「炎上は沸点高いよな」
落ちてきた言葉に、上を見上げる。そこには帽子をかぶった祈童。
その言葉に頷く前に。
「いいのか、向こうは」
「あぁ。体力が持たない」
笑ってやって、隣に座ることを許す。
目の前のクリスティアが「見てー」と砂の城の進捗を見せてくるのに頷きながら、目は前を見た。
夏真っ盛り。
同級生組で海へとやってきて、今大半の奴らはビーチボール中。俺とクリスティアはパラソルの中で休憩していた。
恋人のこれまた立派な砂の城の制作を眺めていれば、先ほどの言葉が落ちてきて。ようやっと頭の中で処理し。
「沸点は、高くなった、が正しいだろうな」
「ほう」
「もとはそうでもない」
返してやれば、こちらを見た気配を感じて、俺も祈童を見る。まるで「そうなのか」というような表情に、頷いた。
「そこまで低すぎるわけでもなかったと思うが」
「今ほど高くもなかったと?」
「な」
「うん」
クリスティアに聞けば、一度こちらを向いて頷き。恋人はまた砂の城へと意識を戻していく。
「沸点を高くしたのか?」
「自然と高くなった、だろうな」
首を傾げた祈童に、目線は奴らへ。
「あれらと一緒にいりゃあ自然と高くなるだろうよ」
見えてるぞ祈童、そのから笑いは。
「自由人だらけだからなうちは」
「もれなくお前もだけどな炎上」
「そこまででもないだろ」
そこは首を傾げるのか。俺はそんなに自由か? そうでもないだろ。けれどそれを言っても納得してもらえなさそうなので、いったん置いておいて。
「怒りたくなるときはないのか?」
問われたものに、今度はクリスティアを眺めながら考える。
怒りたくなるとき。
その答えは、深く考えずとも出た。
「あるだろ。こいつらが傷つけられそうなときとか」
「そういう、ある種当然のものではなく」
祈童を見れば、こちらを見て。
「彼らに対して、怒りたくなるというのはないのか」
それはきっと、日常の話なんだろう。
カリナとなんかはすぐに言い合いになるし、レグナの自由さに「おい」と思うこともある。それはクリスティアにだって。
けれど。
思い起こされたのは、すべてを諦めかけたときのこと。
怒りたくなることは、たしかに今でもある。
けれど先に出てくるのは、どうしたって良い意味での呆れで。
そうなったのは、きっと。
「……怒っても、無意味だと思った」
「……」
体力を使うし。
それに。
「……怒りに身を任せていると、大事なものを失いそうになるしな」
そっと。
クリスティアの頬をなでてやる。話を聞いていただろうに、不思議そうに首を傾げる恋人に笑ってやった。その笑みが、どんな風に見えているかはわからないけれど。
見えるのは、もうないはずの頬の赤み。
怒りに身を任せ、自由な彼女を怒鳴りつけ。挙句の果てにはこの頬を叩いたこともある。
当時は、それでも怒りが収まらなかった。
どうして思い通りにならないのか。
こんなに守りたいのに、なんで、と。
そうして、怒って。怒り続けて、最終的に。
この恋人を、すべてを。失いかけた。
今思えばぞっとするような話。けれど当時は、当然だと思っていた話。
そのくらい、怒りというものは生物を狂わせるもので。
「……失うくらいなら、無駄に怒らなくていいだろうと思うようになったな」
「……」
「そうしたら段々と、本当に自分の許容範囲が広がって。いつしか呆れというような、そんなようなものに変わっていった。良い意味でな」
「わかってるよ」
優しく言う祈童に、そちらは見ないまま微笑んで。
クリスティアの頬を、優しくやさしく、撫でてやる。当時のことの謝罪も込めて。
それが伝わったのかはわからないが、クリスティアは俺に抱き着いて、背をゆるく叩いてきた。それにまた出るのは、嬉しいような、仕方ないというような、不思議な笑み。
同じように、彼女の背をゆるく叩いてやりながら。
「そんな風に無駄に怒らなくなった結果が今だな。沸点も高くなり、大半のことには対して怒らなくなった」
「さすがは努力家だな」
「なんだそれは」
大したことはしていない、と。
謙遜ではなく、自然とこぼれた。
「ただの子供の悪あがきだ」
「……」
呟けば、横目に見えていた祈童が止まったので、そちらを見る。
そいつは目を瞬かせて俺を見ていた。
「……なんだ」
「いや、本気でそう思っているのかと」
「本気だが? 実際そうだろ」
失いたくないとわがままを言ってあがいた結果。
それのどこが子供じゃないと言うのか。
けれど祈童にとってはそうではないらしく。まるで「仕方ない」と、俺のように笑って。
「そういうところがかわいいんだろうな、炎上は」
「でしょー」
「閃吏の言うことがわかるな」
「……なんなんだ……」
最近言われるその「かわいい」に対しては怒りを感じつつ、どうせ言っても無駄なんだろうとわかっているので。
「どうするんだ、俺がその言葉を真に受けて本当にかわいい恰好しだしたら」
わざと乗ってやったら、恋人と友人は想像したようで。
腹を抱えて笑いだしたので、それはそれで納得いかないなと。
今日も今日とて、ため息を吐いた。
『怒りをすべて飲み込んで、手に入れたかった日々』/リアス