未来へ続く物語の記憶 June-I

 月始めと言えば「合同演習」ってすぐ返せるくらい身についた笑守人のほぼ月一恒例行事、合同演習。

「刹那動きにぶったんじゃないの」
「そんなことないもんっ…!」

 復活してだいぶ経ったクリスティアは万が一を考えてもう少しだけ幼なじみと対戦を、ということで今月は俺が担当。相変わらず早いなーなんて思いながらも口からはそう言って、売られたケンカを買いやすい小さな親友が突撃してくるのに笑いをこぼして千本で彼女の氷刃を受け止めた。

「すぐそうやって直進するから龍にだって勝てないんだろ」
「蓮だって勝ててないっ」
「うわそういうこと言う?」

 俺もケンカ買いやすいのは一緒なんだけども。カチンと来た言葉に押し合いしてる武器をぐぐぐっと押していく。

「闇魔術あれば強い、のにっ、変な、プライドでっ使わないからっ!」
「プライドとか、そういうんじゃ、ないんだけどっ!! どのみちあいつ闇魔術だって、防げる、だろっ!」
「でもっ、しょーりつ、あがるもんっ! プライド、捨てればっ!! 龍みたいに、ぽんって、捨てればいいっ!!」
「あいつがっ、簡単にプライド、捨ててると思うなよっ!!」

 ごめん親友、フォローしてみたけどちょっと嘘ついたかもしんない。
 お前結構簡単にプライド捨ててる記憶しかないかもしんない。ごめん。

 なんて心の中で謝りながら、どこか冷静な頭でしっかり魔術を練っていく。

「そんなことより刹那」
「逃げた…」
「逃げてませんけど??」

 思いっきり押し込んでやれば軽い体は弾かれて遠ざかる。負けじとまた向かってきたクリスティアの刃を受け止めて。

「俺のどこが逃げてるって?」
「いっつもそう…さりげなく都合わるいとこは話そらす…」
「さりげなくならいいだろ、妹みたいに露骨にさけたりしないわ」

 おっと妹のいる区画からすっげぇ殺気。

「ねぇ華凜って耳よかったっけ」
「わたしがいると異常に耳いいよね…」
「あぁ……盗聴器でもつけてんのってくらいの地獄耳なるよね」

 あの耳どうなってんだろうね。あいつ俺の耳おかしいとか言うけどあいつの方が絶対おかしい。

「刹那そろそろ家の中しっかりチェックした方がいいんじゃない」
「家の会話は平気…なんか半径何メートルかくらいのところがやばい…」
「えぇ……まさかの地で聞こえてるやつなの?」

 盗聴器の方がまだ潔くねと思うのは俺の感覚がまひしてるだけか。

 っと。

 話してる間にゆっくり練っていた魔術も完成。


 というわけで。


 話に夢中になってるクリスティアと押し合い中の武器を引く。

「、わっ…」

 そうすれば当然クリスティアは力を入れてた俺の方向にダイブ。片手で飛び込んできた彼女を支えるようにしてやりながら。


 もう片手は、額の方へ。

「!」
「言ったじゃん、動きにぶったんじゃないのって」

 油断しちゃだめだろ。

 そう笑って言えば、バランスを崩して体制を立て直せないクリスティアはそれはもう不服そうに頬を膨らませた。かわいいそれには俺は笑うだけ。

 変わらず手を額へ持って行って。



【睡陣】


 俺の魔術で眠り、倒れこんだクリスティアを抱きとめて。


「勝者、波風!」


 対クリスティア戦は今回も勝利ってことで。心の中で笑って、クリスティアを抱えながらスタジアムを後にした。








「意外と言い合いするんだな波風」
「そりゃもちろん」

 とくに刹那とはね、と。
 ほぼ同じタイミングで演習が終わった祈童・道化ペア、リアス・ウリオスペアと合流して観覧席に上がってく。

「二人だとすっごく穏やかな感じがするわ!」
『とくに蓮の兄貴はにこにこ笑って流しそうだけどな』
「まさか。この二人の方が喧嘩すると厄介だぞ。なぁ?」
「…」 

 起こして終わりの合図をもらったクリスティアはリアスに言われるけれど。不服そうな小さな親友は抱きかかえられたまま頬を膨らますだけ。それに楽しそうに笑みをこぼしたリアスは今度は俺に同意を求めるように見てくる。

「……別にそんな厄介じゃないと思うけど?」
「最終的に武器取り出して戦い出す奴らのどこが厄介じゃないと?」
「刹那が先に出すんだろ」
「蓮だって出すもんっ、蓮の方が多いっ」
「刹那が出すから俺も出すんですー」
「蓮が出すから刹那も出すの…」

 そうしてにらみ合いが始まって。


 互いにすぐさま手に武器を握る。


「見事に同じタイミングで出したな」
「止めてやらねばすぐ踏み出すからな。とりあえずしまえ」


 変わらず楽しそうに言うリアスだけど、その目は本気。しまわなきゃあとが面倒っていうのはよくわかっているので。

「…次のバトルで勝つもん」
「こっちのセリフ」

 互いに武器はしまって、不服そうに目をそらした。
 階段を上がっていって、閃吏たちがいる方向に歩いてく。

「これで数秒後にはいつも通りだ」
「不思議な関係ねー」

 後ろで言う道化の言葉には心の中で首を傾げておいて。

「あ、おかえり」
『お疲れさまでしたわ』
「ぉ、おかえりなさい!」
『おかえりですっ』

 固まってる閃吏たちのとこについて、ただいまと返しながら腰を下ろす。

「なんか珍しく波風君言いあってたね、氷河さんと」
「閃吏までそういうこと言う?」
「ぁ、ああやって言ってるの、ちょ、ちょっと新鮮ですからっ」
『笑って済ませそうですものね』
「ウリオスにも同じこと言われたけども」

 俺そんなに笑ってんのかな。いや笑顔張り付けてる自覚はあるけどさ。
 口々に珍しいだのなんだの言われて居心地が若干悪くなってる中。

「れーん」
「はいよ」

 ぽすんと、さっきまでのことが嘘のように背中に抱き着いてきた小さな親友を受け入れる。

「あそぼー」
「華凜見てないとすねるんじゃないの」
「終わったー」
「え、嘘」

 あ、ほんとだ。ティノと一緒にスタジアムから歩き出してんじゃん。
 乗っかられたときに前かがみになって見えなかった。

「何してあそぶの」
「てるてるぼーず…」
「布とか持ってきてないんですけどー」

 なんて腕を引っ張ってやりながら笑えば、クリスティアも笑って膝に乗った。

 俺らにとってはそれがいつも通りのことだけれど。

「さ、さっきまでが本当に嘘みたいね……」
『兄貴もあっさりだが嬢ちゃんもすげぇな……』

 周りからはやっぱり不思議なようで。廊下でのやりとりも見てた組は苦笑い。それに首をかしげるクリスティアにはリアスが笑った。
 最近よく笑うようになったなぁと思いつつ、ぱたぱた足を揺らすクリスティアの背を叩いてリアスのとこに行くよう促してやりながら。

「不思議だなんだって言うけど、俺と刹那より不思議な関係ここ最近でできたじゃん」

 俺がそう言えば、半分は首をかしげて半分は納得の顔。

「ねぇ華凜?」
「あらまぁなんのお話でしょうか」

 リアスを通り越して、上に上がってきたカリナに抱き着いたクリスティアの背中から視線を妹に上げる。俺よりも常ににこにこ笑ってる妹は笑みを崩すことなく首を傾げた。

『炎上と不思議な関係の子ができたという話ですっ』
『あっ、この前の後輩クンだよねー!』
「あぁ……そうですわね。今日もいらっしゃるんじゃないですか?」
「あれは単になつかれているだけで不思議ではないと思うが」

 いや俺ら幼なじみからしたらだいぶ不思議な光景なんだけど。
 どうせ言っても首を傾げるだけなのはわかっているので、ひとまず全員揃ったということで授業に戻るため立ち上がる。

「あ、波風くん被服実習なら帰りに布もらっていかないかしら! てるてる坊主の!」
「あーそうしよっか。刹那何色がいいー」
「紅ー」
「だいぶ血なまぐさい感じのてるてる坊主になりそうだな波風」
「祈童しっかり祈りささげてあげてね」
「ち、血の雨ですか……?」
「それですと龍が延々と外に出れなくなってしまいますね」

 逆にクリスティア喜んで外出そうだな。そして血まみれで帰ってくる。なんのホラー映画かな?

『降水確率も下げるお祈りにしてもらわなきゃねー』
『今月頭のもそれで旦那は外出なかったんだろ?』
「90%は外出しなくてもさすがに許して欲しいんだが」
『いつ降るかわかりませんものね。正しい判断だと思いますわ』
『せめて50%まで下がってほしいですっ。再来週から梅雨が始まるですっ』
「その前には一回くらいがんばりたいねー…」
「本当にな……」

 話しながら演習場を出るため歩いていって、頭の片隅では今週の天気予報を思い出す。一応梅雨入りまでは晴れが続くみたいだから今週こそは大丈夫だと思うんだけどな。

「天気を操れたら楽ですのに……」

 ぼそっととんでもないことこぼす妹の言葉は聞かなかったことにして。


 演習場から校舎に続く通路に出れば。


「先輩……」
「お」

 少し前に「不思議な関係だね」と話題になってた少年・ルクがちょこんと立ってた。そうして俺らが止まったと同時に。

『コンニチハッ!』

 真珠の精霊・珠唯も人型化して俺たちに顔を出す。
 リアスとクリスティア、雫来とユーアが取ってた料理の時間、種族のこともあって孤立してたらしいところを珍しくリアスが救ったことでよくやってくるようになった後輩たち。

 会釈をした二人にはそれぞれあいさつを返して。

「授業はないの」

 もうちょっとで終わるけども。
 ルクたちもつれて歩き出しながら聞けば、珠唯と、ルクに巻き付いてる蛇のイリスが頷いた。

『三限目はお休みなのっ!』
「ずっとあそこにいらしたんですの?」
『うんっ、渡したいものがあってね。ほらっ、ルク!』

 再び立ち止まって、珠唯がルクの後ろに回る。首を傾げていれば、背中を押すように飛び回ってる珠唯のエールもあってか。ルクはおずおずと一歩前に出て。

 リアスの前に立った。

 あ、これは絶対面白い予感。

 全員それを察知したのか身を引―こうと思ったけどクリスティアはリアスに捕まってしまったので、残ったメンバーで身を引いて二人を見届ける。


「……せ、先輩」
「……」
「……」
「……」

 なかなか言葉を口にしないルクだけれど、とりあえず照れているのだけは蛇のイリスを見てよくわかった。めっちゃ真っ赤じゃん。
 なんとかこの面白いことが起こりそうな状況に笑いをこらえながら、二人を見ていれば。


 じっと待っているリアスに、ようやっと。ルクが動き出す。


 後ろに持っていた紙袋を、そっとリアスの目の前に差し出して。


「ぉ、お菓子……作ってきたんです……食べて、くれますか……」


 女子かな?? なんて言いたくなるのは全員で必死にこらえた。

「……甘いものは苦手だと伝えたはずだが」
「うん、でも、その……」

 あ、やばいこれ腹筋引き締めないとやばい。
 ぐっと体に力を入れて。


「妹さんにも、食べてほしくて……」

 
 ルクから紡がれる言葉に笑わまいと唇を噛んだ。
 祈童めっちゃ肩震えてるけど。やめて今笑い誘発しないで。


 なんとかこらえながら、ナチュラルに妹と言われたクリスティアを見れば。


「わーい…♪」


 なんと恋人、肩書よりも菓子を取って紙袋に一直線である。


「ふはっ、僕はもうだめだっ……!」
「骨は拾っとくよ祈童っ……」
「勝手に死亡扱いにしないでくれないか、ふふっ」

 いやお前死にそうなほど肩震えてるよ。周りもだけど。

 全員骨はしっかり拾うということを決めておいて。

「はーおっかし……」

 延々と続いているこの問答に、未だ腹筋が慣れることはなく。苦笑いのリアスがお菓子を一口食べるのを涙目で見る。

「あは、そろそろ蛇璃亜君に言ってあげたらいいのに炎上君も」
『嬢ちゃんが否定する間もなく菓子に食いついてるからタイミングねぇのもあるけどな』
「わ、わかりませんよ……! 蛇璃亜くんが炎上くんに、き、気があるとしたら、恋人と言ってしまったらお菓子が、も、もらえないかもしれません……!」
「相変わらず想像力豊かね雪ちゃん!」

 いやまぁそれは絶対ないと思うけど。

 クリスティアそういうのって意外と敏感だし。

『蛇璃亜は純粋な尊敬ですっ』
「ユーアもそういうの敏感だよね」
『もちろんですっ』
『雫来サンたちは乙女心がわかってないんだよ~』

 俺の目が正しければお前も乙女ではないと思うんだけどな?? 結構女子の会話に混ざってるけど。

『助けなくてよろしんですの?』

 未だ笑いそうになりながら、エルアノの問いに一回カリナを見た。
 そっくりな妹はにっこり笑って頷く。それに頷き返して。

「まだいいんじゃない」

 幼なじみにとってはちょっと不思議な光景を、焼き付けるように見る。

「おいしー、ですか?」
「……まぁ」

 苦笑いのリアスに、嬉しそうに顔をほころばせるルク。
 ほかの人が見ればただの先輩後輩だけれど。


 リアスは割と、年下とはうまく行かないことが多かったりする。


 もちろん「あなたが好きです!」っていう恋愛の方の好意を持った子なら、年下だろうが年上だろうが人妻だろうが構わずやってきたけど、そういうのじゃない、単なる人間関係で。

 創世期時代、弟とも関係が良好じゃなかったからか。昔から「年下」っていう存在には恵まれてなかった親友。


 その親友に、ちょっとしたきっかけから後輩ができていて。

「次は、甘くないのも、作って、みます……」
「……わかった」

 その後輩はリアスになついていて、リアス自身もそんなに悪い気もしていなくて。


 頬がほころぶような不思議な関係は、できれば少しでも見ていたいと思うのはちょっと勝手だろうか。


 けれど、検閲が終わったお菓子をおいしそうに食べている小さな親友も、心なしかその関係を嬉しそうに見ているから。


 ちょっと勝手でもいいかと、自分で自分を許して。


 リアス自身が助けを求めてくるまで見守ってやろうと、妹とそっと笑みをこぼした。



『合同演習クリスvsカリナ』/レグナ




 クリスティアとビースト組が中心となっててるてる坊主を作り。
 祈童が「気休め程度だが」と言いつつも晴れるように祈りを込めてくれて。

 来週から梅雨だからと、結局作ったてるてる坊主はすべて窓につるすことになり、ホラーな状態を見ながら過ごすこと数日。

「晴れたー…」
「日曜に晴れたのは本当に久しぶりだな……」
『降水確率もゼロにございます……』


 クリスティアと行動療法を始めて約三週間。外も晴れ、ようやっと俺の方もスタートを切ることができそうである。

 窓から外を見上げれば雲一つない快晴。本当に久しぶりだな日曜の晴れ間は。

「一応天気が変わることはないらしいが」
『あくまで予報ゆえ……お早めに出た方がよろしいかと……』

 最近よく出てくるようになり、朝のニュース確認が習慣になったリヒテルタに頷いて。


 出掛けられるということで顔がいつもより緩んでいるクリスティアに。


「行くか」
「うんっ」

 多少の恐怖心はあるものの、俺も心なしか頬を緩ませて。

 昼になる前に始めてみようと、準備に取り掛かった。




 取り掛かったのはいいんだが。



「……もう少し行くと思っていたんだが?」


 恋人から聞かされたルートに、靴を履きながら言えば。


「はじめてだもん…お外一周…」

 すでに準備万端の彼女の意思は変わらず。顔を上げると、告げられたときと同様にふるふると首を横に振った。


 行動療法というのは、本来医師の管理下で行うものだがそこは一旦置いておいて。
 簡単に言ってしまえば苦手なことを実際にやっていきながら克服していく、というようなものである。

 クリスティアならば恋人のスキンシップ。
 俺ならば挙げればきりがないが外出だったり、クリスティアの食べるものの検閲だったり。

 レグナの指導下では本人が「無理だ」と思うところまでやっていき、その先には進まない。先に進めるようになるまで毎回そこで止める、というもの。

 つまり俺ならとりあえず外を歩いてみて、無理だと思うところで退却になるのだが。


「クリスティア」
「お外一周…」

 恋人が「家の周りを一周」というのを一切譲ってくれない。

「もう少し行けると思うが? 実際学園まで行けているだろう」

 結構な距離だぞ学園まで。

 しかしクリスティアは首を横に振るばかり。

「学園は律義なリアス様がちゃんと学校に行こうって思うから行ける…。お出かけはそういうのがない…」
「お前とデートをしたいから行こうと思うんだが」
「その思いが強かったらこの一万年もっとデートしてた…」

 ぐうの音も出ない。

 苦笑いをこぼせば、クリスティアは俺に手を差し出す。

「もし行けそうだったら、もうちょっと行く…とりあえず目標はお外一周…」

 ダメ? と首を傾げられてしまえば俺の喉はぐっと鳴った。相変わらず恋人のこれには弱いなと思いつつも、彼女も譲歩してくれてはいるで。

「……わかった」

 頷いて、その手を取り。

「留守は頼んだ」
『承知……』

 万が一に手助けができるようにと留守を頼んだリヒテルタに告げて。

「いってきます…」
『ごゆるりと……』


 恐らく数千年ぶりの、ただの”散歩”をするべく。
 扉を開けて、外へと歩き出した。




「……」

 雲一つない空の下。
 一歩一歩、門へと歩いて行きながらあたりを見回す。


「……新鮮だな」
「へーき…?」
「とりあえずは」

 手を引かれ門へとたどり着き。
 クリスティアの初登校と同じように一度止まる。そこでは自分自身の確認。

 内側に目を向ければ、特に緊張していることもなく、心臓も別に早くなることもない。

「今のところ学園に行くのと同じ感覚だ」
「そう…」

 それでも少々心配なのか、クリスティアは歩き出そうとはしない。手を繋いだままじっと俺を見上げてくる。

 ……これはどうすべきなのだろうか。

 クリスティアが「行こう」と歩き出すまで待つべきなのか?
 いやしかしこれは俺の行動療法であって。俺のタイミングで歩き出していいはずだよな。そうだよな?

「行くか」
「…」

 そうやって無言で俺の手を引っ張るのではなくだなクリスティア。
 びっくりしたわ腕抜けるかと思ったろ。相変わらずお前の力半端ないな?

 せっかくのデートもどきでそれを言いはしないけども。苦笑いを浮かべながらクリスティアを見て。

「……俺のタイミングで歩き出していいはずだが」
「油断、だめ…」
「それはそうだが。とりあえず現時点で平気なんだから歩き出してもいいだろう」
「…」

 そう言ってもクリスティアはやはり動かない。普段と逆になっているななんて笑いそうになるのをこらえて、結局彼女の「行こう」が出るまで待つかと立ち尽くしていれば。

「!」

 クリスティアがいきなり俺に抱き着いてきたじゃないか。

 いや何故。

「いきなりどうした」
「…」

 繋いでいない方の手でぎゅっと俺に抱き着くクリスティア。心なしか耳を心臓部分に当てているように見える。俺に嘘がないと確かめているんだろうか。

 気持ちはわかるが。


 正直この状況でやってほしくなかった。

「……クリスティア」
「心臓…どきどきしてる…」

 そりゃ恋人にいきなり抱き着かれれば心臓も跳ねるだろうよ。

「タイミングが悪いと思うんだ」
「やっぱりこわかった…」
「違う。そこは断じて違う。この心拍はお前が悪い」
「クリスなんもしてない…」

 思いっきり主犯だろこれは。

「……お前やっぱり一言足りないと思うぞ」
「最近は増えたよ…」
「それは認めるが。一番大事なところで一言がないのは相変わらずだ」
「…? 意味わかんない…」

 不服そうに見上げてきた恋人はぷくりと頬を膨らませる。そういうあざといところだあざといところ。

「外出よりお前の可愛さで死にそうだな……」
「わたしはリアス様のかっこよさで死にそう…よかったねお互いの良さで死ねて」

 普通ならば「よかった」ではないんだろうがこちらとしては本望なので頷いて。

「そろそろ歩き出したいんだが?」
「ん…」

 確かめていた心音も落ち着いてきたのか、クリスティアは身を離し。

「行こ…」

 彼女からお許しももらったので今度こそ二人、家の周りを歩くため足を踏み出す。


 一歩一歩歩きながら、周りを見渡して。
 日曜とは言えど住宅街だからかあまり人がいない通路をゆっくりと歩いていく。

「二年になって土曜も授業を取ったからわかったが。こっちは休みでもヒトがやはり少ないな」
「みんな西地区行っちゃうのかな…」
「まぁ遊びと言えばだいたい西だろうからな」

 フランスでは俺が北にいたからわからなかったが。
 だいたいどの街も共通で東は居住区、西はスーパーや遊び場の施設が集まる地区。北と南は半々の役割を備えた地区となっていることが多く。
 北にいたときは人もいたのでどこもこんなもんなんだろうと思っていたが、実際に東に住むとこんなにも人がいないものか。

「……案外出てみないとわからないものだな」
「でも今日たまたまかもしれない…」
「それは否定しない」

 来週になっていきなり人が多くなったというのも十分ありあえる。土曜日を見ている限り可能性は低いけども。

 角を曲がってようやっと一人か二人出逢う程度の少ない人通りの中。話しながら足を進めていき、合間に自分の確認も忘れない。

 人の少なさのおかげかそこまで緊張というものはなし。多少角を曲がるときだけ警戒心が強くなる程度。
 曲がって人の少なさを確認してしまえば呼吸も心拍も乱れることはなし。

 これも毎日それなりの人数で学園に通ってもいるおかげか。


 それとも。


「♪、♪」


 家の周りを一周するという、デートにもならないであろう距離なのに。それでもご機嫌そうに歩いている恋人が見れて嬉しいからか。
 どちらかと言えば後者の方が強いんだろう。隣を歩く恋人に目を向けると自然と頬が緩む。

「……短い距離なのに随分嬉しそうだな」
「もちのろーん…」

 今にもスキップしそうな軽快な足取りで歩きながら、恋人は俺を見上げた。


 そうして綻んで。


「リアスといっしょ…どこでも、どんな場所でも…うれし」


 なんて言われてしまえば心臓を撃ち抜かれてしまうわけで。

 なんとかにやけそうになる顔を抑えるのに必死である。

「半分過ぎたけど心臓だいじょうぶー…?」
「違う意味で大丈夫ではないな……」
「?」

 口元を抑えつつ呟くと、その小さな声を拾ったらしいクリスティアは止まる。

「確認…」
「せんでいい」

 しかしクリスティアは言うことを聞かず、俺に再び抱き着いて小さな耳を俺の左胸に当てた。

「どきどきしてるー」

 言われなくても知ってるわ。

「……これもお前のせいだ」
「クリスがかわいいせい?」
「あぁ」
「♪」


 ”かわいい”に気をよくしたクリスティアは嬉しそうにさらに強く抱き着いてくる。人通りが少なくてよかったな。別に好奇の目にもう抵抗はないが、こうして身を寄せ合っていると隙が多い。
 思考が過保護だななんて、客観的に見れるようになった過保護さに苦笑いをこぼし。

 クリスティアを一旦強く抱きしめてから、身を離した。

「この距離であまり外に長居しているとリヒテルタが心配する」
「はぁい」

 恋人からのスキンシップを離すのは少々もったいないがあとで堪能するとして、再び手を繋ぎながら歩き出した。

「今日の療法、成功…?」

 彼女の歩幅に合わせて歩いている自分に、まるで恋人みたいだなと、恋人なのに心でかみしめて。クリスティアの問いには頷く。

「まだ行けそうな感じはする」
「じゃあ次…」
「行けそうならもう少し行くと言っていなかったか」
「クリスのかわいさに心臓負けないならいい…」


 なんて言う恋人に笑って。
 見えてきた門に向かって行きながら。


「それだけは無理そうだな」


 言えば、恋人も楽しそうに笑ったので。


 第一歩はうまく踏み出せたと、ほんの少し、心の中で自信が湧いた気がした。





『君と始める第一歩』/リアス




 あったかい体温に包まれながら、その光景を見る。

「……」

 男のヒトにしてはちょっと長い、きれいな金色の髪。
 愛しそうにわたしの指先を見る大好きな紅い目。

 そうしてじっと見つめて。

 ゆっくり、まぶたを閉じて。



 大好きなヒトは、わたしの指先へ口づけた。



 ―あぁ。



「なんてイケメン…」
「安心を通り過ぎて恍惚としだしたな最近は……」
「あきれた顔もかっこいいと思う…」
「それはどうも」

 せっかくほめたのに、大好きなヒト―リアス様は苦笑い。そうしてまた指先に口づける。

「わたしなりに想いを伝えているのに…」
「なんだろうな、どう反応していいかがわからない」
「恋人はかなしい…」
「さいで」

 適当にはぐらかして、指先からほんのちょっと上がってまたキス。体が勝手にびくってなったけど、リアス様がぎゅってしてくれてほっと息をついた。



 リアス様の方はいろいろあって遅れたけれど、一緒に行動療法頑張ろうね、って始めてから、もうちょっとで一か月。


 リアス様がわたしのために前とはやり方変えてくれて、ぎゅってしながらっていう、一番安心する方法でキスをしてくれるようになって。


「…いけめん…」
「やりづらいわ」

 無事リアス様はわたしの唇に向かってきています。リアス様最近苦笑い多くなったけど。

 でもイケメンなんだもん仕方なくない?

 めっちゃ好みの顔がすごい近くできれいなお顔で自分の手に口づけしてくれるんだよ??

「いけめん最高しか出てこなくない…?」
「俺には理解しかねるが」
「動画とろうか…」
「断る」

 個人的に欲しいから今度カリナに隠しカメラもらおう。

 心でそっと決めたら。

「っ」

 手の甲へのキスに、体がびくついた。

 思いのほかおっきくびくついたそれに、リアス様は止まってわたしを見る。

 当然まだ残ってる恐怖心。

 リアス様のハグパワーとイケメンパワーで気持ちの方は見ないフリできるけど、体はやっぱりまだ反応はする。心の中では申し訳なさがいっぱいで。


「……怖いか」
「…少し」

 ごめんね、っていうように手をぎゅってにぎれば。

「ちゃんと恐怖もあるようで安心した」

 とんでもなく失礼なこと言うから思いのほか強く手にぎっちゃったじゃん。


「……クリスティア、手が痛いんだが」
「失礼なこと言いすぎだと思って…」
「俺の反応は比較的正しい方だと思うが」
「比較的失礼な方だと思う…」
「行動療法中にだんだんと恍惚とし始める恋人は心配になるだろ」
「絶対心配してる感じの言い方じゃないでしょ…」
「本来あったはずの恐怖心をどこかに置いて恍惚としだしている恋人を見ていれば心配にもなる。いろんな意味で」

 そのいろんな意味って絶対いい意味じゃないやつ。

「申し訳なく思って損した…」
「何よりだ。そもそも申し訳なくなる必要もない」
「そうかも、しれないけど…」
「お前だって俺の過保護に対してそう思うだろう」
「思うけども…」
「ならお前の好きなおあいこだ」

 そう言って、リアス様は話は終わりっていうみたいに手の甲にキスを再開。不意打ちでびっくりしてまた体が跳ねたけど、リアス様が背中をゆるく叩いてくれて、ほっと息をつく。
 心音が聞こえるように左胸にもたれて、リアス様がわたしの手にキスをしてるのを見た。

 きれいな横顔。たまに開く紅い目はきれい。

 こわくないわけじゃない。いきなりぐいって迫ってきたらってこわさも、まだあったりする。
 紅い目がほんの少し熱っぽい感じになると、一瞬あの日の王子を思い出したりもして、背中がぞわっとしたりもする。

 それでも前ほど気持ち悪くなったり、再開してすぐのときみたいに怖い映像が見えないのは。

 トクトク聞こえる大好きな心音を聞いて、あったかい温度に包まれて。


 大好きな紅に、抱きしめられてるからかな。


 すぐそばに大好きな紅がある。その紅に抱きしめられてる。幸せな気持ちがわたしを満たしてる。

 その紅が、動いて。わたしの手にキスをする。
 紅いのが、皮膚越しに触れる光景が、間近で見れてる。


「…最高だと思う…」
「最近この体勢でやるのが正解か不正解か真剣に考えている」

 なんて失礼な。

「どう見たって正解でしょ…」
「恍惚としだす恋人にどう考えてもイエスと言い切れない」
「こわいよりましじゃない…」
「それは否定しないが。想像していたのとまったく違って現実を受け止めきれない」
「最近容赦なくない??」

 なんなのみんなの容赦のなさうつったの。恋人泣くよ??

 ほっぺふくらませたら、それを見たリアス様はたのしそうに笑った。最近笑うこと多くなったよね。不意打ちでそういう笑い方はずるいと思う。許してしまう。

 なんて、リアス様のわたしに対する甘さもうつったのかなって思いながら、そのほほえみをしっかり目に焼き付けた。

「まぁ恍惚としているので恐怖に勝るなら構わないが」
「一応こわさもあるもん…」
「知っている。最終的にその恐怖に勝てればなんでもいい」

 そうして”ここ”がもらえるなら、って。

 いとおしそうに、ちょっとゆがんだ目で。親指で唇をなぞるこのヒトはやっぱりずるいと思う。

 照れを隠すように、目をそらして。

「…もっといけめんになったら勝てるんじゃない…」
「最高だと言っていたじゃないか」
「最高に終わりはないと思う…」
「お前最高の意味知っているか」
「クリス子供だからわかんない…」
「俺は大人な恋人にキスをしているつもりなんだが」

 そう言って、リアス様は最近たどり着けるようになった手首にキスを落として。

「子供な恋人なら今日もキスはここまでで終わりにするか?」
「いじわる…」
「真面目に聞いている」
「真面目に聞こえない…」

 ほっぺをまたふくらませながら、目だけは真剣な恋人様に”どうなんだ”って聞かれて。自分の体をちょっと相談。

 震えはなし。お話もしてたからいつもみたいに限界って感じもない。

 もうちょっと、進めそう?


 心に聞いたら、さっきのリアス様も思い出してすぐにイエスが返ってきた気がした。


 自分の心にうなずいて、リアス様にもうなずく。

「もうちょっと、いけそう…」
「わかった」

 リアス様はわたしの答えにほほえんで、キスを再開。あったかい唇が手首を超えて腕に触れた。ほんの少しのこわさをリアス様のイケメン具合でふたしながら、またかっこいい横顔を見る。

「……やりづらいんだが」
「気にせず続けて…」
「気になるわ」
「恋人のかっこいい顔を目に焼き付けたいかわいい恋人の気持ちをくんで…」
「お前が俺にキスするときは逆のことをしても文句は言わせないからな」

 そのときまでにリアス様がそのことを忘れてることをお祈りしとこう。

 あいまいにうなずいておいて、また腕にキスを落とすリアス様を見た。


 キスをする度に、あったかい紅が腕に触れる。

 こっちに向かってくるのはほんの少しだけまだこわかった。このままこわいことされちゃうんじゃないかともやっぱり思う。
 向かってくるたびに一瞬だけ、頭の中でこわいこともフラッシュバックする。

「っ…」
「……」

 そうして体がびくついたら、リアス様がぎゅって抱きしめてくれた。

 紅いのに包まれて、紅い目に見つめられて。ほっと息をつく。


 だいじょうぶってうなずいたら、きれいな横顔はまた唇を腕に落としていった。


 キスする度に金色の髪がわたしの腕をくすぐる。
 離れて、触れて。触れるときはこわいけど、きれいな横顔と抱きしめられてる安心ですぐに力は抜けた。

 たまに金色の髪で隠れちゃう紅い瞳が見たくて、そっとその髪に触れる。

「なんだ」
「紅い目が見たくて…」

 キスをするために閉じてた紅い瞳は、わたしの言葉でゆっくりと開いていった。開いた瞳はこっちを満足か、なんて言うみたいに流し見る。

 答えはもちろん。

「最高です…」
「お前実は恐怖にもう勝っているんじゃないのか」

 そのあきれた目も最高だよ、って言うのはまた次回にして。

「こわさあるもん…体びくってなるでしょう…?」
「それはそうだが。地味に疑いたくなる」

 今日はずいぶん失礼だなリアス様。

 っていうか。

「こわくなかったらそもそもわたしからその紅に突っ込んでってる…」

 ちょっと言ったのはわたしだけどそんな納得した顔されると複雑。

「お前は行動派だしな」
「もうちょっと否定してもいいと思う…」
「誰に聞いても頷くしかしないだろうよ」

 今度はわたしが納得した顔になってしまった。

 それにリアス様は笑ってから、最後に一回腕にキスをしてわたしを引き寄せる。見下ろした紅に、首を傾げた。

「終わり…?」
「前回より結構進めただろう。腕の途中だ」
「まだ行けそう…」
「次回に支障が出たら困る」

 こわいからやってもらってるくせに、ちょっとだけ残念に思ってしまってほっぺをふくらませれば。

 いとしそうに目をゆがませて、リアス様はわたしのほっぺに触れた。

「なーにー…」
「記憶を思い出しても、進まないことに残念に思うのは存外嬉しいものだと思ってな」
「…」
「まだ始めて一か月ではあるが。正直もう少し拒絶があるかと思っていた」
「それは…」

 わたしも。

 自分でも、もう少し拒絶があるのかなと思った。こわいし、あの光景はやっぱり気持ち悪かったし。それが自分の身にふりかかると思ったら、やっぱり気持ち悪い。
 背中が気持ち悪くてぞわっとする。


 でも、その度に。

 よくはるまが聞いてきた「なんで」を思い出してた。

 なんでいやなの、なんで気持ち悪いの。


 少しだけ長く起きてられるようになった夜、こっそり考えて。


 自分が、あの王子とリアス様を一緒に考えてたのを、知った。


「…まだ、ちゃんと整理はついてない…一瞬、フラッシュバックもあるけど…」
「……」
「目の前は、リアス様、って思ったら…ほんの少しずつ、大丈夫になってる…」

 リアス様がわたしにキスをしてくれる。

 大好きな紅がわたしを少しずつ満たしていく。


 いつの日か夢に思った、その紅に埋もれたいという願いが。どんどん叶っていってる。


「…紅に、埋もれると思ったら…うれしさの方が、ある…」


 みんなに嫌われた紅。
 わたしだけを愛してくれた紅。

 それに包まれて、それがどんどんわたしの中を塗り替えていく。
 こわいけれど、それがやっぱりうれしくて。


 そのうれしさのまま、ほほえんだら。


 ゆがんだ紅い目は笑って、ぎゅっとわたしをだきしめて。



「……相変わらず物好きだな」


 なんて、あきれたような言葉とは裏腹にうれしそうな声で言うから。


「…♪」


 早くすべてがあなたの紅に埋もれられるように。



 ときおりまだこわいときに頭の中に浮かぶシルエットの女の子は、大好きな紅で塗りつぶした。




『わたしの中は、紅でいっぱい。黒いあなたは、さようなら』/クリスティア