いつか出逢ったそのときは、あなたと手を繋いで歩きたい
たった一度のあなたとの思い出。
どんなにあなたが思い出すことはなくても。
きっとわたしは、ずっと忘れることはないのでしょう。
「…」
ぼうっと天井を見上げる。
木の板はぜんぜん豪華になんて見えないけれど。今のわたしにはなんでもきれいで、豪華に見える自信がある。
何故か。
「ふふ…♪」
大好きな人に、想いを告げられたから。
いとおしいと思う、なんて。あの人らしい言葉。それにはうなずいて返すだけだったけれど、自分なりにちゃんと想いを伝えられたと思う。
そうして、もう一つ。
村を出ようって。”四人”で。
両思いになれたことだけでも幸せでうれしいのに、これからも一緒にいられるっていうことがほんとうにうれしかった。
ずっと一緒にいられる。しかも、水女なんていうのがない世界で。
なんて幸せなことなんだろう。
幸せすぎて、リアスから想いを告げられた昨日から、一人になると口角が上がりっぱなし。
なんとかお母様とかの前では無表情保ってるよ。どうせ表情なんて気にしてないんだろうけども。
もし、ばれちゃったら。
迎えに来たとき、大変なことになっちゃうから。だから家の人がいるときは表情筋をがんばってる。
その反動みたいなので、
「♪」
一人のときは顔がゆるみっぱなしだけれど。いいよどうせ今家に一人だもん。お母様たちは外行っちゃえばしばらく帰ってこないからその間は顔ゆるみ放題だもん。
お迎えはまだかな。いつ来るんだろう。
早く、早く。一人っきりの家で寝転がったり、うつぶせで足ぱたぱたさせたりしながら、わくわくしてそのときを待つ。
今日かな。もしかして明日?
ごろってまた上を向いて、お迎えが来たときを想像して。
ゆるんだほっぺを、きゅーって両手で包み込んだときだった。
「……ご機嫌そう、です、ね?」
突然かけられた声に、ビシって体が固まった。
おっと?
これは?
ぎぎぎって音が鳴りそうなくらいゆっくり、ゆっくりドアの方に顔をあげると。
寝っ転がったまま顔を上げたから逆になってるけど。
「ぁ…アスティア…」
なんと我がお兄さまがいらっしゃるじゃないですか。
え、なんで??
「ぉ、かあさまたち、と…外回りじゃ…?」
若干口角が上がったままの状態で、聞けば。
「行ったんですけれど、今日は簡単なものだそうで。そんなに人数がいらないからと先に上がらせてもらったんです」
お兄ちゃんなのに堅苦しくそう言って、アスティアはわたしに礼をしてから家に入った。
アスティア。わたしの血のつながったお兄ちゃん。けれど昔から水女と世話をするお付き人って育ってきたせいで、お兄ちゃんはわたしに敬語だし、わたしもお兄ちゃんは名前で呼ぶ。
それはたとえお母様たちがいない、二人っきりでも同じ。兄妹なのに兄妹らしさがないのはもう慣れてしまって。そう、って小さくこぼして起きあがった。
「何か良いことでも?」
「…べつ、に」
なんて言いながらあまりの不意打ちに口角はまだ戻ってないんですけども。上がりっぱなしなんだけれども。戻れ口角。
「あの、お母様たちは…」
「まだしばらくは帰ってきませんよ」
ちょっとほっとした。今の時期は縁談がすごいから変にきげんがよかったりするとしつこく聞かれそう。息を吐いて、寝転がって乱れた髪を整える。
そして。
「…」
「……」
流れるのは、ただただ沈黙。
もう慣れてはいるけれど。さっきまでのふわふわ感もあってちょっと落ち着かない。
ひざを抱えて、そのひざに頭を乗せて。左を見たり、右を見たり。後ろでアスティアが着たものの片づけとかしてる音だけが小さな家に響く。
妙に布のこすれる音とか物を置く音が大きく聞こえる、そんな沈黙の中で。
「……最近」
「…?」
いつも通りのはずのそれを破ったのは、アスティアだった。
片づけの音よりも小さく聞こえた声に、後ろを向くと。
ちょっとだけ気まずそうだけれど、なにか言いたげな。水色のわたしとはぜんぜん違う茶髪の人。
「…な、に…?」
「……」
聞いたら、ちょっとだけ暗い茶色の目をうろうろさせて。
物を片す手は止めないまま、意を決したように口を開いた。
「……最近とくに、機嫌がいいなと、思いまして」
「…」
「ものすごく、というのは昨日あたりからだけれど」
わたしそんなにわかりやすかったかな。がんばってたんだけどな口角。なんとなくそれを言う雰囲気ではなさそうなので黙っておいて。
「…そう、かな」
ちょっとにごしてみるけれど。
「……変わったのは、もう五年くらい前になるのかな」
いつもと違う口調にも、アスティアが気づいた時期にも驚いて。
下がりかけてた目線をまたアスティアに戻した。
視線の先には。
いつもの壁があるような目とは違う。
初めて見る、やさしい目。
びっくりしながらも、口からはちゃんと聞きたいことがこぼれた。
「…五年、くらい…?」
「そう。……たぶん、森に行くようになってから」
その言葉を理解して、心がひやっとしていく。
ゆっくり歩いてくるアスティアが、こわい。
どうしよう。
あの人たちのおかげでこんなにも幸せに変わってきたのに。
もしも、あの人たちのせいだね、なんて言われて。
引き離されちゃったりしたら──?
一歩一歩踏み出してくるアスティアに、無意識に体が下がっていく。
もう少しでお迎えが来るってときに、これなの。
また、愛されない世界に──?
そう、思ったとき。
目の前に、アスティアがしゃがんだ。
どうしよう。でもどうしようもできなくて。
ぎゅって、目をつぶったら。
「……内緒だよ」
いきなり落ちてきた言葉に、つぶった目が思わず開いた。
言われた言葉は聞き取ったけれど、よくわからなくて。上を向くと。
さっきと同じ。やさしい瞳。
「…ない、しょ」
「そう。僕がこれから言う言葉は、誰にも内緒」
できる? って、やさしく言われたら。
今まで見たことのない兄らしさにびっくりして、うなずいてしまう。
それを見たアスティアはありがとうって笑って。
最初に、一言。
「……良い友達ができたんだね」
その言葉を理解して、今度は。ほんの少しだけ目が熱くなった気がした。
「水女なんてよくわからないものを押しつけられて、ずっと苦しかったのを、知っていたんだ」
「…」
「僕はそれを見ないフリをしていた。きっとたくさん遊びたかっただろうに」
ごめんねって言う言葉には、ゆるく首を振る。
「けれどここへ来て、問題とされている彼らと出逢って……あなたが少しずつ変わっていくのがわかったんだ」
やさしい言葉が、紡がれていく。
あるときから、毎日うれしそうに出て行くようになったこと。
帰ってきたときもどことなく幸せそうだったこと。
眠るとき、誰もが自分を見なくなる真っ暗な時間。ふと月明かりの下で、初めてわたしの笑顔を見たこと。
「……村では問題児だなんだと言われいるけれど……あなたを変化を見ていた限り、そんな風には思えなかった」
さすがに後を追ったりなんかはできなかったけれどねって、アスティアが笑う。
そうして、今まで見たこともないやさしいやさしい笑みで。
「……良い友達ができたんだね」
そう、改めて言ってくれて。
いつの間にか、涙と一緒に言葉がこぼれてた。
「…あのね」
聞いてほしいことが、たくさんあるんだよ。
「毎日が、つらかったの」
「うん」
「でもね、みんなが、みんなだけが遊んでくれた」
「……うん」
「周りの子たちが、兄妹と仲良くしてるのがうらやましくて」
ずっとずっと、こうして話してみたかった。
「初めてあいさつを気軽に交わしたの」
「そう」
「みんなが敬語を使わなかった」
「うん」
「初めて名前を呼んでもらえた」
「、うん」
「初めて友達ができてね、それで」
それでね。
「初めて、好きな人もできたの」
心から、ずっと傍にいたいって人が。
涙混じりで言った言葉に、目がうるんでるアスティアは驚いた顔はしなくて。
やさしい顔で、うなずいてくれた。
…ねぇアスティア。
あなたが内緒なら、わたしの今から言うことも内緒にしてくれる?
きっと聞いたらうなずいてくれることがわかったから、少しだけふるえる口を開いた。
「あのね、」
「うん」
「…わ、たし」
わたしね。
「みんなと一緒に、村を出ようと、思うの」
ふるえながら、流れる涙はそのままに。
「好きな人と、幸せになろうと思うの」
もう、いいでしょう?
たくさんたくさん、幸せになって。
思いをこめながらあなたを見たら、涙をこぼしながらうなずいた。
そうして、ゆっくり。手が伸びてくる。
その手は、ぽふって、頭に置かれた。
あぁ──。
あなたの手は、こんなにもあたたかかったの。
「……クリスティア」
あなたが呼んでくれる名前は、こんなにもうれしいものだったんだね。
「…うん」
にじむ視界の中で、それでもしっかりあなたを見た。
「今までごめん。つらい思いをさせ続けて」
けれど、
「もし、たった今、この瞬間だけでも、兄妹としていられたなら」
どうか。
「新しい世界で、たくさんたくさん、幸せになってほしいという願いを、受け取って欲しい」
あたたかい手は、ふるえていた。
ねぇ、アスティア。
もっとたくさん、あなたと兄妹らしくありたかった。
たったひとりの、血の繋がった兄妹だから。
でも、過去にはさかのぼれないなんて、知ってる。
だから、今だけは。
あなたと二人、かけがえのない兄妹として。
頭をやさしくなでるあたたかい手を取って、ほほに添えた。
「…はい」
ずっと、呼びたかった名前で、あなたに幸せを誓おう。
「──兄さま」
たった一度きり、生まれて初めて、あなたを兄と呼んだ大切な日。
あなたが初めて名前を呼んでくれて、頭をなでてくれた日。
きっとこの日のことを、ずっとわたしは忘れることはないのでしょう。
強く強く心に刻んで。
兄さまと二人、涙に濡れた顔で、笑いあった。
『いつか出逢ったそのときは、あなたと手を繋いで歩きたい』/クリスティア