君の痛みを知ることができるまで、”痛み”なんて感覚は俺にはいらない

  着替えるために上を脱げば、左胸の裏にあたたかい感触。 「……何?」 「いいえ」 いいえ、なんて言いながらも妹はそこを触る。 「寒いんだけど」 「えぇ」 「着替えさせてくんない?」 「着替えなさいな」 「お前が触ってるから着替えらんないんですけど」 悲しそうに触るから。 上に上がって、下に下がって。心臓部分にあるであろうその傷口を静かに辿ること、数回。 「カリナ」 「……」 そろそろ、と促すように名前を呼べば、その指が止まる。ぴたりとちょうど心臓を打ち抜くように添えられた指のまま。 「痛かった?」 そう、聞かれた。 それにはすぐに首を振る。 「別に」 痛いと言わないのは相変わらず。 でも本当に、この時期に刻んでいた傷だけは思い返しても痛くなくて。 「痛くなかったよ」 妹の指から逃れて、それを隠すように。ワイシャツを羽織った。   遠い遠い昔の話。 少しずつ争いが収まってきた時代の話。 たった一度だけ、愛する妹を殺しかけたことがあった。 何度繰り返したかなんてわかんない、いつもおんなじ結末。 最後の年になれば必ず体調を崩す妹。 何をしても救えなかった。 どんなに薬を作っても、どんなに民間療法を試しても、何一つ効かない。 その最期が訪れるのが十年に一度っていう長いのか短いのかわからない歳月でも、何十回、何百回続けば心もボロボロになっていく。   それはもちろん、俺だけじゃない。 「もういらないわよっ!!!」 病気と闘ってるカリナが一番、心がボロボロだったと思う。 声を荒げた妹は差し出した薬をついにはねのけた。 手から落ちていった薬の瓶は下で割れて。ほんの少し薬草っぽい匂いが部屋に漂う。 「カリナ」 「いらないっ!!」 「飲んでみないと」 「効かなかったじゃない!!」 何を飲んでも、何をしても。 頭を抱えて嫌がるカリナに、心が痛い。 ふつうのヒトにしてみたらたったの約三ヶ月。 けれど本人にしたら地獄のような三ヶ月。 体はどんどん重くなって、動かなくなって、息も浅くなって。 けれど薬は飲めと言われて、こんなことをやってみよう、あんなことを試してみよう。 まるで実験台のような気分だったのかもしれない。 ここ数回の人生で、カリナは声を荒げることが多くなった。 それに心はもちろん痛い。 けれど、俺もいっぱいいっぱいだったんだろう。 最初はごめんとしか出なかったのに、途中からは不満が溜まっていっていたのがわかってた。 「少しでも良くなるかもしれないだろ」 「そう言って何も変わらなかったわよ!!」 「カリナ」 「もう出て行ってっ!!」 「っ」 投げられた枕が顔にぼすっと当たる。床に落ちていったそれを見届ける前に今度は本。 次々と物が投げられ始めて、仕方なく落ちた瓶を拾って外へ出た。 「……」 それなのにドアに向かって音を立てながら延々と物を投げられていることに、いらいらした。   なんで。 なんでそんなに嫌がるんだよ。 何が不満なんだよ。 俺だって救いたいからいろいろやっているのに。 お前に元気になって欲しいからこうやって、すべての時間を費やして調べて、薬も作っているのに。 手のひらにあるガラスなんて気にもせず強く拳を握りしめる。   痛みなんて感じない。   血が滴るのも気にしないまま、未だに物を投げつけられてるドアに寄りかかってしゃがむ。 「お前はどうやったら楽になって、何が満足なの」 元気になることを望んでるんじゃないの? どうやったらお前の心は楽になるの。 「……お前じゃないんだから、俺はわかんないよ」 頑張れば頑張るほど妹はおかしくなっていく。 それを見るほどに、看続けていた俺もおかしくなっていった。   「……違う」   何が足りない? 「これも違う」 妹には、何が足りない。 「これもっ」 違う。 並べられた本に書いてあることすべてが違う。 「違う、全部違うっ」 どれも試した、知ってるものばっかり。 いらいらして、どうしようもできなくて。机に並んでる本を押しのけて床に落とした。 「何が原因なんだよ」 調べても調べても、一致するものがない。 「何をすればいい」 何をすれば。   カリナは救われるの。   なんであいつだけ苦しい。 なんであいつばっかり痛い。 どうやったら、 「どうやったらカリナは楽になれんの」 わからない。 俺はカリナじゃない。カリナの痛みがわからない。 カリナの痛みがわかれば原因もわかる? そんなよくわからない考えが落ちてきたら、いつもなら「違う」って思うはずなのに。今だけは「そうだよ」って心が頷いて。 それに支配されるように目が動いて映ったのは。 いつも材料を切っていたナイフ。 無意識に、手が伸びてた。 「泣き叫ぶくらい痛ければ、少しはわかるかな」 右手でぐっと柄を握りしめて。 ぼんやりとしたままそれを、左手に振り下ろした。 「っ」 ずきずき痛みが走る。けどそこまで、カリナみたいになるほどじゃなかった。   じゃあもっと?   毎日毎日やっていけば、何か変わるかな。 いつか救えるその日まで。 そっと口角があがって。 再び、その刃を左手に振り下ろした。   けれどその痛みは、案外早くなくなっていった。   毎日のように自分の体に刻む傷。痛いはずなのに、痛くない。 「……なんで」 カリナみたいに泣き叫ぶような苦しさがない。 息苦しさもない。呼吸も浅くならない。体が重くもならない。 自分に傷を刻めば刻むほどカリナがわからなくなってく。 わからないと薬も作れない。対処もできない。 けれど刃を突き刺しても痛みがない。 「これじゃあ、」   カリナが楽になれない。 どうやったら楽になる? どうやったら笑ってくれる? ベッドに眠る妹は今日も泣き叫ぶだけ。 明日の話も、今日の話もしてくれない。 どうやったら。 俺はカリナのことをちゃんとわかることができるの。 流れる血の中で答えを探す。 すべてを分け合って生まれたはずなのに、肝心なところだけ答えがない。 日に日に焦りが増す。 焦って、傷も増えて、作る薬も増えた。 その分カリナが嫌がることも、泣き叫ぶことも増えた。 毎日がわからなくなってく。   答えが欲しい。 カリナが楽になる答え。 ただそれだけを考えて、地獄のような三ヶ月を何度も繰り返した。   その答えが出たのは、変わらず傷も薬も増えていったとある最期の日だった。 あれ以降何回繰り返したのかはわからない。 ただカリナの笑顔が普段からも少なくなったのは確かで。 「……いらない」 薬と治らない体に衰弱しきった妹は朝、ついに食事を拒んだ。 ぼんやりとした目の妹の前に、もう一度食事を差し出す。 「……今日で最期だろ。食べれば」 「……最期だから、別に食べなくてもいいです」 どうせすぐ死ぬんだから。 言われた言葉に、ガツンと頭が殴られた気がした。また救えなかったと突きつけられた気がした。   救いたかったのに。   薬草も変えて、調合も変えて、何度も何度も変えて、頑張ってきたのに。 けれど目の前が現実で。 結果は出せず、妹は息も絶え絶えで脈も弱い。 そうして妹を見送った後に何かしら起こって、俺もすぐに死ぬ。   変わらない結末。 どうしても救えない? どうしても、ここから彼女が昔みたいに歩き回ってみんなで遊ぶことはできない? 何か。   何か──。 「れぐな」 「!」 ぐっと拳を握りしめたところで、カリナが弱々しく俺を呼んだ。彼女を見れば、まるで昔のように。今までのヒステリックが嘘のように微笑んでた。 あぁ久しぶりに見たなと安堵して、俺も穏やかな声で応じる。 「なに」 「……」 苦しいのか、妹は微笑んだままほんの少しだけ黙った。ゆっくりでいいよと言うように手を撫でながら促せば、俺の傷だらけの手に妹の手が重なって、口がそっと動く。 「、っと……」 「ん?」 「ゃ、っと……」   やっと、らくになれるね。   ぼんやりとした目だけど、はっきりと俺を捉えて小さく呟く。 その言葉を聞いた瞬間、体はふっと軽くなったのに対して頭は混乱した。   ──楽になれるって、何? カリナが答えを言った。 ずっと探してた答えなのに、今の俺の頭は理解できてない。 「カリナ」 「……」 「ねぇ」 けれど聞く間はなく。言い切った彼女の手がどんどん冷たくなっていくのがわかった。 「カリナ」 「……」 応答はしない。 脈にそっと指を置いたら、もうほとんど反応はしなかった。 結局救えなかったと突きつけられながら、自分に迫り来る死の間際に考えるのは、カリナの今世の最期の言葉。   らくになれるね。 すごく穏やかな微笑みでそう言った。 楽になれるってなんだろう。 カリナが楽になれる? ずっと探し求めていた彼女が「楽になる」方法。 「カリナが、楽に……」 ぐらっと揺れた地面に自分の死を感じて反射的に妹を強く抱きしめて、また考える。 ”今から”楽になれるね。 彼女が言ったのはたぶんそういうこと。 そのときカリナに訪れていたのは? 「……」 見つけた答えは、すとんと心に落ちてきた。 きっと今までだったら絶対に選ばない方法だと思う。考えもいないし、冷静だったなら「それは違う」って即座に否定していた。 けれどいっぱいいっぱいになってた自分は。 「……そういうこと」   崩れてくる家の中で、久しぶりに口角を上げていた。   次の人生では、カリナに治療を施さなかった。 「……薬とか、いいんです?」 「うん」 それを話したときはやっぱりカリナは驚いていた。目をぱちぱちと瞬かせて、小さな親友よろしく首を傾げる。それには肩を竦めて笑った。 「ずっと薬漬けだったし、今までのも効果はなかったじゃん? たまには”何もしない”っていう治療もありかなと思って」 どう? と聞けば。 本人としてはやっぱりYES。薬漬けに参っていた妹はみるみる顔を綻ばせて。 「うんっ」 嬉しそうに、頷いた。   そうして、昔みたいにカリナの”やりたい”や”行きたい”をとことん叶えていった。 元気なときは手を繋いであっちこっち連れ回して。 体調を崩してからも、前はだめだって行った場所も、やりたいことも。全部叶えた。 桜が見たいと言われればカリナをおぶって満開の桜の元へ行ったり。 あれが食べてみたいと言われれば朝早くから並んで買いに行ったり。 「おいしい?」 「とても」 ベッドの中にいてもここ最近の荒んだ状態とは違って、妹の笑顔は昔みたいに幸せそうで。 笑う彼女に俺も釣られて顔が綻ぶ。   人生の終わりが近づいているのに、初めて毎日が幸せだった。   確かにカリナは日に日に体調を崩していく。よく気持ちで病気も治っていくこともあるって言うけれど、カリナの今の病気は発症自体が特殊だからそこは当てはまることはなく、きっちりと言うほど最期の日に向けて体は衰弱していった。 けれど表情も、気持ちも。体に負けてないって言うように元気だった。 「……クリスが、遊びに、来てくれたの」 「そう」 「二人で、おかし、食べてね」 「おいしかった?」 「……とっても」 親友との時間も前以上に楽しそうで。 「明日も、遊びに来て、くれるって」 「そう」 昔みたいに今日や明日の話をしてくれる。 「毎日楽しい?」 「とっても……」 その幸せそうな声に微笑んで、心が満たされながら終わりに向けた部屋の整理を続ける。   前はカリナの気持ちがぜんぜんわかんなかったけど、最近はよくわかるようになった。 毎日が楽しい。 親友たちと過ごせるのが幸せで、昔に戻ったみたい。   悔いがないくらい、幸せ。 今だったなら──。 そうよぎった、どちらかもわからない考えに口角を上げて。 もう使わなくなるだろうと、たくさんの治療薬についてまとめた本をゴミ袋に捨てた。   そうして迎えた最期の日。 「カリナ」 やっとこの日が来たと、笑みをたたえて彼女を呼ぶ。もう衰弱しきってる妹はそっと目だけを俺に向けて、視線で「なぁに」と聞いてきた。 ご機嫌な俺に安心してるのか、それともこの人生が幸せだったのか。カリナの口角は少し緩んでる気がする。 それにまた微笑んで、カリナの頬に触れた。 「また、最期の日が来たね」 ベッドで横たわってこくりと頷く妹に言葉をこぼしていく。 「俺さ、ずっとカリナが楽になる方法探してたんだ」 「……らく、に」 「そう」 どんな薬を飲ませても治らない。 どんな療法を試しても一向によくならない。 「どうやったらカリナの体は楽になるんだろうって」 「……」 ずっと悩んでいたけど。 「やっと前回、答えを見つけたんだ」 妹の目はまっすぐ俺を見る。 まるでわかっているかのように微笑んでいる彼女に、告げた。 痛いも辛いもなくなるたったひとつの方法。   「俺がカリナを楽にしてあげればいいんだって」 カリナの人生を終わらせてあげれば、カリナはもうこんな辛い思いしなくて済む。 昔願った、四人での「明日」は考えてなかった。 カリナを楽にしたい。カリナの辛い姿を見たくない。 ただそれだけの気持ちでいっぱいだった。 けれどどこか冷静で。 契約で最期の日まで死ねないのだから最期の日に決行しようと決めていた。カリナが死ぬ前に、俺が。 「でも大丈夫カリナ。寂しくないよ」 そっと首裏に手を回して、彼女を抱き上げる。 「俺も一緒だから」 独りにはしないというのも、自分の中の決めごと。 「一緒に生まれたのに、死ぬときが別々なんて悲しいじゃん?」 カリナを抱きしめて、俺がベッドヘッドに寄りかかれるように座る。壁と自分の間は開けたまま。 少しずつ少しずつ体温が低くなっている気がする妹と額を合わせて。   「一緒に死のうね」 自分の心臓の裏に、ナイフを呼び出した。 もっと冷静だったなら、この位置じゃ妹の心臓には刃なんて刺さらないとわかったんだろうけど。 最期に顔が見れないなんて、悲しいから。 向かい合わせで、そっと自分の心臓裏に刃をあてがう。 怖くも何ともない。カリナが一緒なんだから。 愛しい妹の目をまっすぐ見ながら、口角を上げて。 迷い無く、ぐっと体を沈めていく。 相変わらず痛みは感じない。 ただただ刃が入ってくる感覚があるだけ。 カリナはもしかしたら痛いかもしれない。最期に泣き叫ぶかもしれない。 けれど痛いのはもう終わるから。 大丈夫。 誰に言い聞かせてるのかわからない中で。 刃をさらに押し進めた、とき。   「──」 そっと耳元で呟かれたのと、こつり、体の内部で何かにぶつかって痛みを感じたのは同時だった。 妹の言葉よりも自分の体の中の衝撃に驚いて、意識はそっちに向く。 「な、に」 ぐっと押し進めてもそれ以上刃が進まない。少しだけ勢いをつけて押しても痛みがあるだけで、こつんと音を立てて阻まれる。   なんで。 なんで進まない。 なんで今になって痛みが出る? 「なんでっ」 混乱するほどにジクジク痛みが増す。 頭が切り替わって、それから逃れるように一気に突き刺すように動くけど。 「っ」 痛みが増すだけで、やっぱりこつんと音を立ててそれ以上は阻まれた。 なんで阻まれてんの。まさかセイレンが自殺防止に結界張ってた? でも生界に落ちてった子たちの干渉はできないはず。じゃあなんでこんな、壁があるみたいな。 わけがわからないまま顔を上げたら。 「……!」 悲しそうな妹と、目が合って。 ふるりと首を横に振ったように見えたのと同時に、視界も、体も揺れた。 それが地震だと知って、すぐさま妹を抱きしめる。 そこでやっと、気づいた。 「……」 揺れた衝撃でずるりと落ちていった、きっともう死を迎えているはずの彼女の右手が、俺の左胸に添えられていたこと。   彼女が俺の死を阻んだこと。 「……カリナ」 揺れる中で、ただただ妹を強く抱きしめる。 「死ぬのが、”楽になれること”って……言ったじゃん」 やっと楽になれるねって。 「死にたかったんじゃ、ないの」 もうやめたいんじゃないの。   最期に言った、”痛いね”って、何。 顔をしかめるほど痛かったのに、わからなくなってくほどに心臓裏の痛みは引いていった。 カリナは痛かったの? まだ刃も刺さってなかったのに。 じゃあ何が痛かったの。 教えてよ。 「……俺別に、痛くなんてないよ?」 言いながら、頬に何か流れていくのを感じる。それがなんなのかはわかんないけれど、痛くないのは本当。 だって俺なんかが痛いって言ったらどうなるの。 カリナはもっともっと痛いのに。 俺が”痛い”って言っていいときは──。 揺れる中で、冷たくなった愛する妹を離さないように折れるくらい強く抱きしめる。   「……まだ、足りない」   聞こえていないことはわかっていながら、小さく呟いて。 揺れる衝撃で、その短刀が心臓を突き抜けてきた感触を感じながら、その人生で眠りについた。 ♦ 最期のときが近づくと、体の感覚がおかしくなる。 「レグナ、血…」 「ん?」 妹の治療薬を作る手伝いをしてくれてた小さな親友が、ひんやりする体で俺の手に触った。 言われて見てみれば結構な量が手の甲からあふれてる。 「なおそ?」 「うん」 頷きながらもとくに気にもとめず。先に薬の調合の方を終わらせるために試験管の方に向いた。 「れぐな」 「んー?」 また彼女は大好きな紅に引き寄せられるように近づいてきて、俺のそこに触れる。 あふれてるそこをなぞるようにして。 「いたい?」 小さな声で、聞いてきた。 それにはやっぱり、首を振る。 「痛くないよ」 こんなの痛くない。 たかだか手の甲切ったくらいだろ。 痛くない。 だって。   「痛みなんていらないだろ」   試験管をまっすぐ見ながらこぼした言葉には、「そう」って。 どこか悲しそうな声が、返ってきた。     『君の痛みを知ることができるまで、”痛み”なんて感覚は俺にはいらない』/レグナ

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