始まりの日 -To you irreplaceable-

「ねぇいつ契り交わすの?」
「お前はまたその話か……」

 雪が積もって、畑の様子を見に行く。その途中で、リアスに聞いた。そしたらこの呆れ顔。

「だって良い歳じゃん」
「数年前くらいにも同じようなことを言っていなかったか?」

 言ったねぇと笑う。リアスはそれに、ため息を吐いた。
 
 

 みんなで村を出て、二年ほど時間が過ぎた。
 生まれた村からたくさん歩いて、遠い遠い村へやって来て。互いに村の中の、家が集まってるとこよりは離れたところに家を持った。リアスはクリスティアと暮らし始め、さすがに恋仲の二人と過ごすのはちょっとと妹と気を遣い、カリナと俺はそこから少し離れた場所に。
 最初はまた何か言われるのではと思ったけれど、こっちの方では一風変わった容姿も受け入れられていて、リアスやクリスが何か言われるようなこともなければ、俺たちも元の原因から離れたのでどうこう言われることがなくなった。

 そんな平和な日々が過ぎて、十八になる年の、冬。

 数年前と同じように、親友にけしかけている。

「契りを交わす気持ちはあるんでしょ?」
「そりゃまぁな」
「さっさと交わしちゃえば良いじゃん」
「俺だってタイミングくらいある」

 さすがに前みたいに切羽詰まった状態じゃないので、そっか、とそれ以上急かすことはしない。

「ただ子供の顔は早く見たいよなぁ」
「お前は俺の父親か何かか?」
「見たいじゃん、美男美女の子供」
「美男美女かは知らないが」

 リアスは呆れたようにため息を吐いて、雪に埋もれてしまった葉を出してやる。この冬を越えたらきっとおいしい作物ができるんだろう。

「お前はどうするんだ」
「ん?」

 同じように雪を払っていたら、聞かれた。

「何を?」
「自分のことはどうなんだと聞いている。浮いた話の一つや二つくらいあるだろう」
「二つもねぇよ」

 そんな軽いやつじゃないし。

「けどいるんだろう?」

 それには、うーんとそっぽを向く。

「いる、けども…」

 想い人を脳裏に浮かべて、ほんの少し体が上気するのを感じた。

「お前こそ身を固めればいいんじゃないのか」
「それは親友を見守ってから。あとは妹をちゃんと送り出してから」
「お前が一番遅いのは確定なんだな」
「そりゃあね」

 なんて笑いながら、また雪を払った。
 
 この二年で、色んなことが変わった。
 環境も変わったし、自分たちを悪く見る人たちもいなくなって。

 俺とカリナにも、心を寄せる人ができたりもした。そして互いに、おつき合いという形をとらせてもらっていて。

 リアスたちと違ってまだ知り合ったのも日が浅いから、契りどうこうはまだまだ先だけれど。いつの日かは結びたいなぁとは思う。

 言ったとおり、リアスたちを見守って、カリナをきちんと見送ってから。
「他の奴に盗られないように気をつけるんだな」
「そこだよねぇ」

 飽きられたらどうしよっか、と肩をすくめて笑った。
 リアスも、昔よりさらに柔らかく笑う。

 その表情を見る度に、あぁ、ちゃんと良い方向に変わったんだぁと実感した。
「まぁまずはお前たちを見守ってからにしたいんだけどね?」
「カリナが盛大に祝いそうだな」
「俺だって祝うよ。今頑張って育ててんじゃん」
「お前が頑張って育てている物は俺も手を加えているがそこはいいのか」
「そこはもう友情の証、ってことで」
「なんだそれ」
 おかしそうに笑って、それに俺も笑って。
「レグナー、リアスー!」

 妹の声が聞こえて、そちらを向いた。
 そこには、妹と、隣に薬草を持ったクリスティアがいる。
「そろそろお昼ですー!」
 その声に、わかった、とこちらも返して。

 リアスを促して、二人の元へと向かった。

 掴んだ幸せが、安定してきた日々。

 これから先も続くように。
 そう願いながら、愛おしい人たちの元へ急いだ。
 
 

『幸せな日々は、続く』/レグナ
 

「で、まだ言えてないんです?」

 その言葉に、小さくうなずいた。
 まだまだ寒い、一月。カリナと冬に育つ薬草を採っている中で、言われた。
 わたしがなにを言えていないか。
 リアスへの、愛の言葉。
 愛おしい、共にいて欲しい、って言葉には、うなずいて答えた。

 それからばたばたして、時が経ち、村を出てから二年が過ぎまして。
「…タイミングが、合わなくて…」
「毎日一緒にいるのにタイミングもなにもないでしょうよ……」

 結局言えずにいて、カリナにはあきれられてる状態です。

「どうするの。もしかしたら次のものがやってくるのよ?」
「次…?」
「恋仲になった次は契りでしょう」

 言われて、顔が熱くなったのがわかった。
 思わず結構な勢いで薬草を引っこ抜いてしまう。

「動揺するのは結構ですが、あなたまだ大事なこと言ってませんからね」
「…はい…」

 愛おしいと、まだ言えていない。

「他の愛情表現とかはしているの?」
「他の…?」
「接吻とか」

 また勢いよく薬草を引っこ抜いてしまった。
「……していないのね」
「してないです…」
 ばれるし恥ずかしいしで思わず顔を覆った。

 リアスと恋仲になってからも二年くらい。一緒に住むようになって、最初こそ恥ずかしくて眠れないことも多々あった。今でも時々緊張して眠れないこともあるけれど。

 さて恋仲らしいことと言われたらほっとんどしていないわけでして。

 手に触れるのは、昔からだから慣れっこ。抱きしめてくれるのはたまにどきどきするけど、これも昔からだからだいぶ慣れてきた。
 ただそれ以上のことは、まだしていない。
「契りの前にはするものじゃないんじゃないの…?」

 本来接吻も、その、その後のことも。夫婦の契りを交わしてからするのが普通って教わった。

 なんだけども。

「あなたの場合言葉で愛情表現していないんだから何かしらで愛情表現をしなさいと言っているんですよ」

 ですよね。心が痛いよカリナ。

「言葉にできたなら話が早いのだけど?」
「あれってなにげないときにも言うものなの…?」
「それはまぁ人それぞれかもしれないけれど」

 少なくともわたしは無理だ。恥ずかしさで死ぬ。

「カリナは、なにげないときにも言う…?」

 あ、今度はカリナが薬草思いっきり引っこ抜いた。ごめんね薬草さっきから。耳を紅くしてるカリナに頬がゆるむのを感じながら、のぞき込む。

「…言うんだ?」
「その、人並み、には!」

 わぁカリナすごい女の子の顔してる。かわいい。にやにやしてたら、カリナが咳払いをして。

「私の話はいいの。今はあなたの愛情表現の話をしてるのよ」
「話そらした…」
「リアスの前であなたが言うようにけしかけてあげましょうか」
「ごめんなさい待って」

 わたしを殺す気ですか。
 薬草をプチプチ抜きながら、膝に顎を乗せた。

「…目の前にすると、恥ずかしいもん…」
「リアスも言葉が欲しいのではなくて?」
「なんか、言えないならいい、って言う…」
「よほどあなたからの愛に自信があると見受けるわ」

 ほんとにね。

「…でも、ちゃんと言わなきゃとは思う…」

 言えなくて他の人のところに言ったら嫌だし。ただこういうのって初めてだし、タイミングが掴めなくてなかなか踏み出せない。

「あ」
「ん…?」

 悩みながら薬草を引っこ抜いてたら、カリナが声を上げた。
 そっちを見たら、楽しそうに笑ってる。

 これはなにかをたくらんでる顔。

「なにカリナ…」
「タイミングがあればいいんでしょう?」
「無理矢理作らなくていい…」
「大丈夫よ無理矢理はしないから」

 いたずらっ子みたいに笑って、続ける。

「いっそ夫婦の契りの時に言えばいいじゃない」
「契りの時に…?」

 首を傾げたら、楽しそうに笑った。

「そう。一番いいタイミングでしょう? これから夫婦として生涯を共にするのだから。それの始まりとして、あなたからも愛してると告げれば良いじゃない」
「そもそも契りするの…?」
「ここまで恋仲でいてしないと言ったら私はあの男を村から追い出すわ」

 うわぁやりかねない。
 冗談はさておきって言ってるけど冗談に聞こえないカリナ。

「一生で一番大事な日になるのよ。あなたからもなにかできたなら、さらに良いと思わない?」

 聞かれて、薬草に目を戻した。

 わたしが、一生で一番大事な日に、リアスにずっと言いたかったことを言えたなら。

 リアスは、どんな顔するんだろう。
 一瞬驚いて、うれしそうに笑うのかな。
 照れて、そっぽ向くのかな。

「普段は言えなくてもいいと思います。恥ずかしくて言えないくらいあなたはあの男が大好きで、愛おしいのでしょう?」

 うなずく。
 あの人が、あの人といる毎日が、とても愛おしい。

「なら特別な日くらい、頑張りなさいな。あの男だって、契りを言うのに頑張るんですから」
「……うん」
 紅くなってるであろう顔を隠すように、うずくまった。
 恥ずかしくて、あなたに言えない、愛の言葉。

 毎日はちょっと無理だけど。
 特別な日なら。
 がんばってみたい。
 大好きだって、あなたのこと、わたしも愛おしいって思ってるって、言いたい。
 わたしのことを愛してくれてありがとう、わたしも愛してるよって。これからもよろしくねって。そう、言えたなら。
 リアスは、笑ってくれるのかな。
「まぁまずはあの男に契りを言わせるところからですね」
「変にけしかけたりしないであげてね…」
「さぁどうでしょう」
 なんていたずらっぽく笑うカリナに、つられて笑った。

 当たり前のようになってきた幸せな日々。これからもっと、幸せな日々がやってくるんだろうか。

 期待と、リアスの反応に胸を膨らませた。
 
 

『幸せな日々が、続いてほしかった』/クリスティア
 

 


 触れ合って、笑い合って。

 小さくて、けれど自分達にとっての大きな幸せ。
 ずっと、続けばいいと思った幸せ。

 これからも、こんな風に笑って、ばかみたいなことをして、たまに喧嘩をして、すぐにまた笑って。
 当たり前になっていた毎日。
 けれど、長くは続かなかった。
 
 
「…カリナ…?」
 ドサッと音が響いた。次いで、恋人の声が聞こえる。
 何かと思ってレグナと共に振り返れば。
 今まで元気に笑っていた女は、地面に伏していた。
 
 

「原因は?」
「わかんない」

 よく晴れた日だった。二月に入って、まだ寒い日が続く中、いつものようにレグナ達が俺とクリスティアの家へ遊びに来て。いつも通り談笑していて。
 さぁ帰ろうかと言った双子を、見送ろうとした時だった。

 カリナは突然倒れ、意識を失った。

 薬師の子とあって、こちらの家よりも薬草が充実しているレグナ達の家へ運んで。
 独学ながらも医療を学んだレグナは妹を看てみたが、原因は不明だった。
「…カリナ…」
 いつからか笑顔が見慣れたそいつは、少し浅い呼吸を繰り返して、目を閉じている。その傍で心配そうに親友を見つめるクリスティアを見ながら、レグナの声を聞いた。
「ただとりあえず、さ」
「あぁ」

「長くは、ないかもしれない」

 聞いた瞬間に、俺も、クリスティアも。時間が止まったように感じた。驚きでレグナを見やると、何も感情が宿っていない目で床を見ながら、続ける。

「心拍数も弱ってるし、呼吸も浅い。よく見たら、なんだけど、前よりも変に痩せてる気がする」

 だから、と言い掛けた親友の言葉は、止めた。

 誰よりも辛い言葉を、二度も言わせる気はなかったから。

「……わかった」

 それだけ返して。今は、あまり人がいない方がいいだろうと、クリスティアと共にレグナの家を後にした。

「…カリナ、死んじゃうの…」
「……」
「このまま、目、覚まさないの…?」

 帰り道、泣きそうになりながら言う恋人を抱き寄せる。受け入れたくない、けれど突きつけられた現実に、喉元が熱くなって。なんとかこらえながら。

「あの女のことだ。どうせすぐ良くなって、何事もなかったように笑う」

 そう、願いのようなことを口にした。
 
 
 カリナは、二週間ほどしてからゆっくりと目を覚ました。
 
「あら、また来たの」
「随分普通に話せるようになったんだな」

 俺もクリスティアも、いつも一緒にというわけではないが、毎日のように見舞いに行った。
 願ったとおり、何事もなかったように笑って、俺達を出迎える。
 けれど、もう一つ願ったことは叶っていなかった。
「……なによ」
「別に」
 来る度に、細くなる腕を見る。顔色も良くない。
「寝ていた方がいいんじゃないのか」
「ずっと寝転がっていると体が痛いの」

 そうか、と返して。彼女の寝床の横へ腰を下ろした。

「今日は、クリスティアは?」
「遅れてくる」
「そう……」

 ほんの少し、息を吐いた。話すことが、きっと辛いんだと思う。

 けれど彼女は、辛いことを見せないように笑っていた。
 クリスティアに出逢う前の、無理をした笑顔で。

「……レグナ、平気?」
「……まぁ」
「そう」

 互いに目線は下げたまま、話す。
 カリナが倒れてから、色んなことが変わった。
 レグナは、共にいたいと願った女とは離れ、妹の病気を治すことに専念し始めた。クリスティアは、毎日家で泣くようになった。力なく笑う親友も、どうしようと泣きじゃくる恋人も、見ているだけで心が痛い。
 カリナも、自身が長くないことを知っているのか、レグナ同様好いていた者とは離れ、家でこうして俺やクリスティアを待つ。

 当たり前のように過ごしていた日々は、たった一つの病魔ごときで、壊された。
「……私のせいね」
「何が」
「私が、全部壊した」
 時折、二人だけの時に零すこの言葉も、痛かった。
「違うだろ」
「違くない」
「お前が悪い訳じゃない」
「でも私が病気になったからっ」

 すべて、壊れた。

 小さく言われた言葉に、どうしたって心が痛くなる。
 誰のせいでもない。悪いのはこいつを侵した病魔で。

「レグナから、大事な人を奪った」
「おい」
「大事な親友も、毎日目を腫らしているの」
「カリナっ」
「ずっと続くはずだったのに、幸せでっ、やっと、みんなでっ」
「もう、やめろ」

 溢れそうな涙を、奥歯を噛みしめて抑える。
 四人で、叶えた幸せ。それを壊したのは、カリナじゃない。誰でもない。

 けれど何度言っても、カリナは自分を責めた。

 泣かないように、必死に、笑いながら。

「必ず良くなる」

 医療なんてわからないのに、口にした。

「そして、また、初めからやり直せばいい」

 また、四人で。駆け回って、バカなことをして、笑い合う日々を。
「だから、っ……」
 ただ、頑張れ、なんて言えなかった。
 今だって十分頑張っているのに。

「三人で、待っててやるから。さっさと治せ」

 そうぶっきらぼうにしか言えなくて。

 けれど、彼女はおかしそうに笑った。

「あなた本当にぶっきらぼうね」
「元からだ」
「知ってるわ」

 互いに、小さく笑う。
 そこで咳込んだカリナに、負担をかけまいと水を渡してから立ち上がった。

「あらもう行くの?」
「おしゃべり娘は延々と話してそうだからな。クリスティアが来るまでその体力取っておけ」
「最初から来なければいいのに」
「減らず口は相変わらずだな本当に……」

 呆れたように溜息をこぼせば、少しだけ、いつからか見慣れた笑顔で笑った。それに微笑み返して、

「また来る」
「はいはい」

 家を、出た。
 
 

「今日ね、リアスがね、髪の毛結ってくれた…」
「かわいいじゃない、似合ってますよ」
「カリナもやってあげるね…」
「あら、いいの?」
「うん…」

 それから、しばらくが経った。三月に入って、双子も十八を迎えて。
 もう少しで、また出逢ったあの日が来る。
 カリナの体調は、あまり思わしくない。
 来る度に痩せていくのは変わらず、声も、少し小さくなって。

 起き上がることも、できなくなった。
「……原因、わかったか」
「……全然。どこがどう悪くてあんな症状になるのかもわからないし」

 今までと変わらないように接するクリスティアと、嬉しそうに笑うカリナを見ながら、レグナと話す。

 衰弱していくカリナの病気は、未だに原因が掴めなかった。
 レグナの目の下は、少し隈ができている。ここ最近ずっと調べて、薬の調合をして。あまり眠れていないんだと思う。
 何も力になれない俺とクリスティアは、変わらずに接するだけ。
 時間だけが、無情にも過ぎていった。
 
 
「……リアス」
「なんだ」
「今月は、持たないかも」

 小さく零した言葉に、頷くことも、何もしなかった。

「あの状態で、ここまで持ってるのがすごいんだと思う」

 その声は、少しだけ、震えている。

「カリナは、さ。いつ、もう……」
「わかったから」

 最愛の妹の残酷な結末を、言わせたくなくて。少し強めに返した。
 もう、わかった。
 彼女がこれ以上、俺達と共に歩めないことも。
 大好きな親友と、最愛の兄と、笑い合えないことも。

 近い内に、四人だった俺達が、三人になってしまうことも。
 わかったから。
「……レグナ」
「ん?」
 愛する恋人を、一人の人として、友人として愛したあいつに。
 なんだかんだ、言いたいことを言い合えて、クリスティアとのことを後押ししてくれた彼女に。
「相談が、ある」
 いついなくなってもおかしくない”親友”に。

 たった一つ、残せるもの。

 
 

『いつだって同じ場所に立っていた君へ』/リアス
 

 


 痛くて、苦しい。
 体も、心も。

 私が、すべて奪った。みんなの笑い合う、幸せな日々を。
 
 
「……っ」

 呼吸が苦しい。思うように体が動かなくなったのは、ここ最近。

 わけの分からない病気に侵されて、床に伏して。一ヶ月くらいたったのかしら。
 毎日のように見舞いに来てくれる親友の目は、恋人よろしく真っ赤で、泣きはらしたのがわかる。

 愛する兄は、大事な人を失ってまで、私を治すことに専念した。

 心苦しくて、早く、早く死んでしまいたかった。
 生きていてみんなの幸せを、笑顔を奪うくらいなら。早くこの世を去りたかった。
 けれど──。
 

「おい」
 考えごとは、ムカつく男に中断された。
 目を開ければ、紅い目と合う。
「……寝起きで、あなたと目が合うなんて……最悪ね……」
「口が減らないところは本当に立派だな」

 そうでしょう? と言わずに笑って表した。

「……何か飲むか」
「いらないわ……」
「そうか」

 そう言って、枕元に座る。

 今日もクリスティアとは別なのね。言おうと思ったけれど、ほんの少し呼吸が苦しくて、言わなかった。
 沈黙が、走る。
 何か話なさいよと目で訴えて、合うのは、少し迷ったような、けれど揺らがない意志を持った瞳だった。
「……どうか、したの?」
 私そろそろ死ぬのかしら。それを、あなたが伝えてくれるのかしら。そう思って、苦しさを押して聞いてみた。
 けれど、彼の口から出た言葉は、期待とは真逆だった。
「あと一週間くらい、生きれるか」
 ………なんて?
「は……?」
「もう長くないそうだ」
「知ってるわよ……」
「ただあと一週間ほど。生きれるか」
 いやそんなこと私が知るわけないでしょうよ。
「どう、して……?」
 あなたはまだ、私に苦しめと言うの?
 愛する親友や兄の辛い顔を、見ていろと言うの。
「どうして、まだ、生きろと……?」
 ねぇ、どうして。

 泣きそうになるのをこらえながら、彼の目を見る。
 もう癖になっている爪いじりをしながら、答えた。

「クリスティアと、夫婦の契りを交わそうと思う」
 いつからか強くなった、その声で。
「一週間後の、クリスティアと出逢ったあの日に」

 なにを、言っているんだろう、って言う思いと、あぁやっと契りを交わすんだという思いが混ざっていた。

「その儀式を、この家でやろうと思っている」
「は…?」
「お前達と、四人で」
 だから祝えと、その男は言い放った。

 わけが、わからなかった。

 ねぇこの体で? なにもできないこの体で。
「カリナ」

 色んな思いがない交ぜになって、涙が出そうになりながら、名を呼ぶ声を聞く。

 その声は、ほんの少しだけ、震えている気がした。
「お前に、最高の思い出をくれてやる」

 最後じゃない、最高の。
「お前が愛した親友の、一番幸せで、一番きれいな姿を、見せてやる」
 見上げた瞳には、涙が溜まっていた。
「だから、せめてあと一週間くらい、生きろ」
 震えた声で、まっすぐ目を見て、そう言う。
「そしてその姿を見て、嬉しさで、全部、治して、また──」

 四人で、また笑って生きよう。
 そう告げた彼は、いつかの泣き虫リアスに戻っていた。
 目を紅くしながら涙を流して、それでもまっすぐ私を見て、告げる。

 あの頃以来かもしれないくらい、自然と涙が出てきた。
 

 痛くて、苦しい。

 体も、心も。

 私が、すべて奪った。みんなの笑いあう、幸せな日々を。
 早く死んでいまいたかった。愛する親友の、兄の、辛い顔を見たくなかったから。
 けれど、生きたかった。
 またみんなで笑って、彼女達の幸せな未来を、自分がもういないかもしれない未来を、見守りながら共に歩みたい。
 そのチャンスを、あなたはまだ、私にくれるの。

 大好きな親友の、幸せで、きれいな姿を、独り占めせずに、私にも見せてくれるの?
「っ……」
「お前はもう頑張っているのを知っている」

 うん。

「けれど、今回だけは言う」
 うん──。
「あと一週間で良い。あと一週間、お前の大好きなクリスティアの姿を見るために」
 目元を、覆った。溢れてくる涙を隠したくて。

 そっと、頭に乗ってくる手は、あたたかくて、優しかった。

「、頑張れっ……」
 その震えた声に。
「うんっ……!」
 自分の精一杯で、頷いた。
 
 
『あなたは誰よりも嫌いで、誰よりも、優しい人』/カリナ
 

 


 俺と共に生まれた君の人生は、どんな日々でしたか。
 
 
「カリナ」
 痩せてしまった手に、自分の手を重ねる。

 月明かりが綺麗な夜。窓から差す光が、ゆっくりと開く妹の瞳を照らした。
 明日は、三月二十七日。
 俺達が、出逢った日。そして。
 大好きな親友たちが、夫婦の契りを交わす日。
「……もうちょっとだよ」
 骨ばっている手を撫でて、声を掛ける。
 頷いた彼女は、力無く笑った。
「頑張ったね」

 そう、告げたと同時に。まだ終わりじゃないのに、何故かこれまでの日々を思い出して。
 喉元が熱くなった気がした。
 
 小さな村で、共に生まれた。
 成長する毎に気付いた最悪な親の中でも純粋に笑う妹。
 リアスと一緒に泣いていた妹は、大好きだと言えるような女の子に出逢って、たくさんたくさん笑うようになって。
 それを見ているのが、幸せだった。
 その笑顔を見るのが辛くなったのは、ここ最近。
 病気でも、辛くても。ずっとずっと笑ってる妹。

 辛いよね。痛いよね。そう声をかけても、大丈夫と笑ったね。

 今日はクリスティアがこんな話をしてくれた。リアスがまたムカつくことを言った。
 でもとても楽しかったよ。
 明日、また逢えるかな。
 明日はどんな話を聞かせてくれるのかな。

 そう、あの頃のように無理して笑ってた。

 それを見て、わき上がるのは。
 どうしたって後悔ばかりだった。
 

「ねぇカリナ」

 病気になるのなら。
 短い人生だと、知っていたのなら。
 もっと、色んな場所に連れてってあげればよかったね。
 カリナが欲しいと言ったもの、もっとあげればよかった。

 もっともっと、たくさんの思い出をお前にあげればよかった。
 気付いたら、涙がこぼれていた。
 ぽたぽたと、重ねた手に滴がこぼれ落ちる。
「俺と共に生きてきた人生は、どんなだった……?」

 虐げられて、病気になって。
 明日だって保つかもわからない。

 見たいものを見れないまま、終わるかもしれない。

 この先の、彼女が見守っていたかった愛する人たちの人生も、見れないかもしれない。

 振り返れば、悲しいことばかりだったと思う。
 それなのに。
「……とても、とても。幸せな日々だった……」
 また、そうやって笑ってくれるの。
 俺の、大好きな笑顔で。
 瞳を幸せそうに歪ませて、愛おしそうに、大切だと言うように。
「明日、クリスティアを見たら……元気になるわ」
 もう力の入らない手で、それでも強く強く、俺の手を握った。

 最後まで、親友のように諦めない彼女の手を、俺も、強く握って。
「……そうだね」
 涙がこぼれるのなんて気にせず、頷いた。
 
 ──ねぇ神様。
 明日、奇跡を起こしてくれませんか。
「レグナは……?」
 花のように短い人生を、一生懸命、満開の笑顔で笑ってくれた妹に。
 少しだけ時間をくれませんか。
「……決まってるじゃん」
 そうして、四人で、たったほんの少しだけでも、笑いあえる未来をいただけませんか。
「カリナがいて、あの二人がいて」
 心の中で何度も何度も祈りながら。
「今までも、これからもずっと、幸せな日々が続くんだよ」
 笑って。妹の手を、強く強く、握りしめた。
 
 
 

『君がいたから、ずっと生きてこれた。』/レグナ
 

 


 月明かりが差す、静かな夜。愛しい人と、額を合わせて、座っていた。
 

「クリスティア」
「ん…」
 少し震えた声。いつもよりあたたかい手に、つられるように体温が上がった気がした。

 ちょっと目をさまよわせてから、しっかりと、こっちを見たリアスは。

「明日、……夫婦の、契りを。交わしたい」

 そう、告げた。

 うれしくて、答えなんて決まっている。

「…うん」
「……カリナ達の、家で」
「うん…」

 強く、強く頷いた。
 すり寄りながら、リアスは静かに、だけど力強く言う。

「……最期には、させないから」
「…うん」
「また四人で、笑い合って生きていこう」
「うん」

 わたしよりも大きな手に、力が入る。ねぇ、嬉しいことを言われてるはずなのに、涙が出てくるのは、なんでなんだろうね。

 耳元で、リアスの優しい声が聞こえる。

「あの頃、お前に出逢って、救われて、それから四人で歩いてきたな」
「うん」
「たまに喧嘩して、ばかなことして」

 最後には、笑ってたね。

 そうほほえんで言うと、リアスも笑った。
 長いようで、短い、幸せな日々。

 死にたかった日々はこの人たちに救われた。

 愛してくれるリアス。
 見守ってくれてるレグナ。
 いつだって笑ってた、カリナ。

 何度も季節を巡ってきた。
 四人で──。
「これからも、四人だよね…?」
「当たり前だろ」
「明日、ちゃんと見れるよね」
「あぁ」

 そんな四人が、もしかしたら、三人になっちゃうかもしれない。

 笑って後押ししてくれた親友は、もう、息も絶え絶えで。
 明日だってどうなるかわからないあの子に、どうしたって涙が止まらない。

「四人がいい…」
「あぁ」
「明日だけじゃない、ずっと、この先も」
「わかってる」

 強く、抱きしめられた。
 声は、二人とも震えてる。緊張なんかじゃない。

「大丈夫だから」

 それでも、リアスの声は強かった。あの頃と変わらない、優しくて、あったかい。

「お前が救ってくれて、守ってくれた日々を、今度は俺がどうにかしてみせるから」

 守ってみせるから。だから泣くな。
 痛いほど強く抱きしめられるけど、咎めることはしなかった。

「うん…」

 わたしも強く強く抱きしめ返して、うなずく。
 静かな夜に、泣き声と鼻を啜る音だけ響く。頭を撫でてくれるのを心地よく思いながら、小さく口を開いた。

「あのね」
「ん?」
「わたしは明日、言いたいことがあるの…」

 あの子ががんばりなさいと言ったこと。
 本当なら、今日、二人きりで言うべきなのだろうけど。契りは明日だから。

「そうか」

 たぶん、わかってくれたリアスも、うなずく。

「楽しみにしている」

 少しだけ涙混じりの声に応じるように、すり寄った。
 
 ねぇ、神様?

「…がんばるね」

 わたしの勇気を、どうか買ってくれませんか。

「あぁ」

 恥ずかしくて、今まで言えなかったことをがんばって言うから。だから。

 大好きな親友を、長生きさせてくれませんか。
「リアス」
「ん?」
 ちょっとだけでいいの。
「明日」
 ほんの少しだけ、また笑って歩ける幸せを。

 どうかわたしたちに与えてくれませんか。
「…晴れると、いいね」
「……そうだな」
 祈りを込めて、リアスを抱きしめる力を強めた。

 
 

『満開の笑顔が、きれいに見えるように』/クリスティア
 
 

 
 
 
 
 
けれど現実は、どこまでも残酷だった。
 
 
 
 

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