未来へ続く物語の記憶 Second April-VI

 あの日から、こわい夢を見る。

 目の前には高級そうなベッド。その上にはこわいこわい王子様。

 そのヒトはいつも、わたしを見たらにたっと笑ってこっちに歩いてくる。
 ゆっくり、ゆっくり。

 こわくて下がっていけばドンって壁にぶつかってそれ以上下がれなくなる。王子様がまた笑って、今度は手を伸ばしてくる。

 毎日のように見る夢。目をつぶれば見てしまう、イヤな夢。最初の頃はすごくこわかった。眠るのがイヤだった。
 夢の中でも、触られるのがこわくなった日も、この手がわたしに触れることはないのに。目が、笑い方が、雰囲気が。すべてがこわかった。

 もちろん、今だってこわいのには変わりない。もしかしたらうなされてるのかもしれないけれど。

 この夢を見始めた、一ヶ月前くらいよりはこわくなかった。

 だって。

《っ、うわっ!!》
「…」

 わたしにその手が触れる直前。

「…」

 茶色い髪のなつかしいヒトが、いつも助けてくれるようになったから。

「——」
「…んぅ?」
「——ん」

 夢の中のヒトにお礼を言う前に、呼ばれてる気がして意識が変わっていった。
 まだ重たい目をゆっくり開けてって、きっといるはずの大好きなヒトを見るために焦点を合わせていく。

 と、

「オハヨ?」
「…」

 目の前には、いつもと違うヒト。
 ちょっと長い部分がある、茶色い髪。

 茶色の。

 あぁもしかして。

「…にー、さま?」
「オレはオマエの兄貴にそんな似てっかね」

 聞いたらすぐに違うっていうような言葉が返ってきてしまう。
 あれでも同じ茶色の髪。

「…? 助けてくれたじゃん…」
「覚えはねーケド」
「こう、手持ってバーンって…」

 ふかふかのベッドの上。もっかいまぶたが落ちてきそうなのをなんとかこらえながら枕を抱きしめて思い出してく。

「こわいヒト…近づかれそうだったの…」
「おー」
「そしたらね…最近いつも助けてくれる…」
「その“兄様”が?」
「うん…大丈夫だよっていうみたいに…」

 あなたが、って服のすそを引っ張る。
 そのヒトは声でふって笑って。

「刹那」
「はぁい」

 返事しながら、あれわたし刹那って兄様に呼ばれてたっけって。

 不思議に思って、見上げれば。

「オメーのソレは“夢”だわ」
「…。…っ!?」

 ペンダントを揺らしながら笑ってるはるまがいらっしゃいました。

 目の前にいたのがいつものリアス様じゃないことに驚いて飛び起きたあと。
 すぐ傍にはいてくれてたリアス様の「おはよう」には呆けながらあいさつを返して。

「おはようございます刹那。よく眠れたかい?」

 三人で部屋を出た先のリビングにいるぶれんを捉えて、ようやっと頭がはっきりしてきて聞いた。

「なんでいるの…」
「カワイイ妹分の初デート前の様子見に?」
「朝ふと思い至ったらしくてね。どうせ緊張してるんだろうと」
「おかげで昨日の夜はいつも以上に寝つきが悪かった」
「だろ?」
「そしてこのサプライズのおかげですごい目がさめた…」
「よかったじゃないですか刹那」

 いや心臓に悪いからやめてほしいんですけども。

 うりうり頭なでてくるはるまからは逃げて、リアス様の腕に抱きつく。

「結構今まで通りにくっつけるようになった感じ?」
「……多少まだ躊躇いはあるが、おかげさまで。お前から逃げるときはとくに」
「不服そうだな弟分」
「誰が弟分だ」

 リアス様は頭をなでてこようとしたはるまから逃げて、リビングに歩いてく。それについていって、渡されるまま自分のマグカップを手にとった。

「ここあー」
「あぁ」
「龍クン、オレコーヒーで」
「俺もお願いします」
「図々しい客人だな相変わらず」

 言いながらもちゃんと四人分のマグカップを用意してる恋人様に微笑んで、自分のマグカップにはココアの粉を入れていった。
 病院の予約は十時半から。みんなでちょっとゆったりして準備すれば——。

 そう思って、ココアに砂糖をいれようとする手が止まる。

 その止まったまま、時計を見た。

 今は朝の八時。うん、病院の方はまだ全然大丈夫。一時間もあれば行けるから。時計見たのはそっちの心配じゃなくて。

「…はるまたち学校行かなくていいの?」

 今ソファで並んで座ってるお二人のことでして。
 でも二人はきょとんとしてわたしを見る。

 あれ今日お休みだった? いやそんなことなくない? カリナたち行ってるもんね学校。ユーアに先週料理の時間はがんばってねって言ったもんね。

「…今日、学校あるんじゃないの…?」

 リアス様を見上げて、聞けば。

「普通にあるが?」
「ですよね…」

 思いっきりうなずかれたので、またはるまたちを見る。

「がっこう…」
「行くぜこのあと」
「君らを見送ってからね」
「時間ぎりぎり超えて遅刻じゃない…?」
「んや? オレら一限取ってねぇし」
「ホームルーム…」
「別に出なくても困りませんよあんなの」

 わぁなんか久しぶりに不良っぽさ見た気がする。

「今は行事の前とかでもありませんしね」
「そーそ。オレらんとこ今年広人クンだし。なんかありゃ呼び出しくらうだろ」
「呼び出しくらう前に出ろよホームルーム」
「名前呼ばれてオハヨウだけだろ。どうせ一限ヒマで広人クンとこ行くコト多いしな」
「気にしないでください」

 はるまたちは気にしないけどもりぶち先生の方気にするかな。どうせ言っても「大丈夫だって」しか帰ってこなさそうだけど。
 リアス様と目を合わせて、二人でもりぶち先生にエールを送って。

 できたココアとコーヒーを持って、リビングの方に歩いてった。

 それからちょっとゆっくり朝を過ごして、昨日レグナにコーディネートしてもらった服を着て、かわいくヘアアレンジをして。

「んじゃオレら行くわ」
「あぁ」
「楽しんできてくださいね二人とも」
「病院だけども…」
「道中だけでも、ね」

 結局出る時間の九時まで家にいたはるまたちといっしょに家を出る。ここから方向は違うから、リアス様が鍵を閉めたのをいっしょに確認してからはるまたちを見上げた。
 はるまと目があうとそのヒトは笑って、最近の癖なのか手を伸ばしてくる。

 不思議とこわい感じはいつの間にかしなくなってて、乗ってくるリアス様よりは低い温度の手を受け入れた。

「…」
「気ぃつけてな」
「ん」
「なんかあったら呼んでくれや」
「…うん」

 うりうりなでられながら、うなずいて。

 もっかいはるまたちを見上げた。

「それじゃあ俺たちはここで。緊急事態よりも楽しい報告を待っているよ」
「あぁ」
「いってらっしゃい…」
「おー」

 学校の方に歩き出すはるまたちを手を振って見送ってから、リアス様に目を向ける。

「……行くか」
「ん」

 楽しみにしてたリアス様とのデート。楽しめるように背中を押してくれたみんなに楽しい報告ができるように、二人でほほえんで。
 さぁ行きますかとリアス様の手をとって、病院へと歩き出した。

♦︎

 平日だからかヒトの少ない道を気持ちゆったり歩いて行って、西地区の病院へ。
 せっかくのデートだからとリアス様をときめかせるんだと昨日まで意気込んでいたのに、苦手な病院に近づくほどその考えはすっぽ抜けて行って。リアス様と話すのは「何言われるかな」とか「注射する?」とか、病院のことばっかり。ときたまリアス様が話変えてくれるけどいつの間にか話題は病院に戻っていって。
 まっしろな病院について順番待ってる間も、来る途中話してたようなことばっかり。
 不安の方が大きくなって、予約の時間に近づくにつれて緊張はどんどん増して行って。

「お会計でお呼びになるまで待合室にてお待ちくださいねー」
「どうも……」

 診察が無事終わって、待合室に歩いてく間。

「……」
「っ、ぐす」
「……ふっ、っ」
「ぅ、ぐずっ、ぅ」
「っ」

 緊張のあまり採血のときに大泣きしてからリアス様がすごい笑いをこらえております。

「がまんするなら笑ってほしい…ぐすっ」
「笑っては失礼だろうと思って、っ」
「がまんする方が失礼だと思うんだけど…」

 しかも体めっちゃ震えてるよリアス様。その震えを抑えつけるようにぎゅっと腕にしがみつく。

「ときめかせたかったのにひどい姿をさらしてしまった…」
「いろんな意味でときめきはしたが」
「これに…?」

 注射で泣く魂年齢約一万歳に? だめだ我ながら恥ずかしくて死にたい。

「恋人のかわいい姿にはときめくものだろう」
「注射で大泣きするのをかわいいっていうのはよくわかんない…」
「その“よくわからない”は俺とカリナが蛇可愛いと言っているお前ら二人によく抱いている感情だ」
「初めて気持ちがよくわかった…」
「何よりだ」

 頭なでてもらいながら受付まで歩いて行って、人が少ない空いてる席に座る。

「帰り道はときめかせるようなことをしたい…」
「普通ときめき云々は逆だと思うんだが」
「女の子もときめかせたい気持ちはある…」
「さっきのといい普段からときめいているから大丈夫だ、安心しろ」
「思ってるのと違う…あるじゃん、こう…なんていうんだろ」

 リアス様の手をいじりながら。

「転びそうになったら助けてあげたり、靴壊れちゃってお姫様抱っこしたり…」
「お前絶対勉強するもの間違えただろ。男がやるものだそれは」
「えぇ…?」
「あと姫抱きは男のプライドを折るからやめてやれ」
「リアスも?」
「リアスも。それ以前にできないだろお前」
「か弱い女の子は火事場のばか力で人を持ち上げられる…」
「お前は持続力がないから確実に落とす」

 失礼な。

「やってみないとわかんない…」
「さすがにこればかりは断言してやる」
「やる?」
「結構だ」
「わたしが納得いかない…」

 というわけでいざ、って手を伸ばしかけたところで、受付のヒトから名前を呼ばれてしまった。

「ざんねん…」
「命拾いした」
「外でやる…?」
「殺す気か?」

 やめてくれっていうように頭こつんって叩かれてから、リアス様といっしょに受付に行く。お薬が入ってる袋と保険証とか渡されてる間にリアス様がお会計して。

「お大事にどうぞ」
「ありがとうございました…」

 最後にお姉さんにお礼を言ってから、病院を後にした。

「これレグナに渡すんでしょー…?」
「あぁ。あいつが持っていた方が後々いいだろ」
「カリナと…リアス様も?」
「俺には基本出番はない」

 もらったお薬はバッグにしまって、病院の外に歩いてく。

 あとは帰るだけ。

 病院も終わったし、今度こそデートっぽく行こうと心に決めて。

「リア——」
「クリスティア」

 手を伸ばしかけたら、先にリアス様が手を伸ばしてきた。
 それに反射的に手を乗せて、にぎる。前よりもためらいも時間もなくなったのに、ほほえんでたら。

「帰りは違う道に行こうと思うんだが」

 言われて、顔を上げた。言われたのがよくわかんなくて首を傾げると、リアス様はほほえんで。

「お前の体調が平気なら、少し違う道で帰らないか」

 もう少し外に慣れるために。

 なんて、普段のリアス様なら言わないことを言う。いつもならどうしたのって言うんだろうけど。

 デートってことで普段よりも舞い上がってるわたしは気にもとめなくて、うなずいた。

「行く…」
「ん」

 手をもうちょっと強くにぎって、二人で歩き出す。
 うきうきしながら病院の敷地を出て行って、来た道の隣の道に入っていって。

「…?」

 つないだ手が動いたのに気づいて、そこを見た。

 あったかいリアス様の手。

 おっきい、その、手、が——

「…!」

 なんとふつうのおててつないでるのから、え、なんと、え? いわゆる恋人つなぎなるものになってるじゃないですか。

 え、何事??

「? 、?」
「恋人のデートはこういう繋ぎ方をして外を歩くんだろう?」
「そうだけども…」

 まさかこんな不意打ちで来ると思わないじゃないですか。え、めっちゃ今心臓どっきどっきしてるんだけども。なにこれ、え、付き合って数日くらいの初デートですか??

「不快か?」

 頭ではパニクってるけど言葉にはしっかり首を横に振って。

「なら行くぞ」

 リアス様に引かれるまま、人通りの少ない道をゆっくりと歩いていった。

「…」

 それからもゆっくり歩いてはいってるんだけども鼓動が早くてそんな気が全然しない。全然ゆっくり歩いていってる気がしない。
 ついこの前まではドキドキするのはちょっと怖くてとか不安でが多かったのに。

「〜〜…」

 今は恋人つなぎしたり、なにげないとこで手引かれてこわくない方の男のヒトらしさが見えたりでどっきどっきしております。

 え、死にそう。

 外普段歩かないし歩くとしてもこういう恋人っぽさってあんまりなかったし。
 恋人つなぎってそんなしたことなくない外で。家でこんなふうに手が重なるのはあるけども。

「クリスティア?」
「はいっ」
「大丈夫か」

 しかもドキドキしてるから五割増しで恋人様がイケメンに見える。待ってのぞきこんで見ないであなた顔がいいこと自覚して。

「イケメンすぎて死にそう…」
「通常運転なのはよくわかった」
「死にそう…」
「ひとまず気分が悪いとかでは?」
「あなたへのときめきは…」
「気分が良いに判断してくれると嬉しいが」
「じゃあ今すごいハイテンション…」
「何よりだ」

 なんでこのヒトこんなにふつうなの。

「リアス様は舞い上がってない…?」
「舞い上がっている。外というのもあるから気は張るが」
「どきどきしてるのクリスだけ?」
「……いろんな意味で俺も鼓動は早い」

 え、いろんな意味ってなに。まさかリアス様の方が不安でどきどきしてたとか?

「不安なら帰ろ…?」
「いやそういうものでもないが」
「えぇ…なにでどきどきしてるの…」
「秘密」

 なにその言い方破壊力やばくない?? よかった口元に人差し指立てたりとかされなくて。死ぬとこだった。

「今日は気を抜くとリアス様に殺されそう…」
「本望だろう」
「ある意味良い死に方しそう」
「そのあとはきちんと追ってやるから安心しろ」

 ふつうのヒトならぞっとしそうな言葉には、うれしさが込み上げて笑う。それにリアス様も笑ってくれて。またうれしくなって、ぎゅってしたくなった。

 そっと腕に目を移す。
 ゆったり歩きながら、そこに抱きつくか否かちょっとだけ止まった。前だったならなんのためらいもなかったのになぁなんて思いつつ、空いてる手をリアス様の腕に近づけたり、遠ざけたり。

「抱きつくなら止まるが?」
「んぅ…」

 ヒトもいないし、ってリアス様が止まった。それにわたしも止まって、手を繋いだまま向き合って広げられた腕の中を見る。

「…」
「来るなら十秒以内」
「うそじゃん…」
「“次はクリスからときめかせる”、だったか」

 先週言ったのを持ち出されて、ちょっとほっぺを膨らませる。

「…十秒以内ならときめく?」
「ときめく」
「…」
「十」

 え、うそ始まるの。
 驚いたようにリアス様を見てもカウントダウンは止まることなく、リアス様の口から数字が出てく。
 急いでリアス様の腕の中に目を戻して、一瞬出て、ちょっとためらう。

 なんでためらうんだろ、って答えにはいつもすぐ映像で答えが出た。レグナに言ったことある。フラッシュバック。
 目の前であの王子がちらつく。その王子に飛び込むんじゃないかって変な錯覚がある。

 もういないのにってわかってるのにこわくなって、口をぎゅっとした。

「五」

 その間にもリアス様のカウントダウンが減ってく。行かねば。

「がんばれ勇者クリスティア…」

 小さな声で自分にエールを送る。そうしてもっかい腕の中を見た時。

「…!」

 なんとなく、頭の中に見えてた光景が変わった気がした。
 ちらついてた王子が倒れてくような。

 夢で見るような、倒れ方。

「…」

 そうして茶色い髪が、わたしを向いて。

 いつものように、言う。

 “がんばれ”って。

 その口の動きと同時に、背中を押された気がして。

「っ」
「っと」

 リアス様のカウントダウンが一になった瞬間、足が勝手に動いて。

 リアス様の腕の中に、飛び込めた。

「…」

 自分でも驚きながらリアス様を見上げれば、リアス様もちょっとびっくりした顔。

「……」

 でもすぐに、うれしそうな顔をして。

「…ときめいた?」
「ときめいた」

 ヒトがいないからか強く抱きしめてくれて、耳元で言う。

「クリスティア」
「はぁい…」
「頑張った褒美と、ときめかせてくれた礼がある」

 言葉にリアス様を見ても、答えはわからない。

「…お礼」
「そう。褒美も」

 それがなにかはわからないけれど。
 リアス様が楽しそうな顔してるから、きっとわたしのとってうれしいことだっていうのだけはわかって。

「行けそうか」

 やさしくなでてくれるリアス様に。

「へいき…」

 しっかりリアス様を見て、うなずけば。

 リアス様も、楽しめるために怖いのを倒してくれた兄様も笑ってくれた気がした。

『デート編クリスティア』/クリスティア


 家を出たときよりも距離近く、恋人と人気のない道を歩いていく。

「花ー」
「あぁ」

 いつも通りへと戻ってきている恋人に微笑んでやりながら。

「……」

 顔とは裏腹に、内心では大変緊張している。

 何故か。

 このあと、恋人にちょっとしたサプライズなるものを用意しているから。

 閃吏が提案したカフェデート。菓子自体も評判がよく、貸し切りの受付もしてくれるということから大変人気な店でクリスティアも気に入っている場所。元は賭けで行くか行かないかという話だったが、今までずっと頑張ってきたのだから褒美になればということで行くこと自体は了承した。心なしか過保護が抜けてきているのではないかという錯覚はひとまず置いておいて。

 俺は今大変緊張している。

「こっち?」
「こっち」

 言葉をオウム返ししながらも正直その場所に近づくにつれて心臓の音がうるさくなって恋人の声が聞こえづらい気がする。

 頭の中で駆け巡るのは、彼女の反応に対する不安と自問自答。

 第一に喜んでくれるだろうか。いや喜んではくれるんだろう。好きな場所だし。この人生だけでなくその店には世話になっているが、行くとなると顔は輝いていたし。
 問題は、そう問題は。

 「行く」ということを言っていないこと。

 サプライズなのだから言わないのが当たり前なんだが。わかってはいるんだ。これで言ったら意味がないと。
 ただ前科がある。当日、しかも直前に行くと言ったら「大事なことは言って欲しい」と鳩尾を蹴られたのがつい一年前。あれは正直悪かったとは思っているけども。この一万年でさりげなく溜まっていたものもあっただろうから甘んじて受け入れたが。

 それがあるから正直今喜んでくれるかが大層心配である。

 「また言ってくれなかった!」と苦い思い出になるのだけは避けたい。

 なんて考えながらもなんとか言うのだけは堪え、店への道を歩いて行く。
 大通りの裏側から出て、昼前だからか朝よりかは多くなってきた車通りのある道へと出た。見渡せば少し遠くにクリスティアお気に入りの店が見える。

 あと少しだと言い聞かせて、信号の前に立った。

「渡るのー…?」
「あぁ」

 道路から少し距離を保ち、信号が変わるのを待つ。心臓の音が大きくなっている気がするが気づかなかったふりをして、腕にうりうりと頬を擦り付けてくる恋人を見やった。

「……」
「♪」
「楽しいか」
「たのし」
「そうか」

 ふわっと笑ってくれたことにほんの少しだけ気を緩ませ。

「変わったー」
「あぁ」

 恋人に頷いて、信号の変わった横断歩道を歩き出す。
 人の往来に気をつけて歩いていきながら、またちらりと恋人を見た。

「♪、♪」

 俺の腕にしがみついているクリスティアはご機嫌そうにキョロキョロ周りを見回しながら歩いている。

 これがもっとご機嫌に変わるのか、それとも。

 ——いや。

「……」

 悪い想像はしまい。緩く首を振って。

 まだ少し遠くに見えるその店に向かって、クリスティアとゆっくり歩いて行った。

「…」
「……」

 それから歩いてしばらく。
 なんの疑いもなく共に歩いてきたクリスティアと店の前にたどり着き、立ち止まった。

 店の方へと足を向ければ、当然クリスティアも足を向ける。

 ちらりと恋人を盗み見ると、その店を見上げて。

「…?」

 最初の反応としては予想通り、首を傾げてしまった。そうして次も予想通り。

「…?」

 俺を見上げて、また首を傾げる。かわいらしい仕草に笑みをこぼして、その小さな頭を撫でた。

「……好きだろう、この店」
「…」
「病院と、あとは幻覚やらいろいろあった期間、頑張った褒美に」

 カフェで、デートをしようと。

 最後の方はだんだんと声が小さくなっていた。
 それに今度は自分で苦笑いをしながら、クリスティアの反応を待つ。

「…」

 小さな恋人は未だ状況が理解できていないのか、きょとんとして俺を見ていた。頭の中では言葉の理解と同時に記憶を探っているんだろう。目をぱちぱちとさせながらずっと俺を見る。

 そうして、該当するものが見つかったのか。

「せんりの…、デート」

 小さな口から答えが出てきた。それには首を横に振る。

「あの賭けは関係ない」
「…」
「言ったろう、ときめかせてくれた礼と頑張った褒美だと」
「…」
「病院も頑張ったし、これまでも幻覚やらいろいろと頑張ってきた」
「…」
「それの褒美だ」
「…」

 言っていく中、クリスティアは何も言わず俺を見上げてくるだけ。
 今は何を考えているかはわからない。

「……」
「…」

 なおも見上げてくるクリスティア。
 黙っていたのはやはり不服だっただろうか。ネガティブが癖になっている頭ではそんな考えばかりが浮かぶ。

「……」
「…」
「……一応、貸切で時間があるんだが」
「…貸し切り…」
「せめて中には入らないか」

 若干居心地の悪い中で、言えば。

「……!」

 突然恋人は腕の中に飛び込んでくる。思いもよらぬ行動になんとか足だけは踏ん張って、恋人を支えた。

「クリスティア」
「…」

 腕の中の恋人はうりうりと俺に頭を擦り付けて、パッと顔を上げる。

 そうして、またふわっと笑って。

「うれし」

 頬をほんの少しだけ赤くさせて、小さく言った。
 それにときめいている間に、恋人は俺の腕から抜けて手を引いていく。突然のかわいらしさに顔がにやけるのはなんとか抑えながら、引かれるまま店の中へ足を運んだ。

「♪」
「不服ではなかったと……」
「これはうれしいサプライズ…」
「黙っていたじゃないか」
「せんり貸し切りに近いって言ってたけどほんとにヒト大丈夫なのかなって考えてた…」

 人のことは言えないがそういうことは口で言って欲しい。心臓に悪かった。

「でも貸し切りなら大丈夫…」
「……」
「うれし」
「さいで……」

 振り向いてまたかわいらしくクリスティアは笑う。恋人に甘い俺は、結局。

 いつも通り咎めることなんてできず、息だけ吐いてご機嫌な少女に手を引かれていくしかできなかった。

「うまいか」
「ん」

 広い店内の中。せっかくならばと中央の席を選んで、店員を除けば二人だけの空間でコーヒーをすする。目の前には自分用のホットドッグと、恋人のところに甘いココアとケーキやらクッキーが数種類。しっかりと自分が一口検閲したあとが残るそれを、クリスティアは嬉しそうに頬張っていく。

「昼はよかったのか」
「これがお昼ご飯…」
「甘党の考えは未だによくわからん…」

 見ているだけでも胸焼けしそうなラインナップに、誤魔化すようにコーヒーを飲む。
 もくもくとケーキを食べているクリスティアから窓の外に目を向け、人の往来をぼんやりと見てからまたクリスティアへと目を移す。
 ご機嫌そうに体を揺らしているのに微笑んで、自分の分のホットドッグを口に含み。飲み込んでから、口元にココアだかチョコだかをつけている恋人に手を伸ばした。

「?」
「口。付いている」
「んぅ」

 逃げる素振りがない恋人に安心しながら拭ってやって、少量だからと指についたそれを口に含む。甘さが広がる前にコーヒーを飲んだ。

「恋人みたーい…」
「恋人だろう」
「クリスもやる…」
「生憎口元に付けるような子供っぽさはないんでな——いって」

 こいつ今足踏んできやがった。

「前から言っているがお前のその打撃力で足を踏むのはだめだろ……骨が折れる」
「前から言ってるけどか弱い女の子がちょっと蹴ったくらいで骨なんて折れない…」
「どこが“ちょっと”だ」

 ガンッと鳴った時点でちょっとじゃないだろ絶対。

 睨んでやるも、クリスティアは素知らぬ顔でケーキを口に含んでいる。それに悪戯心が芽生えて。

 そっと、足を伸ばす。

「っ!?」
「恋人みたいというならこういうことをしてくれると嬉しいんだが?」

 恋人の足に自分の足を添えて、やらしさだけはないようにその足を撫でる。

「な、に…!」
「恋人らしいだろう。よくあるじゃないか、テーブルの下でいちゃついているやつ」
「あるけども…!」
「叩くよりこうしてもらえると俺もテンションが上がるんだが」
「絶対それ上げちゃいけないテンション…!」
「そんなことはない。ほら手が止まってるぞ」
「止めたのはリアス…!」
「俺はいつも通りしているだけだが?」

 意地悪く笑って、いつも手でやっているように足でトントンと恋人の足を緩く叩く。ぐっと悔しそうにしている恋人に優越感を抱きながら、コーヒーをすすった

「っ!!」

 瞬間に恋人が負けじと足を変に撫でてくるのでそのコーヒーが器官に入る。なんとかコーヒーは飲み込んで。

「ごほっ、お、まえな!」
「こうしろってゆった!」
「変に撫でろとは言っていない!」
「コーヒー吹くかと思って…」
「確信犯かお前は……」

 痛む喉を押さえながら悔しげに歯を噛んで、離れた足をまた添えた。
 今度は変に触るなどせず、互いに足を擦りあって、緩く叩いてを繰り返していく。

 合間に自分たちの前に置かれたものを口に入れながら、さっきとは違って静かな時間を楽しんだ。

「あのねー」
「うん?」

 食事は終わってコーヒーを飲んでいると、声を掛けられたのでそちらを向く。ケーキを食べ終わって今度はクッキーの制覇をし始めている恋人は、何かに照れているのか俺を見向きはしないまま。ただただ足を擦りつけてくる。

「どうした」
「…」

 トンっと足で促してやれば、また照れたように視線を逸らす。
 場所が普段と違うからなのか、いつも以上にかわいらしく見えた。そのいつも以上にかわいらしく見える恋人は、意を決したのか口を開いていく。

「たのし」
「……」
「デート…」
「……ん」
「リアスも頑張った」
「ん」

 ……うん?

 頷いてはみたがすぐに心の中で首を傾げてしまった。

 頑張ったと。俺も。

 何を?

「でね、」
「待とうかクリスティア」
「なーにー」
「俺は特別なにも頑張っていないが」

 そう言えば、クリスティアはこてんと首を傾げてしまう。けれど俺も思い当たる節がないので首を傾げてしまった。目をぱちぱちとさせながら俺を見るクリスティアと見つめ合うこと数秒。

 クリスティアが、口を開く。

「がんばった…」
「覚えがないが」
「外…」
「外?」
「外、出るの…デート…怖かったのに」

 クッキーを頬張りながら言われる言葉を頭の中で反復していく。

 怖かったと。
 確かに怖かった。クリスティアの言う意味ではないが。

 喜んでくれるのかだとか、体調が大丈夫だろうかだとか、そっちの方で不安やらが大きかった。

 ——あぁ。

 言われて考えてみれば、外に出るというのにはここ最近反発はなかった気がする。クリスティアが前のように戻ることだけに必死で。

 つまり、

「……お前のことだけ考えていたらまったく考えていなかった」
「照れる…」
「照れた顔をしてくれ」

 頬が赤くなっているからなんとなくはわかるけども。

「…リアスも、よくなった?」
「……さぁな」

 まぁでも、

「貸切で外に出るのが多かったせいで、貸切で行くならまぁいいだろうとは思えるようになった」
「進歩…」
「双子を始めとしたあいつらのせいでな」
「おかげって言わないのは照れ隠し」

 図星を突かれて居心地悪くコーヒーをすする。

「じゃあ」
「うん?」

 言葉に、またクリスティアを見た。テーブルの上にあったものを平らげた恋人は、指についたチョコをなめながら。

「ごほうび、いらない…?」

 その状態だと大変期待をしたくなる言葉をこぼす。けれど頭の中では即座に首を横に振った。
 たまたま褒美と指を舐めるタイミングがかぶっただけ、こいつにそういった意図はない。そもそも言われたとしてもやっと回復に上ってきたこの状況でイエスは出さない。
 心の中で秒で言い聞かせ、平常心は保ちながら。

「褒美?」

 聞けば、こくんと頷く。

「外、連れてきてくれたお礼とがんばったごほうび…」

 微笑んでくれているのは大変魅力的だが。

 まずは聞かねばなるまい。

「クリスティア」
「はぁい」
「褒美の内容は聞いても?」
「リアスは言わなかった…」
「お前と俺じゃ事情が違う」

 首を傾げたクリスティアには「なんでもない」と言って。

「で? 褒美とは」

 聞けば、クリスティアは頷く。

「いつも通りのことだけども…」
「あぁ」
「今まであんまりできなかったから…」

 一瞬キスだとか浮かんでしまった自分は叱咤し、残るコーヒーを飲み込み。足をさりげなくすりあわせてきているクリスティアを見た。

 あどけない顔をして。

「家、帰ったら…いっぱいぎゅってしよ…?」

 紡がれた言葉に、安堵もしつつ少々の残念さも感じた己の未熟さに深く溜息を吐いた。

♦︎

 その後過保護にしては珍しく終了時間までカフェに滞在し、家用の菓子もいくつか買って帰宅し。
 何か抜けたのか、クリスティアは宣言通りかなりの時間俺と触れ合い。

「…」

 少々疲れが出たらしく早めに就寝。そのあどけない寝顔に微笑みながら。

「……心配しすぎじゃないのか」
《弟分のが移ったんじゃねーの》
「誰が弟分だ誰が」

 彼女が寝入った直後に、今日どうだったかを聞くため電話を掛けてきた陽真には呆れた声を返す。

《刹那は?》
「寝ているが」
《んだよ今日の感想聞こうと思ったのに》
「明日でもいくらでも聞けるだろ……」

 こいつのおかげで復活できたのは認めるが、ここ最近は何故こうも構ってくるのか。

《楽しんでた?》
「おかげさまで」
《そらよかった》
「……」

 安心したような声に、やはり疑問だけが残って。

 いろいろとひと段落したということで、言葉をこぼす。

「……何故」
《んー?》
「何故そうも刹那には構う」
《そりゃ守るっつってたくせにあの場所で守れなかったんだからせめてもの謝罪だろ》
「せめてものにしては構いすぎる気がするが?」

 言えば、陽真は少々考えているのか黙る。それをクリスティアの髪を撫でながら待っていれば。

《……なーんか》

 電話越しから、悩みながら声が聞こえた。

《すっげぇ気になる、的な?》

 一瞬スマホ落としかけたわ。

「そ、れはよくある恋とかそういう……」
《あぁそりゃちげーわ安心して大丈夫》

 安心はするがここまではっきり言われると複雑になるこの気持ちはなんなんだろうか。おそらくカリナあたりはわかるだろうから聞くとして。

《うまく言えねーケド》
「……」
《すっげぇ気になる、っつーのが一番近い答え》
「気になる……」
《逢ったコトもねぇのに懐かしいっつーかさぁ。なんかこう、どうしても守ってやんなきゃみてぇな》
「……」
《不思議な感覚》

 確かクリスティアも懐かしいだとか言っていたな去年。
 あの日からときおり「兄様」だとか言うし。実は本当に兄の魂だとかそういうのがあるのか。

 疑問は結局増えただけだが。

《ま、そーいうワケだから》
「!」
《オレに盗られるんじゃねぇかって心配して頑張んなくても大丈夫だぜ弟分》
「!!」

 魂ともなればその疑問は自分では解決できないことはわかっているので。

《んじゃまた明日な》
「おまえっ」

 電話が切れて待ち受け画面に戻っているスマホを見ながら。

「……はぁ」

 過保護より残った疑問より、最近恋愛関係で自分に余裕のないところからまず解決していかなければならないんじゃないかと、深く深く溜息を吐いた。

『デート編リアス』/リアス