また逢う日までFirst 本編先読み March

恋人の記憶消去に小さな謎が出始めてから約四ヶ月。
疑問が増えたり、考え方を改める必要があると発見したり、様々なことがわかった四ヶ月だと思う。

その四ヶ月間。

「……」

俺はただただそれを見つけただけで、いっさい何も行動を起こしていない。

「リアス様ー」
「うん?」

本日の学校を終えて夜、恋人と過ごす時間。
小さな恋人は何かを手に持ってソファに座る俺の膝へとちょこんと乗ってくる。ご機嫌そうなふわふわとした雰囲気に顔を綻ばせながら背を支えてやり、彼女の言葉を待った。

「ホワイトデー…」
「あぁ」
「バレンタインのお返しー…」

そう言って俺に渡してきたのは。

今年に入って四人で育てた、白いアネモネの花。

色の言葉は「期待」と「真実」。花自体の言葉は、

”あなたを愛しています”。

カリナがクリスティアのため、そして恐らくは俺の為にも選んでくれた花。普段なら、嬉しさで顔に出はしなくとも舞い上がっていただろう。別に今舞い上がっていないわけでもないけれど。

嬉しさだってある。けれど半分ほど。

己の情けなさが自分を襲ってくる。

彼女は口では言えない愛の言葉を自分なりに頑張って、こうして花に想いを乗せて伝えてくれているのに。

恋人だけじゃない。
周りの奴らだって、俺達に合わせていろんなことをしてくれているのに。昨日の道化達のように、俺が苦手な物を食べなくて済むように動画で製造過程を撮ってきたり。楽しめるように人混みや怪我がないようなことをしてくれたり。

それなのに自分は忘れられるかもしれないという、あくまで可能性の恐れでこの四ヶ月何も進めていない。

本当に情けないと思う。

「……」
「リアス様ー…?」

花を見つめていれば、クリスティアがひょこりとのぞき込んでくる。思ったような反応でなくて心配になったんだろう、その目はほんの少し不安げで。

「…足りない?」

大人な彼女に気まで使わせてしまう始末。もしもこれを自分が客観的に見れたなら、その場で自分を殴りたくなるくらい情けなかった。
ぐっと歯を噛みしめて、首を横に振る。

「……十分足りている」
「…」

小さくこぼせば、視界から少女の顔が消えていった。
花を見つめたままでいると、今度は彼女の手が動く。

俺にアネモネを持たせて、片手では俺の手を握って。
頭部に冷たさが来たのでもう一方が俺の頭に触れたとわかった。

「大丈夫」と聞かれるように優しく撫でて来る手。それに頷いて、花を潰さないよう気をつけながらゆったりと体をクリスティアへ傾けていった。
肩に額を預けて、撫でてくる手を受け入れる。

「……」
「…」

俺に少し体重を掛けてくるクリスティアは、特に何か聞いてくるでもない。ただただ優しく、俺を撫で続けるだけ。

きっとこのまま何も言わなくてもクリスティアは許すんだろう。「もう大丈夫?」と微笑んで聞いてきて、頷けばただただ「そっか」と言う。俺が「もう少し」と言えば「わかった」と受け入れるんだろう。

甘えすぎだなと、思わず自嘲してしまった。

いつだってクリスティアは一歩大人で、大事なときは必ず空気を読んで。相手に合わせて行動する。

いつの間にかそれに甘えて、一歩踏み出すことをしなくなっていたかもしれない。

「……」

クリスティアはいつだって頑張って愛を伝えようとしてくれているのに。
恋人の肩越しに、もらったアネモネに目を落とす。

何よりも言いたかったであろう愛の言葉。けれど一度も言うことができないその言葉。

それを、彼女はどんな思いで物に託すんだろうか。

本来は伝える手段であった愛の行為も、忘れてしまったとは言えどできなくなって。

一般的な”愛を伝えるという行為”を奪われてしまった小さな恋人は、どんな思いで。

この一輪を、俺に渡したんだろう。

どうか届くようにと願う傍らで、自分の口で言えないことを悔やんでいることを、誰よりも知っている。

それでも小さなヒーローは自分なりに立ち向かっていく。

いつだってたった、独りで。

「……」
「?」

けれどいつもその辛さも、戦っている姿も見せることはなくて。
こうして体を少し離して見れば、一瞬不思議そうな顔をしてから。

「♪」

俺を捉えて、ただただ幸せそうに微笑んで抱きついてくる。小さな幸せを噛みしめるかのように。

たくさんの記憶を覚えていたいからと氷魔術だけに特化して冷たくなってしまった、小さな少女の体を抱きしめる。

この愛しい少女に、返せるもの。

ひとつは、言葉。

「クリスティア」
「ん」

強く強くクリスティアを抱きしめて。

「俺も愛している」

花の返事を贈る。
顔を見なくても微笑んでくれているんだろうというのは、彼女からの抱きしめる力が強くなったことでよくわかった。

そしてもう一つの、返せるもの。

「…!」

そっと離れて、体を少し持ち上げてやる。

「なーにー…」
「膝立ち」
「?」

首を傾げながらもクリスティアは言われたとおりに膝立ちをして、俺の肩に手を置いた。

少し見上げる形になるクリスティア。その少女の目を見てから、花を持っていない右手でクリスティアの左手を掬う。

冷え切った指先に、近づいて。

「っ?」

そっと、口づけを落とした。

びくついたのを見て一度見上げれば、怖さはないんだろうが驚いてはいる様子。

「な、に…」
「……」

戸惑った声に、また手に目を落として。

「お返し」

こぼして、手の甲にキスをする。

「ホワイト、デー…?」
「いろいろ」
「いろいろ…っ」

行動療法をするときと同じ手順で、腕に上がっていき。彼女が落ちないように支えながら二の腕や肩に唇を落としていく。

「、んっ」

いつもより気持ち早めに左の肩まで行き。

「右」
「んぅ」

そっと差し出してきた右の指先に、リップ音を立てながらキスをする。ちらりと見上げた先のクリスティアに恐怖はなさそうだった。
やはり下からなら平気なのかと確認しつつ、手の甲や腕へと上がっていく。

上がっていく最中で、少しだけ心拍数が上がっている気がした。

緊張と、恐怖。
一気に踏み越えるわけじゃないと頭の中で言い聞かせながらも、そこを越えることにどうしても緊張してしまう。

さっきまでは早いペースだったのが、二の腕まで来る頃にはゆったりとしたものに変わっていた。

「っ、ん」
「……」

ほんの少しでも超えたら忘れられるんじゃないか。
また拒絶をされてしまったら。

いろんな意味のスタート地点に行ってしまったら。

頭の中がうるさくて、怖くて。肩に唇が触れたところで止まってしまう。

「りあすさまー…?」
「……」

震えそうになる体をなんとか抑えて、一度彼女の肩に埋もれた。

「今日、おしまい…?」
「……」

そっと頭を撫でてきた恋人に、頷きたくなる。
けれど体に力を入れたとき、手の中にある花の感覚がそれを阻んだ。

暗い視界の中で、幸せそうにその花を渡してくるクリスティアを思い出す。

言葉にも行動にもできない「愛してる」を精一杯伝えてきたクリスティア。

残酷な真実に、もうなくなった淡い期待に、足を引きたくはなるけれど。

愛の後悔ばかりの少女が少しでも、彼女の願う愛の行為ができるならと。

「!」

ぱっと、体を離した。

「リアスー…?」

意を決して見上げれば、きょとんとした蒼い瞳が俺を見下ろしている。

一度息を吐いてから少女をしっかりと見つめた。

間違えないように。彼女が嫌なものにならないように、頭の中で反復して。

「…?」

そっと、手を伸ばす。

「大丈夫?」
「あぁ」

答えながら、手は。

クリスティアの口を、覆った。

蒼い瞳はぱちぱちと瞬きを繰り返す。それに、ただただ問うた。

「近づいても?」
「? ん」

不思議そうながらも了承したクリスティアに、腰を上げていく。

未だ何がなんなのかわかっていない彼女に逐一確認するのは忘れない。

「この距離は」

首を傾げたので問題ないと判断して距離を縮めた。

「ここは」
「?」

下から少しずつ近づいていくも、恐怖はなく。

だんだんと距離が縮まっていく。

クリスティアはいつも通りのスキンシップだと思っているんだろう。行動療法を続けるとも言っていない。彼女にとって不思議なのはただ口を覆うように置かれた手だけ。

その手をどかしてしまいたい衝動は、見なかったフリをして。

クリスティアの腰を支えて、落ちないようにしながら。

彼女の唇があるであろう自分の手の甲に、下から口づけをした。

手のひら一枚越しで直接的ではないものの、今までで一番近い距離のキス。

自分ではキスのつもりでしているので心臓はかなり痛い。ただ今はそれに構っている暇はない。

クリスティアの、反応は。

「…」
「……」

まだいまいち状況が掴めていないのか、きょとんとした顔をしている。
それに、緊張の息を吐いて。

「これならできそうか」
「…?」

見下ろしてきた蒼い瞳に。

「口づけ」

手のひら越しに、言えば。

「…っ!? ぇっ、キッ、す…!?」

ようやっと理解した少女は、目を見開いて顔を真っ赤にし身を離す。

──身を離す?

「、ぇ、わっ、っわ」
「ばか待てっ!」

膝立ちというアンバランスな状態で身を離せば当然後ろに傾いていくわけで。
恐怖や緊張など吹っ飛び、真っ赤なクリスティアに手を伸ばした。

が。

「っ!」

腰を上げていたアンバランスの状態で、腕を掴んだのではなく腰に手を回してしまったので、自分の体も傾いていく。
目線の先にはローテーブル。抱えて落ちようがなんだろうがどちらかの怪我は確定。

さすがにさっきのキスもどきのあとでそれはいろんな意味でのトラウマものだろ。どこか冷静にツッコミながら、瞬時に魔力を練った。

【水涙月】

クリスティアを抱きしめて、自分が下になるように回転しながら魔術を形にする。

直後。

「っ」
「…っ」

跳ねるような柔らかい感覚に、飛び込んだ。

「平気か」
「ん」

跳ねる感覚が収まってきたのを見計らって腕の中のクリスティアに尋ねれば、小さな少女は俺を見上げてこくりと頷く。それに安堵の息を吐いて、下のウォーターベッドに沈もうとしたとき。

「ん?」

クリスティアが俺の上によじ登ってくる。お前本当にそういう無防備なところ直せよと言おうとしたのもつかの間。

クリスティアの指が、俺の唇に触れた。

何だと彼女を見れば。

ほんの少し、恥ずかしそうにして。

「こっちも、へいき…」

小さな小さな声で、そうこぼし。

「は……」

俺が呆けている間に少女は俺の上からキッチンへと去っていく。そのあとを追うこともできないまま、ただただ言葉を頭の中で反復した。

平気だと、まだ一枚越しではあるもののキスに近いものが。

首や頬に直接は少し抵抗があるだろうかと思って一種の賭けでやってみたが。

間違えていなかったのだろうか。
平気だということは覚えていて、拒絶もなくて、忘れることも、ないと。

ゆっくりと頭の中で理解し。

顔を、覆う。

「はーー……」

今になって震え始めた体に叱咤といい聞かせをする。

根本の治療じゃない、まだこれから先がある。
今の状況じゃ間違えたら終わりなのは変わらない。

そう、言い聞かせながらも。

「……」

安堵の奥から這い上がってきた喜びと愛おしさに、ほんの少しだけ、身をゆだねた。

『新規 志貴零』/リアス