F-Marchの後話短編

中学の頃から見慣れた、紫のフードを見て、問う。

「本当に行くの」

 襟足だけ伸びてる不思議な髪形をした現相棒は、振り返ることなく。ベッドに腰かけながらいつもの調子で頷いた。

「そりゃもちろん。カワイイ後輩が困ってるみたいだし?」
「そう」

 真っ白い、いつも入り浸ってるこの相棒の部屋とは違う殺風景な病室。その入り口で俺は壁に背を預けて。ただただそれだけ返した。

「……」
「……」

 俺が言葉を発しなくなれば、相棒も言葉を発することなく。黙々と帰る支度を進めていく。

 ――本来の予定よりも、早く。

 あと何か月だったかな、なんていうのは、陽真が「行く」と決めた瞬間に考えることをやめた。

 その先の、ことも。

 きっとこれから、フィノア先輩にはこっぴどく怒られるんだろう。
 この先も、きっと。

 もしかしたら、なんて。考え出したらキリがなくなることばかりだけれど。

「よっし」

 立ち上がった君に、迷いはないから。

 最終確認は、さっきので終わり。代わりに言うのは。

「もういいかい」

 共に歩くための、言葉。
 きっと俺のことを見透かしている相棒は、いつも通り笑う。

「モチロン」

 その顔に、血は繋がっていないはずなのに懐かしい面影を感じながら。
 道をふさぐためじゃなく、ただただ支度を待つために寄りかかっていた壁から背を離して。

 閉ざされていた扉を、そっと開く。

 ほんの少しずつ部屋に入ってくる明かりに、相棒は近づいてくる。

 ――ねぇ陽真。

 君の未来は、この光のように、明るいものかな。

 どうかそうであるように。俺はただ願い、その隣と背を守るだけになるけれど。

「武煉」
「うん」

 隣に立った、今はもう当たり前になった相棒は、俺に不敵に微笑んだ。

「とりあえずカワイイ後輩のトコ行ってくるわ」
「俺はその間に手続きと荷物置きに行ってくるよ」

 彼から荷物を受け取って、俺も不敵に微笑む。

「んじゃま、よろしく頼むわ」
「任せて」

 変わらない君に、俺も変わらず笑って。

 きっと君の未来と同じであってと願う、陽の光が差す道へと、二人。
 静かに歩き出した。

『どうか少しでも、君の道が陽の光で照らされて。真っすぐ歩けますように』/武煉

 


「たとえばさー」
「うん?」

 振り返れば、相棒はこちらを見ることなく。机に肘をついて窓を見ていた。

「オマエだったら不安なときどうすんの」
「……どうするとは?」
「んー」

 陽真は俺の家から窓の外を見つめたまま。少し考えるようにうなってから。

「前に進むか戻るかみてぇな?」
「ずいぶん抽象的に話すね」
「うまく言えねぇんだもんよ」
「うーん……」

 その”うまく言えない”を自分なりに整理して。

「とりあえず陽真は不安なわけだ、今」
「たとえばの話っつったろ」
「じゃあたとえば、陽真は今不安で?」
「おー」
「その不安のときに、不安に勝って前に進むのか、負けて戻るのかみたいな」
「そんな感じ」
「……」

 整理した内容を、頭で考える。
 その間に陽真が開けた窓から入る風を心地よく感じつつ。とりあえず思ったことをいくつかこぼしてみた。

「現状維持はだめなの」
「ワルかねぇけど」
「負けて戻る道はなんかだめだったりするのかな」
「……次、が」

 次がまた、大変だと。
 相棒はつぶやいた。

 きっと次乗り越えようとするとき。
 その戻りは大きな壁になるから。

 そこで、あぁと思いいたる。

 今君の目に映っているのは――。

「……俺は、ときとして見守ることも大事だとは思うよ」
「……」
「その不安や恐怖が少し収まるまで。見守っていくことも決して悪いことじゃない」

 むしろ、

「無理に進めれば逆効果になることもあるだろうね」

 きっと目に映っているであろう、水色の髪の少女がもっと泣いてしまうかもしれない。
 そこまで気にかけている理由は、俺にはまだわからないけれど。半年以上、長くもないけれど決して短くもない付き合いの後輩が悲しんでしまうのは確かに嫌だから。

 今苦しんでいる後輩を救おうと、心の中で必死になっている相棒に。こっちを見ていないとわかっていつつ微笑んで。

「無理に進めず、けれど前に進めるような現状維持がいいんじゃない」
「……」

 そう言えば、相棒はやっとこっちを向いた。表情は、理解できていない顔。

「むずくね?」
「それは実行することがじゃなくて俺の言っていることがむずいで合ってるのかな」
「さすが相棒、もうちょいわかりやすく頼む」

 互いに笑って。

「無理に背中を押すことはしなくていいよ。たとえば、そうだな……。今、苦しくて泣いているのに、その苦しさは一過性だからとぐいぐい引っ張って無理やり泣き止ませて今やるべきことをやらせるみたいな。これはもう背中を押すというより、背を強く叩くか腕を引っ張ってる状態だけどね」
「あぁ春風みてぇな」
「すごいね、君がそう言った瞬間に部屋の電気が消えたよ」

 相変わらずポルターガイストの力は強いなと、今はもう肉体のない血縁者にから笑い。一応フォローはいれておこうか。

「彼女はちゃんと見極めて強く背を押してただろ。押す力は強けれど、タイミングは間違っていなかったよ」

 なんて言えば、一応ご機嫌がとれたのか、部屋に再び明かりが灯る。ひとまずこれで大丈夫ということで、話を戻す。

「必要なのは、泣き止むのを待ってからじゃない?」
「……」
「自分の足で歩こうと思うまで見守ればいいと思うよ。誰かに歩かされては意味がない」

 昔の自分のように。
 言われるがままに動くより、自分の足で動いた方が自信もついていく。

「歩き始めたときに、少しだけ止まってしまうとき。優しく背を押してあげればいいと思うよ」

 陽真なりのやり方で。

 笑ってから、最後に。問いの答え。

「簡単にまとめると、不安なときは進むが正解なことが多い、かな。けれど進むのも無理やりではなく、ある程度その不安が落ち着いたころを見計らってが良いと思うよ」
「わかりやすい説明ドーモ」

 さっきより顔が晴れたから、きっとこの答えで少しはすっきりしたんだろう。陽真は窓を閉めて、立ち上がる。

「行くの?」
「オマエも来るんじゃねぇの?」
「行くけどね」

 なんだかんだ強引さというか、一緒に行くのが決定事項という感じで動くのは春風と変わらないなと、ひっそり笑い。俺も立ち上がる。

「フィノア先輩に声掛けは?」
「あーーー……そろそろ行くか……」
「逢いたくないの丸わかりだよ」
「そりゃそうだろうよ……」
「勝手に退院してさんざん怒られたもんね」
「広人クン以上の鬼を見たわ……」
「その鬼を再臨させないためにも、ね」
「わーかってるって」

 陽真が右手を伸ばし、バッグへと手を伸ばす。けれどその手はほんの少し照準がずれて、バッグの本体へと手をぶつけた。

「……ほら」
「サンキュ」

 その手にバッグのひもをかけてやって。問題なく担いだのを見届けてから、俺も荷物を持った。

 家を出る準備をしながら、先ほどの問いを思い返す。

 不安だったなら、前に進むか戻るのか。

 きっと気持ちは、戻りたいが勝つんだろう。脳は現状維持を好む性質上、新しい変化を嫌い、現状維持、要は不安にならない方向に戻そうと作用する。
 それに打ち勝って課題をクリアし前に進むのか、負けて現状維持を望むのか。もちろんその”負け”は時として意味を持つ。ときには現状維持を選んで、改めて課題をクリアしにいくという戦略的撤退も必要だ。

 けれど。

 戻るにも、戻れなかったら?

 選択肢が最初から、一つしかなかったら。

 勝ち続けるしか、道がなくなってしまったのなら。

 この、相棒のように。

「……」
「武煉?」
「……いや、なんでもないよ」

 前を行く背を止めるために伸ばした手をひっこめて、笑う。

 それに陽真はゆるく首をかしげてから、同じように笑った。

「行こうぜ」
「うん」

 頷いて、陽向を歩き出す相棒の右隣に足をそろえた。

 その陽に落ちる影を見ながら、さっきの自分を少しだけ叱る。

 止めるんじゃないだろ、と。
 前に進む覚悟は、陽真が退院すると言ったときにもう決めている。

 時には、その未来に。不安になって、止めてしまいたくもなるけれど。

 君が前に進むのなら。
 自分の未来よりも後輩の心配をしてしまう君を、俺は支えたいと思うから。

「何」
「いや?」

 隣を歩きながら、そっと背中を押す。相棒は当然首をかしげたけれど、笑ってやれば、彼も笑って肩をすくめる。

「オマエの助言のおかげで改めて腹は括ったって」

 その言葉は、後輩に対してか。自分の未来に対してか。わからないけれど。

「そう」

 そう返して、明るい道を歩いていく。

 ほんの少しだけ自分より背の低い相棒を見て。

 以前より陰ってしまったような、右目に。少しだけ足を止めたくもなるけれど。

「陽真が決めたなら、俺はその背を守るよ」

 これからはきっと、右隣も。そこは伏せて、笑えば。

 相棒も笑って。

「ヨロシク頼むぜ、相棒」

 いつも通り楽しそうにそう言うから。
 心の中で改めて覚悟を決めて、まずは鬼の再臨を防ごうかと二人、笑いあって歩みを進めた。

『戦場に立ち続ける勇者へ。俺はいつまでも、君の背を守ると誓おう』/武煉