鏡に映るあなたへ。閉じこめた世界の中で、今度こそ一緒に笑おうね

”まるで鏡合わせみたいだね”。

大好きな兄は昔そう言った。

見つめ合えば同じ色の瞳が合う私たち。性別は確かに違うけれど、顔を合わせればまるで鏡に映る自分のようだった。

私が笑えばあなたも笑う。
あなたが笑えば私も笑える。

ねぇ、それなら──。

 

 

 

「……」

目を開ければ変わらない景色。景色なんて言うにも乏しい同じ光景。
木の板がきれいに並んでいる天井。

毎日起きている間のほとんどは、それしか見えない。

体は重くて、息も苦しくて。だんだん動かなくなっていく体に恐怖を感じながら生きる九十日間。

身体的にも精神的にも、地獄だった。

たったの三ヶ月。
生界にいるうちの三ヶ月間の地獄。

短いはずなのに、楽しく過ごしていた七年九ヶ月よりも長く感じる。

最初は治そうとただただ必死だった。

レグナが作ってくれた薬を飲んで、試そうと言ってくれた民間療法も頑張って。

クリスティアやリアスと四人でまた楽しく話したり遊んだりするために、死にものぐるいで病気と闘っていた。

 

けれど変わらない体に、運命に。心がすり切れていってしまうのも確かで。

 

「カリナ、薬」
「……」
「少し調合変えてみたんだ。前より飲みやすいかも」

差し出された緑色の飲み薬を見ながら、ぼんやり思ってしまう。

また、効かないものを飲むの。

ぱっと流れていった言葉にすぐに我に返って、心の中で首を横に振った。

そんなこと思っちゃだめじゃない。せっかくレグナが頑張って作ってくれたのに。

自分の時間を費やして、私なんかのために。

そう、だから効かないなんてことはない。

自分に言い聞かせて差し出された薬を手にとって。

「ありがとう、ございます……」

少しずつ笑うのが辛くなっている体でなんとか笑って、苦い薬を飲み込んだ。飲みきってもまだ苦みは残るけれど、大丈夫。

これで治る。
これでちゃんと終わる。

毎回毎回心に言い聞かせていく。

言い聞かせていく度に。

 

うそつき。

 

自分の心の中で、もう一人の私が言った気がした。

 

 

「カリナ」
「……」

差し出された薬はきちんと飲んでいった。
変わらずレグナが探してきてくれた療法も試して、動けるときはまた歩けるようにリハビリのようなものをして、未だ苦い薬を飲んで。

八年の内の九十日間。
毎日毎日、何年も何十年も繰り返し繰り返しその生活を続けていって。

差し出される薬に、治療法に、段々と嫌気がさしていった。

嫌な言葉が聞こえる度に心の中で首を振っていたはずなのに、今では受け入れてその薬を睨みつける。兄の声に耳を塞ぎたくなる。

「カリナ、体あっためるといいって」

感覚だって少しずつわからなくなってきてるのに、やれって?

「この薬、この症状に効くかもしれないんだ」

また効かないかもしれないじゃない。

「今日はこの薬試してみよう?」

試してみようって、なによ。

 

私。

 

私、実験台なんかじゃないわ。

 

 

そう思ったら、目の前の薬を弾き返していた。

「いらないっ!!」
「カリナ」
「もういらないわよ!!」
「飲んでみないと」
「効かないじゃないっ!!」

何もかも。
なんだって試したじゃない。

あなたの言うこと全部。

それでもこの何十年、何百年。

「ずっとずっと治らなかったじゃない!!」

思い切り枕を投げつける。
鏡合わせのような瞳が出てくる前にほかのものも投げつけてレグナを部屋から追い出した。

それでも何度も何度もものを扉に投げつける。
入ってこないように。もう嫌だと子供のように。

こんなことがしたいわけじゃない。当たりたいわけじゃない。

でもね、もう薬なんて飲みたくないの。わかってよ。
治らないのに、こんな実験台みたいなことこれからも続けていくの? そんなの嫌。

どうしてももう嫌で嫌でたまらなくて。

レグナの足音が遠ざかっていくまで、何度も物をドアに叩きつけた。

 

 

「……カリナ」
「……」

それでも変わらずにレグナは薬と療法の話を持ってきた。

こんなのがあるよ、こういうのはどう。

毎日毎日。

レグナが来る度に背中を向けて、耳を塞ぐ。

聞きたくない。
飲みたくない。

もうこんな生活嫌。

早く早く時間が過ぎて、夜になればいい。
夜になったら一人で静かに眠れるから。

どうか、早く。

強く強く、願う。

頑張ってくれているのに。こんなこと思っちゃいけないのに。
どうしても兄が煩わしく思ってしまって。

 

「……カリナ?」
「……」

 

兄がやってくれば、すぐに布団をかぶるようになった。
見たくないと言うように、力が出づらくなっている体にむちをうって必死に抵抗をして。

いつからか鏡のようにそっくりな兄の姿を見ることがなくなっていた。

「……置いとくよ」

それに心が痛まないわけではないけれど。
兄も察しているのか、無理矢理布団をはがすことはしなくて。軽く声を掛けてから反応がなければことりと何かを置いて、すぐに部屋を出て行った。

「……」

足音が遠くなっていったのを確認してから布団から顔を出せば、目の前のテーブルにぼんやり見えるのはパンと薬の入った瓶。
昔よりも透明になって苦さがなくなっているように見えるけれど、やっぱり飲みたくはない。

どうせ効かないじゃない。

兄がどのくらい寝ないで調合をしているかも知っているはずなのに。
その頑張りだって無駄にしてしまうくらい回復に向かわない私の心の中は嫌な声ばかり。

そんなネガティブな心に支配されていってか。

 

決まった死に向けて少しずつ体調が悪くなっていくはずが、妙に不調が加速していった。

 

「……?」

最初の異変は、目。

朝起きる度に、目の調子が悪くなってる。

 

「カリナ?」

その次は、耳。

兄の声が日に日に遠くなっていった。

 

呼吸もいつも以上に苦しい。

こんなこと前まであったかしら。記憶の中を探ってみるけれど特にない。

毎回病状は変わったりするけれど、こんな風なのは初めて。

聞きたくない、薬なんて飲みたくないって思いが通じたのかしら。体が治って欲しいというのは叶えてくれないくせに。

ただ、見えないのも聞こえづらいのも。なにもかもが煩わしかったから心地よくて。兄の声もあまり気にならないし薬を見ることもないし、もう隠れることなんてせず。ほんの少しだけ心穏やかにぼうっと見えづらい天井を見上げるようになった。

そんな私は端から見るとどうだったのかわからないけれど。

「……今日、天気良いよ」

兄は少しずつ、薬以外の話をするようになった。

今日はこんな日だよ、気温は暖かいよ。
こんなことがあってね。

まるで昔自分がしていたように、今日の話や明日のことを話すようになった。

今日は薬の材料取りに行ってね。

そういえばこういう花が咲いてたんだけど、知ってる?

きれいな湖があったよ。今度見に行こう。

今まで話までもが薬漬けだった分、兄がし始めた話は新鮮で。遠く聞こえる声に耳を傾けて。

小さくなった声で「そう」と返しながら少しだけ自分の顔は微笑んでいた。

 

けれどそれは、日に日に疎ましくなっていった。

 

体は毎日重くなって呼吸は辛い。
目もどんどん見えなくなるし、音も聞こえなくなってくる。

最初は心地よかったはずなのに、日に日に恐怖が増していった。

大好きな兄や親友たちの顔もぼんやりとしてきて。

「カリナ」

声も耳元で喋ってもらって、ようやく聞こえるくらい。

なにもかもが見えなくなってくる。

なにもかもが聞こえなくなってくる。

 

私が望んだのはこんな怖い世界じゃない。

 

もっと、明るい、みんなと一緒の世界だったはずなのに。

どうしてこうなったの。
どうして私は一人、こんなところにいるの。

理由を探してゆったりと首を動かせば、もうほとんど見えない目に映るのは。

 

きっと、自分。

 

聞こえなくなってきてる耳にちゃんと届くように耳元にいて。

 

そうして言うの。

 

「今日は桜草が咲いてたよ」

 

──あぁ。

 

 

あなたがすべて盗っていったの。

 

私のすべて。

目も耳も全部全部。

昔何かで読んだことがある気がする。鏡の中の自分がすべてを盗っていくお話。

そうして本体は力を盗られて、最終的には入れ替わる。

「それでね──」

あなたも。

「すごくきれいだったよ」

あなたもそうやって、私と入れ替わるの?

あなただけ、思い出を刻んでいくの?

 

だめよそんなの。

 

そう思ったら、重い手が勝手に伸びていった。

「カリナ?」

ぐっと胸ぐらをつかんで、息をめいっぱい吸い込んで。

 

願う。

 

「返して」

 

私の体を返して。

 

息をのんだような音が聞こえた気がしたけれど、口が止まらなかった。

「返してよ、私の体っ……あなたがどんどん盗っていってるんでしょう……?」

私の体が動かないのも、目が見えなくなっていくのも、耳が聞こえなくなっていっているのも。全部。

あなたが盗っていったんでしょう。

「ねぇ」

もう奪っていかないで。

「桜草が、きれいだというのなら……その目をちょうだい」

私だって見たいわ。

「あなたの耳をちょうだい」

大事な親友たちの、大好きな兄の声をちゃんと聞こえる耳を。

花の匂いがたくさん吸い込めるような肺を。

みんなで歩いていけるような体をちょうだい。

 

ねぇどうして。

 

「どうして私だけ一人、歩けないの?」

どうしてみんなと同じようにいかないの。

どうしてあなただけ、鏡の中を抜け出して勝手に歩いていくの。

鏡合わせだったじゃない。

「鏡合わせは一緒じゃないとだめじゃない」

あなたが歩けるなら私も歩けなきゃ。

あなたが聞こえるなら私も聞こえなきゃ。

 

私が見えないのなら。

 

「あなただって見えちゃだめよ」

 

見上げた先にいる同じ顔のその子の顔は、もうはっきりとは見えない。

どんな顔してるのかしら。
今の私みたいに笑ってる?

それとも──。

「……カリナ」

遠く遠くで聞こえた声は、どことなく悲しげな気がした。

そっと目元に触れた暖かい何かは、震えているよう。

じっと見つめていたら、目の前のヒトがそっと笑ったように見えて。

「カリナが欲しいなら、全部あげるよ」

遠く、小さな声でそんなことを言った。

耳も、肺も、腕も足も、目も、全部。

それが嬉しいはずなのに。

自分の顔が笑っているはずなのに。

目元からは、妙に暖かい何かがあふれているのがわかる。

「……ぜんぶ?」
「全部」
「そう……」

じゃあ、今すぐにね。
そう言おうと思ったのに、妙に言葉が出てこなくて。

どうしてもつっかえてしまって、諦めて代わりの言葉をこぼす。

「死んだら、ちょうだい」

この人生が終わったら、あなたが見てきた世界を私に見せて。

「桜、草が、きれいだったんでしょう?」
「……そうだよ」
「花の匂いも、たくさん嗅いんでしょ?」
「うん」
「クリス、やリアスと……」

レグナの声。

「たくさん、聞いた?」
「……聞いたよ」

じゃあそれを。

「終わったら、ちゃんと、見せてね?」

何故か震える声でこぼしていけば。

また目の前のヒトが笑った気がした。

「いいよ」

全部あげるね。
遠くで聞こえた声と一緒に、あったかいものに抱きしめられる。

約束だよって言えば、こくりと頷いた。

それに顔がほころんでいくのを感じながら、心の中の自分が願う。

もう見えなくなった鏡よ、鏡。

たくさんの物が見たいの。

たくさんの思い出が見たいの。

クリスやリアスの声が、大好きな兄の声が聞きたいの。

また「鏡合わせだね」って、笑った顔が見たいの。

そうしたら私もまた、笑えるから。

早く帰ってきてね。

 

帰ってきたら、そのときは。

 

そっと微笑んで。
あたたかな温もりを抱きしめた。

 

 

 

新たな人生が始まってすぐ。

預けられた家に行けば、一緒に住むはずだった兄はもういない。

義母に聞けば知らないの一点張り。

義父に聞いても知らないの一点張り。

誰に聞いても鏡の行方は誰も知らない。

「……また一人で歩いて行ったの」

小さくこぼして、こつりこつり。廊下を歩いていく。自分の部屋へと行く途中でほかの部屋も見るけれど、やっぱり。

鏡はいない。

「……だめじゃない」

だめじゃない。
一人で歩いて行ったら。

「どこにいるのかしら」

見つけてあげなきゃ。

 

一人じゃ笑えないでしょう?

 

私が笑わなきゃあなたは笑えない。

私もあなたがいなきゃ笑えないの。

鏡合わせだものね。

 

合わさって、初めて笑えるようになるの。

だから一緒じゃないとだめなのよ。

一緒にいて、笑って。大好きな親友たちに囲まれて。

 

そうして今度こそ。

 

「今度こそちゃんと笑いあおうね」

幸せだって笑いあって人生を終えようね。

そのためなら私。

なんだってするわ。

すっと見据えたのは今はいない鏡のヒト。

大切な誰かが言ったはずの笑い方を忘れてしまったけれど、一瞬見えた気がしたあなたにぎこちなく微笑んで。

 

 

「待っていてね」

 

こつりこつり。かかとをならしながら部屋へと急いだ。

『鏡に映るあなたへ。閉じこめた世界の中で、今度こそ一緒に笑おうね』/カリナ

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