未来へ続く物語の記憶 August-I

 恋人の冷えた体温は、愛おしいと思いつつ。


 ときおり、ぞっとすることがある。



「……」


 夏に弱い恋人のため、クーラーが切れることのない寝室。
 日が昇るのが早くなって、閉じた瞼に少しずつ光が映ってきたのを感じて、目を開ける。


 腕の中には小さな恋人。


 普段は可愛らしさのある恋人の顔は、目を閉じているとただの人形のようにきれいで。



 そのきれいな顔が、ふと、怖くなることもある。



 目を開けないんじゃないかだとか、実は、息をしていないんじゃないのかとか。
 ただの妄想ならばいいのに。

「……」

 そっと頬に触れれば、彼女の体温は冷え切っていて。


 本当に死んでいるんじゃないかと、不安になる。



「はー……」


 しっかりと見ればその控えめな胸が上下しているのもわかるのに。
 こうして頬をくすぐってやれば。

「んぅ…」

 可愛らしくうめいて、すぐに穏やかにまたすぅすぅと寝息を立てるのに。

 彼女が体質異常を起こしてから、どうしてもたまに、不安になってしまう。


 たいてい不安の原因は夢だとか、直近に起きたできごとが原因だというのはわかっていた。
 そして最近は特別夢を見ただとかはないので。

「……」

 七月あたりが原因なんだろうと、小さな恋人の頬を変わらずくすぐってやりながら息を吐いた。



 七月は、自分に誓いを立てる月でもあると思っている。
 恋人が祝ってくれる誕生日。できない約束を代わりに告げてくれる小さな少女に、心の中でまた、「守る」と誓いを立てる日。
 いつもならそれだけだったが。


 今年は、もうひとつ。自分に誓いを立てる日があった。

 七月最後の方にあった義姉の結婚式。
 昔あいつに「見せるから」と言ったものを、今度は義姉から「見たいな」とあどけなく言われて。


 苦手なくせに、咄嗟に約束をした。


 ”いつか”。


 いつか誓った者たちに、必ずその姿を見せようと。それがたとえどんな形であったとしても。


 叶わないと知っていつつ、諦めたくなくて。決してまた、諦めないようにと自分への誓いも兼ねて、彼らの前で誓った。


 けれど。


「……」


 その数々の誓いに、不安がないわけでは決してない。


 大人になることができない自分達。法律上では結婚すらできなくなった年齢。
 それなのに、「必ず」なんてどの口が言ったものか。

 そもそも。


「…」

 穏やかに眠るこの小さな恋人を守ることすら、一度もできていないのに。


 そんな約束をしてしまってよかったのか。


 自分はまた、約束をして。それを結果的に破り続けていくんだろうか。


 ――また。


「クリス……」


 彼女はこうして冷たい温度で、俺の前から消えていくんだろうか。

 そんな不安ばかりが頭をよぎって。彼女の体をさらに冷やしているクーラーを消し、強く小さな恋人を抱きしめた。
 けれど抱きしめた体の冷たさに、だんだんと恐怖の方が勝ってくる。


 生きてるだろうか。
 実はもう、彼女はいないんじゃないか。

 そんな頭の声に、心の中で首を懸命に振って。


「……」


 未だ冷えている体を強く抱きしめて、左胸へと耳を当てた。


 ほんの少し柔い部分に強めに耳を押し付けて、目を閉じる。感じるのは胸が上下する感覚。そしてその奥に。

 とく、とくと。

 小さな体並みに小さな音で、「生きている」と主張する音が聞こえた。


 強く押し付けているはずなのに小さく聞こえるそれにただただ不安は増すだけで。もっと、と言うようにまた強く耳を押し付けた。

 もっと大きな音で主張してほしいのに。何かが阻むのか。それとも不安なせいで耳が少し遠くなっているのか。自分は比較的耳がいいはずなのに?
 それなのにこんなに音が小さいのは――



 彼女の命が、短いからなのか。――なんて。



「っ」


 あらぬことばかり考えていく頭を叱咤して、音に集中していく。
 ただただ自分が不安なだけ。よくあるだろう、恐怖に支配されると周りの音なんて聞こえなくなることが。それと同じだ。
 だんだんと呼吸も浅くなり始めている気がする中、自分に言い聞かせ、目を強く閉じて。


 さらに強く、抱きしめれば。


「んぅ…」
「!」

 頭上で、小さな声が聞こえた。そうして見上げる間もなく、恋人は身をよじって腕から抜け出そうとする。

「クリスティア」

 何故、なんてぼやけた頭で。子供のようにまた抱きしめると。



「あつい…」


 小さな小さな抗議に、一瞬呆けてしまった。


 そうしてようやっと、見上げて。


「あついー…」

 先ほどの人形のような顔とは違って、至極不服そうに顔をしかめている恋人を確認。動いて、言葉を発している恋人にほっとしている間に、眠そうにごしごしと目元をこすっている恋人は俺を捉えたらしく。

 目をぱちぱちとさせてすぐに抱き着いてきた。


「……暑いんじゃなかったのか」
「くーらー…」
「……悪い、消していた」
「んぅ…あついの…」

 なら離れればいいものを、なんて。先ほど自分が離すまいとしたくせにそう思いながら。
 彼女の体温を低くしているかもしれないと消したクーラーを入れなおす。

「もうしばらく待ってろ」
「うん…」

 会話もできていることに安堵して、だんだんと自分の呼吸も安定してきて。恋人を抱きしめながら、背を緩く撫でてまた眠りを促してやる。
 とろっとしている恋人は幸せそうにまどろんで瞼を閉じたり緩く開いたり。その癒される光景にさらに心も落ち着いてきた。

「まだ早いから寝ていたらどうだ」
「ん…」

 まどろんでいる彼女は可愛らしく頷く。

 そうして、また瞼を閉じては開いて。


「!」


 何故か、突然俺に手を伸ばしてきた。あぁハグかなんて抱きしめてやろうとすれば。

「……なんだ」

 伸びてきた左手が俺の頭を撫でて、思わず聞いた。

「…リアスも、寝るかなって…」
「……もう十分寝た」

 そう彼女に嘘を吐きながら、撫でられるのはそのままに俺は恋人の背を撫でてやる。

 ……なんだこれは。

 よくわからない状況に苦笑いをこぼしつつ、とりあえず互いに撫で続けるのはやめない。


 どれくらいそうしていただろうか。おそらくそう時間も立っていないんだろうが、促しても眠りに入らないクリスティアが、ふと俺から手を離していく。
 ほんの少し寂しく感じる俺は今だいぶ弱っているんだろうかと、今度は心の中で苦笑して。ようやっと眠るかもしれない恋人の背をもう一度撫でれば。

「……今日はどうした」
「んー」

 今度は恋人がぎゅーっと効果音がつきそうなくらい抱き着いてくる。それに愛おしさ半分、寝ないのかという疑問も半分。


「まだ六時前だが?」
「うん…」

 まだ若干眠気の残る声で頷いた恋人は、けれど嬉しそうな顔をして俺を見上げる。


 そうして、にまっと可愛らしく笑って。


「夏ですよリアス様…」


 なんて突然仰る。

 それには当然、

「そうだな……?」

 としか返せない。しかし恋人は嬉しそうな顔のまま。
 甘えるように俺にすり寄ってきた。

「夏…恋人とベッドの上…去年といっぱい違うことも、あって…」
「……」

 すりっと足を寄せてくるのに不覚にもぴくりと反応してしまう。いかにもそんなことなどなかったようなそぶりをしつつ、恋人の言葉を待つ。


 嬉しそうな、――いや、きっと。



 嬉しそうに見せている、恋人は。


「去年よりももっと、甘い夏になりそーですね…」



 そう、笑った。

 これは、言外に。


 俺が守りたい誓い、願った彼女とのささやかで幸せな日々は、今年も守られるよと。
 「必ず」と誓った彼らに、きちんと見せられるよと言っているのだろうか。

 普通の奴ならば「考えすぎだろ」だとか、「こいつはそこまで考える奴か」なんて思うんだろうが。


 彼女が誰よりも大人だということは、自分が一番知っている。


 一見空気が読めないような発言は、他人を思いあって、”それが適切だ”とわかってのもの。

 恐らく他の奴に言うならもっと言葉を変えたり、同調したりするんだろう。

 けれど俺はそれではまた自分を責めるということを彼女は知っているから。クリスティアはわざと、いつも的外れに感じるような言葉を言う。

 きちんと自分の言いたいことを、言葉に込めて。


 それが伝わってくれると信頼されていることと、彼女のいつも通りの大人さに、いつの間にか不安は抜けていた。

 そうして、観念したように笑って。

「……そうだな」

 恋人を抱きしめて、額を合わせる。互いに甘く、甘くすり寄って。


 すべての誓いを果たせるように、まずは。



「とびきり甘い夏を過ごしていかないとな」


 自分達の課題を少しでも早く乗り越えるべく。



 この八月は共に頑張ろうと。

 また、自分に。――いや。



 二人、涼しくなった部屋で小さな誓いを立てた。


『甘い夏が始まりますね』/リアス




 フランスから帰って来て早一週間ほど。今日から二年生の見回りも始まりますねぇと、蒸し暑い中日傘を差して歩きながら思う。
 確かリアスたち三組が九月あたりなんですよね。文化祭にかぶったりしないかしら。あの男そんなことあったら死にそうですね。あ、でもクリスティアと同じクラスですし、同じペアになるなら文化祭の最中の方がよかったりするのかしら。見回りしつつ文化祭も回れますね、と。
 まだ先のことを考え、もしもだめなら打開策でもと考えつつ。

 頻繁にお世話になっている写真屋さんへと、足を運ぶ。

「あぁ、愛原様!」
「ふふっ、”様”はやめてくださいな」

 日傘を閉じて涼しい店内へと入り、バッグから日傘と入れ替えるようにタオルを出す。ほんの少しだけ汗ばんだ肌を丁寧にぬぐい、まっすぐにレジの方へ。

「現像、できておりますよ」
「いつもありがとうございます」
「こちらこそですよ、まさか愛原様のお嬢様にこんなにごひいきにしていただけるなんて」

 感無量です、と笑う男性店主にはにこやかに笑い。

「すぐにご準備いたしますのでお待ちくださいね」
「えぇ、お願いしますわ」

 愛原ということで多少厳重に保管してくださっているんでしょう。店主は一度店の奥へと入っていきました。
 待っている間は店内の散策を。ゆったり歩いていく店内には写真の印刷用紙が多い。昔はカメラのフィルムとかが多かったですよねぇなんて思い返してみると、長年生きているなぁと実感すると同時にその頃の懐かしさもよみがえってきました。
 クリスティアなんて使い捨てカメラめちゃくちゃはまってたんですよね。ことあるごとに撮って。すぐにフィルム切らしていましたわ。
 逆にデジタルカメラにはまったのは私。撮ったのをすぐ見返せてかわいいかわいいクリスティアを何度拝んだことか。そういえばチェキにはまったのはレグナでしたね。「すげぇ画期的!」とか言って一時期撮ってましたわ。リアスはだいたいそういうのにはまることはないけれど、現像した写真を愛おしそうに眺めてたの知ってるんですよ実は。撮りましたもん。クリスティアのお宝のひとつですわね。

 店内を見て回りながら思わずふふっと笑って。

 また、思い出が増えますねぇと。その思い出にほんの少しの切なさも感じながら、またゆっくりと店内を回っていけば。

「お待たせいたしました愛原様」
「はいな」

 男性店主のお声が聞こえたので、足早にレジへ。
 彼の手には少し分厚い封筒が。

「あら、また今回も思った以上に写真撮っていましたのね」
「ちらっと見せていただきましたが、素敵な写真がたくさんでしたよ。結婚式にいってらしたんですね」
「……そうですね。幼なじみのお義姉さまの結婚式に」
「これとか写真映りすごいいいですよ。愛原様、また腕が上がりましたよね」

 そう言って彼が出してきたのは、ウエディングドレスを着たエイリィさんとクリスティアがお話している写真。


 あのときの、嬉しくもあり、ちょっとだけ切なくなってしまったときの写真。

 それを見るとまたほんの少し、切なさもよみがえるけれど。


 差し出された写真は本当に素敵な出来で。


 ”いつか”、ここのクリスティアが私で、エイリィさんの場所がクリスティアになるのかしら、なんて。叶うかもわからない未来を想像して、顔がほころんだ。

「愛原様?」
「いえ。私もとてもよい出来だと思いまして。写真屋さんにそう言っていただけるのは大変光栄ですわ」

 何も言わない私を不思議に思った店主には何事もなかったかのように首を振り、お会計のために財布を出す。そうすれば彼もすぐさま準備を進めました。

 提示された金額を財布から出し、お会計を済ませ。

「では今回のお品物になります」
「いつもありがとうございます。またお願いしますわ」
「こちらこそ! ありがとうございました」

 大切な思い出を受け取り、互いに笑って。


 今度は思い出と入れ替えるように日傘を出し、再び蒸し暑い外へと踏み出しました。







「……暑いですわね……」

 こつり、こつり。サンダルのヒールを鳴らしながら足早に歩いていく。多少早めに歩いていることもあって、先ほどぬぐったはずなのにすでに肌には汗が。
 これは一度どこかに入って涼みましょうか。それともクリスティアたちのおうちに一度避難でもさせてもらいましょうか。別に彼女たちの家の方が近いとかじゃないんですけど。ひんやりした彼女に抱き着きたい。あ、でも東に入ったら人はまばらですし。なんならテレポートしてぱっと帰ってもいいかもしれない。あぁけれどそれだとあれですね、着いた場所によってはうちのメイドや執事が腰を抜かしています。

 便利な力を持っていても、やっぱりハーフというのはなかなか生きづらさもありますねと、暑い空気の中、息を吐いて。
 とりあえず涼みたくて、あたりを見渡した時でした。

「……あら?」

 規制線の近く。ヒト型と、少し大きめの……あれはトカゲさんかしら。向かい合ってますわ。
 そしてその二人の間にいるのは、この太陽の下だとさらに暑いでしょう、まっくろなもこもこの毛をまとったお方。

『こっちのトカゲの兄ちゃん、ちょいと熱中症気味だったみてぇだ。ぶつかったのはたぶんめまいだったんだろうよ、今回ばかりは許してやってくれねぇかい?』
「ほんとに熱中症なのか?」
『熱中症かっつわれたらオイラは医者じゃねぇから正直なところわかんねぇ。けど素人目でも見た感じ、体調わりぃのはたしかだ。この暑い中じゃ兄さんだってきついだろ? もし納得いかねぇようだったら、後日にまた持ち越しってのはどうだい』
「……」
『オイラ的には先にこのトカゲの兄ちゃんを涼しいとこに移動させてやりてぇんだ』

 どうやら何かしらのトラブルがあったようですね。私も入った方がよいでしょう。

 そう、一歩踏み出せば。

「……わかったよ」

 そちらに向かう前に、ヒト型のお方がご納得した様子。あら出番ありませんでしたわ。

「後日の件も大丈夫。確かに体調は悪そうだったし、わざとぶつかったとかじゃなければいいんだ」
『すまねぇな兄さん、そんでありがとよ、信じてくれて』
「まぁ正直半信半疑だけど……笑守人の生徒なら信用性があるから」

 お声的にはまだ多少納得は言っていない様子ですが、ヒト型のお方は納得したということで。

「とりあえず僕は行くから。規制線の関係上そこから入れないし。ありがとね羊さん」
『おうよ、ここからは任せときな!』

 先にヒト型のお方が去っていき、ウリオスくんは少し具合の悪そうなトカゲさんへと目を向けました。恐らくここからトカゲさんの介抱でしょう。体調が悪いのであればできるだけ早く対応できた方がいいのは当然。ぱっとスマホを出し、ビースト圏内も含めて辺りの地図を調べ始めました。

『大丈夫かい兄ちゃん。悪かったなぁなかなか話つかなくて』
『いえ……すみません、ありがとうございます……』
『どっか行く予定かもしれねぇが、いったん休んだ方がいいぜ。オイラたちはこのアスファルトの熱だけでも参っちまうしな』
『はい……』

 さて、とウリオスくんが辺りを見回したところでちょうどいい場所が見つかり。駆け足で近づいていく。

「ウリオスくん」
『おっ姐さん! お散歩ですかい。わりぃが今は――』
「こちらに」

 少々お言葉をさえぎってしまうのは申し訳ないのですが、すぐさま彼にスマホに載っている地図を見せる。幸いにもこの近く、ビースト圏内の方に病院、そしてカフェもある。

「一度休むもあり、このまま病院に行くのもありかと。なんならタクシーも捕まえられると思いますわ。お待ちいただけるなら愛原の車をすぐに。人がいない場所を確保できるならば蓮も呼べます」

 早口で言えばウリオスくんの顔は明るくなる。
 そうしてトカゲさんの方へ顔を向けて。

『兄さん、ちょいとこの先のカフェまで歩けるかい? この姐さんが車とかも呼んでくれるってよ!』
『そんな……そこまでしていただくなんて……』
「仮に熱中症であるならば放っておくと危険です。それでない場合も同様ですわ。こちらのことはお気になさらず」

 さぁ、と促し。彼を見つめること数秒。やはり体調がきつかったのでしょう。小さくうなずきました。


『よろしく……お願いします……』
「お任せを。こちらでは手配いたしますのでウリオスくん、引率をお願いできますか」
『任せな姐さん! さ、こっちだ!』

 そうして歩き出した彼らを追いつつ。

 私はまずは車の手配からと。ボタンを押して、スマホを耳に当てた。






 それから。愛原の方に電話をして数分も経たずに車がやってきまして。
 トカゲさんは無事に病院の方へ。結果的に規制線から出ることになってしまいましたが、今回のような緊急事態ならば大丈夫でしょう。
 そうして愛原の車で病院へと向かって行くのを見送って。

『助かったぜ姐さん!』
「いいえ、お力になれたようで幸いですわ」

 本日は規制線越しに、ウリオスくんと笑い合う。そうしてゆったりと、規制線を挟んで街中を歩き始めました。
 方向は、自然と私の居住区である南の方へ。

「ウリオスくん、北の方ではありませんでした?」
『見回りついでに送ってってやるぜ姐さん』
「まぁ頼もしい」

 けれど、と。

 小さな彼が背のもふもふな毛に乗せている荷物を見て。

「そんなにお荷物があるのに、申し訳ありませんわ」

 困ったように笑うけれど。ウリオスくんは私を見上げてにかっと笑う。

『んなこと気にすんな姐さん! 女を一人で歩かせる方が嫌ってもんよ!』
「まぁ」

 かっこいい男前具合に思わず笑ってしまって。お言葉に甘えますかと、気持ち日傘を彼に傾けながらまたゆったりと歩みを進めました。

「今日は自主見回りの日だったんです?」
『んや、どっちかっつーとメインはこっちだな』

 と。彼は”これ”と示すように背に乗せている荷物を揺らす。よくよく見るとお菓子の箱ですわね。

「もしや来週のお菓子パーティーの」
『正解だぜ姐さん! 体育祭でもらった菓子を引き換えてきたのさ』
「随分大量ですのね」

 袋の中には大きな箱が三……いえ四つ?

「重くないです? お持ちしますけど」
『こんなの軽いもんよ。中身はクッキーだしな! 嬢ちゃん好きなんだろ?』
「えぇ」
『いろんな種類のクッキー選んどいたからよ』
「まぁ。刹那が喜びますわ」
『おうよ! ま、旦那がちょいと大変かもしれねぇがな』
「愛する恋人のためなら大丈夫でしょう」

 うん、たぶん。頑張ってくださいねと心の中でエールを送って。

『姐さんはこの暑い中散歩ですかい?』
「いいえ」

 軽く汗を拭いながら、首を横に振る。

「夏休み一発目のイベント、結婚式で撮った写真を現像しに」
『おお! うまく撮れやしたか?』
「もちろんですとも! なんといっても蓮が作った刹那のワンピースが最高で! 見ますか!?」
『今度な!』

 あ、華麗にかわされてしまった。
 思いのほか上がってしまったテンションも沈めつつ、一度咳払いをして。

「でもとても貴重な体験でしたわ。初めてだったんですよこういうの」
『女子の憧れっつーのが体験できたのかい』
「えぇ、それはもう」

 素敵でしたわ。

 思い返して。無意識に切なさと感動がこもった言葉を吐いた。


『……』
「龍のお姉さまも大変素敵でですね。たまたま今回の結婚式、新婦さんとそのお母様以外は当日までドレス姿を見ないということをしていて」

 習慣であるというのは一旦伏せておき、思い返してまた笑う。

「すごく素敵でしたわ」

 ベールに包まれて、ふんわりとしたドレスを着て。ゆっくりと歩いていく姿。リアスとクリスティアを見て凛とした背中。

 すべてが素敵で、かっこよくもあったあの結婚式。たったの数行ではこの思いは伝えきれないでしょう。そう、目を閉じなくても未だ鮮明に残る光景に浸っていれば。

『……なんか思うとこでもあったんですかい』

 ふと、ウリオスくんがそう言いました。それに、彼の方を向いて。言葉の意味がわからず首を傾げてしまう。

「思うところ、とは?」
『なんとなくなぁ。こう、なんつーんだろうな。姐さん、確かに幸せそうなんだけどよ』


 ちょっと、苦しそうだと。


 言われた言葉に、思い至ってしまった部分があったことには、どうにか気づかない振りをして。

「ふふっ、そんなことありませんわ」

 そう、笑えば。

『んじゃ、オイラの気のせいかもしんねぇな!』

 何かを察したのか、ウリオスくんも笑って。

『うちの母さんがよ』
「はい?」

 突然出てきたお方に素っ頓狂な声が出てしまう。それを咳払いでなかったことに。今回は咎められることはなく、ウリオスくんは続けました。

『割と姐さんみてぇなやつでなぁ。ほぼ女手ひとつで育ててきてくれた方でよ』
「はい」
『オイラには辛いこととかって見せずに、よく笑ってたんだよ』

 声をかければ「なぁに」と笑い。今日あったことは笑って話し。悲しいことも、まるで楽しかったことのように笑って話す。

『なんとなく、姐さんの笑ってる顔はそういうの思い出しちまってなぁ。実は辛いのに、無理して笑ってるときもあんじゃねぇかって。ちょいと心配になっちまった』

 でも勘違いだな、なんて笑う顔は。


 どことなく、覚えがあるような感覚だった。



 ”辛いときに無理して笑わなくていいんだよ”。


 それを言ったのは、大好きなあなたじゃなくて。


 大切だった、ヒト。


 いつも通りに話してるはずなのに、どこか見透かしたように私を見ていて、ここぞってときに言葉をくれた大切な友人。

「……」

 なんで今思い出すのかしら。答えなんてわかるはずないけれど。

『姐さん?』
「あ、いえ」

 気づいていたら足が止まっていたらしく。声をかけられて、我に返る。

『なんか気にさわることでも言ったかい?』
「まさか。ウリオスくんは男前なうえに、こうして女性に掛けるお言葉もかっこいいなと思っただけですわ」
『そんな褒められると惚れちまうぜ姐さん』
「あらあら、惚れたらまずお兄様をどうにかしていただかないとですね」
『そりゃ無理なこった』

 なんて笑いながら。
 どことなく、やりとりに懐かしくも感じつつ。



 ”気づいてもらえた”、なんて小さなことで、心の引っかかりがほんの少し楽になったのも、感じながら。


 次写真を見るときは少し晴れやかな気持ちで見れそうですねと心の中で笑って。
 ウリオスくんと二人、暑い中でも楽しく。南地区へとゆっくり歩みを進めていきました。


『ウリオスがイケメン』/カリナ
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