「でしょー」
端っこのピースから埋めていって、笑いながらパズルを完成させていく。
「これここ?」
「そー」
「んじゃこれこっちか」
「…せいかい」
ぽんぽん嵌めていくと、クリスティアは少しだけ寂しそうな声をした。
そこで、気づく。
クリスティアの、パズルを埋めていくペースが少し遅いことに。
あぁ、これ。
わざと時間がかかるようにしてんのかな、って。
そうしたら、カリナが教えてくれた”お別れ”までの時間が稼げるから。
それがわかって、俺はそんなお別れなんてする気ないけどねと、心に思う。
けれど、口からは出なくて。
「……」
「…」
パズルが少しずつ埋まっていくにつれて、二人とも口数が減っていく。
「……」
「…」
そうして、しばらくして。
「……これが最後かな」
ぱち、ぱちと。
二人で埋めていったパズルは、終わりを迎えた。
俺が持っている最後のピース。それをクリスティアに掲げたら、彼女は寂しそうに笑う。俺もそんな顔してんのかな。
笑ってるのに、笑えてる感じがしないや。
まぁ別に、これを嵌めなければ終わることなんてないんだし。これを、適当に手で弄んでれば――。
「……」
そう、思うのに。
さすが夢って言うべきかな。
体が、そこから勝手に動き出した気がした。
「…埋めちゃう?」
寂しそうに言うクリスティアに、首を横に振ろうとした。けれど言うことは聞かずに、縦に頷いて。
ピースを持った手が、パズルへと伸びていく。
そうして、ゆっくりと伸びていって。
止まれという心に相反して、ぱちんと。パズルのピースが嵌まった。
「……」
「…」
勝手に、口が開く。
「んじゃ、俺行かなくちゃ」
どこにだよ、って思うのに、体は立ち上がった。
見下ろしたクリスティアは、どうにか頑張って微笑みを作ってる。それに、ぐっと心が締め付けられながら、振り返った。
「……これで、終わりだね」
目の先には、列車。
あれに乗って。
俺はこの人生を終えるんだ。
心と体が一致したような感じがして、歩き出す。
一歩、また一歩。
その途中で、はっと我に返って。
これは夢だろと、自分に言い聞かせる。
そう、夢だ。カリナが話していた夢。
俺は別に人生を終える気なんてない。
このまま四人で歩いていく。それは、あの日決め直してからずっと、もう変わっていない。
だから、クリスティアにそれを伝えようと、今は後ろになった彼女に振り返った。
その、先に。
「…、っ」
今にも、泣き出しそうに。目に大粒の涙をためたクリスティアがいた。
いつものワンピースの裾をぎゅっと握って。
どうにか頑張って、俺を呼ばないようにして。
それでも、一歩たまに歩み出て、また戻る。
―――あぁ。
これ結構、堪えるわ。
夢であっても、その姿に喉が痛くなって、目に何かこみあげてくる。
足はまだ、列車の方に歩みだそうとする。けれどどうにか、どうにかそれを振り切って。
走り出した。
それを見たクリスティアは顔をくしゃりとゆがめて、口を開く。
「、れぐ、な」
「クリス」
「レグナ、っ、ぅ」
歩み寄っていけば。
「ぅ、あ、」
ついには声をあげて泣き出してしまったクリスティアの前にしゃがんで、手を伸ばした。
目元をぬぐってやりながら、こぼれてしまう涙を構わずに、彼女の肩に頭を寄せる。
「レグナ、ごめんね」
「……なんで謝るの」
「さよなら、しなきゃいけないのに」
そうだね、と。
自然とこぼれていた。
「みんな、決めてるのに」
「うん」
おねがい。
「もう一回だけ、あそぼ?」
いいよ、っていつもなら言ってるのに。今日はそれがつっかえて出なかった。
代わりに出たのは、
「……これで最後だよ」
なんて、思ってもいない言葉。
それでも、クリスティアは頷いて。
顔を上げたら、やっと笑ってくれた小さな親友に、俺も笑って。
手を引かれるまま、クリスティアと歩き出した。
♦
「……」
「……大丈夫か」
次に気づいた時には、見慣れた天井と、見慣れた親友だった。
そこで、ほっと息をつく。
「夢だわ……」
「カリナも見ていたと聞いたが」
「そのカリナが言っていた夢を俺も見たわ……」
「どんな偶然だ……」
起き上がって、さっきの現実味を帯びた夢を思い出して。思わずうつむいて顔を覆った。
「平気か」
「メンタル結構やられる」
「俺達がクリスティアと別れを選ぶ夢だったか」
「そ。そんで、クリスティアが泣きながらもう一回あそぼって言ってくる」
「それは堪えるな」
笑って言う親友に、俺もようやっと少し笑って。
「リアスも見るかな」
「どうだろうな。夢であっても無事に逢えるというのはいいんだが。内容的にあまり今は見たくないな」
「フラグ?」
「今だけは本当にやめてほしい。見たら恨むからな」
「夢は俺もコントロールできないよ」
肩を竦めて。
順番で寝に来たリアスと入れ替わるようにベッドから立ち上がる。
そうして、振り返って。
「リアス」
「ん?」
親友へ、一言。
「クリスと、あそんであげてね」
そう言えば、一度きょとんとしてから親友は笑う。
「当然」
それを聞いて。
リアスなら多分大丈夫かなと、親友に笑ってから。
きっとあと少しで目覚めるであろう小さな親友が、少しでも楽になるよう手を尽くすため、部屋を出た。
『次は四人で。終わりのないパズルのピースを埋めよう』/レグナ
「……」
「…」
先ほど親友に言ったと思う。
その夢を見たら恨むからな、と。
目の前には、今熱にうなされているであろう小さな恋人。
あたりは真っ白な空間。セイレンの間に似たような場所。
そうして、数々のあそび道具。
あの双子が話していた内容と合致する。
それに、ため息を吐いた。
「リアスー…?」
「いや……」
この場では普通らしい恋人に首を横に振って。
まぁ見てしまったものはしょうがないと、あとでレグナにはきちんと恨み言は言うことを決めつつ。
辺りを見回しながら、頭を整理する。
夢の中でクリスティアとあそんで、パズルをやったら列車が迎えに来て。それをクリスティアが止めてくる、という話だった。
あたりをもう一度見れば、たくさんのあそび道具がまた目に入る。
なわとび、ボール、スケッチブック。
彼女の後ろ側に位置する場所には、視認しづらいがまだ多くの道具があることがわかる。
「……ずいぶんあそんだな」
「もうちょっと、あそぼ?」
「それはもちろん」
この夢の中の俺は、何度、何十回、いや、何百回。クリスティアとこうやってあそんだのだろうか。
思いながら頷けば、クリスティアは嬉しそうに次のあそび道具を探し始める。散らばった遊具を見回しながら、悩んで。また歩いて、悩む。
チェスにオセロやトランプなどのテーブルゲームもある。
それに手を伸ばして、「これはさっきあそんだ」と手放して。
「これ」
「……」
やはり、”それ”かと。
カリナから聞いた桜のパズルを手に、恋人はやってきた。
「ほら」
「♪」
手を広げてやって、恋人を招き入れる。上機嫌に、あぐらをかいた俺の足に座ったクリスティアはパズルを広げた。
「パズルであそびたいのか」
「…うん」
「……」
これは時間稼ぎかと、ふと思う。
クリスティアはあそびはなんでも好む。その相手とあそぶこと自体が好きなので、別に自身が不得意なものであそぼうと言われようが気にしない。
パズルはもとより得意ではあるが。
違和感を感じたのは、それを選んだこと。
彼女は新しく与えられたときや、選択肢がそれしかないときしかパズルはあそばない。
それが、時間がかかることを知っているから。
「……パズルじゃなくてもいいだろう?」
「…やっ」
俺に対して珍しく「嫌だ」ということも、それを裏付ける。
そんな彼女を後ろから抱きしめてやって。
「別にどこにも行きはしない」
「…」
「お前の目が醒めるまでとことん付き合ってやる。わざわざパズルじゃなくたっていい」
「…リアスは、いや?」
「うん?」
「パズル」
「別に」
むしろ好きな類ではあるが。
今はきっと、そうじゃないんだろうと思う。
「他のでもいいぞ」
「…もういっぱい、あそんだよ」
「同じのだっていいだろう」
普段はそうなのだから。
な、と。
頭をゆるくなでながら言ってやる。けれど彼女はかたくなで。
「…パズル」
「……」
「パズルが、いい」
それを譲らないので。
これはこのまま進まなければいけないのだろうかと。確かめる意味合いもかねて、了承した。
「わかった」
「!」
それに安堵したようなクリスティアに笑って、広げられたパズルのひとつを手に取る。
絵柄は、寸分たがわず前にカリナが渡したもの。
これに何か意味があるのだろうか。
「……単にクリスティアが気に入っているだけか」
「?」
「いや?」
これなら一度やったから覚えてしまっている。
クリスティアほどではないにしても多少自信がある記憶力で、端からピースを埋めていった。
「…」
「……」
「…」
「……」
静かな空間で、パズルの嵌まる音が響く。
ぱち、ぱちと。覚えがあるものだから思いのほか早く桜の絵は完成していった。
「……」
「…」
そうしてぱちぱちと二人、パズルを嵌めていくと。
「どうした」
「…」
クリスティアが、俺の手をとる。
「俺はパズルじゃないんだが」
「…はやいの」
「……これは知っているからな」
位置もある程度覚えている、と返せば。
後ろからでもわかるくらい、クリスティアは焦ったような雰囲気になった。
彼女の思う終わりが近づくのが、思ったから早いからだろうか。
「……これが終わっても、俺はずっとここでお前とあそぶが?」
「…」
言っても、彼女は俺の手を握り続ける。
ほんの少し、振るえた手で。
「……」
「…」
「……」
「…あそぶ?」
「あぁ」
「お別れ、しない?」
「当然だろう」
だから早く起きろ、と。
掴まれていない方の手で彼女を引き寄せた。
「…」
「……クリスティア」
「…、リアス」
「うん?」
こちらを見上げた彼女は、いつの日か見たような、目に涙をいっぱいに溜めていた。
今にも落ちそうなその雫をぬぐってやって、額を摺り寄せる。
「大丈夫だから」
「、っ」
「これで終わりじゃない」
「ほんとう…?」
「俺がお前に嘘を吐いたことが――」
あるな。
しょうがないとは言えあるわ。そこはなかったことにして。
「ある…」
「……言うな、知ってる」
思わず苦笑いをこぼし。
「……」
パズルのピースを嵌めるために、力が強くなり始めている自分の手を、力を込めて止めた。
「…リアス…?」
「うん?」
「…」
それに気づいているんだろう、彼女は心配そうに俺を見上げる。
「なんだ」
「手…」
「……」
やはり気づいている彼女は、不安そうに俺を見つめた。
それにはなんとか笑いをこぼしつつ。
「……」
思いのほか力が強い自身の手を、爪が食い込むのも構わずに握りこんだ。
「……夢でも現実でも、運命みたいなものの力は強いな」
「…やっぱり、行っちゃう?」
「……、」
そんなわけないだろ、と。
言おうとしたのに言葉が出なかった。
心なしか汗がにじんでいる気がする。それを見たクリスティアが、また目に涙をため始めた。それに、己に対する悔しさで歯をかみしめる。
言うんだろ。どこにも行かないと。
そう、自分に問いかける。
けれど。
「行かなきゃな」
口から出たのは、真逆の言葉。首を横に振りたいのに、言うことは聞かず。まるで「ごめん」と言うようにして、クリスティアに自然にすり寄った。
「リアス」
「悪い」
「…、行かない、で」
わかってる。行く気なんてない。
ただ体は、何故かクリスティアを膝からおろしてしまう。
やめろ、と。言えるのは心でだけ。
勝手に立ち上がった体は、ゆっくりと後ろを振り向いた。
少し遠くには、レグナやカリナが言っていた列車。
そこに、歩み始めようとしたときだった。
「やっ…」
「!」
がしっと腕を掴まれ、反射的にそちらを見る。
視線の先にはクリスティア。恋人は必死になって、俺の腕にしがみついていた。
「クリスティア」
「やだっ」
「行かなきゃならない」
「やだっ!」
どこか冷静な頭で、ここは双子と話が違うと理解した。
あいつらは列車の方まで進んで行って、呼び止められるなり振り返るなりして戻ったと。そう言っていたのに。
このクリスティアは、最初から必死に俺を止める。
聞かなきゃならない気がして、歩き出そうとする足をなんとか制して。クリスティアの方に向き直り、しゃがんで問うた。
「……何故止める?」
こちらとしては止めてもらってありがたいんだが。
どうしてか、理由を聞かないと。直感のようなもので思った。
ぽろぽろと涙を流すクリスティアの目もとをぬぐってやりながら、促せば。
「…さよなら、なっちゃう」
ぽつり、ぽつり呟いていく。
「決めたけど、お別れ…」
「あぁ」
「でも、まだ、お別れしたくない」
「……」
「あのね」
「うん?」
「ちゃんとね、お別れしようって、決めてるの」
それはとても困るというのは今だけは言わないでおく。
いや。
言えなかった。
「でもね」
クリスティアが、
「あんな怖い列車のお見送り、どうしてもできない」
そう、こぼしたから。
その言葉に、自然と目が見開いていくのがわかった。
そして反射的に、後ろを振り返る。
目に見えるのは列車。
見た目はオレンジに近い紅。いかにもクリスティアが飛びつきそうなものだ。
そう言えば、思い返してみると。紅なのにこいつは走っていかなかった。あの双子達からもそんなような話は聞いていない。
何か、見えてるものが違うのか。そう思って。
クリスティアを、振り返ったら。
「!!」
彼女の後ろは、さっきと違って真っ暗闇だった。
広がっているのは、ずたずたにされたあそび道具たち。
「、クリスティア」
「、ぅ」
「お前」
「リアス」
たすけて。
そう、クリスティアはこぼす。
状況がまだ理解できずに、辺りをまた見渡した。
真っ暗闇な空間。
ぼろぼろのあそび道具。
もう一度振り返ったら。
「――!」
まるで地獄に行くんじゃないかというような、黒く。彼女が言う「怖い列車」がいた。
自分でもわかるくらい目を見開いて、クリスティアを振り返れば。
苦しそうに、悲しそうに。泣きじゃくっている恋人。
ふと、思った。
「クリスティア」
こいつ、このまま行くと死ぬのかと。
無意識に抱きしめて、奥を見据える。
なにもないはずなのに、どこか視線を感じるような、そんな雰囲気。それに盗られまいと、強く強く抱きしめて。
状況を、少しずつ理解していった。
繋がったように見続ける夢の中。
一見、別れを告げる俺達を引き止めているかのように見えるこの夢は。
逆で。
俺達が、今。
こいつが死ぬのを引き留めていたらしい。
”あそぼう”という言葉に、「たすけて」を混ぜて。
恋人なりに、生き延びようとしていて。
これはあの双子が先に言ってくれていなかったら本当に気づけなかったと、苦笑いをこぼす。
「、リアス」
「……」
泣きじゃくるクリスティアをなだめるように頭を撫でてやって、すり寄る。
答えがわかったのならもう簡単。
夢でどこまで自分のコントロールが効くかはわからないが、どうかできるよう願って。
「クリスティア」
愛しい恋人の名を、強く呼ぶ。
こちらにきちんと帰ってこれるように。
「帰るぞ」
言えば、彼女は俺に強く抱き着いて。
「、うんっ…」
うなずいたのを確認してから。
「炎舞滅永葬」
クリスティアがこわがる「こわいもの」をすべて焼き尽くせるよう、火を放った。
♦
「……」
「大丈夫?」
「順番的にクリスティアじゃないのか……」
「残念、俺でした」
目を開ければ、見慣れた天井の前に見慣れた親友。
流れ的に思わずそんなことを言えば、レグナは笑って肩を竦めた。
その顔がどこか安心しているようなので。
「……目は?」
「醒めてないけど。熱は下がったよ」
峠は越えたかと、こちらも安堵で息を吐く。
「リアスも見た?」
「あぁ。ちょうどお前に恨み言を言おうと思ったところだ」
「それは勘弁」
起き上がったついでに手を横に薙いだがきれいにかわされてしまった。軽く舌打ちをしつつ。
「……気づいたか」
「何を?」
「夢の意味」
「あぁ――。起きてからね」
死ぬとこだったんでしょ、と困ったように笑うレグナに頷いた。
「やはりたまになにかしら肝が冷えることが起こるな」
「そりゃ、本来死ぬべき日を無理にこえてるわけだし? あるでしょこういうのも」
立ち上がって、話しながら部屋を出る。
そうしてすぐ隣の部屋へと行けば。
「……カリナ」
「うぅっ、ひとまず熱が下がってよかったですクリスっ」
泣きはらしているカリナに思わず引いた顔になってしまった。頑張って話しかけているが本人まだ起きてないぞ。
「……夢の意味を聞いて泣いたと見た」
「リアス正解。さっすが」
「嬉しくないが」
歩いていき、カリナには少し移動してもらい。
ついさっきまで生死の境にいたであろう恋人の頬に手をはわせた。
「クリスティア」
「…」
名前を呼んでも、まだ反応はない。けれど今までのような焦りはなかった。
「早く起きてこい」
「…」
さっきより穏やかな恋人の顔に、笑って。
「あそぶぞ」
俺はそう、声をかけた。
『次は俺が、あの日のように手を伸ばそう。君が帰ってこれるように』/リアス
最初は、苦しさがなくなって死んじゃったかと思った。
死ぬわけじゃない年の、運命の日の数日前。熱を出して寝込んだ。
ずっとずっと苦しくて、寝ても覚めても苦しくて。
呼吸もつらい、寝てるような感じもしない。みんなが声をかけてくれるけど、どこか遠い。
何日も続いたそれが、突然軽くなって。
セイレンの間に似たような場所に来たから。
「…死んじゃったみたい…」
思わず、声でも出た。
だってそう思うでしょう? いきなり苦しいのがなくなったんだもん。それに八年に一回来る場所に来たらそう思うよ。
もしかして死ぬ年今回だった?
そしたら、みんなもあとで来るのかな。
じゃあ、ひとりなのはほんの少しだけだ。ひとりあそびは、得意だから。
「…あそぼ」
みんなが来るまでいつも通りあそんでよって。
下を見たらいつの間にかあったあそび道具に、手を伸ばした。
これ夢かもしれないなって思い始めたのは十個目のあそび道具のときだった。
「…」
誰も来ない。
「…」
リアスたちだけじゃない、セイレンですら。
「…」
これは、おかしいなって。
いつもだったら絶対、死んだあとすぐにセイレンが来る。
今回はどうだった、楽しかった?って。やさしく聞いてくれる。そしたらそのあと、たまにまた四人で逢って。
またみんなであそぼうねって言い合って、それぞれの時間を過ごす。
それなのに。
「…だれもいない」
でもまぁ夢なら勝手にそのうち醒めるよね。熱下がったら醒めるかな。早く下がるといいな。
最初は、そんな風に思うだけだった。
「…」
それが、これほんとにまずい系かもしれないと思ったのは、五十個目のあそび道具であそび終えたとき。
ずっとひとりの空間。
あそび終わったら、また次の道具が出てきて、またあそんで、また出てきての繰り返し。
これはもう、夢だなって確信してしまった。
そして。
「…っ」
後ろを振り向くと、空間がよどんでいるように見えて。
これはほんとにまずい夢なんだろうなって思わざるを得なかった。
けれど、夢の中ではどうしようもできなくて。
ただただ、出てくるあそび道具であそんでいくしかなかった。
「…」
それから、どのくらい経ったんだろう。
あたりは、夜が来たみたいに真っ暗闇になってしまっていた。
「…」
さみしい。
「…」
こわい。
「…、はやく、起きたい」
ひとりであそぶんじゃなくて、みんなであそびたい。
それなのに、夢は醒めてくれない。
それどころか、暗い空間がどんどん広がっていく。光もなんも、ない。
このまま、死んじゃうんじゃないかな。
そう思っちゃうくらいだった。
「…やだな」
まだ、死にたくない。
みんなともっとあそんでたい。
はやく、はやく。
この夢から、さめてほしい。
「…」
「クリスティア」
それに応えるように来てくれたのは、カリナだった。
「カリナ…!」
「あらあら、どうしたんです?」
真っ暗闇でほんの少しだけ見づらい中。カリナにぎゅって抱き着いて、ぱっと顔を上げて。
「あそぼ!」
「えぇ、もちろんですわ」
笑ってくれたから、床に散らばってるあそび道具を手に取って「これ」と手あたり次第のものであそんでもらった。
「次これ!」
「えぇ」
「これも」
「はいな」
そこからは、楽しくて。
真っ暗闇にいることも忘れるくらい、カリナとあそんだ。
「そんでねー」
「はいな」
他愛ない話をして。
「もうちょっとあそぼ?」
「もちろんですわ」
たくさんのあそび道具であそんで。
どのくらい経ったかもわからないくらいあそんでもらったら。
床に、パズルが出てきた。
カリナからもらった大切なパズル。次はこれだって手に取って、カリナとまたあそんだ。
「…」
「……」
「…」
「……」
二人で、ぱち、ぱちってピースを嵌めていく。
ゆっくり、ゆっくり。
たのしいね、ってカリナを見たら。
「…?」
なんでだろう。
ほんの少し、寂し気にほほえんでた。
「カリナ…?」
「いいえ」
どうしてそんな寂しそうなの、って言おうとしたけれど。
カリナの、奥。
少し遠い場所に、列車が見えた。
真っ黒で、カリナをどこかに連れていっちゃいそうな、そんな列車。
そっか。
カリナは、これで帰っちゃうんだ。
そうだよね、って、なんか変に、自然に思った。
だって、って。
これで、四人で人生を終えるって決めたから。
「…?」
なんでそんな風に思ったんだろう。そう思った矢先に、「なんで」に違和感が出て、首を傾げる。
「……これで終わりかしら」
「…かしらー」
カリナに言われて、反射的に答えた。
最後のピースをわたしに見せるカリナは。
やっぱり、寂し気で。
おかしいなって思うくらい、変な記憶が流れ込んできた。
カリナも、みんなも、これで人生を終える。
その前に、あそぼうって言った。そうしたらカリナは「いいですよ」って笑ってくれて。
何度も、何度もあそんだ。
カリナが「最後だよ」って言っても、もう一回って言う記憶。
そんな記憶あったっけって思いながらも、どこかで「そうだよね」って納得する自分がいて。
夢のはずなのに、どこか現実みたいな感覚になって。
寂しくなった。
「…はめちゃう?」
思わず聞いたら、カリナは困ったように笑って。
ゆっくり、ぱちんとパズルのピースを嵌めた。
あぁ、これで終わっちゃうんだ。自然とそう、思って。立ち上がるカリナを見上げた。
「もう行かなくちゃ」
どこに? 聞きたかったのに、声は出なかった。
背中を向けて、カリナは列車へと歩いていく。
あれに、乗ったら。
二度と逢えなくなるのかな。
そう、よぎったら。足は動いていた。
「……」
待って。
「……」
おねがい。
「っ、ナ」
行かないで。
「っ、カリナーーっ」
今までこんな風に叫んだことなんてないくらい、大きな声で、カリナを呼んだ。
悲しくて、つらくて。涙をいっぱい流しながら走っていって。
「カリナ」
「っ、」
「もう一回」
もう一回、あそぼう?
もう何度目かもわからない気がする言葉を、言って。
「次で最後よ」
笑ってくれるカリナに、強く抱き着いた。
「……」
「…」
それからたくさんまたあそんで、まばたきをしたら。
場面が変わったような感覚だった。
「…レグナ」
「ん?」
まっくらな視界の中。かすんで見えるのは、さっきのカリナじゃない。
レグナだ。
次はレグナなんだって近づいていって、見上げて言う。
「あそぼー」
「…おー」
笑って、レグナとあそぶために辺りを見渡した。
そしたら。
「っ」
さっきまでのあそび道具が、少しだけ。
ぼろぼろになってるように、見えた。
たくさんあそんでぼろぼろになったわけじゃない。
なんか、傷つけられたような、そんな感じ。
「…」
「クリス?」
「! ううん」
レグナには見えてないのかな。わかんないから。
「…これ」
「おっけ」
ひとまず傷ついてなさそうなものを手に取って、レグナとあそび始めた。
「…」
「……」
「もうちょっと」
「いーよ」
そうしてカリナのときと同じようにあそんでもらって、次のあそびをしようと辺りを見渡した。
「…」
でも、ここらへん付近にあるのは、なんでかボロボロのあそび道具。
唯一キレイなのは。
「パズル?」
「…うん」
さっきカリナともあそんだ、さくらのパズル。
どうしてもこれしかないから、レグナとパズルを始めた。
「……」
「…」
ぱち、ぱち。
嵌めながら、考える。
これをやったら、さっきカリナとお別れみたいな感じになった。
じゃあ完成させなかったら。
お別れには、ならない?
きっとそう。
せめてゆっくりやればいい。ただ、パズル自体は得意だから、いわかんが出ないように埋めていって。さすがだねっていうのには笑って。ゆっくりとパズルを埋めていった。
けど。
「……これが最後かな」
「…」
どうしても、終わりが来ちゃう。
「…埋めちゃう?」
「うん」
寂しそうに笑ったレグナは、ゆっくりとパズルのピースを埋めて。
カリナと同じように、立ち上がる。
「、レグナ」
「んじゃ、俺行かなくちゃ」
やだよ。
なんでその言葉が出ないの。
どうにか止めるために立ち上がったけど、すぐに足は動かないまま。
後ろ姿のレグナを、見る。
奥には列車。黒い、黒い列車。
それに乗ってどこに行くの?
帰っちゃうの?
嫌だよ。
ひとりにしないで。
「……」
「れぐ、な」
「っ」
振り返ったレグナに、なんとか声を振り絞って声を出す。
何かを振り切るようにこっちに走ってきたレグナに、思わず声をあげて泣いてしまった。
「クリス」
「レグナ、ごめんね」
「うん」
「もう一回だけ、あそぼ?」
帰らないで。
あんな怖い列車で、わたしの大事なひとたちを連れて行かないで。
願って、願って。
「……」
「リアス」
「あぁ」
最後に現れたのは、リアスだった。
ほっとして、ぎゅって抱き着く。
「どうした」
「んーん」
あのあと、カリナやレグナはどこに行っちゃったんだろう。
もしかしてあの列車に乗って帰っちゃったのかな。
さみしい。
四人であそびたい。
泣きそうになりながら、どうにか涙はこぼれないようにして。リアスの手を引っ張る。
「…あそぼ?」
「もちろん」
どうにか、笑顔を作ってみる。
このとき、もうこの夢が本当におかしいとわかっていた。
人が変わると、周りも変わる。
わたしの周りのあそび道具は。
もう全部、ずたずたに引き裂かれていた。
リアスに見せても普通な反応だから、これはわたしにだけ見えてるんだってわかった。
おかしな夢。
どうにかこの夢の意味を理解しないようにしながら、リアスにあそんでもらう。
でも段々と、後ろが怖い。
何かが迫ってくるような。
「っ」
「クリスティア?」
「、ううん」
壊すような音が聞こえる。
破くような音が聞こえる。
これ、もしもっと近づいたら――。
「っ」
ちがう、そんなことない。
なんとか自分に言い聞かせて。
「…」
「パズルであそびたいのか」
「…、うん」
何度もあそんで、あそべないくらいのぼろぼろなあそび道具から、なんとかあそべそうなものを探して。
見つけたのは、なんでそれだけって思うくらいきれいな、パズル。
これ、なにかのトリガーなのかな。
だってこれであそんだら、みんな帰りだして。
周りが、変わってしまう。
「パズルじゃなくてもいいだろう?」
わたしもそう思うよ。
「これがいいのか」
だってこれ以外、もうあそべないんだもの。
あなたには見えていないけれど。わたしの目の前はね。
もう、形のあるあそび道具が、ないの。
「…パズルは、や?」
「別に」
好きな部類だよね。
誰よりも知ってるあなたの趣味に、そっと微笑んで。
パズルなら、どう頑張っても時間はかかる。だから、ゆっくりやればいい。
そう、思っているのに。
「……どうした」
「はやいの」
どうしてあなたは、そんなにぽんぽん嵌めていくの。
「クリスティア」
「やっ」
おねがい。
「どこにも行かない」
行かないでよ。
「早く起きろ」
こっちだって、起きたいよ。
早くあなたに逢いたいの。
でも、でもね。
このパズルが終わったら、わたし死んじゃうかもしれない。
いやでもわかる。
ぼろぼろになっていくあそび道具。見えなくなってくる視界。
自分の状態がおかしくなってるなんて、わかるの。
どうすればいいの?
このパズルを完成させなきゃいい?
ねぇ。
お願いだから、その手でわたしを抱きしめてよ。
リアスもきっと、何かに気づいて頑張って止めてる。力が入ってしまっている手を何とか動かさないようにしてるのがわかる。
けれど、結局リアスもあらがえなくて。
「……行かなきゃな」
「やだっ」
立ち上がったリアスを、頑張って止めた。
「クリスティア」
やだ。
「……何故止める」
ここで、愛してるからって言えたらどんなによかったんだろう。
夢のくせに、呪いの痛みだけはしっかり出て。
どうにか、この夢に気づいてほしくて、声を振り絞った。
怖い列車の見送りなんてできない、たすけてって。
こぼしたら、リアスは驚いた顔をして。さっきまで帰ろうとしてたのが嘘のように、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
「帰るぞ」
「、」
そうしてわたしを連れてってくれるような、強い声で言って。
リアスは、夢のすべてを焼き尽くしていった。
「――ア」
「…」
「クリスティア」
声が聞こえる。
「起きろ」
やさしい、声。
ゆっくり、ゆっくり目を開けた。
視界の先は、まっしろな天井。それだけで、夢から醒めたってわかって。
ほっとして、声の方を向いたら。
「おはようございます、クリスティア」
「しっかり寝れた?」
カリナとレグナがやさしく笑ってくれて。
「クリスティア」
大好きな人が、わたしの名前を呼ぶ。
じっと、見つめたら。
「あそぶぞ」
病み上がりだよ、なんていうのは言わなかった。
みんなもわかってるから。
支えられながら、起き上がって。リアスにぎゅって抱き着いて。
たまにやってくる不思議なさくらの日。死ぬことに慣れているはずだったのに、死ぬことがとても怖く感じた今日。
どうか、この恐怖を忘れられるくらい、たのしく、たのしく。
あの日のように。
「あーそーぼ」
笑って過ごせるように、そう、こぼした。
『いつか本当のお別れが来たとしても、忘れられないくらいの思い出をパズルに刻もう』/クリスティア