ポンっとスマホの通知音が鳴る。
膝の上で本を読んでいるクリスティアを抱えつつ、自分で読んでいた本は置いてスマホを取った。
画面を開けばメサージュが入っていて、送り主は祈童。「写真を送信しました」というポップアップをタップし、ロックを解除して、のぞき込んできたクリスティアと共にメサージュを開けば。
「すごいな」
「なー…」
開いた写真以降もどんどんと送られてくるのは伝統のあるような日本家屋。風格のあるそれに、思わずスクロールが止まらない。
”祈童”という表札のある玄関から始まり、まるで歩いていくかのように中に入って廊下へ。主にその廊下から見える庭を映しながら、写真は前へと進んでいく。さながらクリスティアが人生の終わりごろに書き始める絵を見ているようだった。
以降も続いていく通知音に、写真が送られていることを確認しつつ。
「……」
感動もほどほどに、俺は一番上の写真をタップした。
表札が映っている写真。そこをときおり拡大しながらしっかりと見る。
そう。
――明日赴くこの家に、危険がないか否かを。
もう数日眠れば新学期、と正月のような歌が聞こえてきそうな八月末。
振り返ってみると去年より大忙しだった夏休み。でかい旅行というようなものはたしかにフランスだけだったが、細かくいつものメンバーで逢うことも多かった。
雫来と道化による「八月はいっぱい遊ぼうね!」というのはしっかり果たされ、ほぼほぼ週に一回は誰かしらと逢っていた気がする。
そしてその最後も、いつものメンバーで遊ぶことになっており。
祈童と夢ヶ﨑にとっては仕事も兼ねてだが、祈童家で肝試しと花火をすることになって。
「……」
祈童の心遣いで、前日にこうして危険がないかと写真を送ってくれているのである。
しかし俺もバカではない。一般宅に危険がないというのはしっかりとわかっている。
片づけができていないとかであれば話は別だが、向こうはこの笑守人の街では有名な神社・祈童家。片付いていないはずもなく。
「きれー…」
「あぁ」
歩く廊下も、ちらりと見える部屋も。写真で見ても埃なんかないのではないかと思うくらいきれいである。
「寺は毎朝掃除があるというが。神社もあるんだろうな」
「ね…ぴかぴか…」
日にも当たってより輝いて見える廊下も見つつ。
俺はまた時折画面を拡大しながら写真をひとつひとつ見ていく。
危険がないとわかっているのに。
ちなみにこれは、別に不安だからとか、わかっているけれどやっぱり確認したいだとかの衝動ではまったくない。
では何故こうして確認しているか。
頼まれたからでもある。祈童直々に。
「……そしているな」
「いるね…」
”写真に霊は映っているか”と。
自宅の危険確認ついでに心霊写真になるくらい強い霊の確認もしてくれと言われて、前日となっている今日、確認中なのである。そのさらについでに、もし来れそうにもないやばい霊がいるなら今回は俺だけでなく全員遠慮することにもなっており、いろいろなついでがあって俺に回ってきているんだが。
「ここもー…」
「かなりいるなここ……」
祈童家には見事に多くの霊がいらっしゃる。こいつなんかピースしてるぞ。ノリノリじゃないか。
「これ、心霊写真になるくらい強いってだけで…ほんとはもっといるんでしょう…?」
「……だろうな」
祈童曰くうじゃうじゃいると聞いているし。
「みおりが見たら倒れちゃいそう…」
「あいつにはじかでは見えないのが幸いだな……」
これをきっかけに見えるようになるとかだけはないように祈りつつ、写真をタップしてよく見ては次の写真へ、というのを繰り返す。
ただまぁ。
「……ざっと見た限りはやばいというのはないな?」
「なーい…」
頼まれていたその「やばい霊」というのは今のところ一切見当たらない。正直じかで見ていないのでいつもよりその感覚が劣っているのもあるが。
「……」
霊とは、天界に行くことなくこの生界にとどまっている魂のことである。
だいたいとどまっている理由としては、俺達のように未練があるというのが八割。残りはまぁ、死んだことを未だ知らないだとかそういうものが該当する。
そして生物の中でときおり「やばい奴」がいるように、この霊にも「やばい奴」というのは存在するわけで。
基本的に写真に映ったりだとか、こう「本来ならば見えないもの」に映りこんでくる奴はたいてい霊として強い。よほど未練や執着というものが強いもの。つまりここに映りこんでいる奴はたいてい強いもの。
ただ、「強い」からと言って「やばい奴」にイコールになるわけでは当然ない。
やばい奴というのは、思い切り生物を呪ってきそうなくらいのものである。
そういうものというのは霊感がある者ならばたいていわかる。なんて言えばいいのかわからないがとにかくやばい。こいつはやばいというような頭の中で警報が鳴るわ鳴るわ。
そして霊感が強ければ強いほど、何かを通して――今回ならばこの写真を通してもある程度はわかったりする。ちょっとやばいものというものはわかりづらいが、明らかにやばい奴はしっかりわかるわけで。
こうして俺の方のついでもあって、確認しているんだが。
「いない…」
”以上だ”と書かれた上にある全部の写真を見ていっても、今回そういったやばい奴は見当たらず。
クリスティアも首を横に振るので、頷いた。
「とりあえず誰かが呪われそうなことはなさそうだな」
「うん…とりあえず…。でも、明日早めに行くんでしょう…?」
「第二チェックで」
「過保護は大変…」
「言っておくが今回は俺の過保護だけが原因じゃないからな。諸々のついでが重なっただけだ」
今日でまず俺とクリスティアが物理的に行けるかどうかのチェック。それをクリアしたら、明日、クリスティアの言う通り早めに行って細かいところのチェック。今の明らかにやばい奴ではなく今度は少々やばい奴がいないかの方。もちろんやばい奴だけでなく、ひとまず肝試しに支障が出そうならばそいつは夢ヶ﨑に一足先に除霊をしてもらうため。
「レグナのところでいい子にしていろよ」
「洋服が可愛くなってるかもしれない…」
「構わないが肝試し中にすっころばないものにしておいてくれ」
あれは墓での言い伝えだが転ぶと寿命縮むとかあるから。間接的に俺も寿命が縮むので大変やめてほしい。
想像してから笑いをしながら、祈童に報告を打ったところで。
「!」
すぐさま、祈童から返事が来た。
チェックを終えてすでに自分の読書へと戻っていったクリスティアの頭を撫でつつ、その返信を読む。今のチェックの礼に、明日も頼むという文言のあとにまだ文字が続いていた。
”それで”、と……
”それでそっちのキスのことは解決したか?”
お前一応俺とクリスティアがスマホ共有なの覚えているか??
やましいことでは全くないが思わずスマホの画面を気持ち自分側に寄せたわ。クリスティアは気づいていないようなのでそこに安堵の息を吐き。
「……」
そっと、のぞき込むようにまた画面を見た。
また一文送られてきている。
”焦るのもよくないが、せっかくなら気持ちすっきりして明日を楽しめるように家で祈っておくぞ。”
その文のあとには別れの挨拶を伝えてくるスタンプ。こいつの中では話は終わり。
一言文句を言いたかったが封じられてしまった。けれど何かしたかったので、クリスティアがよく使うめちゃくちゃ可愛いスタンプだけ送ってやって。
スマホを閉じて、ソファに置いた。
代わりに本を取り、しおりを挟んでいたところを開く。
「……」
しかし開いてはいるが、実はここ数日。この本はほとんどと言っていいほど読み進めていない。
何故か。
読んでいるふりをしながら、その祈童が言ったキスの件をどう言うか考えているからである。
行動療法を始めてちょうど一年となる本日。
思い返せば進んで戻って、けれど確かに進んでいた彼女との新しいスキンシップ。
正直なところ俺としてもよくまぁ声は出るなと不思議に思いながらも、記憶がないときも取り戻してからも着実に進んでいき。
ついにこの前、俺の方がそろそろ手を出しそうで一旦今の肩から進むことをストップした。
聞きたくもあるがずっと聞いていれば抑えもきかなくなるんだろう、そういった行為を思わせるくらい甘い声。
不思議には思いつつもまぁこんなもんなんだろうと思っていたが。
どうやらレグナにたまたま報告する機会があって言ってみれば一般とは違うらしく。一応データがレグナ一人だと互いにまだわからないということで男子で話し合ってみれば見事に声が上がるというのはなく。
どうやら自分たちはいろいろと段階をすっ飛ばしたところにいると、気づいた。
正直なところこのタイミングはよかったと思っている。
この前本当にやばかったし、あれが続くと俺もきついと思っていたし。どのみちレグナに相談は遠からずしていたんだろう。それが向こうから、クリスティアのチェックやらなんやらのついでで報告することになり、早いのか遅いのかはわからないがこのタイミングで気づけたのは運がいいと思う。
段階をすっ飛ばしているのならば戻ればいいし、軌道がずれているならば戻せばいい。大変単純な話である。
そう、話だけならばとても単純である。
そこにクリスティアという予想できない恋人がいるから大変複雑になってくる。
とくに何事もないのであればこのまますぐに「段階をすっ飛ばしていたらしい」と素直に伝えて方向転換をしていけばいい。極論何事もないのであれば本来行動療法なんてしていないが、そこは置いておいて。
その素直に伝えられないのにはきちんと理由がある。もちろん俺が意気地なしであるとかそんな話ではなく。
その「一般的ではない」に気づく前に、クリスティアが自身の出した声に不安を持っていることが少々問題である。
元からたしかに声は出していた。こちらが少々心配になるほど。
ただ記憶がない状態ではとくに何かを気にするというのはなかった。単に余裕がなかっただけかもしれないが、ただただ声が上がるという認識だけだった。
けれど記憶を消去しないという道を選んでから、何か心境の変化があったのか。
彼女は自分の上げる声に不安を持つようになった。
気持ち悪くないかと、変な声ではないかと。
もちろんその声は男としては最高であると思う。自分のした行為で甘い声を出し、少々乱れてというのは大変おいしい。しかしこのタイミングだけはおいしくない。
今もしも、単に「キスの方向を軌道修正したい」と申し出た場合。
クリスティアは恐らく、ほぼ確実と言っていいほど自分の声が原因だと関連付ける。
タイミング的にもそうだが、クリスティアが負っているものもそっちの方向に持って行かせる原因なんだろう。
彼女の中ではいやらしいものというのは今現在拒絶対象である。その自分が少々まぁ、言ってしまえばいやらしい方向性の声を出した。それを自覚した数日後、恋人からキスの軌道修正をしないかと言われたとなれば。
兄のような上級生に言えば勝手に答えを決めるなと言われそうだが、正直なところこればかりは「自分の声がいけなかった」という考えに陥りやすい。
ここで解決策のひとつとしては、方向転換はしばらく後にすること。
少々自分の声に慣れた頃か、変な声ではないとしっかり覚えた後の軌道修正が一番いいのはたしか。ただこれも確実でないのも事実。この恋人は本当に予想ができないので、声を上げればあげるほど慣れるどころか恐怖心や嫌悪感を抱く可能性も同じくらいある。恋人のスキンシップに抵抗があるならばその可能性の方が今は高いだろう。
そしてできればその解決策を避けたい理由のもうひとつは、俺自身。
抑えがきかなくなりそうなのでできれば早い段階で軌道修正をしていきたい。これが付き合って数か月ならばそりゃもちろん我慢もするだろうが、今まで抑えてきたのは一万年。そのトリガーが外れて一万年分ぶつけてしまったとなれば事態は最悪である。それがいい方向に行くのであれば最高だが男のトリガーが外れたなんてこいつのトラウマ再現しているようなものだろう。
なので選べるのは早々に軌道修正のみ。
そしてそこの言い方を考えなければいけない。
いかに彼女に「自分の声が原因で軌道修正するわけではない」ということを伝えられるかが重要である。
本来すっ飛ばしていた段階に戻したいだけの、誰が原因でもない軌道修正。
しかし今のタイミングだと恋人は自分の声が原因で軌道修正になったのかという考えに陥りやすい。
その打開策は自分の欲を抑える自信がないので却下。
「……」
俺は何故毎回こうも高難易度なクエストばかり受けているんだろうな?
好きで受けているわけではないんだけども。
ただまぁ今はその「何故」を問い詰めている場合ではなく。
時計をそっと見れば、もう夜の八時。
本来ならばこれから行動療法をして、風呂に入ってというのがいつもの流れ。
それは彼女もわかっているのか。
「…」
本を閉じて時計を見て。時間を確認すれば、俺をそっと見上げた。
その目は「する?」と言いたげ。その「する?」がいろいろ兼ねてならなおよかっただろうと空笑いするのは何度目か。けれど彼女のせいではないというのはよくわかっているので、それだけは決して言わず。
あいまいに笑って、また今日も「寝る前にしないか」なんてことも言えないまま。
手を伸ばした、時だった。
「!」
再びスマホがポンっと音を鳴らす。思わぬ時間帯の音に二人で止まり、その方向を見た。
スマホは勝手に画面が付いており、ポップアップが出ている。メサージュか。
「……祈童か?」
「言い忘れ、あった…?」
明日訪問するし、言い忘れなら先に確認しようと、クリスティアと頷いて。恋人を俺の方に向けてから、スマホを確認。
けれど送り主は祈童ではなく。
「……捩亜?」
クリスティアの義母・捩亜からであった。
忙しいんだろう、普段ならば漢字にしてあるであろう部分もひらがなだったり、ときおり誤字が混ざっている。
それを解読するかのように、少々目を細めて読み上げていった。
「……急遽、ハイゼルたちと、日本に赴くことに、なった……」
「…イヤフォンの、改善、調査…?」
書かれているのはその二文だけ。
追加で今「また言う」と一言送られてきた。
ひとまずだな。
「……来ると?」
「リアス様の、おとーさんも…」
おいマジか。
本当か? 嘘でなく?
しかし何度読み返してみても、「ハイゼルたちと」という文面は変わらない。
嘘だろう? 義父が日本に来ると? あの研究熱心な男が研究所から離れて? わざわざ? 「調査」に?
理解した瞬間顔を覆ってしまった。
「勘弁してくれ……」
しかもイヤフォンの調査となれば笑守人だろう? ということは学園で顔を合わせる機会が多くある可能性もあるわけだ。
まじかよこの手づまりな状態でさらに俺に試練かセイレン。本当に勘弁してほしい。
クリスティアが「どんまい」と言うように頭を撫でてきている中、真っ暗な視界で深く深く溜息を吐く。
……まぁハイゼル「たち」と言っている時点で予定が合っているならばアシリアもいたりするんだろう。恋人の時間を重んじるアシリアがいるのであればこの家に滞在するという可能性は低いと見える。それに調査なんだから恐らく向こうで手配だなんだというのもあるんだろう。突然の訪問はあるんだろうが。
ならば笑守人の中でだけ少し気を張ればいい。どのくらいの調査かわからないが早く終わることも祈童に倣って祈りつつ。
暗い視界で思考の方に集中できるからか、それとも息を吐ききったことで何か違うものも吐ききったのか。
ふっと、そこで頭に案がよぎった。
これは使えるのでは、と。
確かにハイゼルがこちらに来るのは精神的にきつい。ただ冷静に考えれば、日本で親族であることをバレたくないが故に俺は今「炎上」を名乗っている。向こうもそれは了承している。よって行っても「知り合い」のようなていでいてくれるんだろう。そして調査という名目上と、メンバーによっては気を回してくれて俺との接触自体が少なくなる可能性が高い。となればそこは正直もう少し楽観的に考えてもいいはず。こう考えられるようになったのは己の成長かと逸れそうになった考えはすぐさま制して。
そのメンバーの一人、そして今回連絡をよこしてきた捩亜を思い浮かべる。
彼女はフランス人のアシリアと結婚した今だからこそ、多少緩和傾向にあるが。
もともとは日本特有と言えば日本特有、恋愛事に対してはなかなか厳しい考えの持ち主である。
クリスティアのように「神聖」というものではないが、フランスにいたときは節度のある付き合いをしろと散々言われてきている。
とくにクリスティアの苦手な「そういったこと」に関しては。
クリスティアが苦手ということもあって、捩亜自身も特に厳しく見ている。
娘が苦手なことを無理にしようものならすぐさま水責めにするぞと何度言われたことか。
言葉だけ聞けば今でも物騒だが。
「……」
今だけは、それを有効活用できるのではないか。
少々すっ飛ばしてしまっている行動療法。やるのは夜が基本。
そしてこの家はゼアハード家の持ち家である。となれば、言ってしまえばゼアハードの者なら本来出入り自由。礼儀云々は置いておいて。持ち主で、さらに親でもあるのだから当然その権利は持ち合わせている。
ということでいつだってうちには来れる。なんなら春はそうだった。一応連絡はしてほしいとは言ってあるものの、向こうは忙しい身。連絡を入れる間も惜しく来るということだって当然ある。となれば今回だって何回かはあるんだろう。
その、何回かで。
たまたま行動療法途中だった場合は大変まずい。
声が上がるくらい少々乱れてしまうクリスティア。いきなりの訪問でその乱れた様子はすぐには隠せない。よって出くわした場合、捩亜の雷を食らうことは必至。
ただクリスティアのことは捩亜たちもしっかり知っている。今後付き合っていくうえで改善は必要だとも話は元々知ってある状態。そして捩亜は「節度ある付き合い」を望んでいる。
と、なれば。
少々理由にしてしまうのは申し訳ないが、それはきちんとわかってくれるであろうと。来月あたりにやってくるであろう恋人の義母に心の中で先に謝っておいて。
「クリスティア」
カリナ並みに頭が回ったなと、彼女には感謝をしておき。暗い視界を解いて、クリスティアを呼んだ。
俺の頭を撫でていたクリスティアは「大丈夫?」と言うように首を傾げている。それには頷いて。
「……なぁ」
どうか気負わないようにと、願いも込めながら、紡ぐ。
「……捩亜達が来るのに向けて、一度違うキスの療法もしてみないか?」
自分の声が妙に響いたように聞こえた。
その響いた空間に、すぐに沈黙が走る。少々の緊張感を持ちつつ、クリスティアを見つめた。
その小さな少女は。
「…?」
一発目ではよくわからなかったんだろう、いつものように目をぱちぱちとさせてから首を傾げる。それに、緊張感は解かないまま。
そっとクリスティアに手を伸ばして。
「……向こうも、お前のこの件に関しては気にかけてくれているだろう?」
「…」
「どのくらい滞在するかもわからないが、もし向こうに時間があるのなら。俺はお前に家族とも過ごしては欲しい。この家で、なおかつ俺がいる状況でというのはいつものごとく申し訳ないが」
そのことにふるふると首を横に振りつつ、クリスティアは俺から目を離さずしっかりと話を聞く。
「恐らく泊まることだってあるだろう」
そこで。
「……おやすみという、キスが、できるようになったとなれば。向こうも安心するのではないかと」
頬や額に軽くする、それこそバードキスの「おやすみのキス」。向こうならば当たり前にするもので、うちはクリスティアがこうだからこそなかったが、エイリィはよくシェイリスやハイゼルともやっていた。
仮にこれができる場合、滞在中突然訪問にあったとしても互いに興奮状態で出迎えるというのは回避できる。そして節度ある付き合いからも逸脱しない。俺が求めている軌道修正もできるし、当然クリスティアの行動療法にもなるわけで。万々歳なものである。できれば俺としてはそうしていきたい。
あとは、クリスティアである。
なるべく彼女に負担にならないような言葉を選んで言ったつもりだが、あとはクリスティアの受け取り方次第。
だんだんと大きく聞こえてきている心音に気づかない振りをしながら、まっすぐと見つめてきているクリスティアから目を逸らさず。
沈黙の中、なるべく深く呼吸をしていれば。
「…おやすみの、キス…」
小さな口が、ゆっくりと開く。反復するかのように言われた小さな言葉に、頷いた。
「そう」
「ほっぺ、おでこ…?」
「あぁ。いつも手からやっていたものを、額や頬に。しばらくはでいいが、いきなり変えることになるから、お前も恐怖心とかもまた出るだろう。一番初めのように、一度キスを落とすだけ」
「…」
「……例えば」
言いながら、引き寄せる。やはりいきなり変わることには恐怖心があるんだろう、体がびくついた。それを安心させるように背をさすり、一度額をこつりと合わせる。
「…」
何かを見定めるかのようにまっすぐ見てきている目をきちんと見つめ返しながら、何度かその額にすり寄って。
「…」
俺がいつも通りのことをしたことに一瞬気を許して力を抜いたのを見逃さず。
「!」
すぐさま体を離して。
「わっ…」
頭を引き寄せて、額へとキスをした。
小さなリップ音が妙に部屋に響いた気がしながら、今度はゆっくりと体を離していく。
「……こういう風に、なんだが」
大丈夫かと、聞こうとして彼女を見れば。
「……!」
「…」
水色の髪の中、顔を真っ赤にして放心している小さな恋人が。
そうしてぱちぱちと目を何回か瞬きさせて。
「…っ!?」
理解したのか、わたわたと身を引いたり、額に手を置いたり。可愛らしい反応に思わず身を乗り出しそうになったのはなんとかこらえて。
「……クリスティア」
「はいっ…!」
思わず敬語になってしまっている恋人に笑いをこらえながら。
言葉が、するりと出てきた。
「……行動療法、頑張っているだろう」
「…」
「俺はだいぶ進んできたと思っている」
「…う、ん…?」
「……もう少し進んでみるというのも兼ねて、このキスもやってみないか」
しばらくは、慣れるためにこちらのキスだけになるけれど。
「……当初言っていた、寝る前にというキスを」
「…」
「平気なら、だが」
未だ顔を真っ赤にしながら、先ほどまでと違って目をうろうろとさせている恋人に聞く。おそらく今近づくとよろしくないだろうから、生物ひとつ分ほど開けた先にいる恋人に、伺うように尋ねれば。
「…」
「……」
「…」
「……」
まだしばらく目をうろうろとさせながら、額を抑えている恋人。何度かこちらを見ては、恥ずかしそうにぱっと顔を伏せて、またうろついた目を俺に向けて。
いじらしい行動に抱きしめたくなるのを抑えていること数分。
「…――」
「! うん?」
小さな声が聞こえた。申し訳ないことに聞き取れなかったので、努めて優しめに聞くと。
恐怖からか、それとも恥ずかしさからなのかは今はわからないが、少し涙目の少女は、俺をまっすぐ見て。
「ちょ、っとずつ、なら、いい…」
「……」
小さく小さく、そう言う。やはり怖かったかという思いはあれど、了承を得られたことに安堵して。緊張感で張りつめていた息を吐いた。
のもつかの間。
息を吸った音が聞こえて恋人を見やれば。
ぎゅっと膝を抱えて。
「…照れるから、ちょっとずつ…」
なんて大変可愛いことを言うから。
怖さではなかった安堵と、恋人のあまりの可愛さに。
「お前は本当に……」
こみあげてきたものを隠すかのように、顔を手で覆って深く深く、息を吐いた。
『おやすみのキス』/リアス
あったかい感覚が残ってる気がする。
触り慣れてる手よりもあったかくて、やわらかくて。
たった一瞬なのに、ずっとずっと感覚が残ってる。
その感覚が、わたしの記憶をもっともっと鮮明にする。
一回目は、確認で。あなたの唇がおでこに触れた。
いつもみたいに甘く甘くすり寄ってたと思ったら、いきなり体温が離れて。
そのまま、何かがまたわたしのおでこに触れるの。
最初はなにもわかんなくて、記憶を追って行って。
離れたと思ったら視界に首元が映ったなぁ、なんかちゅって音した? なんて思ったら、もう、気づいてしまう。
首元ってどうしてって。
たまたま頭の方にすり寄っただけかもしれないなんて、思うけれど。
音も聞いてしまっている。この一年でよく聞くようになった音。
リアス様が、わたしにキスするときたまに聞こえるリップ音。
それに気づいてしまったら、もう体中熱くなってしまった。
どきどきして、その一瞬前までは少し怖さもあったはずなのに、なんかもう吹っ飛んで心臓はバクバク。汗かくくらい熱くなってやっと言えたのは、散々我慢させてるのに「ちょっとずつ」なんてあなたをまた我慢させるような言葉。
それじゃだめなのに、って気づいたのはお風呂で。
熱いのはお風呂のせいって言い聞かせながら、自分なりに頑張ってみた。
さっきの、うそじゃないけど、うそで。
療法だから、しっかりがんばっていきたいって、たぶんすっごいもごもごしながらで正直ちゃんと聞こえてたかほんとにわかんないけど。
リアス様は少しうれしそうに「わかった」って笑ってくれたから、わたしもほっとして。
そうしたら――
「――ア」
「…」
「クリスティア!」
「はいっ…!?」
思い返してくほどにどんどん体が熱くなってくのを感じつつ、それでも止まらない記憶の旅。
やばいなって思ってたら、いきなり声がかけられて。
ハッと目の前が切り替わった。
視線の先には。
「…カリナ」
わたしをのぞき込んでるカリナ。その奥にはレグナ。
二人ともびっくりと心配が混ざった目してる。
やってしまった。
「大丈夫です? ぼーっとしてますわ」
「なんか変なの見えた?」
レグナの言葉には首を横に振った。でも心配そうなのは変わんない。そりゃそうですよね、わたしこの前まで幻覚見えてたもんね。わたしがそっちの立場だったらぼーっとしてるの見たら心配なる。
でもほんとに今回そういうものではなくて。
思い返した照れで言葉がうまく出ないのだけど、首だけは必死に横にぶんぶん振った。
「心なしか顔赤い気がしますわね」
「熱でもあんのかな。とりあえずクリス、今話してたこと覚えてる?」
「今…」
ようやっと出た声はなんかうわずってる気がしたけど、カリナにならってちょっと咳払いでなかったことにしまして。あっだめだ今このタイミングだめだったかもしれない。二人とも風邪かもって疑いだしちゃった。違うの違うの。
「恋の病…!」
ちょっといつもなら「かわいいですねクリスぜひ詳しく」とか言うのになんで今日だけは「えらいこっちゃ」みたいな顔するの二人とも。
「大丈夫クリス、俺らのこと見えてる?」
「だいじょうぶ、ほんとにだいじょうぶ…」
「今日の肝試しと花火はやめておきましょうか? 夜ですと暗いですし……肝試しとなると幻覚か霊か判断が付きませんし、リアスも心配しますわ」
って、カリナが言った瞬間。
”リアス”って言葉に反応して体が思いっきりびくついて。また体が熱くなった気がした。
それに二人とも驚いた顔。
「「……」」
「…」
さぁどうしようって固まってたら。
なにかを勘づいたような顔をしたのは、レグナ。
「……とりあえずクリス」
「…はい…」
「確認だけいい? 俺らと話してたこと覚えてる?」
もういたたまれなくて顔を覆いながらうなずいて。記憶の旅に出始める前まで、この愛原邸で話してたことをばーっと話す。なんなら最初から話せます。
「リアス様が肝試しの最終チェックに行くからそれまでカリナの家にお邪魔させてもらって、カリナに、頼んでた花火の色全部白ですからねって教えてもらって、今日の肝試しみおりがすごそうだねっていう話をしてました…」
「おっけ。んじゃクリス」
待って。わたし絶対その先言われなくてもわかる。
反射的に顔を上げたらレグナはやっぱりいたずらっ子の顔。
「れぐな」
「俺ちょっと用事思い出したから。その用事終わったらまた迎え来るわ」
「まって」
「カリナ、問題ないからあとお願いね」
「え? えぇ、もちろんですわ」
「レグナ…!」
「ごゆっくりー」
ここレグナの家じゃないじゃんって言いたいのにレグナはもう部屋を出てってしまった。いやどうせ言えば聞こえるんだろうけども。
なんでこういうときわたしたち言葉かわさなくてもわかりあえるんだろうね。今だけカリナとリアス様の複雑な気持ちがわかる気がする。
レグナが颯爽といなくなって、しんとした部屋。
そっと、カリナを見たら。
「……我々も変にわかりますが、あなたたちもまぁ不思議なところでわかりあってますよね」
「ねー…」
よくわからんって顔で言われて、苦笑いしながらうなずく。
「……」
「…」
それっきり、また部屋はしんとする。
静まり返ったベッドの上。大好きな親友と二人きり。
えっ、これあれだよね?
レグナ曰く「カリナに報告どうぞ」ってことだよね??
レグナが言いたいのってそういうことだよね? 「俺適当な場所で時間つぶしてるから今二人っきりのうちにできること報告しときなよ、明日から新学期でまた二人きりの時間減るだろうし」ってことだよね?
わぁ一字一句はっきりわかる。
「なんでほんとによくわかるんだろ…」
「それはあなた方がよく似ていらっしゃるからでしょうね」
「それだとリアス様とカリナもよく似てるってことだよね…」
「本当に認めたくはありませんが似ていることはもう百も承知ですわ」
すごい、カリナの顔がすごい憎々しいって顔してる。
心なしか舌打ち聞こえたけど気のせいってことにしとくね。カリナ笑顔でこっち向いたからなかったことにしとくね。
「それで」
「はぁい…」
「ひとまず体調は大丈夫だということですが」
「うん…」
それは本当に。
うなずいたら、カリナも察したのか。うれしそうな顔でほころんで、首をこてんってかしげる。
「ということは、何かご期待をしても?」
「…」
「せっかくレグナの計らいで二人きりですもの。お聞かせ願いたいですわ」
「なんか百合ゲームの主人公になった気分…」
「私が聞きたいのはそういうことではなくてですね」
だってカリナの言い方めっちゃゲームの告白シーンクライマックス。
でも、カリナの言う通り。
せっかく二人きりだし、報告できるならしたいのはたしか。
ちゃんと、カリナに。
今思い出すだけでも本当に恥ずかしくて、今の段階でまた体も熱くなってるけれど。
話したらしてくれるであろう、カリナの大好きな笑顔が浮かんで。
息を吸う。
そうして、カリナの手を取って、どきどきしながら。
「…あの、ね」
顔が熱いのは気づかなかったふりをして、言葉をふりしぼった。
「はいな」
「…」
穏やかなやさしい声を聞いて、また一言。
「…り、」
リアス様、と。
「ぉ、おやすみの、キスで…」
たったの一瞬。
けれど永遠じゃないかって思うくらい残る感覚。
おでこを抑えながら。
「ここ、に…キスが、き、た…」
広い部屋。
たどたどしく言った言葉がすごく響いて聞こえる。その響いた声と、どきどきしてる自分の心臓の音を聞きつつ。
そっと、カリナを見る。
「そう」
そこには、自分のことみたいにすっごく幸せな顔をしてるカリナ。
それだけでわたしも幸せになって。ほっと、肩の力が抜けて。今度は言葉がするする出てきた。
「昨日、からはじめた…」
「えぇ」
「二回、したの…」
「まぁ……あの男意外と手が早いんですのね」
あ、そういうんじゃない。
たぶんわかってるとは思うけれど。
「確認と、本番…」
「お風呂入る前に確認して、寝る前に本番ですか?」
「なんでそこまでわかるの…」
さすがにわかりあっててもそこまでいくと怖いよカリナ。
「実はほんとに盗聴器つけてた…?」
「まさか。あの家はキレイに整頓されていますし、元より広さに対してものが少ないのでつけられませんわ」
「できればそこは”親友の家になんてつけられませんよ”って言葉が欲しかった…」
言い方がもう付けようとしてた前提。
「お話が逸れてますよクリスティア」
「たぶんカリナがそれさせたと思う…」
そういうとこほんとにリアス様そっくり。言わないけど。
話がそれてるのは本当なので、一回呆れた目をカリナにあげてから切り替えて。
一個ずつ、話してく。
お義母さんたちにも安心してもらえるように、これからはもともとやるって言ってたおやすみのキスをすること。
最初は照れちゃって、「少しずつ」なんて言ってしまったけれど。
「リアス様もいろんなことがんばってるのに、わたしがこれじゃだめだって…」
「……」
だから、お風呂で。
「お風呂で、少しずつじゃなくて、しっかりやってくって…」
「何故こうあなたはとんでもないところで決意表明をなさるのでしょうね」
「思い至った場所がそこだった…」
「お風呂はリラックスして素敵なアイディアが浮かぶと言いますけども」
そこは今度から気を付けるねってことで。
さっき記憶の旅を中断した場所から、また頭の中で旅を再開しつつ。
体が熱くなるのを感じながら、口を開いてく。
「…その」
「えぇ」
「いつもなら、そこで”わかった”だけで、次回からってなってたのだけど…」
「はいな」
お風呂から出て――
あっだめだ待って。
「待ってカリナむり」
「そこでお預けは私も無理です」
「いじわる…」
「今意地悪しているのはあなたですわ。ほら、さんはい」
握ってくれてる手がうながすようにトントンってわたしの手を叩く。
わかってるよ、待ってね。
「こ、心の準備…」
「存分になさいな」
「ということでまた次回…?」
「それはできませんわ♪」
にっこり笑われた顔にぐってなりつつ、ちゃんと深呼吸。
「今後の予行練習でしょうに」
「うん…」
「もっと先のことを報告するまでに少し慣れなさいな」
「んぅ…」
慣れるのかなこれは。
っていうか。
深呼吸はちゃんと続けながら。
「どうせカリナ知ってそう…」
「したこととかです?」
「そう…」
リアス様から相談とかも受けるでしょう、って見たらただただ笑われる。これは正解ってことで。
「たださすがに詳細は知りませんわ」
「本当…?」
「彼のおちょく――相談相手はレグナですから」
今絶対「おちょくるの担当」とか言おうとした。
「…ほどほどにね…」
「それはレグナに言ってくださいませ。私の担当はあの男ではないので」
「わたしをおちょくるのが担当…?」
「あなたから素敵なリアクリのお話を聞くのが担当です。リアスはさらっととんでもないこともいうので感動どころではないんですよ」
あのヒト何言ってるの??
「帰ったら尋問…」
「言い負かされるのでやめておきなさいな。それで? あなたをそこまで真っ赤にさせたリアスの行動とはなんでしょう」
さりげなくそれていってた話をカリナはいたずらっぽく笑って戻す。そういう顔双子そっくり、なんて当たり前のことを思いながら、観念して。
思い返す。
わたしの決意表明に”わかった”ってうれしそうに笑ったリアス様。
いつもならそれだけだったけど、お風呂から出て。
いつもみたいに髪を乾かしてもらったときだった。
ふわふわな髪の匂いを嗅ぐみたいにすりよって、「クリスティア」って名前を呼んで。
なぁにって見たら、甘く歪んだ紅い目がわたしを見る。
それに見とれてる間に、リアス様はわたしに視線を合わせるみたいにしゃがみつつ、抱きしめてくれた。
おんなじ石鹸のにおい。
お風呂に入ったのもあって、あったかくてぬくぬくな体。
それに、ほっとしていたら。
”もう一回”、なんて。
それこそ今まで聞いたことないみたいな、甘い声が聞こえた。
変な欲が入った感じじゃなくて、ほんとにただただ甘えるみたいな声。珍しくて、一瞬ぽけっとしてしまって。
体を離して、首を傾げる。
”なぁに”って。
そうしたら、愛おしいって言うようにほっぺを撫でられて。くすぐったくて目を閉じて。
もう一回開けたら、また歪んだ紅と目が合う。
まっすぐ見つめてる間に、ほっぺを撫でてた手はわたしのおでこへ。
そうして、また。
”ここに、もう一度”。
――このあと。
ちゃんとおやすみをキスをしようなんて言われて。
「そこだけでイケメンすぎて死にそう…」
「理由が”照れて”でないのがあなたらしいですわね」
だってあのイケメンやばい。やばいしか出てこないくらいやばい。
「あのイケメンやばくない…?」
「イケメンなのは知っておりますので続きをどうぞ」
カリナ相変わらずリアス様の扱い雑。
じゃっかん笑いそうになりながら、続き。
おやすみのキスをしようって言われて、あの歪んだ目で見られてたからか、思わずうなずいた。
それにまたリアス様は笑って、手を引く。
今から、なんて言うみたいに。
どきどきして、でもだんだんと部屋に近づくほど、こわさもあって。
ベッドを目の前にしたら、体が固まった。
一瞬”あの頃”を思い出した。
そうしてだんだんと頭が冷え切ってきて、体がほんの少し震え始めた気がしたとき。
名前が呼ばれた。
”クリスティア”って。
変な欲が入ってなくてもびっくりしてしまって、思わず身構えるようにしてリアス様を見上げた。
どんな顔してたのかはわかんない。きっと怯えた顔してたんだと思う。
でも、リアス様はやさしく笑ってて。
固まってたら少しかがんで、わたしと目線がいっしょになって。
どうすればいいのかわかんなくて、あとずさりしたら。
「うでが、ひっぱられて…」
やさしく、やさしく。
そうしてまた、”クリスティア”って、どこからかわたしを引き戻すようにしっかり呼ばれて。
引っ張られるまま、リアス様の方に倒れていって。
「おでこに、あったかいのが、あたって…」
そのまま、ほほに手をそえられた。
なに、って思う間もなく。
ゆっくり。
ただ一言、優しく笑って。
”おやすみ”。
あまく、その一言だけをこぼして。
「そのままリアス様はすっきりしたみたいに一人でベッドに歩いてって何事もないかのように寝るぞって言った…」
「あの男の鋼の精神がすさまじいですわね」
あの精神を見習いたいと思いつつ今だけは悔しくもありつつ。
思い返して体がもうすごい熱い中、ひとまず言い切ったことに息を吐く。なんとなく息も熱い気がした。
「…いじょう、です…」
まだどきどきしてる心臓を抑えて、カリナを見上げる。どことなくカリナも顔が紅い感じがする。
「…カリナも、熱…?」
「移ってしまったようですわね」
なんて困ったように笑いながら、空いてる手でカリナは自分をあおぐ。
「……」
「…」
またしんとした部屋の中。
深呼吸を繰り返して、まだ頭の中を駆け巡ってる記憶を落ち着かせる。
なんとか言い切ったし最後はリアス様の精神がすごいねって感じで落ち着いたけれど。
あれほんっとにやばかったイケメンすぎてやばかった。
なに「おやすみ」って。いつも言ってるけども。
あれやばくない?? あの甘い声で「おやすみ」なんて。
「…ほんとに恋人みたい…」
「いやほんとに恋人でしょうよ」
「そうですけども…」
うまく言えないっ。
それを察したのか、カリナが「でも」って言って。
顔を上げた。
「…」
その先には、報告するって言ったときみたいに、自分のことのように幸せそうなカリナの顔。
やさしく笑って、オッドアイの目が一回閉じて、また開く。
目線はまっすぐ私を見て。
「またひとつ、恋人らしい一歩が踏み出せたんですのね」
「…」
さっきまで自分を仰いでた手が、わたしに伸びてきた。
その手はわたしの頭に触れて、そっと、そっと。
やさしく撫でてくれる。
「…かっこよかった」
「えぇ」
「…ちょっとだけ、こわかった」
「……えぇ」
でもね、でも。
どうしてだろう。
視界がにじんでる気がした。
頭の中でははてなマークが浮かぶのに、言葉はするりと出てくる。
「まだ、ちょっとの一歩…」
「はいな」
「でも、やっと」
やっとね。
「リアス様に、恋人らしいこと、やっと」
やっとあなたに、あの頃からすることができなかったことを、ひとつ。出来た気がして。
うなずくだけで、一歩踏み出すだけで、あんなにもあなたはうれしそうな顔をするんだとか。
ほんの一瞬のできごとが、そのあとも、次の日も。あなたをあんなに幸せそうにするんだって。
初めて知れた。
その顔を知れてうれしさ半分。
「…」
後悔、半分。
「…もっと早く知れればよかった」
もっと早く、あなたにその顔をさせてあげたかった。
まだまだ先のこともある。
わたしはどれだけ我慢させていたんだろう。
そんな後悔も、たくさん。
ぽつぽつ言葉といっしょに出てくる涙は、カリナが拭ってくれた。
そうして繋いでた手を引き寄せられて。
リアス様とはまた違う、あったかい体にやさしく抱きしめられる。
「……今だからこそ。そういうものもありますわ」
「…」
「あの頃だったもしかしたら、その顔には気づけなかったかもしれません」
「…っ」
「リアスだってそう。今だったからこそ、嬉しさも幸せも倍増ですわ」
そしてそれは、
「レグナや私もそうよ」
そう言われてしまったら、もう涙は止まらなくて。
「やっと少し、進めたねクリスティア」
やさしく撫でてくれる手に、カリナの言葉に。
たぶんきっと、ずっと後悔してたものがほんの少しだけ、取れた気がして。
これからみんなにも逢うのに。目元が紅くなったらみんな心配しちゃうのに。
わかっていながらも。
「…うんっ…」
流れるまま。
わたしはカリナの腕の中で、ほんの少しの時間だけって言い訳をして。
今までの後悔を少しだけ手放すように、涙を流した。
『おやすみのキス報告』/クリスティア
未来へ続く物語の記憶 August-VI
