未来へ続く物語の記憶 August-III

 カレンダーを見て、数字をたどって行って、思う。

「…一年、経つんだねー…」
「何が」
「療法…」

 カレンダーからリアス様を見上げて言ったら、こっちを見た紅い目は納得したようにうなずいて。
 隣同士で座ってるのから、リアス様はわたしを自分のひざに乗せて、後ろから抱きしめてきた。

「八月終わりになったら、一年経つなって…」
「確かにそうだな」

 実際には、記憶のことがあったから。”ちゃんと始めた”って言ったら今年の五月からだけど。

「…少しずつ進めるようになってから、一年経ったんだね…」
「……あぁ」
「…お祝いでもする…?」
「恋人がよくやるあれか」
「やるヒトはとことんなんでも記念日にするというあれです…」
「別にそれも構わないんだが」

 そこで止めるから、気になって「なぁに」って聞くようにリアス様の方を見上げた。そこには、昔よりもだいぶやわらかく笑うようになった大好きなヒト。そのヒトはその笑ったまま。


「俺としては”ここ”に触れたら記念日としてもいいと思う」

 そう言って。


 つつって、わたしの唇を、親指でなぞった。


「…」

 それにほんの少しだけ考える時間。
 ”ここ”に、触れたら。


 今、触れてるのは。



 ”唇”。


「…!」

 気づいた瞬間に体がぶわって熱くなる。夏のせいでも、体温の高いリアス様と触れ合ってるせいでもないそれに、リアス様はいたずらっぽく笑って。


「触れ合えるようになった方の記念日ももちろん悪くない。ただ記念日にするならこっちの方でもいいと思ってな」

 ほんの少し、近づいてくる。唇が触れ合うことはまだないっていうのも、いつも通りおでこ合わせるだけっていうのもよくわかってるはずなのに。

「っ…」

 心はどきどき。そのどきどきはリアス様が近くなるほどに音がおっきくなってって。

「……顔が紅いが?」
「誰のせい…」

 いつもみたいにこつん、っておでこが合わさった時には、リアス様の声が小さく聞こえるくらい、心臓がどきどきしてた。

「どうしてこういうときリアス様はよゆうなの…」
「普段通りのことをしているだけだしな。これがキスだとか他のふれあいだとかになるなら緊張だってする」
「クリスはリアスをどきどきさせたい…」
「クリスはリアスのことをよくどきどきさせてるだろ、十分だ。今はだいぶ減ったが」

 あ、それリアス様の心臓がまじで危ない方のどきどきですね。
 じとっと見てくる目には舌をぺろっと出しといて。

 緊張がほんのちょっとゆるんだと思ったら。

「っ…!」

 すりって、甘くリアス様がすり寄ってくる。

「、なに…」
「嫌か?」

 わぁ甘く聞かないで体びくってなっちゃったじゃん。ただそれはほんとにびっくりしただけなので。

「…や、じゃないけど…」

 そう言えば、リアス様もうそじゃないってわかってるのか。
 首の後ろに手が回って、甘く甘く、抱きしめられた。

「甘い…」
「知っている」
「わざと…?」
「その記念とやらになる日まではまだあるが、話題になったなら乗っておこうと思ってな」

 言いながら、いつもよりゆったりめにわたしの首にうりうりってしてきて。

「記念日キャンペーン的なものでもう少し進んでも?」
「…」

 名前があれだからいつもなら笑ってるのに。

「クリスティア」

 声も、触れてくる感覚も甘くて、笑えなくて。


 夏。夏の暑さのせいでも、恋人さまの体温の高さのせいでもなく、ちょっとあつく感じる部屋の中。大好きなヒトとベッドの上。
 その恋人さまはいつもより甘ったるい。

 去年と同じような感じなのに。


 去年とは、確かに違くて。


 じっと見つめあった紅い目にほんの少しだけ”そういう気持ち”が含まれてても、前みたいに変な気持ち悪さは感じなかった。これも一年間、ほんの少しずつでもやってきたからなのかなって思って。

「…ちょっと、だけなら…」

 夏の魔法なのか、記念日の魔法なのか。どっちかはわかんないけど、見つめられた目にうなずいた。
 そうしたらリアス様は安心したように笑って、わたしからカレンダーを取りあげて。

「…」

 わたしの左手をすくって、ゆっくり。

 キスを落としてきた。

 静かな部屋の中に、リアス様がキスしてくるときの小さなリップ音が響いてく。
 キスする横顔はきれい。一度唇を離したときの目は愛おしそうで。

 胸がきゅうってなる。

「……ここらへんはだいぶ慣れたな」
「うん…ずっとここからやってるし…」

 そっと唇を落とされた左手に、言われた通りこわさはない。逆に、ちゅってリップ音が聞こえるたびにほんの少しうれしくなって、どきどきもする。

「…うれし」
「……そうか」
「リアスも?」
「あぁ」

 うなずいて、リアス様は肩の方に少しずつ進みながらキスを落としてく。やさしく触れて、たまに深めに唇を押し付けて。また軽くキスをして。

 ――あぁ、このヒトのキスする姿。

「えろい…」
「どうしたいきなり」

 あ、リアス様の唇離れてっちゃった。

「もう終わり…?」
「いや続けたいんだが。突然のえろい発言に戸惑いを隠せない」
「リアス様のキスしてる姿っていうか顔、えろいなって…」
「イケメンの次はえろいか……」
「ほめ言葉…」
「悪いがえろいだけは褒められている気がしない」
「えろかっこいいならほめ言葉…?」
「なんだろうな、俺としてはそのえろさをお前に見せないようにしてきたから大変複雑だ」
「これからはもう少し出しても大丈夫だと思う…」
「……頃合いを見てやってみる」

 その目絶対信用してない。気持ちはわかるけども。

 ぷくってほっぺふくらませたら不満なのがわかったみたいで。リアス様は苦笑いでまたキスをわたしに落とした。

「別に信用していないわけじゃない。自分で思っていても実際やると、というのがあるだろう」
「そうだけども…」
「ここからえろい方向にシフトしたらお前だって困るだろう」
「困るというかびっくりする…」
「俺はそのびっくりをできる限り軽減させた状態を”頃合い”と言っているだけだ。いつになるだろうな」
「明日かもしれない…」

 ちょっと”さすがにそれは絶対ない”なんて顔しないでくれる?

「言いたいことは言うべきだと思う…」
「いや、お前の場合言うと”じゃあやってみよう”となるから絶対言わない」
「顔に出てますけども…」
「言葉にしていないならノーカウントだ」

 絶対カウントするでしょ。言おうとしたらさりげなく強めにキスされてびっくりしたからタイミング逃したけどっ。

「さっきまでの甘い雰囲気が嘘のようだな」
「リアス様のえろさが原因だね…」
「明らかにお前がそれを発言したからだろ」
「ぁっ…!?」

 え、いきなり噛まれたらそれはさすがにびっくりする。いや痛くはないんだけども。

 変な声出ちゃったじゃないですか。ここまでの声初めてでリアス様もびっくりしたみたいでこっち見たじゃないですか。


 うわ待ってすっごい体あつい。思わず下を向いてリアス様の服をぎゅっとした。


「…これ、は、リアス様のせいだと思う…」
「……」

 静かになったはずのどきどきが戻って来て、また耳がうるさい。体あっついしなんなら汗かいてる気がする。
 っていうかリアス様だまってるのだけど大丈夫? なんかあれかな、声が思った以上になんかこう。

 き、気持ち悪かった、的な?


 え、そんなのあったら死ぬ。生きていけない。あ、でも待って。ほらこういうときあるじゃん、あの、少女漫画とかであるじゃん。変な声出ちゃったらほら、男の子が思った以上にグッと来てたみたいな。そういう感じで、ほら、わたしがんばって、顔上げて。リアス様きっとあの、口元抑えて照れてそっぽ向いてるよきっと。
 さぁって顔を上げる前に。

「がんばれ勇者クリスティア…」

 自分にエールを送ったら。

「お前のその鼓舞の仕方はなんなんだ……」

 呆れたような声が聞こえて、思わずぱっと顔を上げた。その先には、リアス様。でもあれ?


 照れてない。


「口元抑えて照れてもないしそっぽも向いてない…」
「なんだいきなり」
「少女漫画のシチュエーション的なのを想像して勇気振り絞って顔上げたのに…」
「悪かったな王道でなくて」

 というか、

「勇気振り絞って、ということは何かほかに考えたことでも?」

 また甘くすり寄ってきながら、リアス様は聞いてくる。この感じは特に気持ち悪さとかもなかった感じ?

「…別に、なにも」
「クリスティア」

 その命令聞かせるような言い方ずるい。さっきみたいにおでここつんって合わせて、まっすぐ目を見られたら逆らえない。

 観念して。

「…へ、変な、声だったから…気持ち悪く、思ったかなって…」

 小さく、言えば。


 リアス様はぱちぱちまばたきして、わたしを見た。え、なに。

「なにそのびっくり顔…」
「いや……”頑張れ”と言っていたからてっきり俺は自分の声に恐怖心が出たのかと思ったが」
「恐怖心…」

 あ、自分の声で変なこと想像して気分悪くってこと?
 一瞬考えてみたけど。

「…それは、なかった…」
「そうか」

 ならいい、って小さくこぼして、リアス様は二の腕あたりからまたキスを再開。えっ待って待って。

「なんか普通…!」
「何が」
「思ってたのと違う…! もっとこう、変な声出しちゃったら男の子はどきまぎするものだと思ってた…!」
「いや今回みたいまでのは初だったがもともと似たような声出してた時期もあったろ……」
「そうだけども…!」
「俺はそのときどうだったよ」

 どうだったよって言われましても。えぇ?
 キスされながら、じゃっかんいっぱいいっぱいの頭で一生懸命頭の中を探してく。キスしてるときのこと。
 それで結構わたしも声出し始めてたくらいのとこで――。

 あ、このヒトふっつーにキスしてるしなんならうれしそうな声してたな?

「あなたはどこまでもいつも通りだった…」
「そうだろう」

 いやいつも通りすぎてもそれはそれでなんかあれかなって思うけども。これが乙女心かななんて馬鹿なこと思いながら。
 二の腕にキスを感じつつ、口を開く。

「…なんとも、思わない…?」
「何が」
「へ、へんな、声…」

 だんだん自信もなくなって小さな声で聞く。その声に、紅い目は二の腕からわたしの方を向いた。

 そうして一瞬だけ間を置いて。



「興奮ならするが」


 ちょっととんでもないこと言ってキス再開しないでくれる??

「待って待って…」
「どうした。気分でも?」
「びっくりって気分に入る?」
「気分は良いか悪いかのものだろうから何とも言えないが」

 言いながらもまたリアス様は少しずつ上に進んでくる。だいぶ恐怖心がなくなってきた肩の付近。もう少ししたら先進めるねーなんて今そんな状態じゃなくて。

「なに、興奮…」
「恋人のそういう声を聞けば、男なら興奮くらいするだろう」
「顔がいつもどおりなんですけども…」
「興奮はそんな顔に出るものか?」

 長年ガマンさせてしまったからこのヒトの表情筋バグらせてしまったかもしれない。

「カリナを見ればよくわかると思う…」
「レグナを見れば男はそんなに目に見えて興奮しないというのがよくわかると思う」

 わたしの方が納得してしまった。

「お望みなら多少表に出すが?」
「その表に出すのはなんかこう、わたしが喜ぶように作るものではなく…?」
「興奮した顔なんて作れねぇだろ……」

 あなたならやりそうだけども。

 なんて言ってる間にもリアス様は肩の近くまで上がって来て。

「進んでも?」
「んぅ…」

 平然と言うから、ちょっと不満が隠しきれずにうなずいた。それにリアス様はくすくす笑う。

「不満げだな」
「恋人はいつもよゆう…わたしはいつもリアス様のイケメン具合にペースを乱される…」
「一応俺もお前のかわいさと小悪魔具合でペースは乱されまくってるからな」
「見えない…」
「男のプライドでなるべく見せないだけだ」

 見たいのに。ぷくってほっぺふくらませたら、今度は空気が抜かれた。

「絶対かわいいのに…」
「かわいいのはお前だけで十分だろう?」
「カリナもかわいい…」
「ベクトルが違う」

 言いながら、リアス様は少しずつこっちに近づいてくるようにキスをする。ちゅってリップ音がして、リアス様の顔が近づいて。だんだんどきどきしてきた。

「気分は」
「どきどき…」
「結構だ」

 リアス様のかっこいいキスシーン見つつ、あったかい唇がこっちに来てるのを体でも感じる。

「っ…」

 深めに唇押し付けて、同じところに軽くキスをして。また深めに、今度はちょっと長く。
 やさしく、甘くされるそれに、さっきの甘い雰囲気が戻って来てる気がした。

「ん…」
「……」

 肩まで来て、リアス様の顔がまた近くなる。リアス様がこっち向いたら唇同士が触れ合っちゃいそう。

 ほんの少しずつ出てくる、”そういうこと”に近いことしてるんだっていう気持ちでもっとどきどきする。でもときどき、吐息が近くてちょっと怖さもあって。体が後ろにいった。

「こわいか」
「んぅ…」

 甘い声に頭がくらってする。
 一瞬だけ怖いのもあるのに、でも心地よさもあって、変な感覚。逃げたいのと、もっとしてほしいのとで引っ張り合い。

「クリス」
「っ」

 ときおり背中がぞっとするようなのは、どっちの感覚なんだろう。
 だんだんよくわからなくなってる頭で考えても、答えは出ないまま。

「、ふっぅ…」

 また、唇が近くなる。あったかい唇が肩に落ちてきて、その度にまた変な声が出始めた。

 気持ち悪くないかな、いいのかなって考えも出てきて、頭の中はぐちゃぐちゃ。

 こわいの、でももっといっぱいしたい、変な声、嫌じゃない? いろんな考えでいっぱいで、体も熱くなって。心なしか目の前のヒトの体も熱い気がする。その熱さもあって、くらくらが強くなり始めたとき。

「…?」

 ゆっくり、リアス様の体が離れてった。


「りあすー…?」

 自分でもわかるくらい甘く出た声は、とりあえずいいやってほっといて。離れていくリアス様を見る。


 少しだけ顔を伏せてるリアス様に、首を傾げて。

「…? 気分、悪いの…?」

 やっぱり嫌な声だったのかなって不安に思いながら、聞けば。


「!」


 金色の髪の中に、歪んだ”紅”。

 それに驚いてたら、リアス様の手がわたしに伸びてくる。
 歪んだ紅は見慣れてるから、怖さはなくて。いとおしそうにほっぺをなでてくる手を受け入れた。そのまま、目を離せずに紅を見てると、顔を上げたリアス様と目が合った。


 楽しそうに口元は笑って、目は愛おしさで歪んでる。

 それにどきっとしつつ。


「つづき、しないの…」


 なんて。そういうことが苦手だからゆっくりやってるのに、思わず誘うみたいな言い方をすれば。

「……言ったろ」

 ゆっくり引き寄せられる。

「頃合いを見ていろいろシフトしていくと」


 引き寄せられながら体を浮かせて、リアス様に近づいていく。
 けれどわたしの口はリアス様のそこにはいかないまま。


 甘く、でも強く。抱きしめられた。


 そうして、耳元で。


「とりあえずこれ以上は興奮で歯止めがきかなくなりそうだから一旦やめておく」


 この一万年、初めて聞くような声で、そう言われたわたしは。


「…わ、かった…」


 小さくうなずきながら、また、どきどきして。

 前なら怖かったはずなのに。


 ”一旦”って言葉にどこか期待をしつつ。


「…」


 きっとばれてるんだろうけど。
 さっきわたしにキスしてくれてた場所と同じところに、するように。


 服越しに、リアス様の肩にキスをして。



 熱くなった体のまま、リアス様を強く抱きしめ返した。



『あなたとの記念日ができるまで、あとどのくらいなんだろう』/クリスティア





 四月ごろはほぼ毎日やっていたクリスのチェックは、みんなのおかげもあって夏には多くて二週に一回くらいになって。

「クリスさん変なの見えたとかある?」
「なーい」

 チェック内容も本人への問診と、リアスに客観的な目線で見たものを聞くだけになり。これなら大丈夫かと、カップル宅にお邪魔して不定期チェックをしている本日、今日も厚くなったカルテのクリスティアの欄に「問題なし」と書いて。

「んじゃクリスさん、カリナと遊んどいで」
「カリナー」
「はーいー」

 問診中に紅茶を淹れてくれてるカリナにクリスティアを任せて、視線は次のヒトへ。ソファに座ってる親友へ目を向ければそれに気づいたリアスはこっちを向いた。

「本人の言ってることと相違ない感じ?」
「あぁ」
「変な行動とかは」
「一切なくなったな」

 安心したように笑うリアスに俺も笑って。他のヒトから見た症状を書く欄にも「問題なし」とペンを走らせる。記録者の欄に自分の名前を書いてから、カルテのページをめくった。
 五月くらいからはもう完全に「問題なし」の記入が続くクリスティアのカルテ。一応まだ四か月くらいだからもうちょっと様子見たほうがいいと思うけど。――うん。

「そろそろ月一でいいんじゃないかな、チェック」
「そうか」
「うん、来月の文化祭後の様子次第だけど。そのあたり近辺でも何もなければもう月一で。そこから問題なければ年内か、まぁ行っても来年の学年切り替わりで不定期に診る感じで大丈夫だと思う」
「わかった」
「チェックするとき以外にもしなんかあったら言って」
「あぁ、ありがとな」
「いーえ」

 リアスに笑ってからカルテを閉じて。置かれた紅茶にお礼を言いながら少し厚い冊子をローテーブルに置く。入れ替わるように取るのは紅茶、

 ――じゃなくて。

「んじゃついでにお前のもね」
「……別にいらないが」

 紅茶とは反対側の隣に置いてある、クリスのよりさらに分厚い「リアス用」と書かれたカルテを手に取った。カリナがさりげなくクリスティアを違う部屋に移動させていくのを視界に入れながら、パラパラと空白のページをめくって最後に記載したページを探してく。

「新しい行動療法とかもあるから多少なんかあったりしないの」
「とくに今のところは」
「そ」

 お、あった。いつだ最後の。夏は基本的に行動療法休むってなったから、このカルテ再開してからほぼすぐにお役御免になったんだよね。外出できないのを食事の方を改善っていうのに変えるからまたカルテ再開ってことで。

「前回六月。そっからここまででなんか変な症状ある?」
「とくには」
「悪夢は?」

 聞けば、リアスは記憶を探って。なかったのか、首を横に振る。

「記憶にはない」
「んじゃ頭の中の変な声」
「それもとくにないな」
「おっけー」

 リアスの自己申告欄にも「問題なし」。ほんとならこれもクリスに客観的な意見聞きたいんだけど、それはこいつのプライドに免じて無しにしてやるとして。

「食事の行動療法いつから始めんの」
「次の買い物があったらだな。基本的に今うちにあるのはもう済んでいるから……」

 そこまで言って、リアスの視線は壁にかかってるカレンダーへ。数秒カレンダーと見つめあった後。

「来週のどっかしらで」
「わかった」

 一応俺がわかるようにそこらへんメモしとこうか。リアスの自己申告欄に「来週から食事の行動療法予定」とペンを走らせて。

「お前のは元々やること多くてちょっと怖いから、やるとき一回連絡して」
「いるときにやった方が?」
「そこはお任せ。ただまぁ二人きりなら結界解いといてくれる方がクリスも安心なんじゃない」
「ならやるとき呼ぶ」
「おっけ」

 んじゃ続きに「連絡あり」って書いといて。

 あ、と。

 行動療法話題のついでにということで、カルテを閉じつつ口を開いた。

「ついでにリアス聞いていい?」
「あぁ」
「クリスの方の療法どう、恋人のスキンシップ、結構いい感じ?」
「そうだな、前ほどとは言わないが順調にはいっている」
「今どこら辺まで言ってるか聞いても大丈夫?」
「今は肩あたりで――」

 頷きながら、カルテをローテーブルへと戻して。


 紅茶を手に取った瞬間。


「俺が興奮して歯止めが利かなくなりそうだからとストップにした」
「あっぶね」

 親友の方からとんでもないこと聞こえて思わずティーカップ落としかけたわ。

「どうした」
「待って親友、ちょっと待ってね」

 ひとまずこぼしてしまった紅茶をティッシュで拭きながら、親友に軽くシンキングタイムを要請して。

 考えてみよっか。


 え、こいつ今なんて言った?


 ”俺が興奮して歯止めが利かなくなりそうだからストップにした”って言った? いい? 一字一句間違えてない? 大丈夫?
 たとえばこう、クリスティアがなんかこう変に興奮して、しかもこの興奮ってこう、あのさ、恐怖心で拒絶したときの興奮でばたばた暴れそうでその暴走の歯止めがきかなそうだからとか、そういうんじゃなく? 絶対こいつ今「俺が」って言ったよね? 俺「が」って言ったよね??

「……聞いていい?」
「どうぞ」

 優雅に紅茶飲んでるときにごめんね親友。

「お前なに、そういうなんか、プレイでもしてんの?」
「ごほっ」

 ごめんほんと、今日だけはちょっとどうしても飲み終わるタイミング見図れないくらい緊急だった。そういうこともあるよねって自分の心の中でオッケー出しといて、むせてる親友にティッシュを差し出す。それを受け取って口元を拭ったリアスは俺を恨めしげに睨んで。

「……お前、俺とクリスティアが真剣なの知っているか?」
「知ってる、超知ってる。お前らがどんだけ頑張ってるのかも知ってるよ?」

 ただね?

「その真剣な行動療法中にちょっと”興奮”って言葉が出てきたことに俺は今戸惑いを隠せない」
「するだろ別に……俺だって男だぞ」
「ごめん今俺はお前が男であることを問いただしてるわけじゃなくて」

 なんでその興奮に至ってんのかを知りたくてですね?

「……とりあえずシンキングタイムの前に質問いい?」
「……どうぞ」

 訝しげな目のリアスには、苦笑いをしながら。

「……リアスたちが今しようとしてることって、なに?」

 ごめんね親友、俺がもしお前と同じ立場だったら今のお前と同じように「は?」って顔すると思う。でもね親友、たぶんお前が俺の立場なら絶対聞きたくなるよこれ。

「こう、なんだろうね、俺が思ってたのと全然違うんだけど」
「……」
「俺が思ってたのはこうさ、クリスティアとのファーストキスに向けてライトなキスをしようとしてると思ってたんだけども」

 ね? と。苦笑いのまま言葉を紡いでいけば。


 リアスは俺の言葉をゆっくりかみ砕いて。


 若干まだ、いまいちわからないという顔をしつつ。


「……俺達は一応、その”ライトなキス”に向けていっているはずなんだが」


 今までの話を聞いてる限り俺には”プレイ”という名のちょっとアダルトチックなキスにしか思えないんだけども??

 待ってね、これもしかして俺がなんか認識が違う感じ? 実はリアスたちがやってることの方が一般的な??
 ちょっとやばいくらい自信なくなってきたな。さすがにここで妹を呼ぶとクリスティアまでついてきてしまうので自分の中だけで考えることにして。


 遠い遠い昔、今ではもう、思い出すことのないヒトを、頭に浮かべる。


 風みたいな翠の目をした白い髪の女の子。
 その子との、まぁそういう、恋愛スキンシップの思い出。


 うわやばいなんかむずがゆくて体熱くなってる気がする。けどこれは今リアスのことで必要なこと。その熱さは夏だからって言い訳をして、若干深めに呼吸を意識しながら思い浮かべる。
 今顔もしかして赤いのかな。それとも俺が口元抑えたからか。リアスがのぞき込むようにこっちを見てきた。

「……どうした」
「いや、うん、待ってね今心の中のハウラに聞いてるから」
「お前があいつの名前出すの珍しいな」
「そのぐらい緊急だわ」

 気づけそろそろ自分の一般人離れ。

 ただまぁこの件に関してはどっちも未経験だからこそかもしれないのでそこの追及は置いといて。

 頭の中に恥ずかしながらも一生懸命、かつての恋人を思い浮かべて。


 彼女との数少ないスキンシップを、思い出す。


 頬に触れればくすぐったそうにして笑って、抱きしめれば「私も大好きだよ」なんて言うように抱きしめ返してきて。そのまま、身を離していけば。

 待った。

「恥ずか死にそう……」
「……何かすまない……」
「大丈夫、行ける、ごめんもうちょい待ってね」

 親友には大丈夫と言うように手を掲げて、口元を覆ってた手で目元まで隠して。暗くなった視界で、もう少し鮮明に過去を思い出した。

 身を離していけば、ハウラは少し恥ずかしげに目を閉じた。

 あの頃、なんとなくそれにいたずら心が湧いて、すぐに口にはしなかったと思う。

 目元にキスをして、頬にキスをして。
 そうして、いじけたようにこっちを見るから。

 最後に口へ。



 ――うん。



「ごめん親友、男なら興奮はするかもしれない」
「そうだろう」
「うん」

 あ、じゃあリアスの感覚は間違ってないのか?
 そりゃキス待ちとかじれったい感じに見られたら多少ほら、クるものはあるよね。

 そうだよね、って納得しかけて、ちょっと待とうかと本能が言う。


 たぶんこれ今「そうだよね」って納得しちゃいけない気がする。なんだろう、「どうして」って聞かれると根拠みたいのはないんだけど、敢えて理由をつけるなら、勘。そう長年の勘。

 リアスは割と一般人離れしてる。いいところに目を向ければその努力家な部分はほんとに一般人離れしてると思う。一切やったことがない上に不得意なものでも一日二日あれば人並み以上にするほど。ただいいところ”だけ”にその一般人離れが反映されてるならよかったんだけど、うちのセイレン様は二物を与えなかったのか。残念なことにこと恋愛においてはとくに一般人離れを発揮する。たとえば今の過保護だってある意味そう。昔は監禁やらもあったので少々おかしな方に進みがち。
 そしてついでに言ってしまえばクリスティア。あの子も少々っていうか割と一般人離れしてるよね。打撃力はもちろん、彼女も恋愛においてとくに離れてると思う。水女っていう家庭もあって昔から箱入りの超お嬢様、話を聞いた感じ恋愛事は大層神聖なものであって、まぁ基本的に今でいう”イケナイコト”っていうのは結婚をしてからが当たり前。しかも今だからこそキスをしようになってるけど、元はそういうことだって結婚してからっていうのがあったからリアスが手を出せなくて。ということもあってクリスティアもこの件に関してはかなり一般人離れしている。

 さてここで問題です。


 一般人離れと一般人離れを掛けたらどうなるか。



 まぁ当然ながらここで「一般人になる」なんてことはありえませんよね。


 明らかに一般人離れが加速するよね。

 だからおそらくここの”興奮”は一般的なものではないと見た。


「リアス」
「なんだ」
「なんでリアスがこう、興奮するのか聞いても?」

 そう聞けば、リアスは一旦考える。
 顎に手を添えて、少し考えること数分。

 リアスは口を開いて。


「……声を出すからだな」
「えっお前が??」
「明らかにこの流れから言ったらクリスティアだろ」

 お前いろいろ予想できねぇんだよ。ツッコむと話が逸れるのがわかっているので心の中でツッコんで。

 とりあえずリアスから頂いた答えを、過去のハウラとの記憶とちょっと重ね合わせてみる。



 声が出るとな。


 これの声っていわゆるあれだよね、それこそちょっとソッチ系の声ってことだよね。えぇと――。


「……」


 え、出なくね??




 普通にって言ったらあれだけど、ほっぺとかおでことか、あぁリアスたちは手からか。いやでも手にキスしたからってそんな声出なくね??

 え、出してたっけハウラ。いやねぇな? よほどなんかこう、ちょっとそういう雰囲気だとかさ、深めのキスってなったらそりゃあるかもしれないけど。


 俺の知る限りバードキスでそんなソッチ系の声って出ねぇな??



 いやでも待って、こういうのは個人差っていうのが当然ある。たまたまほら、ハウラがそういう声を出さないタイプで、クリスティアがちょっと声出るタイプなのかもしれない。でもデータが足りないのも事実。ついでに言えばリアスに「一般的に」って言っても俺の場合「お前も一般から離れてるだろ」って言われるし恋愛においては少々自覚があるので。

 後ほど向こうには説明するとして、リアスを見た。

「……リアスさ」
「あぁ」
「たぶんもしかしたらなんだけど」



 持つべきものは友だよねってことで。




「ちょっとクリスの行動療法、何段階かすっ飛ばしてる可能性がなくもないので、今度男子会かなにかしらで他の意見も聞いてみない?」


 本人たちのいらぬところで勝手に予定を決めて。



 頷いたリアスと、じゃあこの話は一旦持ち越しでってことで。


 スマホを開いて、ひとまずリアス以外の男子を全員グループメサージュに招待しておいた。


『リアクリ行動療法なんか変じゃない?』/レグナ



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