わたしはあなたのすべてを見たい

 待ちに待った、夏休み。

「…ねーぇ」
「ん」

 朝。大好きな人と、二人きり。

「ね、くるし…」
「ん……」

 ベッドの、上。
 いつもより甘い、恋人様の声。

「リアス、さま」

 自分の声も、ちょっとだけ、たどたどしい。

 それもそのはず。

「ね”ぇもうちょい”力ゆるめてー…」

 寝起きのリアス様がわたしを思い切り抱きしめて苦しいからです。

 テストが終わった次の日。
 今日から夏休みっていう、初日。

 いつもなら、朝起きたらリアス様の手が目に映って。
 ちょっと目を上げたら、大好きな紅い目と合う。
 学校だったら準備して、お休みの日だったらリアス様が頭を撫でてくれて、ゆったり朝を、満喫する。

 けれど、今日は、どれも違った。

 昨日の夜から、リアス様がわたしに抱きついているから。
 原因は、いわずもがな昨日のテスト。

 人混みがきらいなリアス様は、家に帰ると、わたしをぎゅーって抱きしめる。
 左胸に耳を当てるようにして、静かに、でも力強く。

 まるで、わたしが生きてるって、確認するように。

 でも、いつもならそれはほんのちょっとの時間。
 ぎゅってして、すぐに「もう大丈夫」ってお風呂に行ったりご飯食べたりする。そのあとも、いつも通りのリアス様。

 だから。
 次の日になって、こうやってぎゅってしてくるのは、ほんとに珍しい。
 昨日の、よほどきつかったのかな。

 別にぎゅーってするのはぜんぜんいいのだけれど。

 力つっよい。

「ねぇくるし…」
「もう少し……」
「うん、それはいいから…」
「ならいいだろう……」

 うん、だからそれはいいからちょっと力緩めろっつってんの。
 痛いんだって折れる。

「ぎゅって、するのは、いいからっ」

 待って待って待ってもっとぎゅってしてこないで。

「ね、いたい…」
「……」
「リアスさまー…」

 痛いのを我慢しながら、胸元に埋まってるリアス様の髪をすく。
 それに甘えるみたいに、わたしにすりよってきた。

 痛みが吹っ飛んで心がきゅんってなったのは気のせいじゃない。

「…かわい」
「誰が」
「リアスさま」
「お前の方が可愛い」
「知ってるー…」

 くすくす一緒に笑ったら、リアス様の髪が揺れて鎖骨がくすぐったい。
 布団の中でぎゅーってしながら、二人きりなのに、小さな声で話してく。

「だいじょーぶ…?」
「あぁ。別に不安だけでこうしているわけじゃない」
「じゃあ、なーに…?」

 聞いたら、今日。初めてリアス様と目が合った。
 安心してるのか、それともちょっと眠いのか。紅い目は少しだけとろってしてる。

「お前と二人きりの時間が、しばらく続くことでテンションが上がった」

 この人どうしてそうハートを撃ち抜くことさらっと言うの??

「どーしてもうリアス様の天然たらし…」
「事実を言ったまでだろう。ゴールデンウィークより期間も長い。二人きりでいられる時間も増える」
「…うれし?」
「あぁ」

 紅い目が、楽しそうにゆがんだ。
 でもいつもと違って、やっぱり。

「今日、あまい…」
「なんだいきなり」
「とろってしてるー…」

 ほっぺを包むように両手で触れたら、くすぐったそうに目を閉じて。
 また薄く開いた目は、とろんって、愛しそうな、

「恋人みたいな、ふんいき…」
「一応俺達は恋人だからな」

 そうだけれども。

 胸元にいたリアス様が、わたしと目を合わせるように上に上がってきて。
 同じように、ほっぺを包む。

「……嫌な目をしているか?」

 ちょっと、不安を目に宿して、聞いてくる。

 じっと、見てみるけれど、今日は。

「んーん…、なんか、子犬みたい…」
「複雑なんだが」
「かわい」
「……」

 居心地悪そうに、目をそらして。
 また、こっちを向く。

「なぁ」
「ん…」

 ゆっくり近づいて、いつもみたいに。
 おでこをこつんって合わせた。

「恋人らしい雰囲気と言ったな」
「ん…」

 近くなった声は、いつもより甘いのに、怖くない。
 鼻先が触れそうな距離で合った目が、とろっとしてるのに、とても優しいからかな。

「……このまま、近づいても?」

 こくんって、のどがなったのは、どっちだろう。

「き、す、…するの…?」
「平気そうなら。したいとは、思ってくれているんだろう……?」
「ん…」

 待ってて、とも、言った。
 それから、なにもできてなかったけれど。

 もしかして、今、が。そのチャンス…?

「クリスティア」

 夏。恋人と、ベッドの上。
 近い、距離。

 冷房が利いてるはずなのに、体が熱い。

「……いいか」

 リアス様の手に触れたら、わたしよりも、もっと、熱い。
 甘い声が、近づいてくる。

 とろっとしてる目は、わたしが、うなずくのを、待ってる。

 でも、

「…み、られるの、は、や…」
「なにを」
「かお…」
「見なきゃできない」

 うそ、って言おうとした口は、親指でふさがれた。
 のぞき込むように、優しい目が、わたしを見る。

「……恋人の、普段見れない顔を。ましてや初めてする顔を見たいと思うのは、当然の心理だと思うが」

 普段、見れない、顔。

 あ、それじゃあ──

「リアス様の、泣き顔とか……?」
「お前今この雰囲気でどうしてその発想に至った」

 え、つながってるじゃん。

「普段見れない顔を見たいって思うのは当然の心理って、リアス様がゆった」
「言った。確かに言ったな数秒前に」

 するりと手が離れていって、リアス様は起きあがる。
 わたしのことも抱き上げて、あぐらをかいてる足に向かい合うように乗せた。

「だからといって俺の泣き顔まで飛躍するか」
「リアス様がああ言ったからわるい…」
「お前の斜め上の発想が悪い」

 首に手を回してすりよったら、たしなめられるように背中を緩くたたかれる。

「できそうだったのにね…」
「俺の台詞だ」

 ただ、まぁ。
 耳元の声は、ちょっとごきげんな声に変わった。

「なぁに…」
「直前とは言えど、なかなか見れない顔を見れたからまだいい」

 え、ずるい。

「クリス見てない」
「クリスは俺の甘い顔見ただろう」
「リアス様の泣き顔」
「リアス様の泣き顔は別物だ」
「別物じゃないもん」

 体を離して、声と同じくらいごきげんな目をにらむ。

「物事には、対価が必要…」
「そうだな、俺は払ったからな」
「あれは、ときどき見れる顔。朝、たまに見れる」

 だから。

 ほっぺにまた、手を添えて。

「わたしの初めて見る顔の対価は、リアス様の泣き顔…」

 ごきげんなリアス様は、わたしの腰に手を添えて、ほほえむ。

「簡単に見せるとでも? お前のさっきの顔と同じで、難易度は高いんじゃないのか」
「がんばるもん…」

 おでこをくっつけて、お互いに笑って。

「覚悟してて…」
「楽しみにしている」

 よくわからない勝負から、エシュト一年目の夏休み、スタート。

『さぁまずは親友に相談だ』/クリスティア


 夏休みに入って、数日。今日はカップルの家でみんなで遊ぶ約束をしてたから、お昼過ぎたくらいのところでカリナと一緒にカップル宅に向かった。
 散歩も兼ねて暑い外を歩き、インターホンを鳴らすこと数秒。

《はい》
「リアスー」
《あぁ、開ける》

 この”開ける”は玄関ではなく家の結界と知っているので、また数秒待って、結界がなくなったのを確認してから歩き出す。
 そのまま石畳に沿って玄関に向かえば。

「よぉ」
「やっほ」
「こんにちわ」

 見計らったようなタイミングで、ちょうどリアス達が出てきた。

「いらっしゃい…」
「おじゃましますわクリスティア」
「ん…」

 ほんの少し汗ばんだ額を拭きつつ家に上がらせてもらって、クリスティアの後についていくようにリビングへ。
 少しひんやりしてる床に座って、リアスが予め用意してくれてたらしい麦茶を飲んで一息。

「あっづ……」
「この季節はテレポートの方がいいかもしれませんわね」
「よくまぁ歩いて来るという発想があったものだな」
「体動かさないとなまるじゃん」
「バトルならいつでも受けるが?」
「あ、お断りします」

 死にたくはないので。
 リアスにはお断りをしておいて、もう一口麦茶を飲んでから。

「ねぇ…」

 さぁなにしよっかと言おうとしたところで、クリスティアが口を開いた。

 珍しくて、全員が目を向ける。

「どしたのクリス」

 眉間に皺を寄せた彼女は、一言。

「リアス様を泣かせるにはどうしたらいい…?」

 えっ、今日はリアス泣かせることで確定の日なの。

「ごめんクリス、なんて?」
「リアス様を泣かせるにはどうしたらいいの…?」

 あ、泣かせることで確定の日らしいわ。

 事の経緯を聞きたくて、双子揃ってリアスを見る。

「泣かせたいらしい」
「我々が聞きたいのは事の経緯なんですが」
「その発想に至った理由は俺でも正直よくわからん」

 あぁ、いつもの斜め上の発想か。
 納得はしたけれど、とりあえずその発想が出たところまでの話を聞きたくて、今度はクリスティアへ目を向けた。

「クリスさんや、どうしてそうなったのかお聞きしても?」
「もちのろん…」

 お任せあれと胸を張って、彼女から出た言葉は。

「リアス様に初めてを奪われた…」
「馬鹿やろう言い方を考えろ」

 おっと思わぬ言葉にカリナが日本刀持ち出したぞ。

「被告人リアス、弁明はある?」
「ありまくるわ」
「リアス、いいわけならいくらでも聞きますわ、首を飛ばしてから」
「聞く気ねぇだろお前──待て一旦落ち着け!」

 両断しようと振り下ろしたカリナの刃をリアスは白刃取りで留めて、解魔術で生成された刀を解く。
 もれなくカリナの盛大な舌打ちが聞こえたけれど一旦置いといて。

「で? 何しちゃったの?」
「あくまで俺がしでかしたとしか取らないんだなお前らは……クリスティアに聞く時点で何もかも間違っているだろう」
「わかんないって言ったのはリアスでしょ」

 ぐって押し黙ったリアスに、再度「で?」って聞くと。
 ソファに座ったリアスの足下にいるクリスティアの頭を、窘めるように撫でながら。

「キスが、できそうな雰囲気だったから、しようとしただけだ」

 わぉ進展じゃん。

 え、ちょっと待って??

「なんでそっからリアスを泣かせようになるの??」
「おおかたキスの顔を見られたくないと言ったクリスティアに初めて見る顔は見たいと言って、未遂に終わったものの良い顔が見れたとなり、対価を望んだクリスティアがその発想になったんでしょうよ」
「その通りなんだがお前本当に盗聴器とかつけてないよな。ビビるわ」

 事細かすぎて俺もびびったわ。
 エスパー通り越してもはや人為的なものが介入してる気がする。

「それでね…」

 自分の部屋少し調べてみよと思ったところで、クリスティアがかわいらしく首を傾げて。

「リアス様を、かわいく泣かせたいの…」

 なんかさっきよりハードル上がってね。
 そしてこういうときに乗るのは。

「そういうことならお任せくださいクリスティア!」

 うちの妹ですよねー。
 リアス睨まないで、ごめんって。

「止められない俺を許してリアス」
「止められないではなく止めないの間違いだろうが」

 だって正直俺も見たい。
 ばれてそうだけどそこは言わないでおいて。

「では作戦会議と参りましょう、クリスティア」
「ん…」

 もはや本人も止める気がないらしく、ため息を吐いたリアスに苦笑いをしながら。
 リアスたちの部屋に向かっていくカリナとクリスティアの背を見送る。

「変なことは教えるなよ」
「あら、あなたと違って不埒なことは教えませんわ」
「俺は今まで一度も不埒なことを教えたことはねぇよ」

 リアスのドスのきいた声にまぁ怖いと笑って。

「それではまた後ほど」
「男子、きんせー…」

 楽しげに笑う女子たちは、部屋へと消えていった。

「……こっちはこっちで話を聞くでおっけ?」
「今回ばかりは予想外すぎて大変困った……」

 リアスさんすっげぇ遠い目してるよ。

 ゴールデンウィークのときを思い出し、また苦笑いを浮かべて。
 リアスの隣へ腰掛ける。

「なに? 行けそうだったの?」
「よくわからんが目がとろんとしてるだの可愛いだので、いつもの恐れはなかったな」
「これを機にかわいさでも磨いてみる?」
「見たいか?」

 ごめん提案したけどそっちは見たくない。
 ぱっと目をそらしたら、リアスのため息が聞こえた。

「毎度毎度あと数センチまでは行くんだが……」
「進まないねぇ」
「こういうときはどうすればいいんだレグナ」
「え? 彼女いない歴そろそろ数千年行く俺に聞く??」
「お前はいないじゃなくてわざと作らないだけだろう」

 そうでなく、と。

「脳だとか医療系だとかはお前の方が詳しいじゃないか」
「クリスに関しては適用するかどうかわかんないんですけど……」

 ちょっと特殊だし。
 ただまぁリアスなりのやり方に変えれば大丈夫か。そう自分の中で納得して、考えてみる。
 マインドコントロール系は言わずもがな却下として。

「強要なし、リアスも発散できるもの……」
「別に後者はいらないが?」
「だってこのまま行くとやばいでしょ」

 ぐって押し黙った気配に笑う。

「五月も然り、同棲甘く見てたリアスの誤算だね」
「あいつが子供体型で心底良かった」
「クリスが聞いたら物飛んでくるぞ」
「もう聞こえてる…」

 わぉクリスさん地獄耳。
 やべぇ声は遠いのに威圧感やばくて後ろ向けねぇわ。

 足音だけでもわかるくらい勇ましく歩いてきたらしい彼女は、

「てんちゅう…」

 スパァンッと良い音をたててリアスを叩き。

 視界の端に映る冷蔵庫から飲み物を持って再び部屋へ戻って行った。

「……大丈夫?」
「あんの馬鹿力……」
「わたしはか弱い女の子!!」
「どこがだ!!」

 バタンとドアがしまったのを聞き届けて、後頭部をさすってるリアスに構わず、話題はさっきの話へ。

「で、とりあえず? あの王子と同じにはなりたくないでしょ」
「そりゃあな」
「でもこのまま行くと我慢の限界で同じになるよ」

 そう、言うと。
 苦々しい顔をして少しの逡巡。

「……俺の発散も含めで」
「素直でよろしい」

 さて今度は俺の番。
 軽くこう、「触れる」とか「進展」って感じでリアスが発散できて、クリスティアに負担もかからないもの。

 んーっと思考を巡らせて。

「あ」

 出てきたのは。

「何かあるか?」
「”行動療法”は?」
「……実際にやってみるというあれか」
「そう。潔癖性の人に、”大丈夫”って認識させるために徐々に苦手なものに触れさせるとかね」

 本来は医者の管理下で行うものだけれど。
 リアスの言うことの方が絶対なクリスティアなら似たようなこともできるでしょ。

「まぁ療法とは言ったけど。要は最初から口じゃなくて、指先とか、足先とかはしっこから慣らしていくのがいいんじゃない」
「足先だと逆にいやらしい気がするのは俺だけか」
「リアスの頭の中が限界なんだよ」

 俺はふつうに言っただけだわ。
 で、と。咳払いをして話を戻す。

「やり方だけど」
「あぁ」

 指を折りながら。

「まずどこでもいいから端っこから」

 二つ目。

「クリスが精神的にやだってなるところでその回はストップ」

 三つ目。

「次始めるときも、最初の端っこから。同じようにやだってなるところまで。同じところで止まっても強要はしない」
「毎日やればいいのか」
「できれば毎日の方がいいんじゃない? 日を置くより、寝る前にーとかって習慣づけた方が慣れやすいでしょ」

 どう? と首を傾げると。
 リアスは口元に指を添えて、少し考える。

 数秒のあと。

「……時期を見てやってみる」

 珍しく一発オッケーいただきました。

「頑張ってね、歯止めが利かなくならないように」
「………………気をつける」

 失敗したらリアスすら拒絶対象になっちゃうし。

「なんかあったら五月みたいに連絡くれればいいから」
「あぁ」

 そうならないように祈りつつ。

 ひとまずこっちの話は落ち着いたということで。

「んじゃリアス」
「あ?」
「まず乗り越えなきゃいけないのが先にあるね」

 妹ともう一人の親友が消えていった部屋を、指さす。
 その方向を見やった直後に、目の前の親友は引き気味に笑った。

 それに、構わず。

「二人の作戦、まともだといいね」

 面白い予感がするので、意図的にできるかわからないけれど。

「……お前な……」

 盛大に、フラグを立てておいた。

『だって俺だってその顔見たい』/レグナ


「わたしかよわい女の子っていつも言ってるのにっ…」

 器用にジュースはこぼさぬまま、バタンッと大きな音を立てドアを閉め。愛する親友はむくれた顔でこちらへとやってきました。原因は、いわずもがなさっきの会話。彼女が飛び出してから聞こえたスパァンという良い音は、リアスをひっぱたいたと容易に想像できました。
 いつもなら「そうですよねリアスったらわかっていませんよね」と言うけれど。

 初期時代、石を投げて見事に木を抉った彼女に今回ばかりは同意することができず。
 曖昧に頷いて。

「それで? どうしましょうか」

 ひとまず本題へと話題を逸らす。
 未だにむくれてはいるけれど、「泣かせたいんでしょう?」と聞けば、当初の目的を思い出した彼女はこくりと首を縦に振り。
 持ってきたジュースをベッド近くのテーブルへと置き、ベッドヘッドに座っている私の足下に腰を下ろしました。

「さて、どうしましょうね」
「リアス様ってあんま泣かないよね…」
「そうですねぇ」

 ベッドに後ろ手をつき、今度はしっかり頷く。
 大昔はむかつくくらい涙が出やすいタイプでしたけど今はそんな面影もなく。加えてクリスティアの前ではかっこいい彼氏でいたいというプライドで彼女の前ではほとんど涙は見せなくなった。それを泣かせるというのは中々至難の業ですよね。

「ちなみにどんな感じで泣かせたいんですか?」

 かわいい、とアバウトには聞いていましたが、もう少し情報が欲しい。ちょっと涙が出る感じ、とか大泣きさせたい、とか。
 聞けば、クリスはちょっと悩んで。

「もうごめんなさい許してくださいって縋るほど泣かせたい…」
「ちょっとシンキングタイムを要請します」

 さすがにその方向で来るとは思わなかった。しかもハードルがどんどん上がっていらっしゃる。手を挙げて申請すると、クリスはどうぞと言ってくれます。とりあえず想像してみましょうか。リアスが泣いてごめんなさい許してくださいと縋る姿。ベッドかソファに寝転がっている彼を見下ろす感じですかね?

 どうしよう吐き気しかしない。

「クリスティア」
「終わった…?」
「ちょっと私には難しい問題でしたわ」

 あの男がまじめに泣いて縋る姿など見たくない。演技なら大笑いしますけれども。

「え、本当にあの男のそんな姿が見たいんですか……? というかさっきまでのかわいく泣かせたいからだいぶかけ離れていらっしゃいますが」
「かわいくない…?」
「どこが??」
「カリナとかわいいの解釈が違って悲しい…」
「申し訳ありませんがこれだけはどうしても理解できませんわ……」
「えぇ…」

 私だって「えぇ」って言いたいですよ。

「でも、普段全く想像できない感じのって見てみたくない…?」
「そこの気持ちはわからなくもないんですけれどね」

 せめて大泣きするところからという発想が欲しかった。彼がわんわん泣く姿もちょっと見たくないですが。

「でもさカリナ…」
「はぁい?」

 彼の泣く姿を想像して若干引いてるところで、クリスがスカートの裾を引っ張る。
 目を向けると、きらきらとした目で。

「蓮龍とかなら、ありじゃない…?」

 もうそうやってすぐ腐った話に持ってく。

「ありですけれども。今日はあなたがリアスを泣かせるための案を考えるんでしょう?」
「そうだね…」
「腐の話はやめましょうよ、聞かれたら大変ですよ」
「でもそれなら想像しやすくない…?」

 そう言われたら想像しちゃうじゃないですかやめてくださいよ。

「レグナが普段の仕返しでリアス様を泣かせる…」
「おいしいけれども!」

 今日は違うんです! 止まれ私の腐の思考。咳払いをして。

「真剣に考えましょうクリスティア。腐の話はまた後日、彼らに聞かれる危険性がない状態でしましょう」
「えー…」
「あなたが泣かせたいんでしょうよ」
「もうわたしじゃなくてもいい…。傍観者で見てたい…」

 なにそれ最高。じゃなくて。

「で? リアスをどうやって泣かせるかですよね!」

 ぱん、っと手を叩いて切り替える。さぁあの男が泣くこと。クリスがちょっと不服そうな顔していますが気にせずいきましょう。

「一旦大泣きとかからは離れて、まずは涙を流すことから考えていきましょう」
「とりあえずリアス様って涙出るよね…?」
「彼も一応生物ですからその機能はありますわご心配なく」

 うん、たぶん。
 恋人の前で引き締めてるだけですよね。

 とりあえず涙が出るということで一般的なものからいきましょうか。

「あれはどうですか?」
「なに…? レグナ使う…?」
「クリス一旦腐の思考から離れて」

 戻らせないで。

「ほら、感動物の映画とか」
「わたしたちが先に泣いちゃうじゃん…」

 そうですね高確率で我々が鼻すすってますよね。

「内容をあらかじめ知っておいて、涙腺を引き締めるとか」
「泣けるとこってわかってても泣いちゃわない…?」

 あーーわかるーー。

 これはだめですわ。

「我々の目がつぶれては元も子もありませんわね」
「ほかに…」
「他に……」

 ひとまず人として泣きそうなもの。
 映画に限らず感動ものは道ずれを食らうので却下として。

 あとは……。

「くすぐり、とか」
「リアス様効かなくない…?」
「いやあの男に触ることがほぼほぼないので知りませんが」
「わき腹は、効かない…」
「足の裏とかはどうです?」
「体制によっちゃリアス様が別の性癖目覚めそうじゃない? 靴をおなめ的な感じの方で…」

 うっわありえそう。好きそうですあの男。これも却下。

 となると、

「リアスが新しい性癖目覚めない方向で、我々の目がつぶれないものですよね」
「そうだね…」
「ハードル高すぎませんか?」
「高いね…」

 無駄にスペック高くしなければこんなに悩む羽目にはならなかったのに。まぁ恨み言はあとにしましょう。残っているものと言えば、

「鳩尾とか思い切り叩けば痛くて涙が出るんじゃないですか?」
「普段わたしバイオレンスだけどその発想はなかった…でも泣かなくない?」
「こう、何度も叩きつける感じで」
「さすがにちょっと…」

 だめですか。じゃあ、

「目薬とか」
「それはちょっと違う…」
「ですよねぇ」

 言っておいてなんですけど確かに泣くってわけじゃないですもんね。
 泣くためにできそうなこと。
 涙が出る行為……。

「瞬き禁止とか?」
「確かに涙は出てくるけども…。こう、自然な流れで泣かせに行きたい…」
「自然な流れ、ねぇ……」

 普段の生活の中であの男が泣きそうなこと。涙を流せる状態にさせること……。
 二人して腕を組み考える。

「……!」

 そこでふと、思い浮かんだことがありました。

「クリス」
「はぁい…」
「もしかしたら妙案かもしれません」

 かわいらしく首を傾げるクリスに笑って、話せるように彼女の隣へ降りる。

「なぁに…?」
「とりあえずですが、部屋を出たとき、なにか案が浮かんだかとどちらかが言うと思うんです」
「そだね…」
「そのときは、”残念ながらなにも浮かばなかった”と言いましょう」
「ん…」
「それでですね…」

 クリスに耳打ちをする。自然な流れで彼を泣かせることが出来るのは今考えられる時点でこれだけ。しかもこれなら私が見ても吐き気なんて全然しないかわいらしい泣きを見れるはず。そう思いを込めて小さく言えば、彼女は期待に満ちた目でこちらを見た。

「いかがです?」
「カリナ最高…それで行こう…」

 了承も受けられたことで、二人で楽しげに笑って。

 さぁでは今からやりましょうかと立ち上がり、部屋を後にした。

『人生で必要なのは、裏を掻くこと』/カリナ


 確かに言った。対価を求めた恋人が頑張って俺を泣かすと言うから、期待しないで待っていると。

 そしてそれなりに頑張るんだろうと予想も立てていた。今となってはあまり涙も出なくなったが、自由奔放で時々予測が出来ない恋人がしでかすであろう作戦に備えて涙腺は引き締めてはいた。

 が。

「おい」
「なぁに…」
「寄越せ」
「もうちょっと」
「頼むまじできつい」
「言ったじゃん…泣くの見たいって」
「そうだな、言ったな。俺も楽しみにしていると言ったな」

 ただな、クリスティア。

「さすがに俺も玉葱のみじん切りを使ってくるとは予想していなかったわ」

 痛く、勝手に涙が出てくる目をこすった。

 レグナとカリナがやって来て、クリスティアが俺を泣かせたいと言ったので女子組が俺とクリスティアの部屋で作戦会議をした後。
 部屋から出てきたクリスティア達にレグナが何か思いついたかと聞けば、至極残念そうに”なかった”と首を振った。

 カリナのことだからどうせ何か案を出すだろうと思っていたので拍子抜けはしたが、長年の賜物か涙が出にくい体質にもなったので、確かに出しづらいかもしれないなと安堵のような、頑張る姿を見れなくて残念なような気持ちにはなった。

 その後は四人で、レグナが俺達の家に置いていっているゲームをして遊んで、夕方。今日は元々晩飯を食べていく予定だったから、何にしようかと悩んで。前回のゴールデンウィークでは罰ゲームのとき以外食事は双子が振る舞ってくれたから今回は自分達で振る舞おうとクリスティアに提案され、そうだなと調理台に立ったのが間違いだった。今思えばこの時点で気付くべきだったのに何故気付かなかったんだ俺は。あまりにも自然な流れすぎたからだ。

 さて今日は何にしようかと冷蔵庫を二人で開けて。買い物は済ませていたから食材は豊富。ただ客人をあまり待たせるわけにもいかないだろうということで、なるべく早めにできるものにしようとなった。そこでクリスティアがオムライスとコンソメオニオンスープがいいと言ったのでならばそうするかと何の疑いもなく決まる。二人で作るときはなるべく怪我をさせたくないので基本は俺が包丁を持つ。恐らくそこを利用したんだろう。「スープとケチャップライス作るから材料切って」といつも通り言われれば当然のごとく俺は包丁を持ち、クリスティアが用意していく食材を切っていく。人工肉から始まり、人参を切り、オニオンスープも作るからといつもより多めの玉葱を置かれ、それを切っていく。

 ああ目が染みてきたなと思ったところだった。

 目が染みてきた? と自問した。

 そういえば玉葱切るとよく涙が出るというよな。

 そこで気付いた。今日のメニューの真意に。

 何故わざわざオムライスとオニオンスープを提案したのか。うちではオムライスに玉葱を入れる。当然玉葱を切ることになる。そしてオニオンスープ。オニオンとついているんだからこちらも当然のごとく玉葱を切る。

 狙いはこれか。無理矢理泣かせるためか。

 そう気付いたので、名前を呼べば、クリスティアは走り出す。染みて痛む目をどうにかしたくて、まずはティッシュかと探し彼女を追ってリビングに行けば。

 望んだ物はクリスティアの手の中にあるじゃないか。

 こいつわかってて逃げて先手を打ちやがったのかと顔がひきつった。

 そうして冒頭の会話に戻るわけだが。

「いい子だからそれを寄越してくれないか」

 すぐに収まることのない痛みに伴って、自分の意志とは関係なく涙が出てくる。それを拭いつつ手を差し出すが、彼女は首を振る。そんな光景を見て双子は必死に笑いを堪えている。後で覚えておけ。特にフラグ回収したレグナ。

「クリスティア」
「もうちょっと」
「いてぇんだよ」
「あと五分…」

 恐らく何もしなくても五分は泣くわ。

「知っているかクリスティア、玉葱はあと一個残っているんだ」
「そうだね…」
「それを乗り切るためにまずはこの涙を拭いたいんだが」
「どうせまた泣くんだからそのままでいいじゃない…」
「とりあえず鼻をかませてくれないか」
「先にほら、玉ねぎ切っちゃった方が早いと思う…」
「クリスティア」

 命令を聞かせるように名を呼ぶ。が、本日は強情らしい彼女は怯まず、首を振った。

「恋人の、泣いてる姿を見たいと思う、このかわいい彼女の思いを汲んでくれてもいいと思うの…」
「お前が可愛いのは認めるがこの方法だけは可愛くない」

 しかし彼女は譲らない。
 おいレグナお前肩ものすごく震えているが大丈夫か。
 と心配にはなるものの、すぐさま視線は、

「カリナ、何写真撮ってる」

 その隣にいた双子の妹へ。こともあろうか笑いながらこちらにカメラを向けているその女を睨みつけた。

「泣き顔で睨まれても怖くないとはこのことですのね」
「勝手に納得するな」
「それとこれ動画です」
「なお悪いわ」

 後で携帯割ってでも消してやる。決意して、再び目の前の恋人に目を向けた。

「クリスティア、ティッシュ」
「だぁめ…」
「これだと料理が進まないんだが?」
「さっきも言ったじゃん…どうせまた泣くんだから今なにしても仕方ないって…」
「これ以上あの胞子を受けると鼻水がやばい」
「鼻の中氷漬けにすれば回避できるんじゃない…」
「殺す気か?」

 息できねぇよ。

 つーか今ですら息するのが辛い。

「クリスティア」

 にじり寄りながら再度名前を呼ぶものの、可愛らしく首を振る。
 彼女は可愛いんだが鼻が本当に辛い。

 ぐすぐすと鼻を啜ると、やっと外野から助けが。

「ほらクリス、かっこいいリアス様が台無しになってしまうので、鼻だけかませてあげたらどうです?」
「えー…」
「涙はそのままにしてくれるってさ」
「言っていないが?」

 そのまま涙も拭う予定だったのが先手を打たれその計画は壊されてしまった。けれど双子の提案に揺らぎ始めた彼女を見れば、効果はあるそうで。
 啜るのもだいぶ辛くなってきたので、もう一声。

「わかった、とりあえず涙は拭かんから鼻だけかませてくれ」
「ほんと…?」
「本当だ」
「涙拭ったら今日の夜から玉ねぎで寝床囲うから…」

 それお前もきついんじゃないかと思ったがとにかく鼻をかみたいので了承し、歩み寄ってきたクリスティアからティッシュを受け取る。とりあえず鼻をかんで、紙屑をゴミ箱へ放り投げた。

「鼻かんだから続き頑張ってね…」

 おかしい、天使のはずの恋人が悪魔に見える。

「お前ほんと覚えてろよ……」
「たまにはいいじゃん…」
「もう少し可愛げのある頑張りを期待したんだがな?」

 頭をぐりぐりと撫でながら調理台に戻り。

「……はぁ」

 再び、玉葱に挑む。

 皮をむき、半分に切り、芯を抜いてスライスしていく。

 あぁ。

 とても目が痛い。

「……」
「…♪」

 鼻を啜りながら玉葱を刻んでいる俺の横では、楽しそうなクリスティアの視線を感じる。
 ちらりと目を向けると、やはり楽しそうな目と合った。

「……楽しいか」
「とっても…♪」

 自分の情けない姿で恋人の最高の笑顔を見ることになるとは誰が思うだろうか。
 溜息を吐き、再び玉葱へと視線を戻す。残り半分。正直この玉葱が忌々しい。

「たまにはいいね、こういうの…」
「俺はごめん被りたい。そして──」

 あと少しだと言い聞かせ、残り半分にも手を着け始めたところで、目の前に人の気配。ちらりと見えた服装ですぐにカリナだとわかる。目は手元から離さずに威圧感たっぷりで言った。

「そこの女、目の前に来るな」
「いいじゃないですか、私あなたの料理してる姿みたいです」

 絶対そんなこと思ってないだろう。目を向けなくても動画撮ってることなんてわかるわ。

「カリナ、その動画はどうするつもりだ」
「クリスティアが泣き顔を見たいという衝動に駆られたら見せるつもりですわ」

 そんな発作的に出るものなのか?

「悪いことは言わないからさっさと消せ」
「お断りします」
「あとでその携帯が壊れていても文句は言わせないからな?」
「五月にクラウド保存しているだろと言ったのはどこのどなたかしら」

 時代の進歩を全力で止めたい。

 クラウド保存の消去はいたちごっこになるかと真剣に考えながら切っていくと、今度はこの女の隣に人の気配。レグナか。

「何故囲むようにして来る」
「あれ、バレた?」
「俺が気付かないとでも思ったか?」
「泣くの堪えるのに必死で気付かない、に一票だったんだけど」
「残念だったな」

 残り四分の一になった玉葱を少し早めに切っていく。鼻をかみたい。目がめちゃくちゃいてぇ。

「リアス様、すごい辛そう…」
「これで楽しんでたら俺はとんだ変態だろうな」
「だめだよクリス、これ以上変態にしちゃ」
「そうですよ、あなたでは収拾着かなくなりますよ」
「そこの双子、晩飯抜きでいいんだな?」

 ザンッと音を立てながら玉葱を思い切り切ってやれば無言になる双子。いい子だと呟いて、

「ほら、切ったぞ」

 なんとか切り終わった玉葱を端に寄せて、包丁を置いた。
 あぁやっと終わった。目がいてぇ。ティッシュをくれと手を差し出すが。

「玉葱、少なくない…?」
「嘘だろう?」
「もう一個、行く…?」
「断る」

 悪魔のささやきが止まらない。しかし負けるわけにはいかない。

「ほら次はお前の担当だろう。ティッシュを寄越してさっさと作れ」
「それが人に物を頼む態度…?」
「頼むからティッシュをくれないか」
「断る…」

 おいまじか。

「わたしが作り終わるまで、そのまま…」
「どうしたお前悪魔に転職でもしたのか?」
「わたしは心まで天使じゃん…」
「心まで天使の子は入学初日に親友を道連れになんてしないよね」
「まだ根に持ってるのレグナ…」
「悪いけど一生言うからね?」

 なんて話をしながら、クリスティアはティッシュを脇に挟みつつライスの方の調理を始める。取れそうだな。未だにぐずぐずと鼻を啜りながら、それに手を伸ばした。

 瞬間。

「って」
「おいたしない…」
「おいたしたのはお前じゃないのか」

 パシンと良い音をたてて伸ばした手をはたかれたので素直に引っ込めた。

「これ胸に挟めたら最高だったよね…」
「取ってみなさいよ的な感じですか」
「そうそれ…発育が乏しくて挟む胸もない」

 吹いたわ。
 クリスティアは気にせず言葉を続ける。

「カリナだったら挟めるんじゃない…?」
「どうでしょうねぇ。一応標準サイズなので難しそうですわ」
「谷間が作れるならできんじゃないの…?」
「俺を見られてもその件に関しては返答は無理だ」

 胸もないのにどう答えろと。
 若干目の痛みも引いてきたこともあり、その回答から逃げるようにタマネギのスライスを持ってキッチンの奥に周り、彼女がやっていないスープの方に手をつける。

「あらリアス、もう大丈夫なんですか? 料理始めて」
「全くもって大丈夫ではないが暇だからな。腹も減った」

 そう言えば、「そうですか」という声と同時に軽快な音が鳴る。今の今まで動画を撮っていたのか。

「じゃあカリナ、はい…」
「はいな」

 携帯をしまったのを確認して、クリスティアがカリナにティッシュを渡した。玉葱を持っていなければたたき落として奪い取れたのに。絶対狙っただろうこいつ。

 結局そのティッシュはカリナの胸元へ行き。
 食べ終わるまで涙を拭くことが叶わなかった。

「…♪」
「……随分ご機嫌だな」

 夜。
 双子も帰り、就寝の準備を整え、二人してベッドに入る。
 胸元にすり寄ってきた恋人は、ヘッドボードにつけている薄水色の明かりだけでもよくわかるくらい上機嫌である。

「恋人のかわいい顔が見れたから…」
「……よかったな」

 自分でもわかるくらい遠い目をしてから笑いをし、腕の中でご機嫌の彼女の髪をいじる。
 男の情けない泣き顔を見てかわいいと言うのは中々感覚がずれている気もするが、愛しい恋人が笑うならいいかと思ってしまう自分も大概だと思う。
 正直俺がもらったものの対価にしては彼女の方がでかすぎる気がするが。

「……」

 まぁどうせこれから、今日の分以上の対価はもらえるだろうし。そこはよしとしよう。

 女子が作戦会議中にこっちの男子組でしたレグナとの会話を思い返しながら、今度動画を送ってもらうんだだの写真も撮ってもらえばよかったねだの、願い下げなことばかり言うクリスティアに適当に相づちを打ち。

「カリナがねー、…見たいって、ゆったらね」
「ん」
「見せてね、くれるって…」

 その声に眠気が混ざってきたのがわかったので、さてどういう風に言っていけばいいだろうかと思案しつつ、緩く背を叩いて眠気を促した。

 眠気を促した?

 しまった癖で促したがこれでは寝るじゃないか。
 先にレグナとの話をして実践すればよかったものを。馬鹿か俺は。

「クリス」
「んぅ…」

 急いで声を掛けてみるも、少女のような恋人は俺の意志に反して段々と目が閉じていく。

「クリスティア」
「ん…」
「……」

 とろっとしている表情は幸せそうで。再度声を掛けることは憚られた。

 が。

「、……」

 正直目に毒でもあるそれは、違う衝動を沸き上がらせる。

 無防備な彼女に。まだ許されていない部分まで、触れてしまいたいと。

 別に最後までじゃなくていい。
 クリスティアの表情と同じ、心地よい。そんな小さな触れあいだけ。

 いっそ、それだけなら。提案をせずとも、許されるだろうか。
 言って身構えさせるよりも、無防備な今の方が、受け入れやすかったりするのだろうか。もちろん親友が助言をくれたように、端からということだけは守るけれど。

 背を叩いている手とは逆の手で彼女の頬に触れる。

 眠たげな恋人は、嬉しそうにすり寄って、とろりと笑った。

 こくりと、喉が鳴ったのは、気のせいではないと思う。

 衝動だけは奥歯を噛みしめてなんとか堪え、頬から、手を移動させていく。
 するりと滑らせて、俺の胸元に置いている手へ、自身の手を重ねた。

 その、小さな手を。

 自分の口元へと、持って行った。

「……」

 瞬間。

 恋人の目が、ハッと開く。

「!!」
「…」

 びしりと効果音がつきそうなくらい体が硬直し、冷や汗が流れた。

 嫌な気配を察知しただろうか。
 いやそれよりも、今俺はどんな目をしているだろうか。

 ここに来てまた五月の繰り返しをするのか。

 背に汗が伝うのを感じながら、ゆっくりと見上げてくるクリスティアに、少々恐る恐る。

「……どうした」

 そう、聞くと。

 俺を捉えた彼女は、ふにゃっと微笑み。

「…おやすみなさい…」

 なんの疑いもなく、幸せそうにそう俺に告げて、蒼の瞳を閉じていった。

「……」

 それを、見て。

「……こいつは本当に……」

 純粋さに己の欲を撃ち抜かれた気がした俺は、情けなさに顔を覆った。

『無垢な少女は、無意識でもガードが固い』/リアス