君がいない世界に、意味などないから

 ゴールデンウィークを終えて、しばらく。それは突然やって来た。

「オマエが”炎上龍”クンってヤツ?」

 昼休み。いつものごとくカリナと一組に行こうと教室を出ようとした時だった。
 オレンジメッシュで襟足をのばした、短髪だか長髪だかよくわからん男が、仁王立ちで行く手を阻む。

「知り合いです?」
「いや、知らん」

 半歩後ろにいたカリナに問われてほんの少しだけ上を行く目線をまじまじと見ても、その男に見覚えはない。

「エシュト学園二年、紫電しでん 陽真はるまだ! オマエに話がある!」

 律儀にも名乗ってくれたその紫電という男の学年を聞いて、腑に落ちる。二年ならば知らないのも当然か。会ったこともない。
 そして話をしたいらしいが、あいにく俺にはこの男に割いている時間などない。

「とりあえず一組に行きたいからそこをどいてくれないか」
「あなたぶれませんね」
「俺がいない間にあいつになにがあるかわからないだろう」
「蓮だっているんですから大丈夫ですよ」
「信頼していないわけではないが」
「おい聞け炎上龍!」

 しびれを切らして間に入ってきた紫電に、ハキハキ話して元気な奴だなと目を向ければ、その男の顔は妙に闘争心らしいものが見える。……何故だろう、ものすごく面倒事になりそうな気がする。というかそろそろ退いてほしいんだが。

「話は聞いてやる。だからとりあえず一組に行かせてくれ」
「逃げるのか?」
「あんた話聞いてるか?」

 会話が噛み合ってない時点ですでに帰りたい。テレポートを使ってもいいだろうか。

「紫電先輩、龍は気が短いのでご用件があるならばお伝えしてあげてくださいな」

 助け船を出してくれたカリナの言葉に、紫電は「そうか」と言って俺をまっすぐと見て、ビシッという効果音がつきそうなくらい勢いよく俺に指を指す。嫌な予感しかしない。

「お前に演習を申し込む!!」

 俺の予感はよく当たるな。

「で? 合同演習で”一年じゃ炎上龍が最強”って言う噂を聞いて、紫電先輩が飛んできた、ってこと?」
「そうなるな」

 風通しの良い裏庭。いつもの四人で集まり、あったことを話して、レグナに頷いた。

 単刀直入に演習を申し込まれ、理由を聞けばまぁそういうことらしい。確かに合同演習ではいつも以上に暴れた。そしてゴールデンウィークを終えて学校へ行けば、畏怖の目と、何故か尊敬の目を向けられることが多くなった。すべてその演習の効果だろうと、今理解する。
 そして一年の間で話題になったのを、上の学年が聞きつけて広まっていったんだろう。果てしなく面倒だ。

「受けるの…?」

 パンをもそもそと食いながら聞いてきた隣のクリスティアに、首を振る。ただ、それは否定ではなく。

「答えは出していない」
「保留ってことか」
「あのまま断っても追いかけ回してきそうですし、かといってすんなり受けるのもしゃくに障りますよね」
「そういうことだ」

 噂が回ってきたから来たと言うことはわかったが、紫電の戦いたい理由には繋がらない。何故俺に演習を申し込む流れになったのかがわからん。恨みなんてないだろうし。

「保留でも追い回しそうじゃない…?」
「それはそうなんだが……。断るよりは面倒にはならないと踏んだ」
「あの手のタイプは速攻で断ったら”なんでだ”ってなるタイプですよね」
「それは保留で正解かもね」
「でもなんで、リアス様に演習申し込みなんだろうね…。死にたいのかな」
「さすがの俺も誰彼構わず本気出したりはしないがな?」

 お前と違って、と言うのはひとまず言わないでおこう。持っていたおにぎりを口に放り込んで、飲み込む。

「まぁとにかく、それなりに理由を考えて今日の放課後にでも断っておく。我慢強いタイプでもなさそうだったからな」
「炎上、答えは出たか!!」
「そう、こんな風に──」

 と言ったところで、後ろを勢いよく振り返る。そこには先ほど見た男が窓から顔を出していた。

「なんでいるんだ……」
「答えを聞きに来たからだな!」
「保留にしたのはつい十分前なんだが?」

 三歩歩いたら忘れるのかこの男は。

「オレ早くオマエと戦いてぇんだけど。だから早く答えくれねぇ?」

 呆れている俺に構わず、紫電は嬉々として言う。あぁ、深い理由なんてない。こいつは単純な戦闘バカと見た。

「龍、たぶん、早く答え出した方がいい…」

 その答えはこいつをみる限り一つに絞られているんだがな。できる限りそれは避けたいといいあぐねていたら、レグナが助け船を出してくれた。

「そもそも、なんで紫電先輩は龍と戦いたいんですか?」

 その問いかけに、紫電は一度きょとんとしたあと、自信満々に答えた。

「強いヤツと闘ってみたいから!」

 思った通りに簡単な答えだった。

「強い方と、ですか」
「そうそう。一応オマエがくるまではオレが一番強いって言われててー。やっとオレを越える奴が来たと聞いて、勝負しに来ちゃった」

 窓際に肘をつき、”どうだ”と言う顔で言っているがまったくもってこっちは良い迷惑なんだが。ただの巻き込まれ事故じゃないか。正直放っておきたいが、クリスティアの言うとおり、早めに答えを出した方がいい。保留にしても予想以上に追い回されそうだ。溜息を一つ吐いて、口を開く。

「わかった、演習を受ける」
「マジか!!」

 俺の言葉に、紫電はものすごく嬉しそうな顔で詰め寄ってきた。近い。ていうか窓から落ちるぞ。

「じゃあ今日の放課後で! オレもハーフだから全力で来いよ! 設定とかは全部しておくから!!」

 一気にまくし立ててそう言って、紫電は去って行った。つーか今日かよ。しかも今日五限目までだからもうすぐじゃねぇか。走り去ったのを見届けて、再び溜息を吐いた。

「……嵐のような方ですわね」
「同感だ……一気に疲れた」
「変なのに好かれたなー」
「類は、友を呼ぶ…?」

 決して同類にされたくない。

「まぁ、そういうわけだから、今日の放課後付き合えよ」
「え、俺たちも?」
「当然だろう。俺が戦ってる間誰が刹那のそばにいるんだ」
「お目付役か……」
「まぁ演習を見るのはおもしろそうなので行きますけど」
「お前は冷やかしでくるのか」
「もちろんですわ」

 カリナに呆れた目線をくれてやるが、いつも通り笑顔で交わされる。まぁいいかとなったとき、ちょうどチャイムが鳴った。広げていたものを片して、教室へと歩き出す。

「刻一刻と近づいてるね、勝負が」
「正直バックレたい」
「でもああいう方ってほっときすぎると変なことし出しそうですもんね」
「それも、面倒…」

 それだけはごめん被りたい。廊下を歩いて行き、一組の前で止まった。

「適当に圧倒してすぐ終わらせてくる」
「わーお龍かっこいい」
「茶化すな」

 二人が教室に入る前、万が一を考えて双子に念を押しておく。

「蓮、華凜、頼んだからな」
「わかってるって」
「お任せを」
「お前も気をつけろよ」
「わかってる…」

 三人が頷いたのを確認し、二人が教室へ入っていったのを見届けてからカリナと二組へ戻っていった。

 正直、時間を止めたい。

 なんて思っても時間は止まることはなく。

「炎上! 行くぞ!」

 HRが終わって、さぁ鞄を持って行こうかと立ち上がりかけたところで、その男はやってきた。あんたちゃんと授業出ているのかと聞きたい。

「急かさなくても逃げはしない。だから先に行ってろ」
「ステージの方はオレたちだけで戦えるようにしたから安心しろよ!」
「俺の周りはどうしてこうも話を聞いてくれない奴ばかりなんだ」

 半歩後ろにいるカリナにも向けて言えば、こいつは笑顔を返してくる。今日何度目かの溜息をついた。

「とりあえず、一組のやつらも拾っていく。そしたら行くから」
「わかった!」

 そう伝えれば、紫電は俺の腕を引っ張り一組へと歩き出す。とても離してほしい。そして後ろのカリナがにやにやしているのがわかってものすごく不快だ。俺もう負けで良いから帰ったらだめか。

「…なんか、仲良しになった…?」
「断じて違う」
「そ…」

 振り払おうとしても意外と力が強く結局そのままで。隣の一組の前で待っていたクリスティアとレグナの元へ行けば、クリスティアに言われた。即座に否定してやる。

「これでオマエの連れ全員?」
「ああ」
「んじゃ行こうぜ」

 紫電に続くように歩き出す。まだ腕は引っ張られたまま。離してほしいんだが。
 離せと言うように引っ張っていると、紫電が口を開いた。

「そういえばオマエすげぇ恋人いるってのも聞いたけど」
「その噂は間違いだ」

 まだ流れてたのかその噂。

「龍は刹那一筋ですもんねー」
「ねー…」

 その声に、紫電は一度こちらを向いた。

「そのちっちゃいのが刹那ちゃん?」
「小さいとか言わないで…」
「いってぇな俺を叩くんじゃねぇよ」

 こいつムカついたからって俺を叩いてきやがった。気持ちはわかるがやめてくれ。
 紫電はクリスティアを確認すると、特に興味があるわけでもないらしく、「ふぅん」とまた前を向いて話し出す。

「観客も多いから楽しみだなー」
「いや全く楽しみではない」

 つーかあの短時間で観客を呼び集めたのかよ。

「そうだ、歩きながら今日の勝負のルールを説明してやるよ」

 頼んでもないが、ルールがあるのならばどのみち聞かなきゃいけないか。「どうぞ」と言えば、紫電は楽しそうに言った。

「勝利条件は”相手の戦闘不能、もしくはリタイア”。制限時間はナシ。戦闘が終了するまで、ステージからは出ることはできない。同様に、観覧席からも手出しはできない。まぁよほどやばいことがなければだけど」

 指折り数えながら、またちらりとこちらを向いて。

「それと大事なルールが一つ」
「だいじな、ルール…?」
「手を抜くのは禁止」

 そう告げた。大事だと言うからよほどのことかと思ったら、若干拍子抜けする内容だった。

「……それだけか?」
「それだけ。手を抜いたってわかったらペナルティな」

 ただ本人にとっては重要らしく。ペナルティまで宣言して、紫電は妖艶に微笑んだ。

「魔術でも武器でもなんでもあり。オッケー?」
「わかった」

 あの後引きずられるまま演習場へと連れられ、クリスティア達と別れ俺と紫電はステージへ来た。無駄に多い観客に呆れながら、軽く手やら首やらをほぐして、備える。あいつらはどこらへんにいるかと見渡したら、真正面の観客席にいた。

「んじゃ、このカウントで」

 紫電が指さした方向を見れば、モニターに”Battle standby”と表示されている。一度ブザー音がなった後に、電子音とともに数字のカウントダウンが始まった。

 ”5”

「さっきも言ったとおり」

 ”4”

「わかっている。手加減禁止、だろう」

 ”3”

「そういうコト」

 ”2”

 溜息を、吐く。あからさまに手加減をするつもりもないが、かといって思い切り本気を出すつもりもない。本気で行ったら死ぬし。

 ”1”

 クリスティアたちにも言ったとおり、ある程度圧倒して終わらせてやる。

 ”START”

 ひときわ大きなブザーが鳴る。
 それを合図にして、紫電は大剣を召還し、こちらに向かって走り出した。こいつ大剣使いか。

「はっ!!」

 振り下ろされる大剣を、身を引いてかわす。そのまま紫電は踏み込んで、縦横無尽に大剣を振るった。小さい刀でも振るっているんじゃないかと思うくらい軽々しく扱って連撃してくる太刀筋は、確かにそこらへんの奴らよりは上なんだろうな、とかわしている間に思った。

「おい攻撃して来いよ」
「かわせる攻撃を受け止めて体力を消耗するほどバカじゃない」

 そう言えば、紫電の目が変わる。先ほどの犬みたいな、人当たりのよさそうな目ではなく、怒りの混じった、冷たい目。

「本気出さないとペナルティだって言っただろ」
「いや剣を交えることだけが本気じゃないだろ……」

 もう本日何十回目になるかわからない溜息を吐いた。

「手加減されてるようでムカつくんですけどー」
「出方を窺っているんだ」
「へぇー……。んじゃ今度はコッチな」

 口角を上げてそう言うと、紫電は大きく振り払う。その勢いで大剣から手を離すと、紫電の手が光った。
 光が収束して生まれたのは、一本の槍。そのまま今度は突くように突進してくる。扱いが慣れているのを見ると、武器を一つに絞るタイプではないらしい。

【”ディストレス”】

 さすがに避けてばかりではアレかと、魔力を生成し、一番使いやすい銃を利き手の左に出した。

「──!」

 それを槍の先に向けて二発ほど撃ってやれば、矛先は俺ではなく空へと向かう。紫電の視線が一瞬俺から逸らされた隙に、さりげなく右手に短剣を出しておいた。

「オマエ飛び道具かよ、めんどくせー」
「残念。何でも使える」
「は?」

 槍を持ち直し、再び俺に向かって走り出す直前を見計らって、大きく踏み込んだ。見えないように持っていた短剣で、首のギリギリ手前を狙って、薙払う。

「あ、っぶね!?」

 自分では傷つけないとわかった踏み込み。けれど相手からしたら首を狙われて、本能的に避けようと体が動く。大きく仰け反った紫電は、首にだけ意識が行って、足下は隙だらけ。
 とっさにしゃがんでその足を払ってやれば、相手は思いきり背中から転んだ。妥協はせず、その上に乗り上げる。

「ってぇ……」
「これで十分か?」
「は……」

 カチャリ、と。終いに左手の銃を紫電の額に当てて。
 何をして来てもいいように、倒れたこいつの周りに魔力を張り巡らせる。俺の得意の戦術。そしてほぼ確実なもの。「死ぬかもしれない」という恐怖を与えてやれば、戦場でも許しを乞う。これが本当の戦だったらこのまま撃っているが、さすがに殺す気はないので、降参を待つ。

 ──しかし、いつまで経っても「参った」とは言わなかった。

「……?」

 下から俺を見上げる紫電の目には、諦めも恐怖も見えない。不満、怒り……色んなものがない交ぜになって、俺を睨んでいた。あの人なつっこい顔なんてどこへ行ったのか。こっちが本性なのかただ怒っているだけなのかははわからないが、こっちの方がまともに見えるぞと、的外れの考えに至る。

「オマエ、それ本気じゃないだろ」

 口を開いたかと思えば、不満げな一言。「そうだ」と言いそうになるのを抑えて、

「全力だが?」

 そう、答える。けれど紫電は納得行かないようで。

「余裕ありすぎるだろ。息一つ乱れてねぇもん。オレの実力のちょっと上で圧倒したように見せてるだけじゃね」
「へぇ」

 案外洞察力に優れてるのか。全くその通りだと、言いはしないが心の中で頷いた。
 さてなんて返そうかと、思考に落ちかけた、瞬間──。

「!」

 突然、銃を掴まれた。何事かと紫電を再び見れば、底知れぬ殺気に、ぞくりと背筋が粟立つ。

「……オレさ、別に学校で一番強いって言われたいわけじゃないんだよ」

 言いながら、紫電を掴んだ銃の矛先を、俺の首元へと持って行く。

「ただ強いヤツと闘いたい、なんて言うだけの戦闘バカでもない」

 それに続くように一緒に起き上がって、俺と、視線を合わせた。

 演習場につく前の、妖艶な笑みを浮かべて、

「オレよりも強い奴に、全力出させて闘って」

 俺の指に絡めるように、引き金に、指をかけて。それを、マネキンのように固まって、見ている間に。

「じわじわ追いつめて、ボロボロにして這いつくばらせて。そういう奴の許しを乞う姿が好きなんだ」

 ──銃声が、鳴った。

「っぶね……」

 咄嗟にテレポートで背後に飛んで、銃撃をかわした。もう数秒遅かったら首を打ち抜かれていたなと、苦笑いが浮かぶ。
 まだ銃を押しつけられた感覚が残った首をさすりながら、座ったままの紫電を見据えた。奴は未だ妖艶に笑っている。

「まだ続けるだろ?」

 その言葉に、顔がひきつるのを感じた。

 どうやら俺は相当面倒な奴に目を付けられたらしい。イカレたサディストに捕まるようなMじゃないんだが。あの教室に来たときの人懐こいのは自分の欲求を満たすための演技だったのかと思うとこいつ相当だな、と立ち上がる紫電を見て思う。

「あー、そうだ」

 服に付いた埃を落としながら、紫電は思い出したように言った。

「オレ、言ったよな。”手抜いたらペナルティ”って。どうしよっか」

 内心舌打ちをする。正直あのまま降参すると思っていたからすっかり忘れていた。

「……本気で行くと下手したらお前死ぬんだが」
「死ぬのは困るけど、でもそのくらいで来てほしいんだって」

 こいつMも入ってるのか?

「その本気を叩きのめして這い蹲らせたいんだよ」

 違った真正のSだった。

「あんたかなりイカレてるな……」
「知ってる」

 楽しげに舌なめずりする姿に、ぞくりとする。嫌悪で。間違っても喜ぶとかそういうのじゃない。断じて。

「そんでオマエはそういうの嫌いだろ? オレ、虐げられるのとか嫌いなヤツを這い蹲らせるのが好きなんだよね」
「もしこれで俺がそういうのが好きだと言ったらどうするんだ」
「そこはもうオレは降参するわ。趣味じゃないし。喜ばれるのは美に反する」

 お前の美学はどうでもいいわ。ひきつりながら、これはさっさと終わらせた方がいいと判断する。戦闘不能にすればいいんだろう。さすがに「自分は這い蹲りたいドMだ」と言う度胸はないので、気絶で強制終了を狙う。後で不満はすごそうだが俺の安全のためにそうした方がいい。まじで。
 足下で魔力を練り、紫電の背後めがけて、飛ぶ。

「っ!」
「残念」
「くそっ」

 背後に立ち、その首めがけて手刀をかまそうと振りかざした瞬間。
 紫電が、振り返った。笑った顔に意識が向きそうになるけれど、その手に短刀が握られているのを視界の端で捉える。踏み込んだ足はストッパーにして、振り向きざまに振り払ってきた短刀を身を引いて避けた。そのまま紫電はしゃがむ。こいつさっき俺がしたことと同じことをしようとしているんじゃないか。そう思ったときにはすでに遅くて、奴は隙だらけの足を払い、倒れた俺の上に紫電が乗り上げた。

 首に、切っ先が突きつけられる。

「オマエ悔しい顔とかしないの?」

 一応悔しいとは思っているが表情に出なかったらしく、紫電は不満げにそう言った。

「あいにく表情筋があまり稼働しないらしくてな」
「ふーん……。じゃあさ、オマエ怖くねぇの」
「何が」
「首。ナイフ突きつけてんだけど」

 わからせるように、ぐっと少しだけ刃を進められる。針が刺さるような、小さな痛みが走った。

 けれど、恐怖なんてない。

 ”死ぬ”なんて、慣れているから。

 何度も、何度も。この身を貫かれてきた。いつからか、そのことに対する痛みも恐怖も、なくなった。

「別に。死ぬことなんて怖くない」

 ただひとつ、怖いこと。あいつが目の前で、いなくなること。
 救えるならばこの身を捧げたって構わないし、むしろ俺一人の命で救えるならば本望だから。
 あいつが生きるなら、今ここでこいつに首を落とされたっていい。

「……つまんねぇの」

 その想いは伏せて言えば、紫電は依然不満げだった。それもそうか。人間が一番怖いであろうことを突きつけても、こいつが得たい表情を拝めないのだから。どうでもいいが。つうか思い通りになってたまるか。左手に持った銃を解いて、新たに魔力を練った。

「つまらなくて結構だ。ついでにどけ。邪魔だっ!」
「!!」

 突きつけられた短刀を気にせず思い切り体を起こして、左手で短刀を生成し、薙払う。奴が体勢を崩したところで蹴飛ばし、強制的に上からどかしてやった。

「……」

 立ち上がったとき、なんとなく首筋が痛い気がした。切れたか。痛む部分を触れば、ドロッとした感覚がする。ああ、結構血が出てるな、なんてぼんやり思って、ついでに治癒術を使って治しておいた。

「いって……」
「どうせあんたが望む顔は拝めないんだ。諦めて降参した方が早いんじゃないか」

 起き上がるのを見ながら、魔力を練り始める。もうこれで終わらせた方が早いだろう。下手に解かれちゃまずいから最大出力で。

【我が身にあらがうものには罰を与えん──】

 俺の詠唱に応じて、紫電の周りに魔法陣が展開され、いくつもの鎖が出てくる。

【その身亡くしても償えぬのならば、命ある限り、苦痛の地獄を味わえ。”贖罪の鎖アトーメントチェイン”】
「うおっ」

 その鎖は、詠唱が終わったと同時に紫電を捉えようと動き出した。追いかけ回し、奴が飛び退いて地面に刺されば自ら這い出て、また紫電を追う。

「おい逃げるな」
「いや逃げるだろ」

 その気持ちはなんとなくわかる。が、逃げても追いかけるから無駄で。往生際悪くステージを駆け回る紫電を、鎖は追いかけ回す。

「捉えて眠らしてやるだけだ。すぐ終わる」
「ヤだよ。オマエの本気見て這い蹲らせたいんだって」

 それが嫌だからこっちは眠らせたいんだよ。いや這い蹲る気もないが。つーか案外逃げ足速いなこいつ。最大魔力で逃げるってどういうことだ。追い込んでいった方が速いか? 鎖がこっちに向かってきてるから、追い込むように俺も向かって行くか。

「あ、じゃあさ」
「あ?」

 さぁ行こうかと、足を踏み出した瞬間。紫電は閃いたとばかりに楽しげに笑う。

「ペナルティ。決めた」

 その話まだ続いてたのか。眠らせてしまえばまぁ黙るだろう。ついでに強めに叩いときゃ記憶も飛ぶはず。我ながら物騒なことを考えながら、構わず足を進めた。

 が、次の言葉で、思わず足を止めた。

「オマエの大事なものもらうってことで、どう?」

「は──?」

 どんな顔をしてたんだろうか。ただ、紫電の待ち望んだものであることは確からしく。奴は笑みを深めて続ける。

「死なんてオマエはどうでもよさそうだからさー。大事なモノ賭けたら本気出してくれるかなって思って?」
「何を──」
「たとえば、そうだなー」

 わざとらしく悩んだふりをして、走り続けながら観客席を見回した後。場所なんて知っていただろうに、「見つけた」、指をさす。

 クリスティアに向けて。

「オマエの恋人、とか──うぉっ」

 わかった瞬間に踏み込んで、縛るために用意した鎖の魔術を解いた。思い切り押し倒し、短刀の刃先を首へと押し付けて、少しでも動いたら刺さるように全方位に刃を展開させた。
 もう一歩も動けない。王手をかけたのに。

「やっとマジメな顔になったな」

 それなのに、こいつは笑った。楽しげに。やっと欲しいものを得られたと言った目で、俺を見る。

「そんなにあの恋人が大事なんだ? 刹那ちゃん、だっけ」
「黙れ」
「従順そうだよなぁ。気強そうだけど、心許した人には素直だろ」
「黙れっ!」

 楽しげな紫電に相反して、どんどん怒りが沸き上がった。
 知ったようにあいつのことを口にすることにも。名前を、呼ぶことにも。

 ”一瞬でも長く生きて欲しい”。そう願いを込めてつけたあの名を、くだらない賭事のために呼ぶな。

 怒りに任せて、首元にあてた刃が少し進めた。血が、にじんでいく。
 首筋を伝って行ったのを見た瞬間だった。

「──!」

 背中に、衝撃が走った。驚きに、展開していた刃も揺らぐ。

「首、痛ぇんだけど」

 なんだ思って周りを見回せば、動けないはずのそいつの手元から煙が出ていた。魔力を打ったのだと気づいたときには、腹に痛みが走って、吹き飛ばされる。

「って……」

 せり上がってくる吐き気に、咳込む。手には赤い血がこびりついていた。ただそんなの気にしても居られなくて、起き上がり紫電を睨む。視線の先の紫電はただただ楽しそうに笑っていた。

「オマエを本気にさせるのはあの”刹那ちゃん”が鍵なんだ」
「気安く名前を呼ぶな!」
「ハハッ、良い顔してんじゃん!」

 こっちが怒ればあっちは笑う。それにも、クリスティアのことを口にすることにもむかむかしてくる。

「でもさー、ペナルティだから。オマエがはじめから本気出さないから、こういう話になってんだろ?」
「黙れっ!」
「あっぶねぇな」

 持っていた短刀を紫電の額めがけて投げた。が、軽々かわされる。何に対してもむかついて、舌打ちをして立ち上がり、走り出した。両手に短刀を生成して、斬りかかる。

「っと、オマエ殺す気だな」

 楽しそうに笑う紫電は大剣を生成し、その大きな刃で俺の攻撃を受け止めた。首を狙おうとしても、刃を盾にされて思うようにたどり着かない。

「ペナルティの内容、どうしよっかぁ」

 重い金属音が鳴り響く中で、紫電は悩む。いっそのことこの大剣ごと叩き折ってやろうかと突いて見るが、音を立てて弾かれた。

「一週間くらい恋人交換とか面白そうだよな。一ヶ月でもいいけど」
「おいその口切り刻んでやろうか」
「それは困るわ」
「っぐ……!」

 大剣を振り上げた隙に、懐に入り首めがけて斬りあげる。が、それは誘いだったようで、脇腹を蹴られた。勢いのまま横に吹っ飛ぶはずだった体は、頭を掴まれて制され、床に叩きつけられた。痛みなんてわからず、ただただ衝撃だけが体に響く。見上げれば、楽しそうな顔が俺を見下していた。

「とりあえず、オマエがものすごく苦しむ顔をして許してって言わせたいんだよね」
「随分狂った性癖をお持ちだな」
「受け継いじゃったんだよねー」

 面倒なもん受け継ぎやがって。
 紫電は俺を床に押し付けたまま再び悩む。目はクリスティアの方向に向けていた。正直殺意が沸くが、目を逸らしているならチャンスでもある。後で思い切りいたぶるとして、先にこの狂った口を黙らせたい。

 この距離なら外さない。睡眠魔術を、練り始めた。

 ただそれは、一瞬で終わった。
 紫電の、言葉で。

「オマエの目の前で、あの”刹那ちゃん”、傷つけてあげよっか」

「──は?」

 一瞬、意味がわからなかった。こいつが何を言っているのか、理解するのに時間がかかった。
 そのくらい、聞き入れたくなかったんだと思う。

 それなのに紫電は、俺に聞かせるように、また言った。

「だから、刹那ちゃん。オマエの目の前で傷つけてあげよっかって」

 にっこりと、そんな効果音がつきそうなくらい笑う紫電。

 それに、頭の中で、ぷつりと何かが切れた音がした。

「──!」

 気が付けば、俺はそいつの首を掴んでいて。

 けれど視界には、先ほど映っていたオレンジメッシュの男はいない。

 灰色の世界が、広がっていた。

「ふざけるな」
「っ、はっ」
「あいつを傷つけるなんて、許してたまるか……!」

 ギリギリと、手の力が強くなる。

 まだ、こいつには温かみがある。生きている。

 生きていたら、クリスティアが危ない。

「っ、──! ──っ!」

 口らしき部分が動いているが、聞こえなかった。

 聞く必要もなかった。

「このまま終わらせてやる──」

 目の前で、何度も体を貫かれてきたクリスティア。それを助けくて伸ばした手は、いつだって、届かない。

 それを、こいつは再現しようとしているから。

 仮にこいつが自分の発言を撤回しようとしていようが、命乞いをしていようが、関係ない。

 やることなんて、決まってる。

「──するだけ」

 あいつを、守るために。
 俺の世界から、あいつをもう奪われないために。

「目の前の、敵は」

 全て、排除するだけ──。

『君がいない世界に、意味などないから』/リアス