子宮頸がんワクチン副反応、気管支喘息と過ごした日々

2018-12-22

こんばんは、志貴零です⸜( ॑꒳ ॑ )⸝

昨日から始まりましたFortunate Days。二日目です。

2018年、残りの日々は吐き出しという感じでということで、本日は病気の話。長いです。

これこの前のツイキャスでもほっとんど似たようなこと言ってるんですけれども笑

文字としても残しておこうかなと。

来年で零は25歳になります。四半世紀ですね。

ほとんどが病気と共に歩んできた日々の中で失ったものや得たものなどをまたつらつら書いていきます。

気管支喘息は小学校3年生頃から出ました。

私結構走るのが好きで、小学校の頃のマラソン大会、喘息になるまでは上の方に入れたこともありました( ・ㅂ・)و ̑̑

気管支喘息になってからは後半ばっかりになってしまいましたが笑

喘息とは長い付き合いですが、今ではほとんど落ち着いています。

学校時代がひどかったですね。中学時代、吹奏楽部でクラリネットを最初やってたんですけど、ごほごほ咳き込んじゃってピアノに転向しました⸜( ॑꒳ ॑ )⸝(ほんとなら気管支が強くなって治りやすいと聞いたのだけど私は違ったそうです笑

学校時代はマイコプラズマや百日咳という病気にもなりました。ごっほごっほずっと咳してましたね笑

それでも肺炎にすらならなかった私の肺は強靭なのだと思います( ˙꒳˙ )

頻繁に咳で休んでいたので、学校時代で皆勤賞というものは取れませんでした。取れる人はかっこいいなってすごく尊敬してました。

個人的にはそこまでひどくないなと思っていた喘息さんと付き合いながら私は高校くらいから歌のレッスンに通っていました。

小学校くらいからの歌手という夢に向けて。中学上がるまで習っていたピアノでオリジナル曲を作ったりもしていました。

ここらへんはツイキャスでも話しましたね。卒業してから、歌も歌えるカフェでお仕事したり。

そんな中で、子宮頸がんワクチンの副反応が出ました。

20歳頃、そろそろ5年のお付き合いになります。

首の激痛から少しして、右腕の不随意運動が起こりさすがにおかしいと病院へ。

最初はてんかんという診断を受けました。

ちょっと記憶が朧気ですが、その頃はもう、今まで通りに歌えたりしないかもしれないと絶望で泣いたことはすごい覚えています。

歌の方のバイトもやめて、スクールもやめて。

本屋さんのバイトは細々続けさせてもらいながら、とりあえず治療へ。

てんかんと診断を受けていたのでてんかん薬を飲んでいましたがわたしは何故か合わず笑

逆に発作も酷くなっていき薬はやめ。

今もう5年も経っているのでいつ頃にどう、というのが覚えてないのですが、右腕から始まった不随意運動は、四肢で起きるようになりました。

ときおり首も動くことがあったり、いきなり笑ってしまったり。

てんかん薬を飲んでいた頃は副作用で鬱が併発したり。

毎日地獄のようでした。

勝手に動くからだ、それなのにやりたいことは思い通りにはできない。

おそらく不安障害なども出てたんでしょうね、脳の嫌な命令や声がすごくうるさかったです。

「目の前の人を傷つけてない?」「ねぇそれほんとに大丈夫なの?」

「ねえ」

「ねぇ」

そんな声。

問いかけもあれば、「傷つけろ」なんて言葉も聞こえていました。

もちろん実際なにも起きてませんし、脳の命令も聞きませんでしたよ!

窓を見ればそのまま飛び出しそうになったのは今でも覚えています。

大好きな歌は、昔のように歌えなくなりました。

大好きなピアノは、今でもほとんど弾けていません。弾いたあとは高確率で発作を引き起こしてしまいます。

失ったものを思い返すと、たくさんたくさんあります。

夢や時間。

高校の時出会って、今でもお付き合いしてくださってる恋人さん。20歳からの副反応で、1番楽しいと言える日々の思い出をあげられなかったことがとてもとても、今でも悔しいです。悲しいです。

元々子供を作る願望はありませんでしたが、この人とならと思いました。けれど、発作やこれからが怖くて、それも気が引けるようになりました。

思い通りに歌えないことが悲しい。ピアノを自分の好きな時に引けないのが辛い。

仕事もできず、好きなものも自由に買えないことが悲しかった。

すべてが真っ暗闇。

本当に、いっそ。

あの発作でどこかぶつけて死んでしまいたいほど、言葉では言い表せないほど辛かったです。

今は反ワクチンとか言われて認められていませんが、仮に認められても、謝られても。きっと許すことは出来ないでしょう。

けれど。長くなってしまいましたがここで前向きな方向に変わっていきます

無理やりと言ってしまえばそうかもしれないけれど、前向きな方に考えたのなら。

体はわたしの願いを叶えてくれたし、奪った分、色んなものを与えてくれました。

中学の時に出会った友達と、二次創作でお話を作って読みあいっこするのが好きでした。それがきっかけで、小説などの創作をしていきたいと思いました。高校くらいからでしょうか、「いつか、自分の作った曲で、自分で歌って、動画も作りたい」というような夢が出来ました。

バイトの合間などでやっていた創作。

それが、副反応を起こしてからしっかり向き合うようになり、今、あの頃夢に描いていたことに一歩一歩進めています。

自分が書きたいと願った小説を今、描いています。

イラストも、昔とは見違えるような雰囲気などになりました(まだまだ未熟ですが

この前は、自分の作った曲で、自分の描いた絵で、また逢う日までのPVを作れました。

「いつかこの子達の物語を、そして動画を、歌を」というのが少しずつ叶っていっています。

恋人との思い出を作ることは奪われてしまいましたが、わたしはこの日々で、恋人と心の距離の方を少しだけかもしれませんが、縮められた気もします。

昔は妬みや僻みの対象になって、「自分などいなくていい、誰かの願いを聞くだけの人形でいい」と思っていました。今では自分のやりたいことをとことんやっていい、自分が「やりたい」をやっていいと気づくことが出来ました。

体が動くということは、本当にありがたいことなのだと知りました。

創作をするにあたって、お金を払うという大切さを改めて知ることが出来ました。

創作をする、長い長い時間を頂きました。

たぶん探したらもっともっと出てくるくらい、失った分、得たものもたくさんあります。

母がよく買ってくる本の中で、病気にも感謝をというのをよく目にします。

昔は本当に悲しくて、悔やんで、感謝など出来ませんでした。

けれど今は、感謝ができます。

色んなことを教えてくれてありがとうと。

いろんな道があること、いろんな人がいること。

それを教えてくれたのは、主に副反応があったからです。

たしかに納得も行かない部分もあるけれど。

この時間をくれてありがとうと、それだけは言えます。

過ごした日々は、視点を変えてみたら悲しいものばかりではありませんでした。

辛くもあり、幸せな日々でもあります。

ある意味かけがえのない日々でした。

たくさん絶望に突き落とされましたが、「それがあったからこそ今がある」と、気づけました。

いつか、今悲しんでいる方々にもそう思っていただけたらいいなと思います。

母がよく言います。

今気づけなくていい、いつか、「ああこういうことだったんだ」と。

そういう感じで、いつか。

いろんな人が、いずれ過去になるであろう「今」を、笑って話せるようにと願います。

そんな、わたしの病気との日々を綴りました。

まだ闘病中なんですけれどね!笑

お陰様で少しずつよくなっていると思います。

完治へ向けて、またのんびりまったりと生きていこうと思います。

お付き合い頂きありがとうございました。

それでは、明日もあなたに、フォルトゥナな日々があらんことを。

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