悪夢の中が今の君だったなら、俺は二度と帰ってこれなかったんだろう

気づいたら、暗い部屋にいた。
 周りを見渡したら、暗くて見えづらいけど、丸いものとかかごが置いてある。

「……倉庫……?」

 急だなってことと、においが場所特有な感じがないなってことから、すぐに夢だってわかった。すぐ気づくのもあんまり楽しくないなぁなんて、状況にそぐわないことを思いながら、もう少し周りを見渡してみる。

 あんまり広いわけじゃない。
 暗くて奥が見えづらいけれど。目が慣れてくれば、自分の数メートル先に壁があることがわかった。

 夢なら、なにか目覚めるトリガーがあるのか。

 だいたいこういう暗いのって悪夢かなぁ。悪夢だったら早く目醒めたいな。

「……!」

 ひとまず動いてみようかと、踏み出したとき。

「……氷河さん?」

 より目が慣れてきて見えた人影に、首を傾げた。

「…」

 名前を呼んだ瞬間に、辺りはヒトやモノが認識できるくらいの程度に明るくなる。そうして見えた体育道具に、やっぱり体育倉庫だったんだと納得しながら。

「氷河さんが出てくるなんて珍しい夢だね」

 思わぬ登場人物に笑って、彼女の方に歩いていく。

「…」
「ね、ちょっとだけお話付き合ってくれる?」
「…」
「夢、醒めるまで」

 ね、と。微笑みながら言ってみるけれど。

「……?」
「…」

 なんだろう。

 なんとなく、雰囲気が違う気がする。

 目の前の女の子は、氷河さんだ。
 頭一つ分くらい下の身長。グラデがかかった水色の髪。夢だからか、今と違って笑守人の学生服を着てる。

 そう、そこまでは、一緒。

 けれど、目が。

「……えっと」
「…」

 目が、違う。
 いつもののほほんとしたような、友達を見つけて嬉しそうな目をしていない。

 なんて言うか。

 殺意、みたいな。

「…や」
「え」

 緊張してたら、氷河さんが口を開いた。けれど聞き取れなくて。聞こうと思って一歩、近づいたら。

「いやっ!」
「!」

 驚いた俺に構わず、彼女は殺意の目のまま俺を睨みつけて、今まで聞いたことないような鋭い声で俺に怒鳴ってきた。

「どうしていっつもいっつも邪魔するのっ!?」
「じゃま……?」
「龍のこと、なんでっ」

 なんで。

「なんで龍のこと盗ろうとするのっ……!?」

 目に涙をためて、声を大きくする。

「やだって言った!」
「氷河さん」
「なのになんでっ」
「落ち着いて、――っい」

 反射的に手を伸ばせば、思い切り手を振り払われる。

 その、痛みに。

 どこか錯覚していく。

 これ、夢だよね。

 痛みがあると夢じゃないって言うんだっけ。
 あれ、でも俺、炎上君のこと盗ろうとしたことなんてない。っていうかそもそも男同士だし。あぁでもカップリングで盛り上がってる女子はいるのか。あれ? 俺と炎上君で話持ち上がってたっけ? 確かあれって基本的に先輩たちで、でも目の前の氷河さんは俺が盗るって言ってて?

 なんかしたんだっけ。

 してもないのに、痛みで錯覚を起こしてそう考えてしまう。

「氷河さん、あの」
「盗らないで」
「うん、盗らないよ」
「うそつきっ!」
「うそじゃ――」

 ないよ、と言っても、彼女は俺を睨む。夢の中の俺はなんかこう、彼女にそこまで言われるくらいのことをしたんだろうか。氷河さんが怒るって相当だよね。
 どうにか落ち着いて欲しいのだけれど、話を聞いてくれそうにない。

 これ一応夢、で、いいんだよね?
 待ってみる? いやでも、もしも。

 もしも、この痛みが現実だったなら?

 対処しなくちゃいけない。対処するなら、まず話を聞かなきゃ。

 そう、口を開いた時だった。彼女が息を吸ったので、反射的に黙る。

「――い」

 聞こえない音は、今度は聞き返さず黙ったまま。
 聞き返さなかったんじゃない。

 その、目に。

 聞き返せなくて。

 殺意と悲しさが混ざった目で、彼女は俺を睨みつけて。

 きっと二回目だろう、言葉を。

「せんりなんて、だいきらい」

 はっきりと、俺に告げた。

「っ!!」

 目を開けて、飛び起きた。
 視界はさっきよりも明るくて、窓から光が入っていて。朝になっていることがわかる。

 わかるんだけど。

「は、っはぁ、は……」

 穏やかな朝、なんて当然言えそうになかった。

「……っ」

 心臓が、バクバクしてる。さっきの声が頭から離れない。

「……きらい」

 嫌いなんて、昔女の子に振られるときによく聞いた言葉だけれど。

 言われたくない相手に言われるのって、こんなに辛いものなんだっけ。
 思い出すたびに喉が痛くなって、目も少し熱くなって。

「……はーー……」

 無意識に握りしめてた拳をほどいて、一度自分を抱え込むように座り直す。

「……胃が気持ち悪い……」
「大丈夫か」
「いや、ぜんぜん――」

 待って俺今誰に返事した??

 一気に頭が冷静になって、声の方向を見れば。

「炎上君!?」
「大丈夫か」
「いろんな意味で全然!?」

 びっくりした、夢で「きらい」って言って来た子の恋人がいると思わないじゃん。え、待って? 俺今だれ、どこここ。

「俺どこ?」
「てんぱりすぎて言葉がおかしくなっているぞ」
「なるよそりゃ……」
「泊りに来てたろう、昨日」
「昨日……」

 あぁ、そうだ。
 大学の授業でわからないことがあったから、学校終わったら聞きたいんだーって炎上君に相談して。そうしたら炎上君も氷河さんも「ウチくる?」ってなって。せっかくだしお邪魔しようかなと思ったら泊りになったんだっけ。

「泊りになって俺が盛大に酔ったんだよね……」
「陽気な閃吏は見ていて面白いぞ」
「止めてよ……」
「泊めたろう?」
「家にじゃなくてお酒を止めて欲しかったよ」

 記憶残るタイプなんだよ。君が止めないタイプだとも知ってるけど。心の中でぐっと歯を食いしばって。
 あの悪夢は、酒に酔いすぎたからかと納得をする。

「うなされていたが」
「酔いすぎるとたまにあるんだよね……」
「次回から一定のところまでで止めてやる」
「ぜひ一定以下で止めていただきたい」
「善処しよう」

 長い付き合いでそれは「やらない」って知ってるからね。
 睨んでもそのヒトは素知らぬ顔で水を渡してくるだけ。それにお礼を言って、冷えた水を飲みこんでから。

「……氷河さんが出てきた」
「……突撃されたか」
「それの方がましだったよ……」

 いやほんとに。波風君たちが吹っ飛んでるようなくらいの弾丸食らってる方がましだった。

 そのくらい、

「……きつかったかも」
「……」
「きらい、だって」
「クリスティアが?」
「そう」
「へぇ」

 珍しいな、なんて。過去誰かに言ったことがあったんだろうか。ちょっと気になったけれど。

「クリスティア」

 炎上君が恋人を呼ぶから、それは飲み込んで。「なーにー」と、聞き覚えのある声に、どこか安堵と、けれど緊張を持つ。

 また言われたらどうしよう、なんて。言うはずないとわかっているのに。

「?」

 ひょこりと顔をのぞかせた彼女に、体がこわばってしまった。

「おいで」
「ん」

 それに構わず、炎上君は自分の膝の上に恋人を招いた。膝にちょこんと乗った氷河さんは、俺と炎上君を交互に見て。
 二度目、俺を見たときに、すぐに立ち上がった。

 そうして俺に近づいて、こてんと首をかしげる。

「だいじょーぶ?」
「……」
「かなし?」

 いつもどおりヒーローは良く気付くなぁと思わず笑って。

 体育座りした膝にもたれて、頷いた。

「ちょっと」
「…」
「嫌な夢、見ちゃって」
「夢…」
「うん」
「お前に嫌われる夢だと」
「クリス?」
「そう」

 一度炎上君を見た氷河さんは、また俺を見て。

 数秒。

「!」

 俺の頭を、そっと撫でてきた。

 まるで、大丈夫だよ、と言うように。それだけで、今の俺は泣きそうになってしまって。目が熱くなってきた。

「……ありがとう」
「へーき?」
「うん……」

 それでも泣きそうな俺に、氷河さんは足りないと思ったんだろう。
 腕を組んで悩んで。手でハートを作ってみる。けれどそれは炎上君に対しての想いだなとわかった彼女は、首をかしげて、また腕を組んだ。

 長くなってきた付き合いで、彼女が「好き」や「愛してる」を言えないと知った。

 それでも、一生懸命伝えようとしてくれていると炎上君が教えてくれたのを思い出す。

 目の前の子は、手をあごに当てたり、首を傾げたりしながら、俺に伝えようとしてくれている。

 その気持ちだけで、嬉しくて。
 炎上君が言っているような感じで、俺も言ってみようかと口を開いた。

「俺も、氷河さんのこと好きだよ」
「!」
「ありがとう」

 そうしたら、意図が伝わってくれたと氷河さんは嬉しそうにして。
 大好きな恋人のもとに行って、「伝わった」とすり寄っている。

「よかったな」
「うんっ」

 ぎゅーっと抱き着いているのを微笑んで見ながら、ようやっと落ち着いた心で、一度深呼吸して。

「氷河さんがね」
「うん」
「俺が炎上君を盗るって言ってて」
「うん…?」
「すごい殺意を向けて怒鳴ってきた夢だったんだ」
「…」

 夢の内容を話したら、彼女は少しだけ理解の時間。目をぱちぱちさせて、数秒。

 炎上君を見た。

「不思議な夢だな」
「ね…」
「お前が嫌いというのも珍しいが」
「うん…」

 二人は意思疎通ができているらしく、互いに同意している。それに、俺だけが首を傾げていたら。二人はこっちを向いて、教えてくれた。

「俺が盗られる云々なら」
「口より先に、手が出る…」

 現実の氷河さんが相手だったら、すでに俺の命はなかったと。

「さいで……」
「夢の中のわたしはやさしいね…」
「怒鳴るだけで済んだもんな」
「夢の中で死んじゃうとこっちでも死んじゃうんだっけ…?」
「確かな」
「そっか…」

 普段の氷河さんを思い返して、だんだんと違う意味で血の気が引いている俺に、氷河さんは微笑んで。

「せんり」
「はい……」

 やさしく、やさしく名前を呼ぶ。

 そうして、そのやさしい声のまま。

「よかったね、生きてて」

 そう、言うから。

「ほんとにね……」

 あのとき、”きらい”というだけに留まってくれた悪夢の中の氷河さんに、心から感謝した。

『悪夢の中が今の君だったなら、俺は二度と帰ってこれなかったんだろう』/シオン