未来へ続く物語の記憶 November-VIII

 景色はそのままのはずなのに、アナウンスの音に紛れて聞こえてくるのは、知ってるはずのフランスじゃない。

 ざわざわして、遠くの方で怒号も聞こえる。きっと近くに行ったら、もっとすごいんだと思う。

 そんな、景色だけは前のままのフランスを見ながら。

「……」
「……」

 親友と二人、列車が停車するのを壁にもたれかかりながら待つ。

 お互い顔はまだ、見ないまま。

 きっと顔を見たら。いろんなことを言ってしまうと思うから。


 ”大丈夫?”っていうのがきっと一番最初に出てきてしまうと思う。
 任務のこと。日に日に変わっていく、ハイゼルさんの家の前の状態のこと。この移動中、急遽保護対象に入った捩亜さんやアシリアさんのこと。
 全部全部、親友の精神に負担掛けることばっかりで。何度も何度も、「大丈夫」って言いかけた。

 でもなんとかそれを飲み込んできた。

 大丈夫じゃないなんて、この事態になったときから知っているから。

 もしも、俺が親友に言葉を掛けるとしたなら。


 たった一つだけでいいと思う。


 頭の中を静かにさせて、気持ち息を深く吸って、吐いて。
 列車が止まったのを体で感じてから、壁から背中を離した。

「……」
「……」

 互いにドアを正面にして、隣通しに立つ。
 アナウンスと一緒に、扉が開いていった。

 ゆっくり感じるそのドアを見ながら。

「……リアス」

 親友の、名前を呼ぶ。

 何も言わないけれど、こっちを見たのが気配でわかったので、俺もそっちを向いた。

 いつもの無表情だけれど、紅い目はほんの少し緊張や不安が見えてる。
 ”大丈夫”なんて聞かない。


 俺はただ、笑って。


「日本でまた逢おうね」


 お前が苦手な約束を、代わりに口にして。


「……暴走して祈童に迷惑かけるなよ」

 ほんの少しだけいつも通りに笑ってくれた親友に、また微笑んでから。


「そこは自信ないわ」


 隣合わせの親友と、拳を付き合ってから。


 列車から一歩、足を踏み出していった。








「……」
「……」

 フランスにやってきた日曜の朝。
 休む間もなく、俺たちの任務が始まった。

 俺と祈童は、病院で保護兼治療を受けているセフィルさんの保護。移動中に追加で、批判対象になりかけている捩亜さんとアシリアさんの保護の命も受けまして。
 ひとまずは、この三人の中で最優先となるセフィルさんの保護からということで、ハイゼルさんたちの保護に向かうリアスたちとは早々に分かれて、祈童とこうしてセフィルさんのいる病院付近までやってきたのだけど。


「……あれってさぁ」
「まぁ、うん、良い気ではないな?」


 見ている感じ、どうにも簡単に入れるような感じではなくて。
 病院に到着してから早五分、未だ敷地内にも入れないでいまして。ついでに言えば、付近の駐車場に止まってる車の陰に隠れている。


 その俺たちの視線の先には。


 病院の中に入って行こうとしている来院者を妙に引き留めている輩たち。

「声は聞こえるか波風」
「……来院者に”お前はハイゼル派か”って感じで聞いてってるかな」

 そうしてノーならそのまま入場オッケー、イエスだった場合は。

「……来院者を入れないようにしているぞ」
「ハイゼルさん支持者は病院に入れない感じっぽい」

 思わず祈童と揃って「こう来たか」と溜息をついてしまった。



 ここに来るまでにいろんな予測はした。
 江馬先生が調べてくれた限り、セフィルさんの方は事故にもあった被害者ってことで、批判対象では今現在ないというのは聞いていたけれど。日に日に変わっていく状況。もしかしたら、捩亜さんとアシリアさんと同じ理由で、九月から結構行動共にしてたからと批判対象になって、俺たちが来る頃には多少暴動みたいになっている可能性は考えた。
 それを踏まえて、院内含め突入ルートはいくつか出してはおいた。基本は見舞いを装っての正面突破、入れないほどの暴動があったら裏口の方から。最悪の場合はミス覚悟でテレポート。

 ただそれは暴動だったらの話で。


「まさか自称警備隊が出来てるとは思わなかったわ……」
「江馬先生たちの情報にもなかったな」
「見た感じほんとに警備員が仕事してるように見えるしね」

 蓋を開けてみると最低なことしかしてないんだけどね。なんだ支持者だったら通さないって。ヒト殺す気か。

「ごめん祈童、俺リアスに暴走すんなって言われたけどやっぱり自信ないかもしんない」
「”やっぱり”ということは元々自信なかったんだろ波風」
「大正解」

 緊張感漂う空気に関わらず二人で笑って。

 とりあえずは、と。身を隠すためにしゃがんでいた状態から立ち上がる。

「暴動起きてたらこっちで鎮静もしなきゃだったし、行くか祈童」
「まさか僕らで暴動起こすことになるとはな」
「起こさないから」

 おっとカメラ越しの妹がちょっと首横に振ったぞ。いや起こさないって。

「暴動じゃなくて制圧って言うんだよこういうのは」
「あぁ、波風が暴走して結果的に制圧ということか」
「なんでこう一言余計なことしか言わないの?」
「愛原、敷地周辺はどうなってる」
「聞いてよ話」

 あ、もう聞く気ねぇなこいつ。
 完全に無線の方に意識行ってるわ。

 カメラで敷地全体を見てくれてるカリナと話合ってる祈童は一回睨んでおいて。

 その睨んだ目のまま、入口で来院者を止めている奴らを見た。


 ノーなら入場可、イエスなら突き返す。
 あとは口ごもったヒトもさようなら。


 ――あぁ。


 こんな状況だけどちょっと調子の方はいいかもしれない。
 そっと口角が上がってしまった。

 それを感じ取ったのか。祈童は呆れにも近い笑いをこぼして。


「波風、順位変更だ。制圧後、セフィルさんの保護に当たれと」
「了解」
「それと今回はテレポート可だそうだ」
「お、まじでー」

 それじゃあ。

「先行ってるわ」

 オッケーも出たということで、イラついた気持ちが収まらないまま。


 目の前のイラついた輩に向かって、一気に魔力を練って飛んで行った。




 たった一瞬で、景色が変わる。
 さっきまで遠くにいた奴は目の前に変わった。

 俺がいきなり現れたことに、そいつは目を大きく開く。

「なん――!?」

 けれど何もいう暇も与えず、そいつに飛び掛かるようにして押し倒してやった。ちゃんと出すものは忘れずに、ポケットに手を突っ込んでおく。

「おまっ、なんだ!?」
「こんにちはお兄さん」

 リアスがゾッとするような、尋問用の笑みを張り付けて。
 ポケットに突っ込んどいた手を引っ張り出して、それと一緒に出したエシュトの生徒手帳をそいつに見せつける。

「エシュトの生徒なんだけど」
「エシュッ――!?」
「これより笑守人の名のもとに。ハイゼル氏並びにその関係者への暴動・批判行為は処罰対象にさせてもらうから」
「は……」
「ってことでこの敷地にいるあなたのお仲間全員呼んでもらっていい?」


 今から処罰の時間だよ。


 そう、妖艶に笑ってやれば。



 目の前の奴は、ひゅっと喉を引きつらせて、コクコクと頷いた。





 そうしてそいつは律義にしっかり全員呼んでくれまして。

 仲間が尋問的なこと受けてるってことで突っかかってきたやつは今までのイラつきをぶつけるようにたまに手を加えつつ、いなしつつ。

「……手が早いな波風」
「言い方」

 祈童がこっちに来て手配をしてくれてる間に、この病院を担当してた自称警備隊は制圧終了。
 十五、六人ってところか。

「戦闘力がなかっただけだって」
「お前のその顔が怖いだけだろ。早めに戻せよ。受付嬢がビビる」
「そんなひどい顔してなくない?」
「鏡見てこい」

 それは丁重にお断りしまして。
 ざざっと無線に音が入ったので、耳を傾ける。

 声は武煉先輩。

《蓮、そこの病院に華凜が警察を手配したから君はそのまま任務に行ってもらえるかい?》
「このまま放置しといていいの」
《縛っている上に君の精神的な攻撃のおかげで動けないですよ。警察も近いし、来るまでは華凜のカメラで見張っています。君たちはまずセフィルさんの保護を》
「わかった」

 一応蛇残しておこうかとも思ったけれど。輩に目を落とせば武煉先輩の言う通り動けそうな気配はない。仮になんかあってもこっちは常にカメラでモニタリングしてる。応援も呼べるか。

「行こう祈童」
「あぁ」
「あ、あのっ!」

 それじゃあ行こうかとそのまま正面突破しようとしたところで、声。
 目を向ければ、最後に突き飛ばされてたヒトだった。そのヒトは涙ながらに俺に目を向けて、頭を下げる。

「あ、ありがとうございました! 助かりました!」

 それにほんの少し気恥ずかしい思いはありながら、見せないように妹よろしくにっこり笑って。

「いーえ。病院で一応他に怪我とかないか診てもらってくださいね」

 それだけ言って、祈童と共に。

 ようやっと本来の任務ってことで、セフィルさんのいる病院へと入って行った。






 受付に行けば、江馬先生が予め手配していてくれたらしく。見舞いを装って院内にすんなり入ることができた。
 元々重症だったこともあって、看護師さんに案内された場所は病院のかなり奥まったところにある個室の集中治療室。

「笑守人学園の方から状況は聞いておりますので。あとは我々が手配いたします。保護と引き続きの治療を。こちらがこれまでのカルテになります」
「わかりました」
「お帰りの際は向こう側の非常口をお使いください。出てすぐ、看護師や医師が緊急用で使う出口があります。そちらから行った方が次の任務にあたりやすいかと」
「ありがとうございます」

 受け取ったカルテはあとで見るとして。
 案内してくれた看護師さんにお礼を言って、そのヒトが治療室を出ていくのを見届けてから。

「さて」

 恐らくこのために作られたであろう、少し暗い集中治療室に眠るセフィルさんに、目を向けた。

「江馬先生、用意周到すぎるな……アシリアさんたちの保護の情報もしっかり共有されているとは……」
「さすがの諜報部だよね」
「元は良い方のハッカーまがいだったらしいぞ」
「うわうちの妹みたいなもんじゃん」
《私してませんからね?? 誤解招く言い方やめてくださる??》

 敷地内のカメラ私物化してるくせに。ひとまずそれは黙っておきまして。

 管やら機械やらで繋がれているセフィルさんに近づいて、ざっと様子を診た。


 傷口はしっかり縫合されてる。心拍とかは少しだけ弱いけど、当初の状態聞いたよりかは回復してるかな。乱れもない。

「セフィルさん」
「……」

 意識はまだ無し。
 もうちょっと精査してみない限り断定はできないけど、生死の境っていう最悪の状態からは一応抜け出せてる感じか。

「どうだ」
「あとはもうちょい体力回復すれば、だけど。セフィルさんの方はこのまま回復できると思う」
「そうか」

 ひとまずこっちの方はちょっとほっとしていいか。最悪な状態で続いてたら精神結構きつかったかもしれない。
 うん、いやまぁ。

 縫合されてる箇所が多すぎるのは、精神的に結構きついんだけども。
 とくに腹の部分からこれ裏も結構行ってるよね。かばう形っていうのも言ってたから傷自体はかなり深いはず。


 エイリィさんがあのつぎはぎな状態なら――。


「波風」
「……うん、とりあえずあとにしとく」

 頭を抱えたくなった状態に、祈童の声で意識をはっきり取り戻して。まずは何もかもあとにしようと、魔力を手から放出させていく。

「んじゃ保護するから、よろしくね祈童」
「任せろ。静かな方がいいか?」
「どっちでも」

 言いながら、放出させた魔力をセフィルさんや機材を包むように掛けていく。
 ちょっと範囲広いか。もう少し下がった方がいいかな。なるべく結晶内でも空間に余裕もたせるような感じで――

「そう言えばさっきはかっこよかったな波風」
「いきなりそういうこと言われるとさすがに手元が狂いそうだからやめて欲しい」
「集中しすぎるとよくないかと思って」
「心の準備がしたい」

 いや、ていうかさ。

「どこの話? さっき」
「お前がヒトを助けた話。お礼言われていたじゃないか」
「あぁ……別に助けたつもりはないんだけど」

 ただ単にイラついた輩を吹っ飛ばしただけ。

「それでも救われたじゃないかあの人は」
「結果的に助けたって形になっただけだよ」

 それで助かったのなら、それはそれで本望だけれど。

 病気だって怪我だって。たぶん、きっとそれだけじゃないすべてのこと。一分一秒が大切だから。


「……たったの一秒が、ヒトを生かすこともあれば殺すことだってあるんだよ」

 その大切な一秒が。

「命のかかった一秒が。どうでもいいことで無くなることにムカついただけ」

 そんなどうでもいい一秒なんて早く終わって、大切な一秒へと変わればいい。

 そうして生きれるなら、”その先”を笑って歩いてくれるなら。

「……なんてね」

 らしくないことを言ってしまったと、祈童に笑って。魔力の放出を続ける。
 セフィルさんや機材を覆うように魔力を流したら、結晶化されたときにきちんと全部収納されるか確認。

 うん、大丈夫かな。

 安心して笑えば、ドア付近で見張りをしてくれてる祈童も笑う。

「僕は波風のそういう部分好ましいと思うぞ」
「あの一応さ、これ全部身内に聞こえてるんだけども。うちの腐女子が興奮して任務に支障出るからやめてくんない」
《照れているんですかお兄様》
「そういうんじゃなくて」
《き、緊張感、なんかないですね》
「いつも通りにできるのはいいことさ」

 まぁそうなんだけれども。
 祈童のおかげでちゃんとしっかりできたからいいけども。あの気恥ずかしい話を身内に聞かれてたことにも気づいてしまって、体がほんの少し熱かった。照れて変に結晶を凝縮しないようにだけは気を付けて。

 丁寧に、丁寧に結晶を作っていく。

「あと二、三分」
「わかった。すぐ出れるようにしよう。カルテは?」
「別で結晶化するから置いといて」

 セフィルさんがどんどん小さく、結晶の中に収まっていくのを見つめる。
 これが終わったら捩亜さんとアシリアさんのとこに行って、同じく結晶化したら俺だけ先にエシュトにテレポートで帰還。祈童はこのまま向こうに合流か。

 ちょっと祈童も大変だよねと、心の中で思っていれば。

「! 波風」
「!」

 祈童の真剣な声と同時に、俺の耳にも足音。
 バタバタしたようなのがこっちに近づいて来てる。

 結晶化はあと一分は欲しい。

「自称警備隊?」
「待て」

 結晶化を気持ち早めながら聞けば、祈童は集中するかのようにドアに手を添えた。
 方向はさっき看護師が言ってくれた非常口の方。

 敵ならさっさと制圧してそのまま出れるか。祈童に加勢するのがちょっと遅くなるかもだけど。


 頭の中でいろんなパターンをめぐらせれば、祈童がぱっとこっちを見る。

「恐らく敵じゃない」
「今日予想してないパターン多くない? カリナ」
《恐らくカメラをかいくぐってますわ、まだ視認できません》
「焦ったような気はあるが、悪意を持っている感じはしない」

 焦ったような感じもなくこっちの非常口に?

「看護師が緊急でこっち使ってる感じ?」
《それが一番濃厚だろうね。結、一応いつでも動けるように》
「あぁ」

 バタバタとした足音、息の切れた音を聞きながら、結晶化を進めていく。

 近づいてくる足音に、こっちも結晶化を早めて。


「よしっ」

 完全に結晶となったそれを、手に取って体内へと入れたときだった。



 バンッなんて口じゃ言い表せないほどの音が治療室に響く。

 そこにいたのは。


「ア、シリアさん!?」
「よかった、まだいたネ!」
「自宅に待機してるはずじゃなかったのか」

 ゼエハア息を切らせていたのは、見知った顔のアシリアさん。切羽づまった顔は初めて見た気がする、なんて的外れなことを思いながら、祈童もいる非常口付近へ近づいていった。

 そうして見えたのは。

「捩亜さんどうしたの」

 アシリアさんの脇に抱えられてる、捩亜さん。

 なんとなく、さっき言っていた「一分一秒」を思い出して。ドッと心臓が高鳴った気がした。

 その間に、息を切らしてるアシリアさんがどうにか息を整えて、口を開く。

「捩亜は」
「……っ」
「半分体力切れだヨ、安心して」

 言われた言葉に、一瞬止まって。


「……安堵していいのかわかんない」
「安堵していいと思うぞ波風、よかったな彼女が体力のないヒトで」

 いやいいのかはわかんないけれども。

 冷静にアシリアさんの言葉を理解して。少しだけ落ち着いた心で。

「残りの半分は?」
「こ、ろんで、怪我っ、を、しただけ、だ……」
「何故抱えられている捩亜さんの方が息を切らしているんだ……」

 やばい気抜いちゃいけないはずなのにすげぇ気が抜けてしまった。
 まだだめだろって頭を振って自分を叱咤して。

 ひとまず怪我ということで、捩亜さんに近づいてく。

「アシリアさん、捩亜さん下ろして」
「頼むヨ」
「どこ痛い?」

 壁にもたれるようにして座らされた捩亜さんを見た限り全身はキレイ。あ、でも若干膝すりむいてるか?

「私は今肺が痛い……」
「絶対大して走ってないでしょ……」
「冬に走るのはきついな……」
「冬本番はこっからだから」

 話しながら状態を見てみるけれど、大した怪我はしてない様子。半分どころか大半が体力切れじゃね?

「心配して若干損した……」
「君は正直だなレグナ……」
「きっといいところなんで」

 今はそうじゃなくって。

 そもそもの話。

「なんでこっち来てんの。さっき祈童も言ってたけど自宅にいるんじゃなかった?」
「そうだ聞けレグナっ!」

 すげぇさっきまでの死にかけが嘘のようにガバッと起き上がった。

 そうして俺にドンっと何かを突き付けてくる。

 ――これは、

「……紙束?」
「分厚いな、カルテか何かか?」
「いや、私の部下が開発していた魔力妨害装置の資料だ」

 言われた言葉に、ぱっと祈童と二人で顔を上げた。

 そこには真剣な――いやめっちゃ顔キラキラしてる捩亜さんがいる。

 そうしてグッと親指を突き立てて。


「盗ってきた!!」


 すげぇ笑顔で何言ってんだこのヒト。

「……研究所から持ってきた、っていう話じゃなくて?」
「盗ってきたんだヨ」

 わぁアシリアさんまで言う?

 え、待って?

「俺頭が追いつかない」
「すまない波風、僕もだ」
「詳しいことはまた日本に帰ってから、こういったことに詳しい面子も合わせて説明するが」

 俺に突きつけてきた資料を手に取って、パラパラとめくりながら。

「思い切り簡単に言ってしまえば、魔力無効化と思っていい。それを私の部下が開発しようとしていてね。元は、たとえばこんな病院なんかで暴れて魔術を暴発させるのを防止するようにという思いで作るものだったんだが」
「その捩亜の部下は、今回のハイゼルの研究には猛反対でネ」
「……つまり」

 聞けば、捩亜さんはにっこりと笑って。


「悪用される前に無かったことにしてやろうと思って研究所から盗ってきたんだ」


 一応犯罪並みのことをなんでこのヒトは笑顔で言うかな。
 けれど呆然としている俺らのことは気に留めず、二人は続けていく。

「本当なら保護してもらって一緒に、というのが安全だと思ったんだけれどね」
「この暴動が悪化している中で、いつその部下がこの資料を取りに行くかわからなくてネ。レグナたちの経路は江馬サンから聞いたから、こっちから向かわせてもらおうと思って来たんだヨ」
「……そうして捩亜さんは転んで体力が尽きたということですか」
「そうなるな! まぁ本当は、盗ったら自宅に戻ろうと思ったのだけれど。盗ってきたはいいものの入口でばったりその部下と出くわしてしまってね!」

 その言葉に、祈童と二人で止まった。

「思い切り逃げてきたんだ」
「その間に転んだというか、ネ」

 要は”転んだ”ではなく”転ばされた”と。

 思わず咎めたくなってしまったけれど、それは顔を覆ってなんとか抑えた。

「そして続けざまにすまないが、あとを追われている。ここがばれるのも時間の問題かもしれない」
「最初から言おうよそういうこと……」
「なんとか持ってこれたことに興奮してしまってね!」

 血が繋がってなくてもこういうとこはほんと親子だなと笑ってしまった。

「! 波風」
「了解」

 けれど笑うのは一瞬にして。
 祈童の鋭い声に、すぐさま切り替えて立ち上がった。

「予定変更。武煉先輩、このまま祈童は合流じゃなくて日本に連れてく」
《その方がいいね。蜜乃さんや広人さんたちには伝えておきます》
「お願いね。祈童、ちょっと時間止めちゃうけどいい?」
「構わないさ。よろしく頼む」

 うなずいて。武器を構えながら俺に背を向ける祈童も入るように、さっきよりも早めに魔力を放出していく。

「すぐ日本帰るから」
「頼むネ、レグナ」
「予定より早くクリスティアに逢えるよ」
「おお、頑張ってもらってよかったなアシリア!」
「そうだネ」

 どこまでもマイペースなヒトたちに笑ってから、手早く魔力で三人を包んで結晶化させる。
 その間に聞こえる足音は、まだ遠い。

 これなら到着することには俺もこの場を離れられるでしょ。

「んじゃ祈童、またあとでね」
「あぁ」

 最後にこっちを見た祈童にうなずけば。
 結晶化が終わって、その場には俺以外いなくなった。

 あとはテレポートするだけ。

 あぁ、その前に。


 大事なカルテを持ちつつ、無線で通信を入れる。


「――ねぇ親友」


 みんなにも聞こえているのは、わかってるけど。


 ちゃんと伝えるね。


「こっちはみんな、無事保護したよ」

 予定よりも、早く。

 捩亜さんも、アシリアさんも。自分の身を危険にさらしてまで、大事なものを持ってきてくれた。

 いつかの一秒のために。

 それがいつになるかは、わからないけれど。



 まずは。


 予定より早く終わってできた、この一秒が、親友にとって大切なものになりますように。

 改めて。


「日本でまた逢おうね親友」
《……》
「クリスティアとカリナと、遊んで待ってる」


 お前がもうすることのなくなった、約束を言えば。


《……クリスティアがこっちに来る前に、な》

 小さく小さく、返事が返ってきた。相変わらず確定なことは言わないけれど。
 それに笑って。


「んじゃね」
《あぁ》


 今は隣にはいない親友に、最後にそう言って。



 俺は任務完了ってことで、足音がこの部屋にたどり着く前に。


「頑張れ」


 テレポートで、一足先にフランスを後にした。




『保護作戦開始!』/レグナ




 レグナから通信が入った頃。こちらではちょうど、俺とユーアがハイゼル宅に潜入できた時だった。

 ウリオスが家を囲むように盾の魔術を展開し。
 夢ヶ﨑や色世、トリストとティノが切り開いてくれた道を、禁術の姿消しを使ってユーアを抱えて一気に駆け抜けて。
 目印になるように塀の上で鎮静開始を高らかに宣言してくれている道化と誓真を目指し、エルアノと閃吏の補佐を受けながら、ウリオスが小さく作っておいてくれていた盾の隙間に入り込んだ。
 少しだけ傷ができてしまっているドアを開けて、盾に隠れるようにして中へと入りこむ。

 レグナの「保護はできた」というのを聞き、安心しながら。ユーアの嗅覚で、まずは一番近くである地下の研究室へと向かって行った。

 潜入となれば、どこで誰に何を聞かれているかはわからない。これだけ種族が集まっているならなおさら。俺達のように耳のいい種族もかなりいるだろう。声はできるだけ出さずに。もし出すのならば本当に小さな声で。そうユーアと決めて。
 互いに合図を送りながら、足音を消して研究所へと駆け下りていった。

 そうして、レグナが最後に小さく、小さく。

 ――頑張れ。


 そう言ったのに、ふっと顔が綻んだ時だった。



 本当に頑張らなくてはいけないと秒でわかった。



「……」

 目の前に広がるのは、研究所から出されたであろう資料の山。ものによってはぐらぐらとして今にも崩れそうである。
 そうして反対側にはキレイに整列している、ハイゼル作の数々のロボット。向きの問題なんだろうがさりげなくこちらを見ていて地味に怖い。

「……声を出しても?」
『どうぞですっ』
「なんだこれは」

 本当になんだこれは。

 思わず普通の声量になったじゃないか。
 声を潜めなければとわかってはいるがあまりの物の量に結構な声量になったじゃないか。

「外には聞こえていないよな」
《地下ならば多少は大丈夫だよ。今までこの家に入り込んだものもいない。盗聴器とかの心配もないでしょう》

 ならばよかったと武煉の声に頷く。いやよいのかはわからないけれども。

 ひとまずだな。

「……緊張感が一気に抜けた……」
「よいことだ」

 そして緊張を抜いたときにふっと吐いた息が秒で肺に戻ってきたな。自分の口からひゅっと音が鳴ったと同時に背筋が無意識に伸びる。

 そうして、声の方に目を向ければ。


「すまない、ごたごたしている」


 家の周りの喧騒など意にも介していない様子の、義父がいた。その手には積み上げられた資料がある。とりあえず「まだあるのか」と言いたいのはぐっとこらえて――待てシェイリスも中からまだ資料運んでくるぞ。本当にまだあるのか。なんかこれ似たようなこと昔思ったことあるな。去年のゴールデンウィークで双子が俺達の家に泊まりに来たときか。
 懐かしいだなんて思っている暇もないのに、あまりのこの異質な、というか通常通りすぎる雰囲気に頭の中で一瞬だけ現実逃避をしてしまう。

『炎上っ』
「……そうだな」

 けれど「速やかに」と言われている以上、逃避している暇はないわけで。ユーアに急かされ、一旦息を吐いてから。


 まず先に確認を。


「……まさかとは思うのですが」
「恐らくそのまさかだ」


 ということは、

 広いはずの研究所前に広がっている資料やロボを見渡して。


「……これを持って行くと?」

 最終確認のように聞けば、資料を置きながら頷かれた。

 頷かれたか。

 まじか。本気か?
 このとんでもない量を??

 いや魔力結晶にすれば運べるけれども。簡単には運べるんだけれども。

 おいモニター組、若干笑いこらえているのわかっているからな。俺は今そんなに顔に出ているか? 「まじか」と。

 いやでも思うだろう。

 ほぼほぼ世界中の生物がハイゼルの宣言に納得いかず、今はフランスの住民が中心だが家の付近で暴動が起きている状態。
 そんな中で。


 悠々と移動のための荷物を引っ張りだしていることにも、そしてその荷物の量がえげつないことにも思うだろう。

 まじかと。

 俺は保護ではなく引っ越しの手伝いに来たかと今錯覚しているからな??

『炎上、お気持ちはわかるですっ』
「わかってくれるかユーア……」
『けれどお時間も限られているですっ、早めに保護せねば向こうも鎮静に力を出しきれないですっ』
「そうだよな……」

 お前のそういうところは大変頼もしい。あとでしっかり感謝と褒めの言葉を伝えよう。そう決めて。

 積み上げられた資料の方へ、歩き出す。

「順次結晶化していっても?」
「よろしく頼む。あとシェイリスが持ってくる分と、次の私の分で終わりだ」
「そうですか……」

 若干息を吐きそうになるのはなんとかこらえ、手早く魔力を手から放出。自分の身長を少し超えるそれらに、欠損などがないように丁寧に魔力をかけていった。

『お手伝いするですか炎上っ』
「頼みたいのは山々だがな……」

 いかんせん小柄なこいつじゃ距離感が難しいだろう。上に登るにしてもこの山じゃ滑るの必至。

「とりあえず警戒の方を頼みたい」
『任せるですっ!』

 ユーアが階段付近まで歩いていったのを確認して。
 俺は積み上げられている資料の結晶化の再開へ。二人が持ってきたものと合わせて結晶化すればいいか。きちんと資料に意識を向けつつ。

 目は、俺を見ているかのように感じるロボットたちへ。

 ざっと見た感じ十……二十弱はあるのか。大小それぞれで、笑守人で見たようなものばかり。試作品か、それかあの笑守人での時間を経た新作か。どちらでもいいが。

 必要なのか、と考えてしまうのは仕方ないと思う。

 資料はわかる。さっきレグナの通信を聞いていた限り、捩亜のように重要な資料は多くあるだろう。とくにこちらは今回の疑似ハーフ化研究の本拠地でもある。鎮静した後、いくらハイゼルたちへの暴動行為等を禁止するにしても、やる奴は処罰など恐れずとことんやる。その中で研究の中身が持って行かれたらいろいろと困ることだってあるだろう。そこまではいい、理解も納得も簡単にできる。

 できないのは、やはりあちらのロボット達。全部と言われたから彼らも持って行くことは確定のはず。

 何故必要なのか。仮に盗られても言ってしまえば部品にしかならないだろうに。

 そう、部品――。

 そこで思い至ったと同時に、横にハイゼルがやってきた。

「あのロボ達も必要だ」
「……」

 小さな、声で。

「……万が一の替えの部品となる」

 誰とは言わない。言わないけれど、すぐにわかった。


 機械とつぎはぎとなった義姉の、替えの部品になりうると。


 そこでようやっと、自分の中で。
 本当に義姉が半分ほど機械と化したことを理解せざるを得なかった。

 その義姉は、この場ではまだ姿を現してはいないけれど。

「向こうに行ったら、またきちんとお前にも話す。個別に時間を作って」
「……」
「ひとまずは、私がすべて悪いとだけ認識してくれていて構わない」
「……」

 それだけ言って、義父は俺の言葉は待たずに。資料を俺の近くに置いてまた研究室の方へと去って行った。

 その背を見ながら。

 自然と開いた口を、動かす。


「……俺は、あなたが間違っていたとは思わない」
「……」
「タイミングは、他の生物達と違っていたかもしれないけれど」

 ――決して。


 愛しいヒトを救おうとしたその思いも、したことも。間違いだとは思わなかった。

 だってきっと。



 きっと――。


 その言葉は、今は飲み込んで。

「……俺は、俺達は。あなたやエイリィの選んだ道を否定する気はない。だから来た」
「……」
「……」

 一度止まった足は、その時に見えた手は、震えているような感じがした。けれど今は、それを見なかったことにして。

「……荷物を結晶化次第、あなた方も結晶化して保護します」
「……よろしく頼む」

 背を向けて研究室へと入っていく義父に、見えないとわかっていながら頷いた。




 そうして荷物の結晶化が終わったのはそれから数十分後。


『お疲れ様です炎上っ』
「本当にな……」

 あまりの量に若干の息切れをしながら、労いの言葉にはなんとか返す。これであとヒト三人か。神経も使うからなお疲れるなこれは。

 落ち着いたらまた爆睡コースか、なんて。寝たくはないけれど見えた未来に空笑いをしてから。

 目の前に立つ義母に、目を向けた。
 義父はまだ研究室の中。

「……義父はまだ何か持ってくるものでも?」
「いいえ、最終チェックをなさっていますよ」

 それとあとはエイリィか。中にいるならば連れてくるんだろう。

 その姿を目の当たりにすることに、ほんの少し怖さがないわけではないけれど。

 来る前の恋人の言葉のない後押しや、親友のエールを思い出しながら、意識的に深く深呼吸をする。
 ゆっくりと、吐いて、吸って。

 何度か繰り返したところで。

「待たせた」

 扉の開く音と同時に、義父の声がした。反射的に背筋を伸ばして、そこに目を向ければ。


「……?」


 向けた目を疑うように、見開いた。
 出てきたのは。


 義父一人。


 手で持てる量の荷物を抱えているだけで、他には誰もいない。思わず呆けていると。

『おひとりですかハイゼル殿っ』

 俺の疑問はユーアが聞いてくれる。その答えを求めるかのように、義父を見つめた。

 義父は手荷物を持ったまま、シェイリスの隣へと並ぶ。そうして。


 頷いた。


 それに、自然と言葉が出る。
 何故か心音が少しだけ早く感じた。


「……義姉、さんは」


 何故この場にいない。たしか情報では一緒にいたはずだ。それにこの一週間、奇跡と言っていいほど、この家には誰も立ち入ることはできなかったはず。

 なのにこの場にいないのは――?

 よぎる最悪の事態に、段々と心音が大きく聞こえてくる。

 けれどそれに持って行かれる前に、ハイゼルの声が聞こえた。

「お前の考えているような最悪なものではない」

 最近自分はそんなに顔に出やすいかと、若干的外れなことは思いながら。

「なら、どこ、に……」

 問えば、まっすぐとハイゼルは俺を見据える。いつもとは違う緊張で、彼の言葉を待っていると。

 一度ハイゼルは階段付近の方を見た。それをすぐさま戻して。

「リアス」

 俺の名を、呼ぶ。
 それには背筋を再び伸ばすことで応じて。


「真剣に言う」
「……はい」
「きっとお前ならばわかってくれるだろう」
「……?」


 先の読めない言葉に、首を傾げれば。


「かくれんぼをしている」


 そんな、今の状況にそぐわない言葉が返ってきてしまった。一瞬思考が停止してしまったのは仕方ないと思う。そしてすぐさま浮かんだのは、このフランスの人らはどこまでマイペースなんだというほんの少しの呆れといらだち。
 そんな話をしている場合じゃないだろうと、思わず声がでかかったけれど。

「……!」

 俺を見つめる二人は、真剣な目で見てきている。
 ハイゼルも言った。「真剣に言う」と。

「……」

 そうして出てきた言葉は、かくれんぼ。

 この状況で考えられるのであれば。


 盗聴や傍聴を回避するための、隠語。


 合っているよな。自分の中で何度も問いかけていく。けれどこの状況で、真剣にと言われたらそれしか浮かばなかった。確かめるように、二人を見れば。

 シェイリスが、肯定だと言うように優しく笑った。
 そうして優しい声で紡いでいく。

「ごめんなさいね、リアス。万が一があったときのために、エイリィにかくれんぼをお願いしたの」
「……」
「あなたなら見つけられますよね」

 何度もしてきたものね。

 笑った彼女に、受けたことのない母の愛を感じた気がした。
 遊んでいるところも見てくれていたこと。ちゃんと、信頼されていること。

 それに、今はその状況ではないのに、ほんの少しだけ喉元が熱くなった気がした。なんとかそれはあとにしようと制して。

「……わかりました」

 微笑んで、頷く。
 そうして二人に歩み寄り。

「先にあなた方の保護から。義姉さんを保護したらすぐに向こうへ」
「よろしくお願いしますね」
「……エイリィのことも、よろしく頼む」

 その言葉に、しっかりと頷いてから、手から魔力を放出していく。

 優しく見守ってくれている二人に、ときに目をそらしながら。

「……また後で」
「あぁ」
「お待ちしていますね」

 それだけ言葉をかわして、彼らを小さな結晶へとおさめていった。
 しっかりと、丁寧に体内にしまってから。

「次、行くぞユーア」
『かくれんぼなら場所はおわかりですかっ』
「……あぁ」

 きっとあの場所にいる。確信を持って。

 昔は少しトラウマばかりだった研究室を、後にした。






 この家に来た、まだ幼い頃。
 自他共に認める過保護の俺は、いつものごとく。クリスティアを決めた範囲から出すことはしなかった。
 ときにはクリスティアのゼアハード家。ときにはこのクロウ家。エイリィがもう少し大人になってからは彼女がいろいろと探してくれて多少なりとも外に出ることはあったが、やはりうちやクリスティアの家で遊ぶことが多かった。

 その家の中で、よくやっていたのは”かくれんぼ”。

 クリスティアがじっと隠れられないだろうということで、俺とクリスティアがいつも鬼をやっていて。


 義姉は。


「……」


 リビングの奥の奥にある、少し暗いその場所。どうにか目を凝らさないと見えないスペースに、よく隠れていた。
 決まってそこに隠れるものだから、いつの日からかクリスティアが一番に駆けよって行き、いれば「見つけたー」と楽しそうに笑っていたものだ。

 そのスペースの前。今は守るかのようにうまく扉を付けられている場所に立つ。

『ここですかっ』
「……たぶんな」

 俺達でしか聞こえないくらいの小さな声に頷いて、そっと手をスペース前の扉にあてた。

「……中に入れば少し話しても大丈夫だよな」
『この小ささなら大丈夫ですっ。ユーアはまた辺りを警戒しているですっ』
「頼む」
『ここに座っているですっ。何かあればユーアのしっぽを見て落ち着くですっ』
「それで落ち着くのはクリスティアだけだろ……」

 呆れた言葉を返しながらも、いつも通りの会話をしてくれるユーアに思わずふっと笑みをこぼして。もふもふとした体が、スペース付近に座ったのを確認してから。

「……義姉さん」

 いるであろうその場所に、声を掛けた。

 けれど中から声は返ってこない。ただ、かくれんぼと言われたら。

 そこにいるんだろうというのは、わかっていて。

「……開けるぞ」

 そえていた手をゆっくりと押して、薄暗い中へと足を進めていった。



 その、中には。


「……」
「……」


 膝と、何かひとつの。本のようなものを抱えて、小さく小さく縮こまっている今世の義姉がいた。

 気づいてはいるんだろうが、反応のない彼女に。座ったことで広がっている長い髪を踏まないようにしながらゆっくりと近づいていった。


 その隣に座って。

「……エイリィ」
「……」
「助けに来た」
「……」
「一緒に帰ろう」

 そう、小さな声で言っていくけれど。

「……」

 義姉は、いつかの恋人のように。ただただ縮こまって何も反応を示さない。

「義姉さん」
「……」

 さすがに本人の心構えなく結晶化なんてするのもよくないだろうということはわかっているので、ひとまず壁に背を預けて。

 こちらを向いてもらえるように、彼女に手を伸ばした。

「義姉――」

 その伸ばした手が。


 彼女の左側に触れたところで、ふっと止まる。



 ――冷たい。

 けれどこの冷たさは、知っている「死」の冷たさじゃない。

 服越しからもわかる。無機質な感覚。



 機械の、冷たさ。


 よくよく見てみれば、薄暗い中でも。彼女がたらした髪の隙間から。

 首や後頭部まで、機械とつぎはぎになっているのが見えた。
 そうして俺の手が止まったことに、何か感じたんだろう。ぎゅっと膝と、その腕に抱えている手に力が入る。

 そのときに、足の方からもギギッと機械音が聞こえた。

「……」

 ――あぁ。


 さっきでわかったはずだったのに。
 目の当たりにすると、本当に痛感する。



 テレビで見た時よりも鮮明な、そのつぎはぎな姿。



 本当に、事故に遭って。
 こうして機械と一体化したのだと。


 隠そうとしている指の部分、髪の隙間から見える首や脳の部分。スカートで隠れている足の部分。
 いけないとわかっていつつも、前髪で隠れている部分を見るために、垂れている髪の毛をそっと持ち上げた。
 左耳は、完全に機械。

 そうして伏せられているが、左目の周辺はテレビで見たときと同じく機械の肌になっている。

 恐らく。


 恐らく、彼女の左半身は、ほとんどもう、ないんだろう。


 心臓がどうなっているかはまだわからない。けれど見た状態から推測すれば。


 心臓も、きっと。何かしら機械の処置は入っていると思った。


 現実を目の当たりにして。さっきとは違う意味で喉元が熱くなっている気がした。
 そんな彼女に、今自分には掛けられる言葉が見つからない。

 大丈夫か、なんて。当たり前に大丈夫でないことを知っているのに聞けるはずもない。
 けれど何か言葉を掛けて、彼女を保護して日本にも帰らなければならない。それも、安全に。

 どうして行けばいい。
 いつかのあの頃から、自分は経験も知識も、言葉も。幾分かましになったはずなのに。

 弱い自分は、結局こういった場で何もできないんだと痛感した。

 クリスティアのように引っ張る力もない。
 カリナのように、言葉が達者なわけでもない。
 レグナのように、さりげなく後ろから支えられるわけでもない。

「……」
「……」

 自分は本当に何もできないと、奥歯を噛み締めたときだった。

「……行って、いいの、かなぁ」
「……!」

 事故の後遺症なのか、妙にたどたどしい小さな声が、聞こえた。

 そうして彼女は、無機質な。ほんの少しだけ元の色素とは違う左目を俺に向ける。よく見てみれば機械のような目に、一瞬ぐっと喉が詰まってしまった。
 それに彼女は力なく笑って、また。


「こんな、私が……。行っていいと、思う?」

 そう、ザザッと少しノイズ交じりに言うから。

「……何故」

 いろんな現実が押し寄せて、心が、胸が苦しくなっていく中で。声をほんの少しだけ震わせながらなんとか聞いた。

「後悔はね、ないん、だー……。セフィルのこと、助けたくて。パパにわがまま、言った」
「……」
「セフィル、ね。もしかしたら今のまま、回復しても」

 絵は、元通りには描けないかもしれないって。

「向こうの、保護は……レグナが、行ってくれたん、だよね?」
「……あぁ」
「じゃあ、わかる、かなぁ……」

 その言葉に。聞いてはいたけれど、セフィルは今隣にいる義姉よりもさらにひどかったんだろうと改めてその光景が浮かんで。
 思わず目元を覆ってしまった。

「……義姉さん」
「行きたく、ないわけじゃ、ないんだよ」

 どこか、答える順番がしっちゃかめっちゃかになっている会話に、しっかりと耳は傾ける。

「でも、いいの、かなって」
「……何故」
「おかしく、しちゃってるもの」

 世界も、日常も、何もかも。

「これから、修学旅行、だったんだよね」
「……そうだな」
「来月は、クリスの、誕生日、も、あるねぇ」
「……あぁ」
「それを、私の、わがままで」

 壊しちゃったね。

 呟かれる言葉には、見えているかわからないけれど必死に首を横に振った。

「壊してなんかない」
「だからね、行って、いいかわかんないの」
「義姉さん」
「みんなに、顔向け、できない、なぁって……。わたし、に……みんなにまた逢える資格、ないよ」

 そんなことない。
 言いたいのに。言わなきゃいけないのに。喉がどうしても熱くなって言葉が出せなかった。

「ほとぼり、覚めるくらいまで……ここに、いようかなぁって……。お腹、あんまり空かないし」
「っ、……」
「あんまりね、寝なくても、大丈夫なんだよ」
「……」
「パパが、ね。少しだけ仕込み、武器? みたいなの、くれてね。何かあっても、大丈夫」

 独りで大丈夫。

「だから、私。行かなくて大丈夫かな、って……思ってる」

 ぐっとこみあげてくるものをなんとか、なんとか抑えながら。

「……手を、差し伸ばしても。こっちには来ないと?」
「行けない、なぁって……」
「……俺には、あなたを保護する義務が、ある」
「……うん。連れてっても、みんなには、逢えないなぁ。それに、ね。やっぱり、行きたく、ないよ」

 再度の「何故」に、彼女は色素の違う右目もこちらに向けて。

「フランスで、こんなだもん。日本に行ったら、また、同じになる、でしょう……?」
「……今、外で道化たちがそれを止めている」
「クリスたちが、危険になっちゃうのは、嫌だなぁ」

 たまにかみ合わない会話があるたびに、悲しい現実が突きつけられて。
 口は震えて、目から何かがこぼれてきてしまっていた。

「ちゃんと、危険にならないようになっている」
「……」
「大丈夫だから」

 苦手な約束を、一生懸命しても。

「……ごめんねリアス」

 彼女は首を横に振って。

 そっと、手を伸ばしてきた。
 頬を包み込んできた手は、片方が冷たくて、片方が温かい。それに引っ張られて。

 恋人とは違う冷たい肩に埋まるように、抱きしめられた。


「お姉ちゃん、やっぱりそっちに、行けないよ」
「……大丈夫だと、言ってるだろっ」
「うん、信じてるけど、こわいよ」
『ユーア達が守るですっ』
「わぁ、ユーア、くん?」

 見かねて出てきてくれたユーアが声を掛けるも。一瞬だけ嬉しそうな声を上げて。義姉はすぐに首を横に振ったのが抱きしめられながらわかった。

「ごめんね、お姉ちゃんね、みんなが危険になるの、こわいから行きたく、ないよ」
『炎上も言う通りっ、ちゃんと守るですっ』

 みんなで。

『だからここから離れるですっ。ここにいたらもっと危険ですっ』
「……うん」

 頷いた義姉の冷たい肩が、小さく揺れた。
 笑った揺れ方じゃない。

「ごめん、ねぇ」

 泣いている、揺れ方。
 自分の方に雫は落ちてこないけれど。そっと顔を傾ければ、自分とは反対側の頬に、雫がぽたぽたと落ちていた。

 それに伴うように。

 彼女の言葉もぽろぽろと落ちていく。

「間違っちゃった、のかなぁ」

 助けたいと願ったことも。自分がわがままを言ったことも。

「全部、間違っちゃったかも、しれない」
「……っ」
「みんなに、逢いたい。セフィルにも、また逢いたい」

 でも、

「でもね、合わせる顔ない、よ……。パパたちにも、クリスたちにも、向こうで逢った、みんなにも。私が全部全部、おかしくしちゃった」

 たったの一言。
 たった一つの願いで。

「みんなに迷惑、掛けちゃった」

 それなのに。

「逢って、また今まで通り仲良くしようなんて、私、できない」

 こんなに世界を変えてしまったのに。
 また、自分のせいでみんなを危険にするかもしれないのに。

「だから行けない」

 抱きしめられる力が、強くなった。

「行きたいけど、行けない」

 ごめんねと言うように、強く抱きしめられる。落ちていた自分の手にふわふわとした何かが当たった。きっとユーアのことも抱きしめてくれているんだろう。


 ――今、この状況なら。


 このまま一気にテレポートができる。
 無理やり日本に帰ることはできる。向こうに行けば全員で説得して、滞在させることだっていくらでもできるんだろう。


 なのに。

「……っ」

 手が、震える。
 魔力のコントロールがうまくできない。


 涙が、ただただ止まらない。

 義姉を抱きしめて連れて帰りたいのに、落ちている手に力が入らなかった。


 動けと命じても、何故か手が上がって行かない。魔力を練りたいのに、心も頭もぐしゃぐしゃで、何を練っているかもわからなくなってくる。

 だからと言ってこのまま置いていけるのか。行けるはずない。
 連れて帰らなければならない。独り、置いてなんていけない。

 魔力を練って、早く向こうへ帰るんだろ。
 しっかりしろ。

 連れて帰って、また。


 また――。


 その心の声に呼応するかのように。



 それは聞こえた。


《リアスー?》


 こんな切羽づまった状況にそぐわない、のほほんとした小さな声。
 それに、ハッとなった。

《リアスー》
「……クリスティア?」
《クリスー》

 イヤホンから聞こえる、いつもと変わらない声。ほっとするというよりは気が抜けて、動かなかったはずの体が自然と動いた。

 エイリィからほんの少しだけ離れて、聞こえる片耳に指を添えて。愛しい恋人の声を聞く。

《リアスー》
「……どうした」
《エイリィ見つけたー?》
「……あぁ」

 お前話聞いてたろ、というのは後にして。ただただ頷く。

 画面にそっと目を見やれば、いつものふわふわとした顔で俺達を見ていた。

 そうして、こてんとかわいらしく首を傾げて。

《エイリィ、まだあそべない?》


 どこまでもいつも通りの言葉を、彼女は口にした。
 それにまた、涙があふれそうになる。けれどなんとか耐えて。緩く、ゆるく頷く。

 そうすれば残念そうに、

《そっかー》

 なんて、のんびりとした声で言った。相変わらずだななんてそれに笑みをこぼして。

「……義姉さん」
「?」

 予備用にとポケットに忍ばせていた、もう一つの無線を彼女のまだ生きている右耳へと取り付けた。そうして愛しい恋人へ。

「クリス」
《なーにー》
「エイリィ」

 義姉が見えるように、カメラと画面を向ければ。

「……クリス」
《エイリィ!》

 義姉は驚いた顔へ、恋人は嬉しそうに顔をほころばせた。そうして今にもこちらにやってくるかのようにぴょんぴょん跳ねているのを、画面の中で陽真とルクに制されながら。

 ふんわりと、いつもの顔で笑って。

《エイリィ、こっち来てあそぼー》

 なんて、またも変わらぬ言葉を言った。

 まるでエイリィが変わってしまったことなんて、気にも止めていないかのように。

「……あそぶ?」
《あそぼ》
「……あそべないよ、クリス」
《なんでー》
「お姉ちゃん、が、行ったら。そっちが危険に、なっちゃうかもしれない、でしょ?」
《?》

 それは小さな子供のような恋人には理解できなかったのか。こてんと首を傾げてしまった。ただとりあえず、「あそべない」ということだけは理解したんだろう。

《まだあそべない?》
「……うん、もうあそべない」
《…》

 言葉の違いに、クリスティアはぱちぱちと目を瞬かせる。ほんの少しの理解の時間。

 それを理解した彼女は。


 何故か、また顔をほころばせた。


《エイリィー》
「……なーに」

 そうして、何の脈絡もなく。


《今年クリスね、サンタさんにお願いするの》
「へ……」

 そんなことを言うから。
 モニターの中にいる奴らも、当然俺達も。ぽかんと呆けてしまった。

 けれど彼女はそんなこと気にせずに、うきうきと話していく。

《去年はね、リアスたちと四人の思い出もらった。あとね、みんなでね、たくさんあそんだ》

 今年は、

《今年はみんなでの思い出欲しいの》
「……みんな、の?」
《うん》

 頷いた彼女は、小さな手で指折り、一人一人名前を呼んでいく。

 リアス、カリナ、レグナと俺達の名前から始まって。

《はるま、ぶれん、フィノア…ユーア、ゆいも、せんりも、ゆきはとみおり、エルアノとティノでしょ、ウリオス…しゅいと、ルク、りんかとトリスト》

 折ってはまた開いてを繰り返して、最後に。

《セフィルとエイリィー。セフィルはさっき来たから、あとはエイリィだけ…》


 ねぇエイリィ。


《今年は、クリスのサンタさんなってくれる?》

 そうしてみんなの思い出、くれる?

《誕生日プレゼントでもいい…、そしたらサンタさんには、ペンお願いするの》
「ペン……」
《そー》

 笑った彼女は、傍に置いていたらしい何かを引っ張り出す。

 そうして、ばっと広げて。


 一枚の画用紙では足りず、つぎはぎにして大きな一枚にした絵が、モニターに広がった。


 そこには、願い事を描いたかのように全員で笑っている姿。
 エイリィは、今の姿のまま。機械とつぎはぎな顔だけれど笑顔でセフィルと手を繋いでいる。

 ただイラストは、ところどころがまだ不自然に真っ白だった。

 その不完全なイラストに隠れた少女は、またのほほんと言葉を紡いでいく。

《今ね、色足りないの》
「……うん」
《エイリィが誕生日プレゼントだったら、サンタさんにペンお願いしてね》
「うん、……」
《…セフィルと、いっしょに完成させるの》

 のほほんとしているのに。

 イヤホン越しに聞こえる少女の声は、少しだけ震えている気がした。

 きっと今までの会話は全部聞いていただろう。俺達の無線はずっと繋がっているのだから。


 セフィルがもしかしたら、もう今までのように絵を描けることはないかもしれないと、しっかりと耳に入ったはずだ。記憶力のいい彼女は、それを絶対に忘れない。

 それでも、と。

《エイリィ》

 恋人は子供のふりをして、知らなかったふりをして、続けていく。

 震える声で。

《セフィルといっしょに完成させるから、一番に見てね》
「っ、ぅ」

 ”ねぇ見て、エイリィ”と。
 二人で笑顔で見せに行くから。

《でもまだたくさん塗るところあるの》
「……っ」
《二人じゃ、全然終わんないの》

 だから、みんないっしょに。

《エイリィもいっしょに、完成させて?》

 ねぇエイリィ。

《こっちに来て、いっしょにあそぼ》


 こわいことも、全部全部忘れるくらい、たのしく。

 聞こえた小さい、けれどしっかりした言葉に。どうしたって涙が止まらなくなっていた。向こうも段々と涙が出てきてしまったんだろう。ときおり鼻をすする音が聞こえて、モニターでは陽真が、見えなくなっている少女に手を添えているのが見えた。

 そうして、陽真は俺を見る。

 今度は自分の番なんだろう。しっかりと頷いて。


 涙がこらえきれなくなって、ここに来た最初に大切そうに抱きしめていたものを再び抱きしめながらしゃくりあげている義姉を見た。

 隣でぐすぐすと鼻を鳴らすユーアの頭を撫でながら、勇気をもらって。

「――義姉さん」

 自分達が作ったアルバムを抱きしめている、義姉へ。

「アルバムの中の俺達じゃなくて、向こうにいるみんなに逢いに行こう」

 そうして、喋って、たまにはばかみたいなことをして笑おう。

 怖さなんて忘れるくらい。

 小さく、それでもしっかりと頷き始める義姉に、手を伸ばして。


「何かあったら俺達は対処する力がある」

 いつの日か幼なじみたちからもらった言葉を、口にしていく。

「愛しいヒトを守りたいと思ったあなたに、セイレンは――神様は罰なんて与えないから」

 だから、どうか。


 この手を取って。


「またみんなで、遊ぼう」


 たくさん、たくさん。


 願いながら、義姉の目の前に手を伸ばせば。

「っ、……」

 言葉は出なかったけれど。
 オッドアイのように変わってしまった彼女の目は、しっかりと俺を見て。



 俺の手に、機械となってしまった手を重ねてくれた。



 それに、自然とまた涙を流しながら。


「……行こう」
「、っ」
「ユーア」
『はい、ですっ』

 手から、魔力を放出させていく。
 ユーアが安心させるように、エイリィの隣に行って、彼女の生きた手を取ったのを確認して。

『氷河たちが待ってるですっ』
「……うん」

 泣き笑いを浮かべた二人を、魔力で丁寧に丁寧に包んで行く。

「しばらく頼むぞユーア」
『任せるですっ』

 互いにしっかり頷いて。

 結晶化を進めていく。

 二人が小さくなっていく中で。

 右目から涙をこぼしているエイリィは、アルバムを抱きしめながら、俺を見た。

 結晶化が始まっているからか、言葉はもうかわせないけれど。
 血は繋がっていなくても、姉弟だからか。義姉がいつも通りの笑みで、笑ってくれているから。

 なんとなく、言いたいことはわかって。微笑み返した。

 それにまた泣きそうになっているのを見ながら。


 丁寧に、結晶を収束させていく。


 それが終わると。

「……」

 先ほどまで二人がいたところは、きらきらとした結晶だけになっていた。
 その宙に浮く結晶を、手に取って。


「……クリスティア」
《…》
「助かった」


 ありがとう。

 言葉を伝えれば、また鼻をすするような音が聞こえた。それに笑ってやって。


「……すぐ帰る」
《…ん》
「いい子で待ってろよ」

 ちゃんと連れていくから。
 慣れない約束に、モニターの中の恋人が小さくうなずいたのを確認してから。

 宙に浮く結晶を、抱きしめるように体内に入れていって。


「……」


 決して自分一人の力ではなく。
 大切なものをひとつ、守れたことに心の中で噛み締めて。


 愛しい恋人たちが待つ日本へと行くために魔力を練り。



 俺は、いつかの思い出の場所を、あとにした。






『またみんなで遊ぼう』/リアス
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