「キミから”幸せ”って言葉を聞いたことがないよね」
とある運命の日を終えて、天界に帰って数日。突然セイレンが言って来た。
勉強期間中だから、本を広げたまま。セイレンを見上げて、首を傾げる。
「いきなりどうしたの…?」
「なんとなく。ボクはキミから愛の言葉を奪って、以降、キミは生物に言葉で”愛情”を伝えられなくなった」
「うん…」
「その中で、”幸せ”という言葉を奪った覚えはないんだけれど」
君から聞いたことはないって、セイレンは言った。
目を本に戻しつつ、それぞれの勉強期間だから、セイレン以外誰もいない、ちょっと新鮮な場所でまた口を開く。
「気のせいじゃない…?」
「ふふっ、ボクにとぼけるなんて、キミの度胸はすさまじいね」
「とぼけてないかもしれない…」
なんて、あなたにはわかるだろうけれど。
本のページをめくりながら、こてんと首をかしげてみる。悩んでるんじゃない。
言おうか、言うまいか。
セイレンの言う通り、わたしは「幸せ」を言わない。
決して言えないわけじゃない。セイレンから奪われてないから。この言葉はいつだって言える。
でも。
でもね。
「…ないしょにしてくれる?」
「もちろん」
あなたは信用できるから、その言葉に顔を上げて。
「…終わっちゃうのが嫌」
「――!」
「なんて言ったら、神様は怒る?」
笑ったら、セイレンは肩を竦めた。それにわたしも笑って。
ぽつり、ぽつり。こぼしてく。
「最初の人生で、言わなかった」
「幸せを?」
「うん」
とても幸せな人生だった。
リアスを愛せたこと、愛してくれたこと。カリナとレグナに出逢えたこと。いっしょにたくさん、あそんだこと。
最初の人生でも、別に言わないことを選んだわけじゃなかった。
本当に偶然で、振り返った時。
わたしは、愛の言葉も、幸せだったということも、なにも伝えなかったんだと気づいた。
「言おうかなって思ったの」
悲しい終わりだったけれど。
みんなと逢えて、幸せだったよって。けれど、最初の方は、言えなかった。
みんなが、運命に必死になった。
あの最期を繰り返さないために。とくにリアスとレグナは、大事なものを目の前で失ったから。回避するためにとても必死で。
「何度も繰り返して、みんなの心が、苦しくなって。そんな感情も言う気にすらならなくなった」
そうして、乗り越えて。またみんなと歩けるようになったとき。
幸せだってことを、再確認した。
みんなでいれること。
四人で、形は違うけれど歩けること。
それを、伝えようかなと思ったとき。
「ふとね。悪いわたしが出ちゃったの」
「悪いクリスティア?」
「うん」
セイレンは怒ることもなく、わたしの目の前にしゃがんで、優しく話を聞いてくれる。それに微笑んで。
「なんかね」
「うん」
「しあわせだって言ったら、この人生が終わっちゃうような感じがしたの」
そんなはずないのにね。
そう言うわたしは、どんな顔をしてるんだろう。セイレンが少し寂しそうだから、わたしもそんな顔なのかな。
「セイレンに預けた言葉を言わない限り、答えをちゃんと見つけない限り。終わることなんてないのに」
それでも。
「しあわせって、この人生に満足してるっていうように言ったら、終わっちゃう様な気がして」
寂しいから。
だから、言わない。
「…悪い子でしょう?」
そう、聞いたら。
「……世の中には、もっともっと、悪い子がいるかもしれないよ」
なんて笑う。
それに首を傾げたら、セイレンは首を横に振った。
「キミの話を内緒にするから、ボクも内緒だよ」
その言葉で、あぁ、ほかのみんなの話かなってわかったから。約束をしっかり守ってくれるセイレンには「ありがとう」って言って。
本を閉じて、真っ白で見えづらいけれど、たしかにそこにある壁に寄り掛かった。
「大変な四人の担当だね」
「本当にね。苦労するよ。言うことは聞かない、禁忌は犯す。他にもたくさん」
「大半はリアスとレグナでしょう…?」
「厄介なのはキミの親友かな」
うちの盗撮魔がすいません。
笑って。
「まぁ、まじめな話」
「…?」
「もう少しわがままでもいいんじゃない」
「わがまま…」
「キミはなんだかんだ我慢してしまうからね。他の子も、それぞれ違う部分で我慢しているなとも思うけれど」
「…」
「一緒にいたいなんて、当たり前の感情を、キミの罪みたいにしなくていいんだよ」
「…!」
そう、優しく言うから。
ほんの少し、目が熱くなってしまって、うつむく。
「…ずるい」
「キミの神様だからずるくないさ」
「なにその理屈…」
「神様特権。ただ泣かれるのは困るな」
「リアスが飛んできちゃう…」
「キミは自分がみんなに愛されていることをもっと自覚するといいよ。もれなく双子まで飛んでくるんだから」
「あとでちゃんと報告しておくね」
「心の底から願い下げだよ」
あ、これほんとに嫌がってるやつ。
長年の付き合いでわかるそれに、立ち上がって。
「わたしのこと内緒にしてくれるから、こっちも内緒にしとく」
「助かるよ」
「でも知られてたらごめんね…?」
「その可能性に賭けとこうかな??」
そっちの方が自信ある、めっちゃわかる。
想像できる未来に、先に心の中で謝っておいて。
「本」
「うん?」
「返しに行きたい」
「わかった。道を作ろう」
「ありがと」
閉鎖された空間にひとつ、扉ができて、自然と開く。
そこに向かって歩きながら。
「セイレン」
「うん?」
「わたしね」
しあわせだよ。
口の動きだけでそう言って。
扉から、ふわり、出ていく。
その、後ろで。
「……そう」
よかった、と。
本当に小さな声で聞こえてきた。それに微笑んで。
いつか音に出して言える日が、どうか来ないように祈りながら。
もしかしたら大好きな人たちがいるかもしれない図書館に歩いていった。
『しあわせという名の終わりが、永遠に来ませんように』/クリスティア